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2007年11月30日
お母さんの銀行
平成19年11月29日(木)朝日新聞朝刊ひとときへの投稿です。
「お母さんの銀行」
地元で開かれた「家事家計講習会」に出た。その席上で、一瞬、子どものおこづかいに話が及んだ。
「おこづかい帳はつけさせていますか」
■ ■
私はその時、心の中で、ほほ笑みたくなった。我が家には「お母さんの銀行」があるからだ。
子どもたちは中1と小5。
おこづかいはどちらも月千円程度だが、親類からのお小遣いやお年玉など、臨時収入もあわせると月1万円近くになることもある。
現金の管理は大人でも難しい。そこで一計を案じたのが「銀行」だ。
■ ■
子どもたちのおこづかいは全額、おのおののファスナー付きの袋にメモ帳とともにいれ、台所の引き出しに保管する。
お金の出入りがあったら記帳。そこまでは普通だ。
■ ■
我が家の「銀行」の特別なところは、月初めに残高の1%の利息がつくことだ。残高がはっきりしないと利息はつかないので、子どもたちは記帳を忘れない。
私も子どもたちの所持金を知ることができる。一石二鳥だ。
そのうちに、利息がついてからお金を使う、なんていう知恵もついてくる。
■ ■
「小さいうちから金銭教育を」とよく言われる。
でも、「やらなければ」なんて堅苦しく考えるよりは、工夫して、楽しくできたらいいと思う。「お母さんの銀行」、始めてみませんか。
山形市 佐藤美佐子 主婦38歳
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私が子供の頃は、子供も一人一冊ずつ郵便貯金通帳を持っていました。
郵便局へ行くと、ガッチャンという印字する器械で、預金額を記入してくれて、四角い郵便局の印を押してくれました。
100円ずつでも、イヤな顔をせずに預かってくれました。
■ ■
初めて大きな額を下ろした記憶があるのが、小学校6年生頃に買った変速機付き自転車でした。5段変速のミヤタの自転車でした。その自転車は20年近く使いました。
中学生の時には、星座を見るNikonの双眼鏡を買いました。当時、\16,000くらいしました。
そのNikonの双眼鏡は40年近くたった今でも、十分にキレイに見えます。新婚旅行にも持って行きました。
中学生の時に、『すばる』というプレアデス星団がとてもきれいに見えて感激したのを覚えてます。
少しずつ貯金をして、良いものを買い、長く使うのが私の主義です。
子供の頃からついた習慣なのかもしれません。
投稿者 sapporobiyou : 23:58 | コメント (0)
2007年11月29日
障害年金
平成19年11月29日(木)朝日新聞朝刊の記事です。
障害年金受けるには
うつ病や糖尿病でも
ポイントは初診日と認定日
■ ■
人生に病気やけがはつきものです。障害が残ったとき、生活の支えとなるのが障害年金。
生まれつきの障害だけではなく、がんや糖尿病などでも場合によっては受けとれるのですが、知らずに請求していない人もいるようです。
自分は関係ないと思っていませんか?
■ ■
年金は、年をとってからもらうものと思いがちだ。
しかし、それだけではない。病気やけがで心身に障害が残って働きにくくなった場合に収入を保障するのが障害年金だ。
■ ■
ただ、この制度自体があまり知られていない。
障害年金に詳しい社会保険労務士の藤澤貴司さんは
「もらえるはずなのに請求していない人は、少なくないはず」。
その大きな理由は「障害」という言葉が、一般には狭く解釈されているからではないかという。
障害年金の対象は手足が不自由な人だけではない。がんや生活習慣病、うつ病などでも、労働や日常生活が制限を受けていると認められれば、年金が出る。
■ ■
認定は、障害者手帳の基準などとは異なる独自の基準に従って社会保険庁がする。
障害等級により年金額が変わる。
全国民が対象となる障害基礎年金は2級まで、会社員が在職中の病気やけがで障害をおった場合に受け取る障害厚生年金には3級も加わる。
例えば、心臓病でペースメーカーを入れていれば3級、糖尿病による腎症で人工透析が必要なら2級が目安となる。
■ ■
社保庁によると、障害基礎年金の受給者は2005年度末で152万人、障害厚生年金は35万人だった。
障害年金の受給の仕組みでは、初診日と認定日が重要だ。
初診日は、その障害の原因となった病気やけがで初めて診察を受けた日。それまでに保険料をきちんと納めていることが、受給条件だ(初診日が20歳未満の場合をのぞく)。
■ ■
認定日は
①基本は初診日から1年半後
②それ以前に症状が悪化も改善もしない状態になったらその時点で、障害の程度を判断することになる。
所定の診断書を医師に記入してもらい、社保事務所に出す。
■ ■
老齢の基礎年金と障害基礎、老齢厚生年金と障害厚生を両方はもらえない。ともに条件を満たす人は、どちらかを選ぶことになる。
額は障害基礎は定額で、2級が老齢基礎の満額(40年加入)と同じ年間792,100円なる。
障害厚生では認定日までに納めた保険料が年金額に反映する。
誰もがいつ障害年金を受ける立場になるか分からない。生活習慣病では長い間に症状が悪化するのが一般的だが、初診日がいつだったかは年金を請求する側が証明しなければならない。
■ ■
特に障害厚生では、初診日が会社勤めの期間中だったかが重要になる。
カルテの法定保存期間は5年。転院などしていれば証明が難しいことも少なくない。
社労士の藤澤さんは「退職が近く、体調がおかしいと思う人は、退職前に病院に行った方がいい。
万一、障害厚生年金を請求するときの初診日になる。診察券や記録も残しておくこと」と助言する。(山田史比古)
■ ■
どんな人が受けられる?(認定基準の一部)
一級:両目の矯正視力が合計0.04以下、両上肢のすべての指を欠く、座っていること、立ち上がることができない
二級:両目の矯正視力が0.05以上0.08以下、 平衡機能や音声、言語機能に著しい障害、そしやく機能を欠く
三級:両目の矯正視力がともに0.1以下、そしやくまたは言語に相当の障害、労障害基礎年金
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私は市立札幌病院と帯広厚生病院に勤務していた時に、育成医療と身体障害者の指定医になりました。
形成外科で障害者の診断書を書くことはマレです。
20歳になって、国民年金に加入していなかったため、脊髄損傷で障害者になったのに障害年金を貰えなかった大学生は知っています。とてもお気の毒でした。
■ ■
恥ずかしい話しですが、身体障害者の等級と障害年金の等級が、同じ症状でも異なることは、この記事を読むまで知りませんでした。
決して多い額ではありませんが、せっかくある制度ですから有効に利用なさってください。

朝日新聞より引用
投稿者 sapporobiyou : 23:42 | コメント (0)
2007年11月28日
床上安静
床上安静、ショウジョウアンセイと読みます。
ベッドの上でずっと寝ていることです。
勉強も仕事もしないで一日中寝ているのです。
楽でよいなんてものではありません。
一日中ベッドの上に拘束されるのです。
ストレス以外の何ものでもありません。
■ ■
ギプスがとれた私は、ベッドの上で左下肢の牽引をしました。
骨折した時は、骨に金属(太い針金状のもの)を入れて牽引します。
ペルテスだった私は、左下肢に装具をつけて、下肢を固定し、ベッドの上にレールを敷いて、その上に脚をのせました。
下肢を貨車(コンテナをのせる台車型貨車)のような台にのせ、その台をレール(本物のレールを小さくしたようなレールでした)にのせます。
■ ■
その貨車にヒモをつけて、重石で引っ張る治療です。
注射と違って痛くはないので、最初はよかったのですが、それもつかの間…。
レールの上に下肢を固定されているので、私は一日中ベッドの上です。
隣のベッドでは、腎臓の子供が‘元気’に遊んでいます。
私の楽しみは、ベッドの上でできることに限られてしまいました。
■ ■
11月にだったので、窓の外では雪が降りました。
窓のそばまで行けば外の景色が見えますが、子供がベッドの上で起き上がったところで、空か屋根しか見えませんでした。
ベッドの上だけで、どこにも行けないというのはストレスです。
雪に触りたいという私の願いで、家族が雪を洗面器に入れて持ってきてくれたのを覚えています。
■ ■
5歳の子供が一人で入院することはできません。家族が付き添ってくれていました。
3歳下の弟がいましたので、両親はさぞ大変だったと思います。
母の実家が、北1条西10丁目にありました。
愛育病院は北3条西16丁目でした。
大人の足で歩けば10分ほどの距離です。
■ ■
私の入院では、母の実家の全面的はサポートがありました。
母方の祖母は私のことを一番可愛がってくれました。
母の弟が3人いました。どの叔父も可愛がってくれました。
母が来れない時は、叔父が来てくれて夜に泊まってくれたこともありました。
父も夜に泊まってくれました。仕事が終わってから、手稲金山から知事公館まで、国鉄バスで来てくれました。
朝は、その逆をバスで手稲金山まで通勤してくれました。
家族が一人でも病気になって入院すると、家族すべてが犠牲になり協力します。
今から思えば、祖母や母の弟(私の叔父)はよくやってくれたと思います。
■ ■
ベッドの上の楽しみは紙芝居でした。
テレビがようやく普及しはじめた頃でした。
今のように24時間番組を放送していたのではありません。
日中はテレビにも昼休みがありました。チャンネルを回しても、テストパターンの丸い画像が映るだけでした。
まして子供向けの番組は限られていました。
■ ■
私が好きだった紙芝居は、バンビだったように記憶していますが…この辺は定かでありません。
同じ紙芝居を何回もなんかいも読んでもらった記憶があります。
幼稚園の先生がお友だちが書いた絵を持ってきてくれました。
■ ■
私が通っていた幼稚園は、手稲町立手稲西幼稚園です。
担任の先生が、セイノレイコ先生(情野玲子?)先生だったと思います。
幼稚園の先生からも紙芝居をいただいた気がします。
とても優しい先生でした。
■ ■
約一ヵ月間入院して牽引治療をしたおかげで、私の症状はよくなりました。
退院の前日に許可が出て、父と地下のお風呂に入りました。
約一ヵ月ぶりにお風呂に入れてとても嬉しかったのを覚えています。
恥ずかしい話しですが、一ヵ月もお風呂に入らなかったので、垢がボロぼろ出ました。
投稿者 sapporobiyou : 23:33 | コメント (0)
2007年11月27日
ギプスカット
私の腰から下はギプスで固められました。
石膏でできたギプスはセメントのように硬く、びくともしませんでした。
白いギプスはそのうち汚れてきます。
石膏のギプスが直接肌に当たらないように、綿のようなものを巻いてからギプスを巻きます。
この綿が次第にボロになってきて痒くなります。
■ ■
私が形成外科医になってからは、私が患者さんにギプスを巻きました。
患者さんの中には、ギプスに落書きをする人もいます。
○○ちゃん、頑張ってね!
はやくよくなりますように!
若い方だと、○○愛してるぅ~!なんてものありました。
■ ■
私の腰についたギプスに落書きが書いてあったかどうかは覚えていません。
とにかくギプスの中が痒いので、一日も早くギプスを外して欲しかったのを記憶しています。
箸でつついて、痒いところを掻くのも限界でした。
■ ■
いよいよギプスカットの日が来ました。
私はギプスが外れるのを楽しみにしていました。
子供心に、ギプスはどうやって外すのだろうと思っていました。
イヤな予感は当たりました。
ギプスをカットするのは、手品で腕を切断する時に使うような電動ノコギリでした。
担当してくれたのは、一番怖い看護婦さんでした。
■ ■
「キーン」という金属音をたてて、ギプスカッターを持った看護婦さんが言いました。
「動いたら、足が切れちゃうよ!」
私はビビリました。本当に足が切れると思いました。
「イヤだイヤだ」
「ギプスなんか切らないで!」
「ボク、痒いのもがまんするから!切らないで!」
(ここは私のフィクションですがこんなことを言ったと思います)
■ ■
お腹の近くを切る時は、必死にお腹をへこませた記憶があります。
足の部分を切る時は、オシッコをちびりそうになりながら必死にじっとしていました。
ある程度切ったら、大きなペンチのような道具で、バリバリとギプスを開きます。
とうとうギプスが割れて、パッかぁ~んと私の腰とチンチンと脚が出てきました。
■ ■
実は、ギプスカッターは電動ノコのような形ですが、刃は本物の電動ノコのように回転せず、振動するだけです。
ですから、もし当たったとしても、少しキズができる程度で、ノコギリのように切れたりはしません。
でも、本当に手品で使うように足が切れると思いました。
■ ■
私は、たとえ子供でもちゃんと説明してくれて、『これは音が怖いけれど、脚は切れないからね』と言ってくれたらよかったのにと思います。
札幌医大の学生の時に、小児麻酔の講義を、田宮恵子先生という小児センターの先生から習いました。
田宮先生は、子供でも、ある程度話しがわかる子は、大人と同じように説明して不安をとってあげるのがよい。とお話しされました。
自分の経験から、さすが小児センターの先生は違うものだと思ったのを覚えています。
■ ■
田宮先生はとても優秀な小児麻酔医でしたが、病気で他界なさってしまいました。
でも、私の中では、田宮先生のお話しはずっと生きています。
形成外科医になってからも、ある程度の年齢に達して、話せばわかるようになった子供には、必ず子供の目の高さで話して説明していました。
■ ■
辛いことがあった入院生活ですが、5歳の時の記憶が50年たっても生きています。
大学で講義を聴いても、自分が体験したことはよく理解できますし忘れません。
ペルテスになったおかげで、私は入院生活の辛さや退屈さを経験できました。
病気はありがたくないことですが、自分が病気で入院した体験は何ものにも勝る医学教育だと思います。
投稿者 sapporobiyou : 23:54 | コメント (0)
2007年11月26日
床上排泄
床上排泄(ショウジョウハイセツ)と読みます。
ベッドの上でオシッコもウンコもすることです。
ペルテス病になった5歳の私は、札幌の愛育病院に入院しました。昭和34年11月のことです。
大腿骨という、太ももの骨の病気です。そのままだと、歩けなくなります。両親は焦ったと思います。
■ ■
愛育病院は昭和32年8月に開設されました。財団法人小児愛育協会附属愛育病院。
病床数32床、小児科、皮膚科、整形外科、耳鼻咽喉科の病院でした。
北大医学部小児科の2代目教授、弘 好文先生を中心に地域の小児保健問題の研究と解決、及び育児指導を目的として小児総合病院建設の構想の下に作られました。
■ ■
愛育病院へ入院した私は、まず腰から下のギプスをつけられました。
大腿骨頭にかかる負荷を減らす目的だと思います。
子供だった私は何と説明されたかは覚えていません。ギプスをつける時に暴れたので麻酔をかけられたような気もします。
■ ■
ギプスは石膏でできているので、子供の私が暴れたところでびくともしませんでした。
パンツの代わりに、セメントでできたズボンをはいているようなものです。
オシッコとウンコをするために、チンチンのところとおしりには穴が開いていました。
当然のことですが、トイレには行けません。
ギプスをつけたその日から、ベッドの上でオシッコもウンコもしなくてはなりません。
5歳の子供でも、これには参りました。
■ ■
オシッコは尿瓶(シビン)でできるからまだマシです。
問題はウンコでした。
ウンコをする時は、カーテンをして他の子供から見えないようにしてしました。
いくらカーテンをしても、臭いは容赦なくカーテンにこもります。
5歳の男の子でも、クサイにおいには閉口しました。
同室の子供から、ウンコ臭いなんて言われようものなら、ウンコが出なくなりました。
■ ■
ウンコが出なくなるとお腹が痛くなります。
ウンコがイヤでお腹が痛くなるので、食事も進みません。
骨の病気で入院したのに、ウンコが最大の苦痛でした。
子供の病院なので、同室者は子供ばかりでした。
他の子供は、小児科の患者が大部分でした。
ペルテスは私一人で、他の子供たちは元気に遊び回っていました。
私だけ、24時間ベッドの上でした。次第にストレスが溜まりました。
■ ■
同室の子供たちは腎臓病の子が多かったように記憶しています。
食事の時間になると、『腎臓さんの食事ですよ!』と、腎臓病食がその子供たちに配膳されました。
食事の時間は、私が優位でした。腎臓病の子供は、醤油が食べられませんでした。
私はご飯に生卵をかけて食べられましたが、腎臓病の子は生卵に醤油をかけられませんでした。
■ ■
病院で入院患者の部屋割りを決める時は、男性は男性。女性は女性。あかちゃんはあかちゃん。学童は学童と分けます。
私は小学校入学前だったので、男の子も女の子も同じ部屋でした。
自分の経験から、男性と女性は無理としても、できるだけ同じ病気の子が同じ病室で過ごせるとよいと思います。
■ ■
たとえば乳癌が専門の病院があります。
同じ部屋に術前の患者さんと術後の患者さん、新入りの患者さんがいらっしゃいます。
私たち医療従事者が説明するよりも、先輩患者が自分の体験を元に‘説明’してくださると、実に安心することがよくあります。
ベテランの看護師長は、ベッドの割り振りや部屋割りがとても上手です。
■ ■
私は約一ヵ月入院しましたが、小児科の子供と仲良くなった記憶はありません。
24時間、ベッドの上で、お風呂も入れない生活は苦痛でした。
ギプスはつけたままなので、次第に痒くなります。
ギプスの中が痒くても手や指は届きません。
お箸で痒いところを掻いた覚えがあります。
■ ■
5歳になると、入院していたことや辛かったことはよく覚えています。
形成外科医になってからも、植皮術の後に床上安静が必要なことがありました。
私は、5歳の時の体験から、できるだけ早くウンコだけはトイレでしてもらうように配慮していたつもりです。
この他にも、自分の入院体験は役に立っています。また別の日に続きを書きます。

昭和35年1月の私です。
左下肢につけているのが装具。
(コルセット)です。
投稿者 sapporobiyou : 23:37 | コメント (3)
2007年11月25日
お医者さんごっこ
私が子供だったのは、昭和30年代です。
日本は戦後の混乱から、高度経済成長の時代に入っていました。
‘三丁目の夕日’は、昭和33年(1958年)の東京の下町が舞台として設定されています。
私が育った、札幌郡手稲町も、三丁目の夕日と同じように、隣近所が親しくお付き合いしていました。
■ ■
子供の遊びは、近くの雑木林でドングリを拾ったり、当時流行っていた、月光仮面のマネをしたり、チャンバラをしたり…。
女の子は、おままごと遊びをして、それに加わったり…。
ごく普通の子供の、ごくふつうのあそびでした。
■ ■
ただ一つ違っていたとすれば、‘お医者さんごっこ’だと思います。
病院職員の子供ばかりの集団です。お医者さんごっこも、ふつうの子供より知識がありました。
子供は、お父さんと同じ職に就きました。
■ ■
・マーちゃんがお医者さん。お父さんは小山先生。
・はるみちゃん(マーちゃんの妹)が看護婦さん。お母さんが元看護婦さん。
・ひろすけちゃんが事務長さん。お父さんは小林事務長さん。
・まさるちゃんがレントゲン技師さん。お父さんは、レントゲン技師の草野さん。
・私が薬剤師。父は薬剤師。
患者さん役が誰だったか?どうやったか?は覚えていません。
■ ■
お医者さんのマーちゃんが‘診察’をして、看護婦さんのはるみちゃんが介助します。
レントゲン技師のまさるちゃんがレントゲンを撮ります。
注射は、看護婦さんのはるみちゃんが担当。
薬剤師のケンちゃんは、マーちゃんが処方したお薬を作ります。
■ ■
私は、土を集めて、サラサラにして、お薬を調合。
木の葉っぱに包んで、「はい、お薬ができました」という係りでした。これは今でも覚えています。
私はこの薬の係りが好きでした。
少し大きめの葉っぱを集めて、さらさらにした土を、おままごとの皿に入れて調合しました。
看護婦さんの、はるみちゃんが「はーい、お口を開けて!」と飲ませるマネをしていました。
■ ■
お医者さんは、血も見なければいけないし大変だから、自分は薬剤師でよかった!と子供心に思ったのを覚えています。
マーちゃんのようにお医者さんになりたいとは、まったく考えていませんでした。
■ ■
子供たちは、親が働いている療養所へ遊びに行っていました。
マーちゃんとはるみちゃんは、お父さんのいる医局へ。
私は父がいた薬局へ行きました。
■ ■
薬局には、今のような分包器(粉薬を紙の袋に入れる器械)はありませんでした。
薬包紙という薄い紙を、調剤台の上に並べて、そこへ父が乳鉢で調合した薬を手際よく配分していました。
怒ると怖い父でしたが、その時は子供心に『お父さんすごい!』と思いました。
■ ■
その他に錠剤を作る器械があり、ゴットンごっとんと動いて錠剤ができていました。
子供にとっては、イスと机と本しかない医局(お医者さんの部屋)よりも、いろいろな薬や器械がある薬局の方が楽しみでした。
私は注射が嫌いでしたし、手術なんて考えただけで血の気が引いていました。
その頃から考えると、よく形成外科医になったものです。
■ ■
子供は地域が育てるものと言われます。
親から教えられることの他に、近所のお兄さんお姉さんからもたくさんのことを教えられます。
私の兄貴分はマーちゃんでした。マーちゃんは面倒見がよく、妹や私とよく遊んでくれました。
私の一生の中で、手稲で過ごした7年間はとても貴重なものだと思っています。マーちゃんに感謝しています。

ソリを引くのがマーちゃん
その後ろが妹のはるみちゃん
最後尾が私(ケンちゃん)です
投稿者 sapporobiyou : 23:31 | コメント (0)
2007年11月24日
ペルテス病
私は幼稚園の時にペルテスという病気になりました。
50年も経った現在でも原因不明の病気です。
6歳前後の男の子に多く、大腿骨という太ももの骨の頭(骨頭といいます)が徐々に崩れてきます。骨の血流障害が原因ですが、なぜ血流障害になるかはわかっていません。
■ ■
大腿骨は、体を支えるために、太く丈夫にできています。
テーブルの脚と同じで、ぐらぐらすると困るので、体についている部分は、骨盤という骨にがっちり食い込んでいます。
骨盤に食い込んでいる部分も、動かないと脚を開いたり、前後に動かしたりできないので、ベアリングのように丸くなっています。
この丸くなっている部分が、崩れていびつになるので歩けなくなるのがペルテス病です。
■ ■
私の初発症状は、『歩き方が変!』だったようです。
少し、痛みもありましたが、耐えられない激痛ではありません。
手稲療養所で外科の大宮先生がレントゲンを撮って診て下さいました。
■ ■
レントゲンは暗い少しひんやりした部屋で撮られました。
レントゲンを撮ってくださったのは、まさるちゃんのお父さんです。
レントゲン室は現像液の臭いがする部屋でした。
私はレントゲンは好きでした。なぜかというと、ただじっとしていれば終わるからです。
注射のように痛いこともありません。
レントゲンを見てもあまり変化がなかったようです。外科の大宮先生は股関節脱臼を疑われました。
■ ■
股関節脱臼にしては治らないので、私は北大病院へ紹介されました。
北大でかかったのは整形外科でした。
私は子供だったので、外科も整形外科もわかりません。
当時の整形外科は外科から分かれて独立し、まだ10年くらいだったようです。
整形外科といえば、美容整形?といわれ、骨折は『骨接ぎ』といわれる整骨院に行っていた時代でした。
■ ■
北大でついた診断名がペルテス病。
整形外科ではレントゲンを撮られ、診察室を歩かされました。
『向うの壁まで歩いて行って、戻ってきて。』
整形外科医は歩行分析をして、診断をつけたのだと思います。
今ならわかるのですが、5歳の子供には『何でボクは歩かされるんだ?』
『注射よりマシだけど、早くしてよ!』という思いでした。
■ ■
私は入院治療が必要であること。
その後も、装具を着用しなければならないこと。
しっかり治療しなければ、歩けなくなること。などの説明を受けたはずです。
自分では覚えていませんが、両親や祖母が心配したのは想像できます。
■ ■
北大病院が満床だったのでしょう。私は知事公館の近くにある愛育病院という北大の関連病院へ入院しました。5歳の時でした。
入院したのは11月。期間は約一ヵ月でした。
入院中のことは今でもよく覚えています。
私が医師になってからも、5歳の時に入院した経験は生きていました。
■ ■
5歳の子供でしたが、入院中にはいろいろ辛いことがありました。
たった一ヵ月の入院でしたが、貴重な体験でした。
自分が入院したから、医師を目指したのではありません。
ただ、自分が入院したからわかることがありました。50年たっても生きています。
別な日に私の入院生活について書きたいと思います。

手稲療養所の慰安旅行で行った洞爺湖です
父と一緒に行ったようです。病気になる前です。
投稿者 sapporobiyou : 23:57 | コメント (0)
2007年11月23日
職場でのうつ
平成19年11月23日北海道新聞朝刊の記事です。
広がる職場でのうつ
鍵は上司、同僚の「支え」
じっくり話を聞いて
復職支援、きめ細やかに
■ ■
企業や官公庁、団体などで、うつ病で休職する人が増えている。
背景には、長時間労働や成果主義、上司による嫌がらせ(パワーハラスメント)によるストレスなどがあるとみられ、専門家は職場での予防対策を訴えている。
職場の部下や同僚がうつ病になったとき、私たちはどう接し、どう支えればいいのか。当事者や専門家の話を聞きながら考えた。きょうは「勤労感謝の日」。(村田泉)
■ ■
道内のサービス業に勤務する二十代男性Aさんは、「仕事のストレス」で抑うつになり二ヵ月間、休職した経験をもつ。
休職前は、いつも疲れが抜けないほか、手が震えたり、言葉がうまく出ないなどの身体的症状もあったが、苦しみながら約一年、働き続けた。
現在は職場復帰しているAさんはこう振り返る。「職場に理解があり、復帰後しばらくは時短勤務を認めてもらったのも良かった。あのまま病院にいかずにいたら、どうなっていたかわからない。つらいときは、すぐに受診すべきです」
■ ■
部下や同僚の心身の不調に気付いても、対応の仕方がわからず、戸惑う人は多い。
NPO法人、勤労者心の健康づくり協会(札幌)の久村正也会長(心療内科医)は、「職場のメンタルヘルス(心の健康)のかぎを握る、直属の上司の声のかけかたが重要」と言う。
■ ■
久村会長によると、うつ病の人は自分自身への嫌悪感や無能力感に苦しんでいることが多く、「このごろ、どうしたんだ」 「甘えている」といった言葉は症状を悪化させる可能性もある。
また、腫れ物に触るようにしたり「気分転換したら?」などの、当たり障りのない励ましも禁物。
「元気ないようだけど、どこか調子悪いんじゃないか?」と、体の話から人ると本人も受け人れやすいという。
■ ■
本人が話し始めたら、じっくり話を聞き、一緒に問題を解決しよう、という姿勢を示すことが人切だ。
すぐに病気と決めつけるのは論外。「本人から十分話を聞いた上で、上司が会社の産業医や外部専門機関に受診の必要性を相談する」のが良いようだ。
■ ■
同僚ができることは何だろう。
久村会長は「うつの人は『この人には話してもいい』と相手を選択して相談することが多い」と説明する。
相談を受けた人はやはりしっかり話を聞き、「支える」というメッセージを伝えることが人切だという。
■ ■
うつ病で休職した場合は、治療と十分な休養が必要だ。
道立精神保健福祉センターの田辺等所長(精神科医)は「かつてのうつ病は、40代ぐらいの働き盛りが中心だったが、最近は幅広い年齢に広がっており、個人に合わせた、よりきめ細かな復職支援が必要になっている。
管理職は自身の異動の際、部下の症状をきちんと引き継ぐほか、復職後も産業医などと連携しケアをすることが必要」と言う。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
医療関係者にも『うつ病』は広がっています。
信じられないことですが、病棟の看護師さんに『ばか!あほ!無能!』呼ばわりされて、落ち込む研修医は山ほどいます。
大学で勉強した医学と、現実の‘医療’のギャップに悩む研修医もいます。
■ ■
美容外科医もストレスの多い職種です。
どんなに丁寧に手術をしても、お客さんが‘NO(ノー)’と言ったら価値がなくなってしまいます。
高度の専門職、知識や技術が要求される職種にはストレスがつきものです。
■ ■
経営者にもストレスは溜まります。私の一ヵ月の勤務時間は200時間を越えています。もちろん、こうして日記を書いている時間や、自宅でメールに返信している時間は含まれていません。
たとえ自己満足でも、自分の考えを伝え、残すことに意義があると考えています。
私が何とかやって行けるのは、たとえ一人でも私の‘勤労’=‘手術・診療’に‘感謝’してくださる方がいらして、日記を読んでくださる方がいらっしゃるからです。
今日も拙い(ツタナイ)日記を最後まで読んでいただきありがとうございました。
投稿者 sapporobiyou : 23:19 | コメント (0)
2007年11月22日
市立病院の会
私は平成元年4月(34歳)から平成6年12月(40歳)まで、市立札幌病院に勤務しました。
人間は成長する過程でどんな人と出会い、どんな影響を受けるかで、その人の人格や人間性が形成されます。
医師も、成長する過程で、どんな先輩や同僚と出会い、どんな経験を積むかで、医師としての技量や人格が形成されます。
私は医師としての‘青春時代’を市立札幌病院で過ごしたことにより、目に見えない貴重な財産を得ました。
■ ■
市立札幌病院には、とても優秀な医師が集まっていました。
各科の連携がよく、ちょっと困ったことがあると、いつでも誰とでも気軽に相談できる雰囲気がありました。
どんなに医学書を紐解いても、経験を積んだ先輩に聞くことにはかないません。
生き字引と言える専門家が各科にいました。他科の医師と交流を深めることが何よりの勉強になりました。
■ ■
一年に2回、元市立札幌病院に勤務した医師の仲間が集まって勉強会をしています。
総勢10人に満たない会ですが、それぞれが持ち回りで講師を担当します。
昨夜は、私が講師を担当し「美容形成外科の実際」というタイトルで発表させていただきました。
■ ■
会のメンバーは次の通りです。
・河野通史(コウノミチフミ)先生。北大51期(昭和50年卒)
こうの内科。
札幌市中央区大通西24丁目1-10円山公園メディカルビル3F
電話:011-631-1181
元市立札幌病院リウマチ血液内科部長。
優秀で、優しく丁寧な先生です。会のBrainです。
・小泉 眞(コイズミマコト)先生。北大52期(昭和51年卒)
小泉呼吸器科・内科クリニック。
札幌市中央区南1条西27丁目1番41号
電話:011-632-8881
元市立札幌病院呼吸器科内科医長。
呼吸器内科の専門医です。奥様とご一緒に開業なさっていらっしゃいます。会の中心メンバーです。
・小泉洋子(コイズミヒロコ)先生。北大52期(昭和51年卒)
小泉皮膚科クリニック。
札幌市中央区南1条西27丁目1番41号
電話:011-632-8484
元北海道大学医学部皮膚科助教授。
優しい先生です。元北大医学部で助教授をなさっていらっしゃいました。とても優秀な先生です。とても偉い先生だったのに、その偉さを出さない先生です。実力があります。
・辻永宏文(ツジナガヒロフミ)先生。北大55期(昭和54年卒)
日之出内科クリニック。
札幌市中央区南1条西4丁目13日之出ビル7階(三越西向い)
電話:011-200-7757
元北海道大学医学部第一内科、麻酔科。元国立札幌病院救命救急センター
とても優しい先生です。北大時代に麻酔をかけていただいたことがあります。麻酔科と呼吸内科をなさっていらした先生です。いびき(睡眠時無呼吸)の治療にも力を入れていらっしゃいます。
・松永 崇(マツナガタカシ)先生。北大59期(昭和58年卒)
松永内科クリニック 。
札幌市西区西町北20丁目3-10SR宮の沢メディカルビル3階
電話:011-669-3666
元市立札幌病院消化器内科。
優しい先生です。とても優秀な先生です。消火器病、肝臓病の専門家です。私の家族や職員もお世話になっています。
・羽田 均(ハネダ ヒトシ)先生。北大60期(昭和59年卒)
はねだ内科クリニック 。
札幌市西区発寒6条3丁目2-10
電話:011-666-2227
元市立札幌病院呼吸器内科。
優しくてとても優秀な先生です。呼吸器の専門家です。JR発寒中央駅前にあります。
■ ■
昨夜のメンバーは私を入れて7人でした。
発表が終わった後で、食事会です。開業医ならではの、いろいろな悩みを打ち明け、相談できます。
こういう会に出席して親交を深めることは、何よりのストレス解消になります。
診療科を問わず、開業医は開業医としての悩み苦しみがあります。
昔の仲間と、先輩と楽しく時間を過ごしました。また明日から頑張ります。
投稿者 sapporobiyou : 23:52 | コメント (0)
2007年11月21日
「ひととき」から
平成19年11月21日朝日新聞-ひととき-への投稿です。
「しゅくだい」
■ ■
娘の幼稚園では週に一度、絵本の貸し出しがあります。
先日、5歳の娘が借りてきた本は「しゅくだい」という絵本。いつものように夜寝る前にお布団で読み始めました
■ ■
あらすじは、主人公のもぐらのもぐくんが、学校の先生から[おうちの人にだっこしてもらうこと」という宿題を出されます。
けれど、もぐくんのお母さんは、生まれたばかりの赤ちゃんのお世話で大忙し。
ちゅうちょして、なかなか「しゅくだい」を言い出せません。でも、最後は、家族みんなから抱きしめてもらうというお話です。
■ ■
ふと、我が家の風景がだぶり、ドキリとしました。
幼稚園にも慣れ、ほとんどのことが自分でできるしっかりものの娘だから、下の1歳の弟にばかり手をかけていたことに気づかされたのです。
そういえぱ、最近ギューしてあげてないな。
さびしかったかな。
■ ■
読んだあと、隣の布団で聞いていた娘に「おいで」と声をかけました。そして、お布団の中で思い切り抱きしめました。
気恥ずかしそうにしていた娘ですが、ギューした後すぐに、幸せそうに寝息をたてて眠ってしまいました。
偶然借りてきた本なのでしょうが、心に残る一冊との出会いになりました。
それ以来、心をこめて、2人の子どもたちに「しゅくだい」をする毎日です。
川崎市 主婦 34歳
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
子供が小さい頃、よく『お父さん、早く帰ってきて遊んでね』と言われました。
地方の病院にいた頃は、臨時手術でもない限りは、午後8時頃までには帰宅するようにしていました。
下の子が生まれると、どうしても下の子にてがかかるので、上の子は淋しがります。
■ ■
私は日曜日や休日は、なるべく子供と遊ぶようにしていたつもりです。
釧路にいた頃は、子供と屈斜路湖までハクチョウに餌をやりに行ったりもしました。
小さな子供さんがいるご家庭では、できるだけ子供さんと接してあげてください。
一生に一度しかない楽しい時期です。
投稿者 sapporobiyou : 23:22 | コメント (0)
2007年11月20日
セルフスタンド
平成19年11月18日北海道朝刊の記事です。
軽油 ガソリン車に
軽だから…安いから…
セルフ式利用者 トラブル多発
■ ■
道内のセルフ式ガソリンスタンドで、ガソリンエンジンの車に誤ってディーゼルエンジン用の軽油を入れてしまうトラブルが今夏以降、急増している。
日本自動車連盟(JAF)北海道本部によると、誤給油による出動は今年6月から10月末までで96件に達した。
ガソリン価格高騰で割安なセルフ式の利用者が増え、「軽自動車だから軽油」という勘違いや軽油の低価格に目を奪われて間違う例が多いという。
■ ■
「エンジンが止まってしまいそうだ」。今年6月ごろ、札幌市南区のスタンドに軽乗用車に乗った30代の男性が助けを求めてきた。男性は一キロほど離れたセルフ式スタンドで給油。
従業員が確認すると伝票に「軽油」の文字。男性は「『軽』だから軽油と思いこんでいた。友人から借りた車なのに…」と肩を落とした。
■ ■
タンクから軽油を抜きガソリンを入れ直すと、ガソリン代のほかにタンク洗浄費など約三千円がかかった。
対応した男性従業員(38)は「安く済ませようとセルフに行ったのに、高くついて気の毒だった」と振り返る。
■ ■
石油情報センター(東京)によると、今年の道内のガソリン平均小売価格は3月まで下落を続けたが、その後上昇。8月には一リットル143.7円と1987年の調査開始以来の最高値を記録した。
■ ■
一方、道内のセルフ式スタンドは今年3月末で5年前の7倍以上の297店に増えた。セルフ式を併置する札幌市内のスタンドは「ガソリンが高くなるにつれて一円でも安くとセルフ給油する人が増え、現在は8割がセルフ給油」と話す。
■ ■
JAF道本部は「誤給油はセルフの少ない時代はほとんどなかったが、価格上昇とともに増えてきた」と言い、8月には、走行中にエンジンが不調になったドライバーからの出動要請が25件に達した。
中には「一番安い燃料を」と軽油を入れてしまった例もあった。
■ ■
ガソリン車に軽油を入れると最初は走行できるが、やがてエンジンが停止。軽油を抜き取り内部を洗浄した上、部品交換が必要なケースもある。
札幌市内のディーラーは「燃料の入れ替えと整備で一万円から三万円かかる場合もある」と話す。
■ ■
セルフ式に限らず、給油ノズルは軽油が緑、レギュラーが赤、ハイオクは黄と色分けして区別できるようになっており、JAF道本部は「大切な車のため、自分の車の燃料の種類をしっかりと確認して」と訴えている。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私はセルフスタンドを利用しています。家内がガソリンを入れる時もセルフです。
自分でガソリンと軽油を間違えたことはありませんが、昔、アルバイトの店員さんに間違えて軽油を入れられたことが一度だけありました。
店長さんが、平謝りに謝っていました。
色さえ間違わなければ、セルフスタンドは安全だと思います。
■ ■
ガソリンや灯油が値上がりすると、美容外科は不景気になります。厳しい冬を迎えるのに‘整形’どころではありません。
形成外科の保険診療は、生活保護の方も、ひとり親家庭の方も受けられます。
ワキガ手術などは保険診療で受けると、セルフスタンド以上に‘お得’です。
せっかく高い税金や保険料を払っているのですから、有効にご利用なさってください。

軽油の誤給油が急増しているセルフ式スタンド
給油ノズルは軽油、レギュラー、ハイオクで色分けされている
札幌市手稲区 (北海道新聞より引用)
投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)
2007年11月19日
飛び込み出産
平成19年11月18日朝日朝刊の記事です。
「飛び込み出産」急増
たらい回しの一因、背景に経済苦
■ ■
妊婦健診を一度も受けず、生まれそうになってから病院に駆け込む「飛び込み出産」が増えている。
今夏、奈良など各地で妊婦の搬送受け入れ拒否が発覚したが、病院側が断った理由の一つは「未受診」だった。
医師からは「妊婦としての自覚をもって」と悲鳴が上がる。
一方で、未受診には分娩(ぶんべん)できる施設の集約化や格差拡大による経済苦なども背景にある。
■ ■
「出血が止まらない。たぶん妊娠している」
仙台市立病院(若林区)に9月上旬の日曜日、30代女性が飛び込んできた。
健診を受けたことがなく、妊娠何週目かも分からない。診察したところ切迫早産で、胎児の体重は2千グラムをわずかに上回る程度と思われた。
■ ■
「緊急帝王切開が必要。出産後にすぐに新生児集中治療室(NICU)もいる」と判断されたが、医師がほかの処置中だったため、別の病院に搬送した。赤ちゃんは無事に生まれたが、「もし受け入れ先がなかったらどうなっていたか」と同病院の産婦人科部長は振り返る。
■ ■
神奈川県産科婦人科医会が、周産期救急搬送システムの8つの基幹病院を調べたところ、2003年に20件だった飛び込み出産は、2007年1~4月に35件。通年では100件を超える見込みだ。
妊婦の救急搬送の受け入れ拒否の原因として、医師やNICU不足のほかに、「未受診」があるといわれる。未受診に特徴的なのは、リスクの高さと出産費用の未払い問題だ。
■ ■
日本医科大多摩永山病院の中井章人教授が、1997年1月~今年5月に同病院で飛び込み出産をした妊婦41人を分析したところ、子が死亡したのは4例。周産期(妊娠22週~生後1週間)の死亡率は、通常の約15倍だった。
未受診だった理由で最も多かったのは、「経済的な理由」で12人。41人のうち11人は出産費用を病院に支払わなかった。
■ ■
搬送受け入れ拒否問題を受け、奈良県立医大が緊急調査をしたところ、同大学病院への飛び込み出産は1998~2006年に50件。妊婦・新生児ともに異常は多く、妊婦の胎盤早期剥離(はくり)は2人で通常の10倍、呼吸障害など治療が必要な新生児は19人と通常の約20倍だった。
小林浩教授(産婦人科)は「未受診だとリスクが非常に高い。妊婦さんも家族もそのことをよく知って、必ず健診を受けてほしい」と話す。
■ ■
ただ、未受診の背景にあるのは経済苦だ。生活保護の出産扶助を利用した人は、1997年は全国で839人だったが、2006年は1396人に増えた。
健診費用は1回5千円~1万円程度。厚生労働省によると、健診は14回程度が望ましく、最低5回は必要とする。だが自治体の公費助成は平均2.8回にとどまる。
■ ■
茨城県立医療大学の加納尚美教授(助産学)は「国は妊娠・出産に関し最低必要な医療内容と費用を算出し、その部分は公費で手当てしてほしい」と話す。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
結婚して、妊娠し出産する過程は、家族から祝福され、家庭に幸せを運びます。
ただ、中には望まれない妊娠もあり、親や親戚からも祝福されない妊娠もあります。親が刑務所に入ってしまうケースもあるそうです。
■ ■
経済的に厳しい状況で、‘間違って’妊娠してしまうケースもあり得ます。
望まれない妊娠、間違っちゃった妊娠でも、医療機関にかからず出産することは危険です。
病院も出産費用を払ってもらえなければ倒産します。
せめて、生み逃げした費用程度は公費で補填してくれたら、産科を開業している先生も助かると思います。
今は病院が損をするだけで何の補償もありません。
■ ■
公費負担の問題もあります。平成19年11月19日の北海道新聞朝刊によると、全国平均が2.8回。北海道は2.3回です。
都道府県別で妊婦健診の公費負担が最多なのは、秋田県で10.0回。以下、福島5.8回、石川・山梨が5.0回です。
お金がないから健診に行きたくとも行けない。健診費用の他に、北海道では交通費もかなりかかります。
少子高齢化を解消するためには、子供を生みやすく育てやすい環境作りが大切だと思います。

朝日新聞から引用
投稿者 sapporobiyou : 23:52 | コメント (0)
2007年11月18日
ラベンダー畑14㌶
平成19年11月16日北海道新聞朝刊の記事です。
ラベンダー どーんと14㌶
ファーム富田 上富良野に来年6月
■ ■
【上富良野」上川管内中富良野町の人気観光農園「ファーム富田」(富田均社長)が、国内最大規模となる広さ約14㌶のラベンダー畑を隣町の上富良野町東中地区に造成し、来年6月から観光客らに無料で公開する。
同地区は富良野地方のラベンダー畑の発祥の地で、公開後は新たな観光スポットになりそうだ。
■ ■
ファーーム富田は6㌶のラベンダー畑を含めた約12㌶の花畑を無料で公開している。栽培したラベンダーのオイルを使って香料なども自家製造しており、年間に百万人を超す観光客が訪れる。
■ ■
今回は、オイルの増産用に5年前からラベンダーを植えていた隣町の畑を新たに観光農園として整備し、一般に公開することにした。
新しい畑は現在の花畑から6㌔ほど東側の田園地帯にあり、畑から雄大な十勝岳連峰がのぞめる。今秋から見晴らし台や売店の建設に着工。
■ ■
オープン後は専用の機械によるラベンダーの刈り取り作業も一般に公開する予定だ。
東中地区は富良野地方で最初にラベンダーを栽培した畑があった地区。富田社長は「訪れた人がラベンダーの歴史を振り返るきっかけになってほしい」と話している。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
ファーム富田は、中富良野にある有名な観光農園です。
オーナーの富田忠雄さんが、合成香料の普及で‘絶滅寸前’だったラベンダーを育て、北海道でも有数の観光地になさいました。
私は、もともと花好きだったので、これだけ有名になる前、駐車場が砂利だった頃から行っていました。
■ ■
今回、北海道新聞に掲載されていた場所は、ファーム富田の‘ほ場’として使われていた場所です。
2007年6月に発行された、ラベンダークラブの機関紙、‘花人たち’に地図と場所が掲載されていました。
下の写真は、‘花人たち’に載っていた写真です。十勝連峰がすぐ近くに見えます。
■ ■
住所は、上富良野町東6線北16号と書いてあります。
ファーム富田から、線路を越えて十勝岳方向へなります。
来年の7月には、キレイなラベンダーが咲くと思います。楽しみです。

花人たちから引用
オーナーの富田忠雄さんです
投稿者 sapporobiyou : 18:45 | コメント (0)
2007年11月17日
中国臓器移植
平成19年11月16日朝日新聞朝刊の記事です。
中国 臓器移植なぜ厳格化?
「不透明な提供過程」批判受け 中国で臓器移植手術の仲介をしていた日本人男性が、臓器売買などの疑いで中国当局に逮捕された。この男性を通じ、多くの日本人患者が、日本よりも容易に手術ができるという中国で移植を受けていた。米国に次ぐ世界第2の「臓器移植大国」と呼ばれている中国だが、なぜ管理強化へと姿勢を転じたのか。(瀋陽=古谷浩一)
■ ■
今年9月11曰、上海の浦東国際空港。フィリピンへ向かうため出国審査を受けていた50代の日本人男性が突然、多数の公安関係者に囲まれ、拘束された。
男性は遼寧省瀋陽に本部を置く「中国国際臓器移植支援センターの長瀬博之代表。2日後、瀋陽の公安当局に身柄を移された後、逮捕された。
■ ■
中国公安省の10月中旬の発表によると、逮捕容疑は、長瀬容疑者が代表を務める瀋湯の経営コンサルタント会社が同センターの名義で臓器移植に関する業務をしたのは、登録の範囲を超えた活動に当たる、という「不法経営」。さらに「臓器売買を禁じる衛生省の関連規定に違反」というものだった。
■ ■
同センターはウェブサイトで腎臓や肝臓の移植手術を紹介していた。これを通じ、2004~2005年に上海や瀋陽で手術をした日本人は100人以上に上る。拠点を中国に構えたのは、日本の臓器移植法が営利目的での海外での臓器あっせんを禁じているためだった。
■ ■
中国は「臓器移植大国」である。
90年代以降、留学帰りの医師らが多臓器同時移植や小児肝移植といった難しい手術を次々と成功させた。「2006年の肝移植は計3千件以上」(衛生省幹部)という。
ただ、制度づくりは遅れている。国際人権団体は、臓器提供の過程が不透明だと批判。臓器の多くが死刑囚のものと言われ、死刑執行にかかわる役人の腐敗行為も指摘されている。
■ ■
批判を受け、中国政府は今年5月、臓器売買を厳格に禁じる臓器移植法を施行した。衛生省は、臓器移植は「中国公民の需要を優先する」とし、特別許可がなければ外国人への移植手術を禁止すると通知した。
衛生首の黄潔夫次官は「中国の臓器移植の発展は急速で、多くの倫理問題が出ている。臓器売買を行い、ネツト上で患者を募るといった問題も生じている」と中国メディアに語る。こうした取り締まり強化の流れの中で、長瀬容疑者の逮捕は起きた。
■ ■
捜査関係者は事件の詳細を明かそうとしない。
医療関係者に現金を渡した疑いが持たれているのは確かだが、長瀬容疑者は「日本人患者に早く手術の機会を回してもらうためで、臓器売買行為とは違う」と主張している模様だ。
■ ■
日本では臓器提供を何年も待つ患者がいるが、同センターを利用すれば、申し込みから数週間で手術を受けることもできた。費用は腎臓移植で600万~750万円。米国などで手術を受けるのに比べ格安だった。
紹介を受け、腎臓移植をした日本人男性(63)は日本で移植を受けるのがあまりにも難しいことが問題だ」。別の60代の男性は「今でも長瀬さんには心から感謝している」と語る。
■ ■
勾留中の長瀬容疑者はこう漏らしているという。「信念を持ってやったこと。やりがいのある仕事だった」
長瀬容疑者一問一答
長瀬容疑者は昨年初め、瀋陽市内の事務所で朝日新聞記者の取材に応じていた。
悩んでいる人助ける
中国水準極めて高い
-なぜ中国で?
「中国に来れば、悩んでいる人を助ける機会があると思った。中国へ手術をしに行くのは死にに行くようなものだと言う人がいるが、まったく違う」
-いつ始めたのか。
「2003年11月。友人の肝臓移植を巡って状況を知りたいと思い、こちらの病院を調べた」
-死刑囚の臓器を使っているのか。
「関知していないので分からない。別の問題だ。全部がそういうものではないだろう」
-ひどい仲介業者もいるようだが。
「高額の仲介料で質の悪い医療機関を紹介する者もいるのは事実だが、中国でも医師と病院を選べば水準は極めて高い。あまり待たずに手術ができるのは患者にとって大きなチャンスだ」
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
中国で腎臓移植を受けて、元気に働いている日本人がかなりいます。
病院さえ選べば、中国でも‘安全’に手術を受けられました。海外で修行を積んだ中国人医師の医療技術レベルはかなり高いです。形成外科でも同じです。
問題なのは、死刑囚の臓器を不法に入手している?という疑惑でしょうか?
日本人が、もっと多くドナー登録をして、臓器移植が進まなくては移植医療は進歩しません。
私のように死んで灰になるより、誰かの体の中で生き延びよう考えるのは、生命倫理に反しているのでしょうか?
投稿者 sapporobiyou : 23:00 | コメント (0)
2007年11月16日
弟のキズ
私には弟が一人います。昭和33年1月に、弟も市立札幌病院で生まれました。
年齢差は3歳4ヵ月です。
現在は、本州に住んでいます。サラリーマンです。
■ ■
小さい頃は、弟とよく喧嘩をしました。私が大きくて強かったので、いじめていました。
弟の左眉にキズがあります。キズのところだけ毛が生えていません。
小さい頃に、私がケガをさせてできました。
■ ■
今だったら、毛が生えていない部分も、キレイになおしてやれますが、当時は形成外科がありませんでした。
悪いことをしたと子供心にずっと気にしていました。
ふざけて遊んでいたつもりでしたが、血が出ていたのを見てびっくりしました。
■ ■
元、看護婦さんだったマーちゃんのおばさん(お母さん)に助けていただきました。
母が、「あんた何やったの!マーちゃんのおばさんを呼んできて!」と叫びました。
マーちゃんのおばさんは落ち着いていました。さすがです。
その後、外科の先生に診ていただきました。
■ ■
結局、弟のケガは縫合せずに治しました。
今でしたら、全身麻酔で丁寧に縫合するか?当時と同じように、縫合せずに薬で治して、気になれば修正するか?といったところです。
ケガをして、泣き叫んでいる子供を丁寧に縫合することは不可能です。
手術台の上に横にさせるだけでも、手をバタバタ、足をバタバタで大変です。
■ ■
全身麻酔を安全にかけるためには、胃の中が空っぽでなくてはできません。
麻酔をかけている時に、吐いてゲボが肺に入ると危険だからです。
一刻を争うような緊急手術でしたら、リスクを承知で全身麻酔をかけることがあります。
食事をしたばかりで、お腹いっぱいの状態を麻酔科ではFull Stomach(フルストマック)と呼びます。
■ ■
顔のケガでしたら、後日修正手術も可能ですので、よほどでなければ、Full Stomachで全身麻酔をしません。
50年前でも、今でも弟が受けた治療は同じだったと思います。
その結果、弟の左眉には5㎜程度のキズが残りました。
■ ■
何歳ころまでかは忘れましたが、弟に『兄貴がつけたキズだ』と言われたことを覚えています。
形成外科医になってから、弟に『お前のその眉のキズ治そうか?』と言ったことがありました。
弟は『…?…?』といった感じでした。
兄貴、今頃何言ってんの?って感じに受けとめました。
私はそのキズのことをずっと覚えていましたが、弟は私より気にしていなかったと、その時に思いました。
■ ■
たった5㎜程度の小さなキズでも、人によっては‘忘れられない’‘気になる’キズのことがあります。
キズは、皮膚の表面にもつきますが、人の心の中にも残ります。
私たち、形成外科医は、皮膚の表面についた小さなキズを治すことで、心に残ったキズも治るように努力しています。
もし、気になるキズがあれば一度形成外科専門医に相談なさるとよいと思います。

私3歳、弟3ヵ月
ケガをする前です
投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)
2007年11月15日
60代も妊娠
平成19年11月14日、朝日新聞朝刊の記事です。
卵子提供で60代も妊娠
高リスク、出産現場に戸惑い
■ ■
海外で卵子を購人し、体外受精で妊娠した高齢者の出産が、日本のお産現場に戸惑いを広げている。
最近も、米国で受精卵の提供を受けて妊娠した独身の60歳代女性が帰国後、診察してくれる医療機関を探しまわったものの、断られ、長野県のクリニックに行き着いたケースが明らかになった。
産科医の間では「受け入れ拒否もやむを得ない」との声も出ている。なぜなのか。(岡崎明子、武田耕太)
■ ■
「本来こうしたやり方は勧められない。米国に渡る前だったら、やめるよう説得していた」
60歳代の女性の出産受け入れを決めた諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長は先月初め、東京都内であった記者会見で強調した。
医学の進歩で、閉経後も女性が妊娠できるようになった。しかし、自然妊娠はできず、高齢の女性は、他人から卵子提供を受け、出産するのが「最後の手段」だ。
ただ、日本産科婦人科学会は指針で認めておらず、国内の医療機関では基本的に、卵子の提供は受けられない。
■ ■
このため、卵子を求めて海外に渡る高齢女性もいる。今回の場合、女性は独身で、使われた精子も他人という異例さだ。
総合周産期母子医療センターに指定されている日赤医療センター(東京都渋谷区)で昨春、米国で卵子提供を受けた57歳の女性が帝王切開で出産した。その際、8㍑を超える出血があり、集中治療室で1週間の治療を受け退院した。
■ ■
センターーでは2002~2006年に、海外で卵子提供を受けた14人の出産を受け入れた。このうち、45歳以上が9人で、50歳代も2人いた。双子や、妊婦に塞栓症があるなどリスクが高いものも多く、11例で帝王切開をしている。
杉本充弘産科部長は「閉経後の妊娠ができるようになったことで、完全に生殖のルールが壊れた」と話す。
■ ■
また、多くの産科医が、生殖年齢を超えた出産のリスクに大きな懸念を抱いている。
ハイリスク出産を多く扱う愛育病院(同港区)の中林正雄院長は「20代に比べ、50代の母胎死亡のリスクは100倍近い」と指摘する。
■ ■
年を取ると血管がもろくなり、脳出血や心筋梗塞などの合併症を起こす確率が高くなる。子宮の弾力性も悪くなり、子宮破裂を起こすこともある。妊娠の確率を高めようと、複数の受精卵を体内に戻し多胎妊娠になる例もあるため、さらにリスクが高まる。
それでも「子どもがほしい」との思いに応えたいとの理由で、独自に動いているのが、国内の一部の不妊治療クリニックだ。大阪府のクリニックはロサンゼルスに拠点を置く卵子バンクと提携し、患者を紹介している。「リスクを冒しても産みたいという気持ちは止められない」という。
■ ■
都内のクリニックは海外の卵子バンクを利用する女性に、受精卵を戻す前の検査を実施してきた。出産は扱っていないため、近くの病院に紹介状を書いてきたという。 だが、このクリニックは、最近、海外の卵子バンクとの関係を解消したという。
理事長は「妊婦の受け入れを断られるケースが出てきた。このため、安全な出産を確保できない」と理由を打ち明けた。
■ ■
周産期医療の現場からは厳しい声が上がる。
医師不足の厳しい労働環境の中、都内のある病院の産科部長は「出産リスクの高い妊婦を、不妊治療クリニックがつくっておきながら、リスクを引き受けず、病院に回す構造はおかしい」と話した。
今は受け入れている病院も「断れるものなら断りたい。受け皿がなくなれば、海外で卵子提供を受けようとする高齢女性がいなくなるかもしれない」と本音を漏らす。
■ ■
今夏ヽ都内であった日本学術会議の生殖補助医療のあり方を検討する委員会。この場でも海外で卵子提供を受けて妊娠したハイリスク出産の妊婦を、国内で引き受ける現状が議論になった。
委員会は年明けに報告書をまとめる予定で、産科医から「しわ寄せが来ている現場の声を十分に反映してほしい」との声があがる。卵子提供の是非が盛り込まれることを期待する声が出る一方、 「海外のケースまで縛れないのではないか」と懐疑的な意見もある。
(以上、朝日新聞から引用)
■ ■
命がけでも、‘自分が生んだ自分の子供’が欲しいという気迫が伝わってくる話しです。
日本の‘実子’と‘養子’に対する、目に見えない‘差別’のような気がします。
卵も他人のもの、精子もだれのかわからない他人のもの。自分が生んだということだけが‘事実’です。
国民性の違いもあると思いますが、もっと養子縁組が一般的になれば、このような問題が解決するのでは?と考えるのは私が‘男’だからでしょうか?
投稿者 sapporobiyou : 23:16 | コメント (0)
2007年11月14日
愛妻弁当
平成19年11月14日朝日新聞-ひととき-への投稿です。
弁当に詰めた「愛情」
■ ■
夫の弁当を作り続けて44年になります。「衣」「住」は不得手な私ですが、料理だけは若いころから大好き。弁当作りも私の生きがいのひとつでした。
2人の息子の学生時代には、夫の分とあわせて3個の弁当を作るのが、朝の日課でした。中学から高校、長男は大学に入ってからも弁当を持参し続けました。
■ ■
44年間にはさまざまな弁当の歴史がありました。息子が区立小学校から、弁当の必要な私立中学に入った時、私は幼稚園時代のイメージでさまざまな食品を少しずつ彩りよく入れました。が、これが不評。
息子からは「おかずは1品でいいからたっぷり入れて」と言われてしまいました。当時は夫も働き盛りでしたので、息子たちと同じようなボリューム弁当でした。
■ ■
やがて夫1人の弁当に戻り、弁当の中身にも、健康を気遣う年齢となりました。79歳の夫は今も現役の開業医です。
ただ、最近は夕食を外で済ます機会が多いので、弁当はなるべく野菜中心。自家製のはりはり漬けや切り干し大根、ひじきなどを彩りよく合わせてのヘルシー弁当です。
■ ■
専業主婦であることに焦りを抱いた時期もありますが、こうして夫が元気で働けるのも、少しは長年の弁当作りのおかげかな。
今朝も夫の健康を祈りながら、お弁当を持たせて送り出しました。
東京都世田谷区 主婦 75歳
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私は毎日家内が作ってくれた弁当を持参して通勤しています。
病院で昼食を準備してくれていた、地方の病院以外は、26年間、家内の弁当を食べています。
一番、充実していたのは新婚の頃でした。同期の先生が毎日、今日はどんな弁当だ?と見に来たくらいでした。
■ ■
子供が中学・高校と弁当を持参していた頃は、子供と同じ内容の弁当になっていました。
今は、たまに子供が弁当を持参する程度ですから、私専用の弁当です。
弁当を作るのは大変だと文句を言いながらも、毎日作ってくれています。
家内が作った弁当を食べていると調子が良いので感謝しています。
■ ■
夫婦喧嘩をした日は弁当がないので、職員にすぐに気付かれます。
たまたま、喧嘩していないのに、弁当がない時は、「あのぉ~、今日喧嘩したんじゃないから!」と断っています。
■ ■
弁当のおかずは、夕食のおかずの残りも入ります。
たまに、とんかつ弁当もあります。夕食にカツや牡蠣フライが出ると、次の日も弁当に入ります。
私は牡蠣フライが好きなので、夕食の残りでも喜んで食べています。
■ ■
家内には、いろいろと口うるさいとか、よく文句を言われますが、ただ一つだけ褒められていることがあります。
私は、よほど忙しくない限り、自分が食べた弁当箱は、自分でキレイに洗っています。
気が利く優しい職員が『先生、私洗います!』と言ってくれますが、時間がある時は自分で洗っています。
帰りには、職員が弁当箱を拭いて、私の鞄に入れてくれています。
■ ■
私は小さい時からお腹が弱いので、家内の弁当には感謝しています。
関西出身の家内と結婚して良かったと思うのは味付けです。口うるさい私ですが、食べ物にはあまりうるさく言いません。
私は薄口の関西風が好きです。うどんは絶対関西風です。
■ ■
ひとときに投稿なさった奥様のように、79歳まで現役で働ける先生はすごいと思います。
私たち外科医の医師としての寿命は、内科医よりずっと短いといわれています。
何歳まで働けるかわかりませんが、今のところ家内の弁当のおかげで元気に働いています。
投稿者 sapporobiyou : 23:13 | コメント (1)
2007年11月13日
女性のやせすぎ
平成19年11月11日朝日新聞日曜版の記事です。
女性のやせすぎ 栄養偏れば脳にも悪影響
「太りすぎ」に厳しい目が向けられています。メタボリックシンドロームについても肥満対策が柱の一つです。でもその裏で深刻化している問題があります。「やせすぎ」です。
■ ■
厚生労働省の国民健康・栄養調査(2005年)では、20~30代の女性の2割が 低体重(BMI18.5未満)です。
ダイエットを始めて、体重計に乗るたびに数値が下がると、うれしくなる。周りか らも「やせたね」と言われる。
とくに周囲の目が気になる思春期は、その「達成感」にはまりやすい。2002年の国民栄養調査では、15~19歳の女性で、低体重だった人の4割が「さらに体重を減らしたい」と考えていたほどだ。
■ ■
その結果―。無月経になったり、不眠になったり、集中力が低下したりして、日常生活に支障が出ることもしばしばだ。拒食症などの病気になってしまうことだって少なくない。
■ ■
「肥満のデメリットに対し、やせすぎがなぜいけないか、発信が少なすぎた」こう指摘するのは女子栄養大の武見ゆかり教授(食生態学)。
食生活も「控える」ことに焦点があたり、「適量」という考えが伝わっていないのが気になるという。
■ ■
武見さんらは2003年、主食、主菜、副菜を並べ、東京都内の小学生の母親34人に「適量」と思う量を選んでもらった。いずれにおいても、必要と考えられる量より少なかった人が6割以上にのばった。
母親たちは主に30~40歳代とみられるが、「10代に抱いた『食事は控えめに』という感覚を、そのまま引きずっているのではないか」と武見さんはみている。
■ ■
ダイエットと摂食障害に詳しい大阪市立大の切池信夫教授(神経精神医学)は「若い女性の多くはやせていることを美しさと成功の象徴ととらえている。」
「でも、その考え方が行きすぎたとき、どれだけ健康を損ねるかを考えてほしい」という。
■ ■
切池さんによると、「OOだけ食べる」といった単食ダイエットや炭水化物を抜くなどのダイエットは栄養不良につながる。
脳にも悪影響を及ぼし、うつの傾向が強くなることもあり、結局、長続きせずにリバウンドしやすい、という。
■ ■
減量が必要な場合は、3食規則正しく食べたうえで運動を心がける。食事の量を全体的に1割カットし、月1㌔程度の減量を維持していくことを勧めるという。
「やせた女性がいいとみる世間の風潮、男性の価値観を変えなければいけません」
■ ■
東京女子医大東医療センターの片井みゆき准教授(性差医療部、女性専門外来担当)は「体重だけではなく、一度は骨密度を測ってみてほしい」と呼びかける。
骨がもろくなる骨粗鬆症は閉経後の女性に多い。女性ホルモンの減少で、骨密度が急速に下がるためだ。腰痛や姿勢の変化をきたし、骨折の危険性が高まる。寝たきりになる割合も高くなる。
だが、やせすぎの若い女性で、骨密度が70代以降の平均と同程度の人も少なくないという。「目先の外見だけでなく、生涯にわたって若々しく健康でいることの重要性も考えてほしい」と話す。(武田耕太)
■ ■
どんな物をどれだけ食べるのが適量なのか。
「食事バランスガイド(http://www.j-balanceguide.com/)も参考になる。
妊娠しても太りたくないと思う妊婦から低体重の赤ちゃんが生まれるケースも問題になっている。
厚生労働省の指針は、やせ気味(BMI18.5未満)の人は9~12㌔、普通(同上8.5以上25未満)の人でも7~12㌔太るのが適当としている。
■ ■
やせすぎが心身に及ぼす悪影響
・脱毛
・脳萎縮
・聴覚過敏
・不眠
・集中力低下
・ゆううつ気分
・味覚障害
・低血圧
・不整脈
・無月経
・冷え症
・歩行困難
・むくみ
・脱水
・うぶ毛の密生
・皮膚乾燥
・肝・脾機能障害
・腰痛・便秘
・骨粗鬆症
・低身長
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
BMIとはボディ・マス・インデックスのことです。
これは体重(kg)/身長(m)2で求められます。
私は体重62kg、身長171㎝なので、62割る、1.71の二乗(1.71×1.71=2.9241)。
62÷2.9241=21.2です。BMI指数の標準値は22.0です。私の体型は普通ということになります。
こちらで計算してくれます。
■ ■
BMIが
・18.5未満 やせ
・18.5~25未満 標準
・25~30未満 肥満
・30以上 高度肥満 です。
■ ■
私は、5年前から平成19年4月まではスポーツクラブに通っていました。ほぼ毎日、少しですがスイミングをしていました。
その時の体重が、60㎏でした。体調は好調でした。
最近、寒くなって冬物のズボンを出して履いたところ、ウエストがきつくなっていました。ショックでした。
家内は、『それ以上痩せたら、ますますガリガリになって、みすぼらしくなる』といいます。
■ ■
ただ、ウエストがきついのはイヤなので、元の60㎏にしようと考えています。
試着した、パンツが入らなかったので、脂肪吸引をしたいという女性の気持ちがわかりました。
■ ■
確かに「やせすぎ」はよくありません。が、出てきたお腹は気になります。
①規則正しい食事。
②バランスのとれた内容。
③適度の運動。
この3つが健康な体に必要な条件です。
家内に何といわれようと、私は60㎏に戻して、維持したいと思っています。
またスポーツクラブに通ってスイミングを続けることを考えています。
投稿者 sapporobiyou : 23:44 | コメント (0)
2007年11月12日
マーちゃんの家
平成19年11月1日の幼少時の記憶の続きです。
私が小さいときに一番仲がよかったのが、小山(オヤマ)先生の家のマーちゃんでした。
マーちゃんは私より4~5歳年上で近所のリーダーでした。
マーちゃんのおじさん(お父さん)は内科の先生でした。
■ ■
小山昌正(オヤマヨシマサ)先生。もうお亡くなりになりましたが、北大医学部25期(昭和24年卒業)。
砂原(サワラ)町名誉町民でした。優しい立派な先生でした。
小山先生が北大医学部の学生だった頃に、私の母方の祖母の家の近くに親戚があり、よく遊びに来ていたそうです。
■ ■
私の祖母が、マーちゃんのおじさんのことを、‘ヨシマサさん’。
マーちゃんのおじさん(先生)が、祖母のことを‘おばさん’と呼んでいたのを、子供ながら不思議に思っていました。
今になって考えると、マーちゃんのおじさんも、卒後10年目程度で、現役バリバリの内科医だったのがわかります。
■ ■
手稲療養所は、アットホームな雰囲気で、職員同士の仲がよかったと思います。
私の家は、家族ぐるみでマーちゃんの家と仲良しでした。
マーちゃんのおばさん(お母さん)は、明るく優しい方でした。
『今日は、おじさんが当直でいないから泊まりにいらっしゃい!』と泊まりに行ったことがありました。
■ ■
私は記憶にないのですが、母から『あんたは、マーちゃん家(チ)にお泊りに行って、お客さん用のフトンにおねしょをした!』と何度も言われました。
子供だから、おねしょくらいするでしょ!と今なら反論できますが、何度か傷ついた記憶があります。
■ ■
マーちゃんは、背が高くて、頭がよくて、母からよく『あんたも、マーちゃんみたいになりなさい』と言われていました。
マーちゃんはリーダーでカッコよかったので、私もいつかはマーちゃんに追いつきたいと思っていました。
■ ■
私が子供だった、昭和30年代の初めは、今のようにパン食が普及していなかったように思います。
何歳の頃かわかりませんが、ようやくトースターが出始めました。
焼けたらポンと飛び出るトースターがすごく目新しく思った記憶があります。
■ ■
マーちゃんはよくパンを食べていたので、背が高くなったと私は思っていました。
マーちゃんの家で美味しいパンをごちそうになった記憶があるので、そう思い込んでいたのかも知れません。
■ ■
マーちゃんの家に行くと、わが家にはなかったテレビがあり、ピアノがありました。
子供心に、お医者さんの家はすごいなぁ~と思っていました。でも、自分がお医者さんになるとは夢にも思っていませんでした。
小さい頃の私は、体が弱くよくお医者さんのお世話になっていました。
私は、注射が大嫌いでした。だから、自分がお医者さんになって注射をするなんて考えもしませんでした。
■ ■
私は小さい頃から神経質な性格だったのでしょう。
よく自家中毒という病気になりました。
周期性嘔吐症、アセトン血性嘔吐症ともいわれる病気です。
これになると、最後は必ず注射でした。注射は看護婦さんがしてくれました。
コソノさんという婦長さんが一番上手でした。コソノさんが注射してくれると安心で泣きませんでした。
■ ■
よく病気をしていたらしいのですが、自分自身はあまり覚えていません。
覚えているのは、マーちゃんのおばさんに助けてもらったこと。
マーちゃんの家のポチとよく遊んだこと。
手稲の自然が好きだったことなどです。

昔はこんなソリで遊んでいました
投稿者 sapporobiyou : 23:41 | コメント (0)
2007年11月11日
消費税
平成19年11月10日朝日新聞朝刊に興味深い記事がありました。
税を問う 高率消費税暮らしは?
2025年、17%になったら…
バター断念→マーガリン
分譲マンション閑古鳥
■ ■
社会保障の給付水準を保つには、2025年度に消費税率を最大17%にする必要がある、という試算を内閣府が公表した。
「消費税17%社会」の姿を予想すると―
■ ■
2025年4月1日、消費税率が、10%から一気に17%になった。5年ぶりの引き上げだった。
この日の夕、専業主婦のAさん(42)は近所のスーパーで買い物をした。
無人のレジに買い物かごを置くと電子画面に文字が浮かび上がった。
「総額2757円(内税257円)」
ビール、バター、菓子の計1100円分には17%の標準税率が適用され、消費税額は187円。牛乳と卵、野菜、鶏肉の計1400円分は5%の軽減税率で消費税額は70円だった。
■ ■
Aさんは考え込んだ。
「今度からバターはやめて税金が安いマーガリンにしようかしら」
■ ■
年金暮らしの男性Bさん(74)は朝、テレビで政府広報を見た。2大政党の大連立に支えられ、消費税増税を実現した福沢首相がいつにない神妙な面持ちで語りかけた。
「今日から消費税が上がります。これは社会保障の財源として大切に使われます。幅広い世代が『広く薄く』負担して支え合う暮らしの安心。皆様のご理解をお願いします」
Bさんは複雑だ。「年寄りが増えると仕方ないのかもしれないが、大変な時代になったもんだ」
■ ■
派遣社員の女性Cさん(25)はこの日の夜、インターネットで検索した。
討論サイトには「業者の『益税』問題があるのに」との書き込みが。ただ、特に気になったのは「低所得者層の負担が重くなる『逆進性』がある」という指摘だった。
Cさんの月収は約23万円。先月の消費税額は約1万2千円。17%になると、8千円ほどの負担増だ。「自分のような安月給にも増税なんて……」
■ ■
分譲マンションのモデルルームは3月上旬までにぎわったが、今は閑古鳥が鳴く。営業担当の男性Dさん(35)は「需要を先食いした。しばらくは商売あがったりだ」。
エコノミストも「住宅着工数の落ち込みが長期化し、景気への悪影響も避けられない」と指摘する。
(以上、朝日新聞より引用)
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医療は保険診療は非課税。自由診療は課税です。
消費税を上げなければならない最大の理由は少子高齢化に伴う、社会保障費の増大といわれています。
私の両親を含めて、現在の高齢者はかなりの額の年金をいただいています。
この年金を支えているのが、現役世代の社会保険料です。医療費もそうです。
年金は自転車操業なので、現在受給している人たちが払った‘貯金’ではないのです。
言葉は悪いですが、若者から前金を取って、それを原資にして払っているのが、今の年金です。
NOVAと一緒で一生懸命払ったのに、気がついたら年金会社は倒産してたのではやってられません。
2025年になると、私は71歳になっています。生きているか死んでいるかわかりませんが、もう手術も仕事もしていません(おそらく)。
■ ■
人口に占める高齢者の割合が増えていますので、今と同じ年金水準を維持しようとすると、若者が払う社会保険料が莫大になります。
消費税は1%上げると、2.5兆円も税収が増える、魔法のつえだそうです。
消費税の値上げを繰り返して、税収のつじつまを合わせていては、若い人が勤労意欲をなくします。
社会保障費の無駄や、補助金の使い方を見直して、制度を変えなくては住みよい日本になりません。
防衛省以上に官と民の癒着が強いのが厚生労働省です。第二の守屋さんは厚労省にもいると思います。
投稿者 sapporobiyou : 16:51 | コメント (0)
2007年11月10日
日鋼記念病院
平成19年11月10日朝日新聞朝刊の記事です。
カレスアライアンス理事長解任余波
日鋼病院止まらぬ医師退職
救命センター休止に現実昧
救急搬送他病院の負担増す
■ ■
9月に起こった医療法人社団「カレスアライアンス」の理事長解任劇の余波が収まらない。
同法人が運営する室蘭市の日鋼記念病院では医師の退職が相次ぎ、今月末に予定される循環器科医師らの退職で、懸念される救命救急センターの休止も現実味を帯びる。
■ ■
これによって、西胆振地方の医療体制に影響が出る可能性もある。
発端は、カレスアライアンスが所有する札幌市の天使病院を、同法人と関係が深い特定医療法人「カレスサッポロ」に移管しようとした問題。同法人の理事長を務めていた西村昭男医師が主導した。
■ ■
だが、天使病院の産婦人科医師らが「移管の理由がよくわからない」「サッポロの経営状況が不透明」などと反発し、一斉に退職する意向を表明。その後、9月11日に聞かれたアライアンスの臨時理事会・臨時総会で、西村氏が理事長を解任される事態に至った。
これにより、天使病院の産婦人科医師の一斉退職は避けられた。だが、余波はアライアンスが運営し、西村氏がかつて院長を務めていた日鋼記念病院に及んだ。
■ ■
同病院では今年3月末に脳神経外科医2人が辞め、産婦人科もー人残っていた医師の退職で休診。
西村氏の解任後は、脳神経外科医ら6人が退職した。一部は補充できたが、今月末にはさらに循環器科の医師4人全員と内科の医師3人が退職する。医師がゼロになった脳神経外科は今月から休診。循環器科も医師を確保できなければ12月から休診する。
■ ■
一方、アライアンス側は医師の確保に奔走している。「救命救急センター」の存続にも大きくかかわるからだ。
同センターは、交通事故や心筋梗塞、脳卒中などの重篤な救急患者の治療にあたる3次救急医療機関。地域の指定要請を受けて知事が指定し、道内には10力所ある。
■ ■
胆振地方は日鋼記念のみで、脳神経外科と循環器科の医師がいなくなればセンターの休止を余儀なくされる。
アライアンスの林茂常務理事は「(両科で)医師が最低2人ずついれば機能は維持できる」と話すが、現時点で確保の見通しは立っていない。
同市内には肺炎や脳梗塞などの患者の治療にあたる2次救急医療機関の市立室蘭と新日鉄室蘭の二つの総合病院のほか、脳神経外科病院もあり、医療環境は比較的充実している。
■ ■
だが、同市消防本部の佐藤武雄消防長は「救命救急センターが休止になれば、2次救急の病院にするか、札幌など管外へ搬送するか判断が難しくなる」と話す。
市内の医師の1人も「ほかの救急病院への負担が大きくなり、大きな事故や災害の発生への対応に不安が出る」と懸念する。
■ ■
今年1~8月の同市内の救急搬送件数は、3月末に産婦人科医や脳神経外科医の退職が相次いだ日鋼記念が前年同期比233件減った。
これに対して市立室蘭は80件、新日鉄室蘭は30件、脳神経外科病院は53件の増加。すでに他の病院が負担増になり、この傾向は9月以降も続いている。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
10月22日付けで、カレスアライアンスの勝木良雄理事長が理事長の交代に関する経緯をHPに掲載しています。
その中で、
①国の医療費抑制策の結果として、日本中の殆どの急性期病院が赤字経営を余儀なくされている。
②医師不足による各診療科医師の地方基幹病院からの撤退など、病院運営は困難な状況に追い込まれている。
③カレスアライアンスにとって大きな不利益をもたらすM&A(Mergers and Acquisitions、企業の合併・買収)を避けるために起こった理事長交替であった。
①~③の理由が書かれていました。
■ ■
医療機関が‘儲かった時代’は終わりました。
医療法人はもともと‘利益’を出すための法人ではありません。ただ、赤字になっては存続すら危うくなります。
地域医療に必要な医療法人は、行政の力を借りてでも存続させて欲しいと願っています。
投稿者 sapporobiyou : 23:46 | コメント (0)
2007年11月09日
薬害肝炎
血液製剤による肝炎が問題になっています。
新聞報道にはあまり名前が出てきませんが、問題の製剤を作って売ったのは、ミドリ十字という会社でした。
赤十字(日赤)のマークが赤い+です。ミドリ十字のマークはミドリの+でした。血液製剤では圧倒的なシェアを持っていました。
■ ■
私はフィブリノゲン製剤を使ったことはありませんが、免疫グロブリン製剤は使いました。
重症の外傷、特に熱傷では重篤な感染症を起こします。今でも、免疫グロブリン製剤は使われています。
ミドリ十字の免疫グロブリン、ヴェノグロブリンI(アイ)は、日本で一番良いと言われていた製剤でした。
■ ■
ミドリ十字については、薬害エイズを作った会社だとか、フィブリノゲン製剤で肝炎を作ったとか、たくさんの批判があります。
ミドリ十字のマイナス面だけが報道されていますが、血液製剤の研究・開発では優れたものを持っていた会社でした。
問題があったのは厚生労働省との癒着です。優秀な社員もいましたが、天下り官僚が悪かったように思います。
■ ■
私が市立札幌病院に勤務していた時に、事故で下腿がグチャグチャになってしまった子供さんが搬送されて来ました。
整形外科の先生と一緒に手術をして、下肢の切断は免れました。
重篤な感染症を起こし、救急部でミドリ十字のヴェノグロブリンIを投与しました。
■ ■
幸い、感染症はおさまり、下肢も切断しなくて済みました。
極めて重症でしたが、輸血は行いませんでした。
救急部から、私が勤務していた病棟へ転科して、皮膚の処置とリハビリを行っていました。
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ある日、C型肝炎の抗体検査をしたところ、輸血もしていないのに陽性になっていました。
当時は肝炎ウイルスそのものを検査することは、保険ではできませんでした。
C型肝炎の抗体(HCV抗体)が陽性ということで、C型肝炎に感染したことが考えられました。
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輸血もしていないし、肝炎にかかるような薬剤も投与していませんでした。
お父さん、お母さんの血液も検査してみましたが陰性でした。
いろいろ検査したところ、ヴェノグロブリンIが疑われました。
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薬剤の添付文書を読んでも、ヴェノグロブリンIを投与して、HCV抗体が陽性になるとは書いていませんでした。学会報告もありませんでした。
ミドリ十字に電話で問い合わせたところ、あっさりと因果関係を認めました。
そして、HCV抗体が陽性になっても肝炎にはかからないと説明を受けました。
ヴェノグロブリンIを製造する時に、HCV抗体が陽性の人の血清を使ったのが原因でした。
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私はミドリ十字本社(大阪)から責任者を札幌まで呼んで、その子供さんの両親に説明していただきました。
ご両親は、肝炎にかかっていないし、将来も肝炎になる心配がないならと納得してくださいました。
その子供さんは大きくなり、現在は立派な社会人になられています。
もちろん、C型肝炎にはなっていません。
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どんな薬にも副作用はあるし、不可抗力というのもあります。
ただ、厚生労働省とミドリ十字という会社には隠蔽体質があり、医師や患者に必要な情報を与えていませんでした。
ヴェノグロブリンIで命が助かった人はたくさんいます。
優秀な研究者もいました。私が知っているミドリ十字の社員はとても優秀な方ばかりでした。
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残念なのは、必要な情報を十分に与えてくれなかった点です。
もし、C型肝炎にかかった人から採取した血液から作った製品だと知っていたら、私たちはヴェノグロブリンIを使いませんでした。
知っていたのは、ミドリ十字の役員と、製造担当者。厚生労働省でした。これらの心ない