2007年11月09日
薬害肝炎
血液製剤による肝炎が問題になっています。
新聞報道にはあまり名前が出てきませんが、問題の製剤を作って売ったのは、ミドリ十字という会社でした。
赤十字(日赤)のマークが赤い+です。ミドリ十字のマークはミドリの+でした。血液製剤では圧倒的なシェアを持っていました。
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私はフィブリノゲン製剤を使ったことはありませんが、免疫グロブリン製剤は使いました。
重症の外傷、特に熱傷では重篤な感染症を起こします。今でも、免疫グロブリン製剤は使われています。
ミドリ十字の免疫グロブリン、ヴェノグロブリンI(アイ)は、日本で一番良いと言われていた製剤でした。
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ミドリ十字については、薬害エイズを作った会社だとか、フィブリノゲン製剤で肝炎を作ったとか、たくさんの批判があります。
ミドリ十字のマイナス面だけが報道されていますが、血液製剤の研究・開発では優れたものを持っていた会社でした。
問題があったのは厚生労働省との癒着です。優秀な社員もいましたが、天下り官僚が悪かったように思います。
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私が市立札幌病院に勤務していた時に、事故で下腿がグチャグチャになってしまった子供さんが搬送されて来ました。
整形外科の先生と一緒に手術をして、下肢の切断は免れました。
重篤な感染症を起こし、救急部でミドリ十字のヴェノグロブリンIを投与しました。
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幸い、感染症はおさまり、下肢も切断しなくて済みました。
極めて重症でしたが、輸血は行いませんでした。
救急部から、私が勤務していた病棟へ転科して、皮膚の処置とリハビリを行っていました。
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ある日、C型肝炎の抗体検査をしたところ、輸血もしていないのに陽性になっていました。
当時は肝炎ウイルスそのものを検査することは、保険ではできませんでした。
C型肝炎の抗体(HCV抗体)が陽性ということで、C型肝炎に感染したことが考えられました。
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輸血もしていないし、肝炎にかかるような薬剤も投与していませんでした。
お父さん、お母さんの血液も検査してみましたが陰性でした。
いろいろ検査したところ、ヴェノグロブリンIが疑われました。
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薬剤の添付文書を読んでも、ヴェノグロブリンIを投与して、HCV抗体が陽性になるとは書いていませんでした。学会報告もありませんでした。
ミドリ十字に電話で問い合わせたところ、あっさりと因果関係を認めました。
そして、HCV抗体が陽性になっても肝炎にはかからないと説明を受けました。
ヴェノグロブリンIを製造する時に、HCV抗体が陽性の人の血清を使ったのが原因でした。
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私はミドリ十字本社(大阪)から責任者を札幌まで呼んで、その子供さんの両親に説明していただきました。
ご両親は、肝炎にかかっていないし、将来も肝炎になる心配がないならと納得してくださいました。
その子供さんは大きくなり、現在は立派な社会人になられています。
もちろん、C型肝炎にはなっていません。
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どんな薬にも副作用はあるし、不可抗力というのもあります。
ただ、厚生労働省とミドリ十字という会社には隠蔽体質があり、医師や患者に必要な情報を与えていませんでした。
ヴェノグロブリンIで命が助かった人はたくさんいます。
優秀な研究者もいました。私が知っているミドリ十字の社員はとても優秀な方ばかりでした。
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残念なのは、必要な情報を十分に与えてくれなかった点です。
もし、C型肝炎にかかった人から採取した血液から作った製品だと知っていたら、私たちはヴェノグロブリンIを使いませんでした。
知っていたのは、ミドリ十字の役員と、製造担当者。厚生労働省でした。これらの心ない人たちが、薬害肝炎を作ったと思います。
投稿者 sapporobiyou : 2007年11月09日 23:59
コメント
ここ数日、薬害C型肝炎の事が取り沙汰されているので少し胸の支えが取れるのかなと思うようになりました。
当時、あまりの出来事にベットの上で寝たきりで、看護婦さんが点滴を取替えに来る薬を眺めるのが精一杯で、あの頃有名な大手のミドリ十字ガンマグロブリン・フィブリノーゲンを記憶しています。
私は昭和60年7月10日に当時札幌北辰病院で二女を出産しました。
胎児の状態もあまり思わしくないので陣痛促進剤を使用、その為か子宮破裂で大量出血、全摘出で大変な目にあいましたが、かろうじて命は何とか助かりました。
敗血症にもなり1ヶ月ぐらいの入院でした。
でも、子供は低体重児で検査の結果、目に重い障害があり障害者の生活になると宣告を受け2重の苦しみでした。
神様はいないぐらいに怨みました。
とにかくどうしていいのか八方ふさがりで、退院しても毎日具合も悪いし
子供をどうして良いのかそうこうしている時、
鏡を見たら自分の顔が真黄色に具合も悪かったので
北辰病院へ行ったら内科ですぐ入院でした。
何がなんだか分からず子供の事もあるので、家に帰って用意をすると言ったら
先生が「死にたいのか!絶対安静」と怒鳴られました。
身内に肝臓が悪い人がいないので肝炎の病気も知らず肝臓病はお酒のみの病気ぐらいの認知度だったので説明を受けたときはC型肝炎と言われなんだか分からず愕然としました。
たまたま私達夫婦は両方とも母親が早死にで子供を見てくれる人がいないので、
近所に頭を下げ1歳半の長女を見てもらい赤ちゃんは保健婦さんの計らいで銭函の乳児院に預けました。
入所が決まるまで病院のご好意で産科で預かってくれました。
毎日、病気との闘いでしたが7年も経った頃、だいぶ元気を取戻し子供を育てる元気も出たように思います。
主人はあまりの大変さと、この事態になったことをこのままでいいのだろうかと言いましが、
私は命が助かっただけでもと思いながら、
あの時の事を思い出すと夜中みんなが呼び出され、
病院の院長はじめ全診療科の先生がいたように思います。
病院の皆さんが一生懸命、がんばって助けてくれたのだと
今は感謝しています。
薄れる記憶の中で、私は危ないのだとでも子供たちを残して
死ねないの一心でした。
もう20年も経ってしまいましたが、次女は盲学校生ですが
弱視で日常生活には何とか問題ありませんでしたが、昨年緑内障がでて、全盲になってしまいました。
なかなか、これで良いと言う事にはならないのでしょうか?
私は、今まで慢性C型肝炎の事は子供の障害の事もあるので差別されても困るので、人に話すことはありませんでした。
主人もあまり知らなかったと思います。
マスコミで取り上げられているので、
今はじめて詳しく話したような次第です。
あまり心配もかけたくなかったので、言われるのもいやだったので、早く忘れたいのもありました。
娘が全盲になったことで、また大変な毎日です。
目も痛くて自立に向けての日々なので、独り立ち出来る
までC型肝炎がまた発病、肝硬変・肝癌にならないように
祈ってます。
親として自立して社会人になるまで力になってあげたいでし。
今の所落ち着いているようですが。
病院が無くなって厚別区の社会保険総合病院になっているのですが、カルテの保存が7年間で記録が無い様なのですが
保証を受ける手続きをしたいと思います。
私と同じように医療で肝炎になった人が全国に沢山いるなんて思っても見ませんでした。
あの当時、エイズの方が分かった時代だったので感染していたらどうしようとその事ばかり心配していましたし、人にも言えないでいました。
投稿者 キヨカワ ヒロコ : 2007年12月28日 13:22