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2007年12月31日

2007年を振返り

 今日は大晦日です。
 最後まで、つたない日記を読んでいただき、ありがとうございます。
 昨年も書きましたが、美容外科は年末が一年で一番忙しい時期です。
 お正月休みという、年に一度の長期休暇を利用して、たくさんの方が手術を受けてくださいます。
 札幌美容形成外科も、31日は手術はありませんでしたが、手術後の抜糸や診察をいたしました。
      ■         ■
 とうとう、日記を毎日更新して、365日、一日も休みませんでした。
 ‘継続は力なり’は、代々木ゼミナールの玄関に大きく書かれている言葉です。
 私は、予備校時代から、この‘継続は力なり’を座右の銘としてきました。
 皆様のアクセス数に励まされて、忙しくても、疲れていても、毎日欠かさず更新しました。
 実は、かなり苦労して書いています。
      ■         ■
 平成19年12月18日からは、新しいフォームを、クロスロードの須崎克之さんに制作していただきました。
 携帯から読む時に、読みやすくなったと好評をいただいています。
 2008年からは、新しいフォームだけになります。
      ■         ■
 今年は、マスコミの方にも読んでいただきました。
 私が、今年、一番嬉しかったのは、週刊文春の取材を受けたことでした。
 自分が愛読している、週刊文春から取材申し込みのお電話を受けた時には、まさかと思いました。
 ライターの恵原さんは、医師以上に医学知識に富んだ方でした。
 私が、知らない‘医学常識’をたくさん教えていただきました。
 平成19年9月30日の日記に書いた、自殺予防ケアは、患者さんの家族にFAXして差し上げ、自殺予防に役立ちました。
      ■         ■
 この日記の目的は、私の考えや夢・ロマンなどを書き残すためです。
 形成外科の専門雑誌に、いくら論文を書いたところで、一般の方の目にとまることはありません。
 日記は、世界中の方にリアルタイムで読んでいただけます。
 コピー&ペーストでどこかに貼り付けられる可能性もあります。
 それだけ、私の考えが広く伝わるのでよいことだと思っています。
 ホームページの良いところは、自分の考えをダイレクトに伝えることができる点です。
 私のような‘変人’でも、信用して手術を受けていただくには、日記を読んでくださるのが一番の早道です。
      ■         ■
 2007年は、皆様にとって、どんな年でしたでしょうか?
 私にとっては、‘厄年か?’と思うような、実に多難な年でした。
 家庭内のゴタゴタから、多難な年のはじまりでした。
 札幌美容形成外科が入居している、スノー会舘ビルの建替え問題もありました。
      ■         ■
 どちらも、解決はしておりません。
 ビルの建替えは、当初の計画より、大幅に遅れそうです。
 他テナントの問題もあり、最低でもあと一年は現在地で診療を続けられる見込みです。
 大家さんとの関係は良好です。
 トラブルもありません。
 ただ、交渉は私が診療の合間にできるほど簡単ではないので、弁護士さんにお願いしました。
      ■         ■
 弁護士さんに交渉をお願いしたのは、スムーズに交渉を進めるためです。
 補償など、お金が絡む問題は、法律の専門家に論理的に公正に対処していただくのが一番だと思っています。
 もし、仮店舗での診療になったとしても、札幌駅から徒歩5分以内という立地条件は厳守したいと思います。
 医療業を営む者としては、患者様の利便性を第一に考えたいと思います。
      ■         ■
 今年もたくさんの方に助けていただき、一年が終わりました。
 この場をお借りして、心から御礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。
      ■         ■
 私自身は、どの位の方のお役に立ったか?わかりません。
 ご迷惑をおかけしたり、苦情を申し立てられた方もいらっしゃいました。
 この場をお借りして、お詫び申し上げます。
 本当に申し訳ございませんでした。
 来年も、微力ながら少しでも社会のお役に立ちたいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
      ■         ■
 最後に、お正月も返上して頑張っていらっしゃる受験生の皆さん。
 努力は必ず報(ムク)われます。
 体調に気をつけて頑張ってください。
 皆様、よいお年をお迎えください。

投稿者 sapporobiyou : 19:44 | コメント (0)

2007年12月30日

はじめてのクロール

 私は、2002年(平成14年)12月から、宮﨑先生のおすすめでスポーツクラブへ通うことになりました。
 私が選んだのは、スイミング。
 日本人の恥と言われた、屈辱からです。
      ■         ■
 最初に入ったクラスが‘はじめてのクロール’でした。
 クロールどころか、バタ足も満足にできませんでした。
 何度か、家内に教えを請いましたが、
 『バタ足になっていない』
 『膝が曲がっている』
 そんなこと言われたって、本人は膝が曲がっているかどうかが、わからないのですから…。
 昔、スキーを教えてあげたこともあったのに…
 家内には冷たく見放されました。
      ■         ■
 はじめてのクロールの担当は、若くて美人の先生でした。
 お名前は愛先生でした。
 夜、20:00~20:50までのコースで、週に一回でした。
 一クラス約15人程度でしたが、男性は私を入れてわずか数人。
 大部分が、若い女性ばかりのコースでした。
      ■         ■
 若いお嬢さんのクラスで、先生も若い女性の先生。
 一見、よさそうに思えますが、48歳のおじさんには、恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。
 私の良きクラスメイトになってくれた、数少ない男性が、元拓銀マンだった杉山さんでした。
 杉山さんがいなければ続かなかったと思います。
      ■         ■
 はじめてのクロールでは、まず、息のしかたから教えてくださいました。
 『はい、本間さん、ぱぁして!』
 『ぱぁ。ゲボ…(水を飲んだ音)』
 何度、プールの美味しい水を飲んだことかわかりません…。
 鼻から空気を出すことや、水を飲まないで、空気だけ吸う‘わざ’を親切に教えてくださいました。
      ■         ■
 次は、バタ足。
 膝が曲がっていると言われても、本人はまっすぐにしているつもりです。
 プールサイドにつかまって、ばたばたバタバタ。
 先生が、足を引っぱって、曲がらないようにバタ足を教えてくださいました。
 次は、ビート板につかまって、バタ足で15mを往復です。
 もう一回するんですかぁ~?って言いたくなるほど、疲れました。
      ■         ■
 はじめて、数ヵ月は、本当に泳げるようになるのか…?という毎日でした。
 25mプールを、さっそうと泳いでいる人を見て、自分もいつかは25mを泳げるようになりたい…と思っていました。
 たまに、どう見ても70歳を超えていると思われる女性が、25mどころか、数百mを悠々と泳いでいる姿を拝見しました。
 家内の母は、70歳を超えていましたが、水泳が上手でした。
 私と同じように、50歳近くではじめたそうです。
      ■         ■
 一度、家内の母と一緒にプールへ行きました。
 『あまり、力を入れないで、ゆっくりと泳ぎはったらいい(関西弁です)』
 『賢一さんも、必ず泳げるようになりますよ』
 『足は、そんなにバタバタすると疲れるから、もう少しゆっくりがいい』
 さすが、苦労して覚えた、おばあちゃんは指導が上手でした。
      ■         ■
 バタ足の次に苦労したのが、肩でした。
 男性は女性よりも、肩関節の可動域がせまいようです。
 50肩にはなっていませんでしたが、とにかく腕を回すのがきつかったです。
 特に苦労したのが左。
 ようやく腕を回すことができるようになるまでに、数ヵ月かかりました。
      ■         ■
 はじめてのクロールは、6ヵ月毎に新しいクラスになります。
 はじめて、一年近く経った頃には、あまり無理をせずに泳げるようになりました。
 最初に通ったスポーツクラブは、今は通いづらいので別のクラブに通っています。
 はじめてのクロールから5年経った今は、毎回300mくらい泳いでいます。もちろんノンストップです。
 開業してからは、ハワイに行く時間がなくなってしまいましたが、日本人の恥は返上しました。
 いつか時間ができたら、またハワイの海へ行ってみたいと思っています。
 スイミングも継続は力なりです。
 きっかけを下さった宮﨑先生と、根気よく教えてくださった先生に感謝しています。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月29日

日本人の恥

 私は、札幌の手稲→美唄→夕張→札幌で育ちました。
 どちらかというと、海より山で育ったので、泳ぐのは苦手でした。
 昭和45年4月に札幌西高校へ入学して、初めて体育で水泳を習いました。
 西高では、水泳は必修でした。
 確かクロールで25m泳げないと、進級できませんでした。
 温水プールでもない、屋根もない屋外プールで、ブルブル震えながら水泳授業がありました。
      ■         ■
 西高の時は、25mは泳げなかったのですが、何とか進級はできました。
 途中で、立って休んででも、25mまでたどり着けば‘合格’させていただきました。
 その後、泳ぐ機会もなく、何十年も過ぎました。
      ■         ■
 平成14年(2002年)に大学を追い出されて、美容外科の雇われ院長にさせていただきました。
 大学を辞めると、もう休めないだろうと思い、辞める直前に有給休暇を使って、ハワイへ行きました。
 4泊6日で一人10万円程度のパックツアーでした。家内と息子の3人で行きました。もちろんエコノミークラスです。
      ■         ■
 宿泊はシャワーの出があまりよくないようなホテルでした。
 いつかは、Hiltonに泊まってみないなぁ~。と思いながら、ABCマートでおにぎりを買って食べていました。
 私は、人が多い、ワイキキビーチには行かず、レンタカーを借りて、北のWaimea Beach Park(ワイメアビーチパーク)へ行きました。
 ハワイの海はとてもキレイで、熱帯魚やカメが泳いでいました。
 私は、ABCマートで買った、浮き輪につかまり、熱帯魚やカメを見て楽しんでいました。
      ■         ■
 日本人の旅行者は少なく、私たち親子くらいでした。
 砂浜の岩陰で休んでいる時に、米国本土からいらしたご一家と英語で話していました。
 私が医師で、これから美容外科医になると話すと、奥さんからたくさんの質問を受けました。
 2002年でしたが、ボトックスによるシワ取りについてたくさん聞かれました。
 ハワイにまで行って、質問を英語で受けるとは夢にも思っていませんでしたが、楽しく会話していました。
      ■         ■
 息子に、英会話の大切さを話して、ちょっと得意になっていました。
 ところが、息子と家内いわく。
 『お父さん、赤い浮き輪につかまってカメを見ていた時に笑われていたょ!』
 『何っ?溺れて(オボレテ)死ぬより、浮き輪の方が安全だよ…』と言ってはみたものの…
 『お父さん、カッコ悪いよ。日本人の恥だょ!』
      ■         ■
 家内は、中学校の時に水泳部だったらしく、泳ぎは上手でした。
 息子も子供の時にスイミングを習ったので、一応、泳げました。
 カナヅチは私だけでした。
 でも、スイミングに行くチャンスもなく、2002年8月から、私は中央クリニック札幌院の院長にさせていただきました。
      ■         ■
 中央クリニックは、とにかく、めちゃくちゃ忙しい美容外科でした。
 2002年8月には、まだ競合するクリニックが少なかったこともあり、毎日朝から夜まで手術でした。
 私は手術のしすぎで、手に豆ができ、腰痛になりました。
 中央クリニックが入居している、都心ビルに、北大の先輩である、宮﨑先生が整形外科を開業していらっしゃいます。
      ■         ■
 宮﨑先生に腰痛をご相談すると、『本間先生、何か運動している?』と聞かれました。
 『忙しいですし、時間もないので、運動はしていません』と答えると、宮﨑先生は…。
 『これあげるから、行ってごらん』とスポーツクラブの招待券をくださいました。
 そこで、私は48歳にしてスイミングをはじめることになりました。
 入ったクラスが、‘はじめてのクロール’でした。
 続きはまた別の日に書きます。

2002-07-24.jpg

2002年7月24日(ハワイにて)
日本人の恥と言われて、
スイミングを始めるきっかけとなりました

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月28日

弁護士の力

 昨日、ご紹介した、高橋智(タカハシサトル)先生が担当された事件です。
 平成19年12月6日(木)北海道新聞夕刊の記事です。
 留辺蘂の診療報酬詐取
 院長に無罪判決
 札幌地裁
 診療報酬の架空請求で約920万円をだまし取ったとして、詐欺などの罪に問われた北見市留辺蘂町旭一区、「小助川クリニック」院長小助川治被告(46)の判決公判が12月6日、札幌地裁で開かれ、井口実裁判官は無罪(求刑・懲役四年)を言い渡した。
      ■         ■
 小助川被告は、2005年2月から7月にかけて、札幌の医療事務会社社長(詐欺などの罪で一審有罪確定)と同クリニック事務員(同)に指示し、実際には行っていない虚偽の診察内容を記した診療報酬明細書を作成させ、北海道国民健康保険団体連合会などから、約920万円をだまし取ったとして起訴された。
      ■         ■
 公判で小助川被告は、診療報酬の水増し請求があった事実は認めたが、「不正に関与していない」として無罪を主張していた。
 弁護人の高橋智弁護士は「客観的な証拠はなく、水増しを実行した医療事務会社社長の供述で罪をかぶせられた、典型的な冤罪(エンザイ)事件」と話している。
(以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 この事件に関して、高橋先生はご自身のSammy通信で次のように書かれています。
 2007/12/06
●詐欺事件で一審無罪判決をとりました。
 本日、診療報酬請求をめぐる詐欺事犯で、無罪判決をとりました。裁判に約1年を要しました。
 事案は、病院の事務方と外部委託業者が診療報酬を水増し請求していたことに、病院長も共謀者として関与していたとして、逮捕勾留起訴されたという案件でした。
      ■         ■
 共謀を裏付ける事実はないこと、病院は当時健全経営をしており不正をする理由は全くないこと、病院長はそのような不正を行うような人格ではないことなどを一貫して主張して参りました。
 病院長は逮捕・勾留されても、一貫して容疑事実を否認していました。
 保釈を求める嘆願書が数千通患者の皆さんや地域の皆様から寄せられました。
 皆さん、病院長の無罪を確信していました。
 本当に、無罪判決が出てよかったと思っています。
      ■         ■
 反響も大きく、年内10件目の無罪事件(昨年は2件)としてテレビや新聞で大きく取り上げられていました。
 特に、読売新聞の記事はよかったと思いました。
 私にとっては、弁護士生活16年目にして、通算4件目の無罪判決(器物損壊事件、放火事件、控訴審で逆転有罪判決が出て現在上告中の特別背任罪)でした。
(以上、Sammy通信より引用)
      ■         ■
 私は、小助川先生と面識はなく、同じ札幌医大の卒業生という関係だけです。
 診療報酬の不正請求は、診療所や病院にとって命取りになります。
 公的な病院ですら、不正請求で指定取り消しを受けたところがあります。
 最近は、レセプトという、診療報酬請求書を紙に印刷せず、磁気媒体で提出する医療機関もあります。
 紙で一枚一枚チェックしていた時代はともかく、磁気媒体で操作を加えられると、院長でもわかりません。
      ■         ■
 確かに、医療機関の経営者として、実際の診療と報酬が合わないことに気づかなかったのは、落ち度があると思います。
 ただ、診療報酬が振り込まれるのは、診療した2ヵ月後以降になります。
 一人ずつ、○○さん、○○円と明細がついてくるのではありません。
 まとめて、お金が振り込まれるので、ちょっと位、増えても減っても気づかないことは考えられます。
      ■         ■
 小助川先生は、地域住民に信頼されており、『不正なんかする先生ではない』という信念が、無罪判決を勝ち取ったのだと思います。
 高橋先生のHPには、北大法学部時代に苦労した、給湯室の話しなどもあります。
 ぜひ一度ご一読いただけると幸いです。

投稿者 sapporobiyou : 23:53 | コメント (0)

2007年12月27日

弁護士さんの日記

 医者とか弁護士を選ぶのは、とても難しいことです。
 有名な‘先生’だからといって、必ずしも‘良い’先生とも限りません。
 自分との相性もあります。
 弁護士さんを選ぶのは、医師にとっても難しいことです。
 逆に、医師を選ぶのも、弁護士にとって難しいことかもしれません。
      ■         ■
 医者も弁護士も‘先生’と呼ばれる職業です。
 有名大学や旧帝大を卒業していれば、‘良い’先生かというと、必ずしも当たりません。
 頭が良くて、有名大学に合格し、司法試験も一発で受かった‘先生’が良い先生とは限りません。
 弁護士さんにも、ご専門があります。
 性格やお金に関しても、人によって大きく異なります。
      ■         ■
 さすがに、百均なみの‘安売り弁護士’さんはいないと思いますが、何がご専門なのか?なかなかわかりません。
 弁護士も、医師と同じように、広告規制があり、宣伝できる内容に制限があります。
 この辺も、良い弁護士を見つけるのが難しい原因かもしれません。
      ■         ■
 市立札幌病院の医療安全委員会の外部委員に就任されていらっしゃる、高橋智(タカハシサトル)先生という弁護士さんがいらっしゃいます。
 高橋先生は、札幌南高校から北海道大学法学部をご卒業。1996年に独立開業なさった先生です。
 高橋先生が、弁護士版の‘院長日記’を書いていらっしゃるのを見つけました。
      ■         ■
 高橋先生の日記はSammy通信
 私の院長日記より、おしゃれです。
 高橋先生が、2007年9月19日のSammy通信、
『49%・・北海道大学ロースクール生新司法試験合格率』
 の中で、次のように述べられています。
 札幌も毎年30ないし40名の弁護士が増えています。
 数多い弁護士の中でどの弁護士を依頼するかは、依頼する側からすると重要な問題になってくるでしょう。
 どの病院を選ぶのかにも似ています。
 逆に、弁護士の側からいうと、良質なサービスを提供している事務所はますます忙しくなり、そうでない事務所は経営が厳しくなると言うことを意味しているということでしょう。
 できるならば、依頼者の皆様に信頼される事務所の側でいられるようがんばっていきたいと思います。
      ■         ■
 HPを拝見して、高橋先生とお話しする機会がありました。
 まったく偶然にも、高橋先生が、12月20日に書いた、挿管困難症例の、患者側弁護を担当されたことがわかりました。
 私は運命的な出会いを感じました。
 高橋先生は、正義感溢れる、素晴らしい弁護士さんです。
 逆に、医療側にとっては、とても手ごわい弁護士さんだと思います。
 私は、高橋先生のHPを拝見して、医療側が考えなければならないことが、たくさんあると強く感じました。
      ■         ■
 人間いつどこで病気になるかわかりません。
 医者を選ぶのも寿命のうちと言います。
 私を含めて、人間いつどこで、弁護士さんのお世話になるかわかりません。
 無実の罪や冤罪(エンザイ)がゼロではないことは事実です。
 刑務所に入るか、無罪放免になるかは、弁護士の腕しだい?
 私の大学の後輩の先生が、今年、高橋先生に助けていただきました。
 日記にはその人の‘人となり’が出ます。私は高橋智(サトル)先生をおすすめします。

投稿者 sapporobiyou : 23:46 | コメント (0)

2007年12月26日

毛を剃ると濃くなる?

 平成19年12月25日、朝日新聞朝刊に次の記事が掲載されていました。
 暗い所で本「目悪くなる」
 医学的根拠ない、と米チーム
 米国で一般によく信じられている体に関する言い伝えについて、科学的な根拠について調べたものです。
 今日はこの中から、『毛を剃ると濃くなる』という言い伝えについて解説します。
      ■         ■
 この論文のタイトルはMedical myths(医学神話)。
 2007年12月22日発行の英医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」クリスマス特別号に掲載されました。
 米国、インディアナ大のチームがまとめました。
      ■         ■
 論文執筆者は、Rachel C Vreeman先生。
 インディアナ大、小児医療研究所の研究員の先生です。
 ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは英国の権威ある医学雑誌です。
 日本語に訳すと、英国医学雑誌。略称、BMJです。BMJで検索すると、HP(英語)が出てきます。
 本題の、毛を剃ると濃くなるについて、もう少し詳しく解説します。
 次の英文が、BMJに掲載された原文です。
      ■         ■
 Shaving hair causes it to grow back faster, darker, or coarser
 BMJ 2007;335:1288-1289 (22 December)
 Rachel C Vreeman, fellow in children’s health services research,
 Aaron E Carroll, assistant professor of paediatrics
 Children’s Health Services Research, Indiana University School of Medicine, Indianapolis, IN, USA
 Another common belief is that shaving hair off will cause it to grow back in a darker or coarser form or to grow back faster.
 It is often reinforced by popular media sources and perhaps by people contemplating the quick appearance of stubble on their own body.
 Strong scientific evidence disproves these claims.
 As early as 1928, a clinical trial showed that shaving had no effect on hair growth.
 More recent studies confirm that shaving does not affect the thickness or rate of hair regrowth.
 In addition, shaving removes the dead portion of hair, not the living section lying below the skin’s surface, so it is unlikely to affect the rate or type of growth.
 Shaved hair lacks the finer taper seen at the ends of unshaven hair, giving an impression of coarseness.
 Similarly, the new hair has not yet been lightened by the sun or other chemical exposures, resulting in an appearance that seems darker than existing hair.
      ■         ■
 参考文献
1. Paus R, Cotsarelis G. The biology of hair follicles. N Engl J Med 1999;341:491-7.
2. National Women’s Health Resource Center. Shaving dos and don’ts for teens. 2003.
3. Trotter M. Hair growth and shaving. Anatomical Record 1928;37:373-9.
4. Saitoh M, Uzuka M, Sakamoto M. Human hair cycle. J Invest Dermatol 1970;54:65-81.
5. Lynfield YL, Macwilliams P. Shaving and hair growth. J Invest Dermatol 1970;55:170-2.
      ■         ■
 毛を剃ると濃くなるという、‘迷信’は、日本だけではなかったようです。
 そして、1928年という、いまから80年も前に、科学的に、毛を剃っても濃くならないことを証明した人がいました。
 せっかく、80年前に研究してくれた人がいたのに、迷信は信じられたままでした。
 毛で悩んでいるのは、日本人だけではないようです。
      ■         ■
 英文部分の翻訳です。
 Yahoo翻訳に、コピー&ペーストしても翻訳してくれます。
 最初の行から、USAまでは、論文のタイトルと著者、共著者、所属、住所です。
 Another common belief isからが、本文です。
      ■         ■
 毛を剃ると濃くなるというのも、よく間違われる迷信です。
 毛を剃ると、プツプツとなるので濃くなったと思います。また、間違った解説をしているサイトもあります。
 剃っても毛が濃くならないという、科学的な証拠があります。
      ■         ■
 古く1928年には、剃っても毛が濃くならないことを、臨床試験が示しています。
 近年の研究でも、剃っても濃くもならないし、生える早さも同じことが確認されています。
 毛の剃られている部分は、‘死んだ’部分で、生きているのは、皮膚の下の部分です。
      ■         ■
 毛を剃ると、毛先の細くなっている部分がなくなります。
 生えてきた毛先が、剃られて太くなっているので、ブツブツとした印象を与えます。
 光が当たっても、濃くなったように見えるのです。
      ■         ■
 あまり、上手な訳ではありませんが、毛は剃っても濃くならないということが書かれています。
 参考文献には、1928年のものがあります。
 1970年の文献では、斉藤M先生という、日本人の研究も見られます。
 それだけ、毛では世界中の人が昔から悩んでいたことがわかります。
 ここには書かれていませんが、レーザー脱毛は偉大な発明だったと思います。

投稿者 sapporobiyou : 22:48 | コメント (2)

2007年12月25日

数学と医学

 医学部の入試で、数学が難関であることを書きました。
 私は、中学時代も高校時代も数学が得意科目で好きでした。
 高校1年の数学は、原田先生という、北大理学部数学科卒の先生でした。
 授業中に、北大の学生生活のお話しをしてくれて、私もいつか北大に行きたいと思ったものです。
 私の記憶が正しければ、原田先生も、北大恵迪寮(ケイテキリョウ)にいらした筈です。
      ■         ■
 普通の高校数学レベルでしたら、誰でもあまり苦労せずに学ぶことができます。
 ところが、医学部の入試レベルになると、途端に難しくなります。
 特に、札幌医大の数学は、‘変な問題’が出ていました。
 数学者には、面白い問題なのかもしれませんが、普通高校の受験生には難しかったです。
 一つの問題を何時間考えても、解(カイ)はでませんでした。
      ■         ■
 私は、数学の勉強法を誤りました。
 公式を覚えて、ある程度教科書レベルの練習問題をすると、高校の定期試験は合格点がもらえました。
 ところが、札幌医大の入試問題には、手も足も出ない問題がありました。
 私は、数学にはある種の‘ひらめき’が必要だと思っていました。
 確かに、同じように問題を解いていても、瞬間的に素晴らしい解を見つけられる人がいました。
 そのような人は、生まれつき特別な思考回路を持っていると思っていました。
      ■         ■
 私の高校・予備校時代には、旺文社の大学受験ラジオ講座という番組がありました。
 北海道では、STVラジオで早朝に放送されていました。
 それを、テープに録音して、聴いていました。
 私が好きだったのが、数学鉄則ゼミの寺田文行(テラダブンコウ)先生です。
 早稲田大学理工学部の教授でした。
 寺田先生の数学は、難解な問題をいとも簡単に解いてしまう‘鉄則’が売りでした。
 札幌予備学院では、年に一度くらい、寺田先生の特別講義がありました。
 当時、札幌で有名な先生の講義を聴講できるのは夢のような話しでした。
      ■         ■
 大学受験ラジオ講座では、もう一人、有名な先生がいらっしゃいました。
 勝浦捨造先生です。この先生は、東北大学助教授から、代々木ゼミナールの副校長になられました。
 勝浦先生の数Ⅰは、奇抜な問題はなく、基礎的な問題をこつこつと解くやり方でした。
 決して諦めてはいけないということを繰り返し述べられていました。
 医学部向けの数学にしては、簡単すぎましたが、私は毎回聴いていました。
 数学が苦手で嫌いだった友人が、勝浦先生のラジオ講座で好きになり、数学の成績がUPしました。
      ■         ■
 勝浦先生が亡くなられた時に、新聞のお悔やみ欄に掲載されました。
 私は、その切抜きをしばらく捨てられずに保存していました。
 放送では、解説よりも激励が多かった勝浦先生でしたが、解答集には丁寧な解説がついていました。
 毎年、最後の放送では、旧制三高(京都大学)の寮歌、逍遥の歌【紅萌ゆる岡の花(クレナイモユルオカノハナ)】を歌われました。
      ■         ■
 私が数学の勉強法を間違ったと気付いたのは、予備校の時でした。
 数学者になる人は別として、医学部受験レベルの数学は、難しい問題を何問解いたかという‘経験’だと気付きました。
 勝浦捨造先生が、『いいですか、どんな難問でも、同じ問題を13回解いてごらんなさい。必ずできるようになります。』と言われたお言葉を、今でも覚えています。
      ■         ■
 医学も経験がものを言います。
 どんなに頭の良い先生でも、自分の経験に勝るものはありません。
 難しい病気も、難しい手術も、良い指導者について経験を積んだ先生が、いとも簡単に治すことができるようになるのが医学です。
      ■         ■
 受験の数学で、医学に一番役立つのが、ミスをしないという、確認作業の繰り返しです。
 数学はどんなに、立派に問題を解いても、最後に+と-を間違えると、零点です。
 『注意一秒、ケガ一年』。私が予備校時代に考えた言葉です。
 最後に確認しないで、一問、間違えると、また一年浪人が待っているという意味です。
 臨床医学の現場では、ちょっとしたミスも許されません。
 受験の数学で繰り返し確認するという習慣は、35年後の今でも役立っています。
 センター試験まで、あと一ヵ月です。受験生のみなさん元気で頑張ってください!

投稿者 sapporobiyou : 23:47 | コメント (0)

2007年12月24日

美しいハーモニー

 私は昭和48年に札幌西高校を卒業しました。
 私の同期に、サーカスの叶高(カノウタカシ)くんがいます。
 若い方は、あまりご存じないグループかもしれません。
 私たちの年代には、1978年のMr.サマータイム、
 1979年のアメリカン・フィーリングなどが、馴染み深い曲です。
      ■         ■
 叶(カノウ)くんは、西高時代は陸上部でした。
 私は同じクラスになったことはありませんでした。
 私の親しい友人が、叶くんと同じ陸上部で、友人の友人という関係でした。
 彼は、日大芸術学部へ進学、スター誕生というTVに出演しました。
 1978年にMr.サマータイムが出た時には、驚きました。
      ■         ■
 私は、サーカスのハーモニーが好きになり、よく聴いていました。
 医者になってからは、仕事が忙しく、コンサートへ行くことはありませんでした。
 帯広厚生病院に勤務していた時に、帯広公演へ行ったのが最初でした。
 帯広では、札幌西高校出身の産婦人科の津村先生と一緒に聴きました。
 その時に、卒業後25年ぶりくらいで会いました。
 卒業後、はじめて、生で聴いたサーカスのハーモニーは素晴らしかったです。
 心が癒されるというか、聴いていて、心が豊かになるようなハーモニーでした。
      ■         ■
 サーカスは、お姉さんの、叶正子(カノウマサコ)さん、弟の叶央介(カノウオウスケ)さん、央介さんのお嫁さんの原順子(ハラジュンコ)さんの4人グループです。
 結成30周年目を迎える、日本を代表するコーラスグループです。
 2007年10月6日の東京を皮切りに、神戸、浜松、で30周年コンサートを開催中です。
 2008年1月27日(日)大阪厚生年金会館・芸術ホール。
 2008年2月1日(金)名古屋市芸術創造センター。
 2008年3月1日(土)新潟市民芸術文化会館・劇場
 2008年3月15日(土)札幌市教育文化会館
 2008年3月16日(日)富良野文化会館
 2008年3月22日(土)よこすか芸術劇場で開催されます。
      ■         ■
 叶くんは、札幌市立平岸中学校から、札幌西高校へ進学しました。
 叶くんの家は、お母さんが音楽好きで、小さい頃から、子供に歌を歌わせていたそうです。
 3人姉弟の子供たちに、最初にハーモニーを教えたのがお母さん。
 お母さんご自身が、NHKに出るほどの音楽好きだったそうです。
      ■         ■
 3人の子供たちは、小さい頃から、自然とハーモニーを覚え、プロとして活躍しています。
 サーカスのハーモニーは、聴く人の心に残ります。
 音楽を通じて、人の心を癒すことができるのは、素晴らしいことです。
 叶くんは、私と同じ53歳。サーカスのリーダーとして、活躍中です。
      ■         ■
 私は、高校時代は、医学部だけを目指す集団ではなく、音楽・芸術など幅広い分野を目指す生徒がいた方がよいと思います。
 札幌西高校は、札幌南高や札幌北高に比べると、医学部合格者は少なく、私も苦労しました。
 でも、卒業して35年もたったみると、私は札幌西高に入学して、ほんとうによかったと思っています。
      ■         ■
 医学部に入れば、イヤでも周囲は医者を目指す人ばかりです。
 高校の時の、友人にミュージシャンがいたりすると、自分とは関係がない領域のことを知ることができます。
 私は、医学で人を治す仕事。叶くんは音楽で人を癒し、安らぎを与える仕事です。
 2008年3月15日(土)札幌市教育文化会館の30周年コンサートへは、是非行こうと思っています。チケットはウエスで発売中です。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月23日

医学部進学

 北海道と北海道教育委員会が、医進指定校をつくる話しがありました。12月21日の日記に書いた制度です。
 私は、この医進指定校制度に反対です。
 理数系の教員を増員して受験指導を強化するのは、まだよいとしても、道内医大の協力を得て現役医大生による夏季講習を行っても合格者が増えるでしょうか?
 そもそも、地方の医師不足の原因の一つに、地方では医師の子供の教育が十分にできない?という不安があります。
      ■         ■
 札幌南高校、札幌北高校など、超一流の進学校でも、医学部現役合格は難しいのが現実です。
 札幌南は、北大医学部にたくさんの合格者を出していますが、それでも現役合格できるのは、せいぜい上位30番以内だと思います。
 地方の進学校で、北大(医)、札幌医大(医)に二桁の現役合格者を出した例は、過去にないと思います。
 それくらい医学部は難関です。
      ■         ■
 医学部を目指す受験生が、一番最後までひっかかるのが数学です。
 私も数学で落ちました。
 これは今も昔も同じようです。
 医学部に入ってからは、確率・統計くらいしか利用しない、数学が難しいのです。
 普通の高校数学レベルでは、‘絶対に’合格できないと思います。
 高校生のうちから、‘大学への数学’なんてのが、スラスラできる人は、医学部の入試も何てことはないのですが、そんな人はマレです。
 地方の高校で、北大(医)や札幌医大(医)に現役合格できるような生徒は、何か特別な教育を受けているか、生まれついての天才です。
      ■         ■
 札幌市内の進学校ですら、常に成績上位者にいなければ国公立大医学部へ現役合格は難しいのです。
 私のような、‘凡人’は、高校3年間、必死に勉強して、落ちて浪人して、予備校でわき目もふらず勉強して、ようやく合格できるのが医学部です。
 普通の高校生が、医師になりたいからといっても、‘簡単に’合格はできません。
 推薦入学やAO入試を実施している大学もあります。
 ただ、そもそも推薦をもらえるような生徒は、センター試験と入試でも合格できるレベルの人です。 そこに到達するのが難しいのです。
      ■         ■
 私は、平成10年から平成14年まで、札幌医大の教員を4年間しました。
 確かに、優秀な学生さんが多かったのは事実です。
 ただ中には、『あなた、どうして入学したの?』というような学生もいました。
 札幌医大に入ったのは、単に成績が良くて、他に行くところもなかったので、‘来てしまった’という学生がいました。
      ■         ■
 私の札幌医大の同級生は約100人です。
 それぞれが、日本中で医師として活躍しています。
 同期ではありませんが、大学の途中で退学してしまった人がいました。
 医学部の入学試験の選抜方法も難しいと思います。
 どんな小論文と面接試験をしても、本当に医師に向いた人だけを選抜するなど至難のわざです。
      ■         ■
 私の考えは、高校から医進クラスはいらないと思います。
 文系を目指す人、理系を目指す人、東大を目指す人、北大を目指す人、いろいろな生徒がいるほうがよいと思います。
 医学部の入試を易しくする必要もないと思います。
 必要なのは、地方の高校にも優秀な教員を派遣し、地方でも東大や北大に入れるレベルの高校を作ることです。
 東大に入れる生徒は、北大(医)や札幌医大(医)には入れます。
      ■         ■
 昔、札幌西高の先生が言われた言葉を覚えています。
 『私がこれから赴任する興部(オコッペ)高校は、東大に現役で入った生徒がいます』
 『君たちも、興部高校に負けないように頑張りなさい。』
 必要なのは地方でも、東大に現役合格できるレベルの高校をつくることです。医学部に特化した進学コースは不要です。

投稿者 sapporobiyou : 16:07 | コメント (0)

2007年12月22日

医師不足解消

 昔から、医学部の入学試験は難関でした。
 私が、札幌医大を目指していた昭和48年は、オイルショックや医師不足が問題になった頃です。
 その当時に発足したのが、一県一医大構想でした。
 各県に最低一つの医科大学か医学部をつくり、医師不足を解消しようという政策でした。
 四国などは、北海道より狭い地域に、国立医大が4つの各県にできました。
 一番古いのが、昭和23年設立の徳島大学医学部。
 次が昭和48年にできた愛媛大学医学部。
 昭和52年に高知医大。
 昭和53年に香川医大ができました。
      ■         ■
 昭和48年に一県一医大構想ではじめて設立された国立医大が、旭川医大、山形大学医学部、愛媛大学医学部の3校でした。
 地方の医師不足解消のために、国の肝いりで国立医大を新設したのです。
 昭和48年開学の3大学は、国会審議の遅れから、大学の入学試験があったのが11月でした。
      ■         ■
 受験資格があったのは、3月に入試を落ちて‘浪人’していた学生だけでした。
 ラッキーといえばラッキーです。
 受験できたのは、浪人生だけだったのです。
 しかも、11月に入試があったとはいえ、合格してしまえば‘現役’合格です。
      ■         ■
 私は、ちょうどその時に浪人していて、札幌予備学院の医進クラスに在籍していました。
 旭川医大を受けましたが、落ちました。
 ‘現役’最後の受験が11月にあったのです。
 この3つの新設国立医大に全国から、理系の受験生が殺到しました。
 旭川医大は、3大学の中では易しいと言われましたが、合格できたのは、来春に北大(医)が合格確実な学生でした。
 私は、旭川医大の社会科2科目という‘難関’のため、高校でまともに勉強をしなかった日本史を選択しました(高校の担任だった、日本史の藤枝先生ごめんなさい)。
 最後の現役合格は、無残に消え、また浪人に戻りました。
      ■         ■
 11月に合格が決まり、旭川教育大学の施設を借りた、仮校舎で、旭川医大一期生の勉強がスタートしました。
 確か、12月頃に入学式があり、冬休み・夏休み返上で、教育がスタートしたと聞いています。
 私が知っている人には、旭川医大に合格しながら、進学せず、翌年に北大医学部に進学した人もいました。
 現在、旭川医科大学学長になられた、眼科の吉田先生は、この優秀な旭川医大一期生です。
      ■         ■
 国はいろいろな政策を考えて、地方の医師不足を解消しようとします。
 この、一県一医大構想ができた時には、将来は医師過剰時代になり、医師の失業者がでると真剣に言われたものでした。
 いくらお金をかけて、医科大学を新設しても、入学者定員を増やしても、地方の医師不足解消にはなりません。
 地方で働くお医者さんが、自分の仕事に生きがいを持てて、働きやすい環境を作ることが大切です。
      ■         ■
 僻地医療のために設立された、自治医大の卒業生は、北海道でも確かに地域医療を支えています。
 大学医学部で、地域医療講座の担当教員となって活躍している先生にも、自治医大出身者が多いと聞いています。
 自治医大以外の政策で、僻地医療が改善したのは、あまり聞いたことがありません。
 医学部の入学定員を増やしても、入試方法を変えても、医師が地域で働きたくなるような政策がないと、地方の先生は増えません。

投稿者 sapporobiyou : 21:25 | コメント (1)

2007年12月21日

医進指定校

 平成19年12月21日、北海道新聞朝刊のトップ記事です。
 道立高に医進指定校
 地域医療担い手育成

 2009年度にも
      ■         ■
 道と道教委は20日、道内で地域医療に携わる人材を育てるため、6校程度の道立高校を指定し、高校生の医学部受験を支援する方針を固めた。
 名付けて「地域医療を支える人づくりプロジェクト」。
 北海道育ちの医学部生を増やすことで、長期的に道内の医師不足を防ぐのが狙いで、2009年度にも各校に特別コースを設ける。
 指定校では、理数系の教員を増員して受験指導を強化、道内医大の協力を得て現役医大生による夏季講習なども行いたい考えだ。
      ■         ■
 同プロジェクトによると、
 道央(石狩、後志、胆振、日高、空知)、
 道南(渡島、桧山)、
 道北(上川、宗谷、留萌)、
 釧路・根室、
 十勝、オホーツク(網走)
 の6つの圏域ごとに「医進類型指定校」を選定。
 普通科や理数科などに所属する2、3年生の医学部受験希望者を集めた特別コースを設置することなどを検討している。       ■         ■
 教員を増やして受験に必要な理数系の授業を多く選択できるようにするほか、夏休みなどに医学部生を招き直接、受験指導してもらう。
 生徒のやる気を引き出すため、病院施設見学などの場も設ける方針だ。
 また、「メディカル・キャンプ」と称する宿泊型の医学生体験も実施する。
 一方、近くに指定校がない地域の医学部受験希望者に対するフォローも検討。
 指定校と連携し、医学部見学やキャンプなどに参加できるように配慮する。       ■         ■
 本年度、道内医大に在籍している医学部生のうち、道内出身者の割合は札医大が73%のほか、北大が53%、旭医大が34%と低迷。
 地域別では、札幌を含む石狩管内出身者が3分の2を占め、医師不足で悩む地域からの医学部進学者はわずかだ。
 道教委は、高校生の進学状況にも医師不足の原因があると判断し、今回の構想をまとめた。
 道と道教委は今後、道内医大と調整を行った上で、来年一月にも具体的な内容を決定、新年度の重点事業に位置づけ、できるものから着手したい考えだ。
      ■         ■
 医師不足に長期的対策
〈解説〉
 道と道教委が打ち出した道立高校への「医進類型指定校」の設置構想は、深刻化する医師不足問題に対する長期的な対策であり、地域医療の担い手を地域で育てるユニークな試みとして注目を集めそうだ。
      ■         ■
 道内の面積当たりの医師数は全国最低で、地域別で全国平均を上回るのは、札幌などごく一部に限られる。
 道は、道外から医師の移住を募ったり、道内医学部に地域枠や奨学金を設けるなど懸命の対策を打ち続けている。
 今回の構想はその延長線上にあり、実現すれば、医学部に占める道内出身者を増やし、将来的には医師不足緩和に寄与することが期待できる。
      ■         ■
 ただ、高校生が医師として独り立ちするまでには十年以上かかるのも事実だ。
 医師不足で診療料を維持できない病院が増えるなど、道内の地域医療を取り巻く環境が深刻化しているだけに、これら人材育成策に加え、即効性のある道や国の対策も不可欠だ。(松本創一)
 (以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 私は今回の道の方針に懐疑的(カイギテキ)です。
 道が指定するまでもなく、すでに医進指定校は存在します。
 道立校で‘医進指定校’になっているのは、札幌南、札幌北です。
      ■         ■
 札幌南と札幌北で、道立高校から北大(医)、札幌医大(医)、旭川医大(医)への進学者の大部分を占めます。
 残念なことに、私が卒業した、札幌西は多くはありません。
 道南は、函館中部
 道北は、旭川東
 釧路・根室は、釧路湖陵
 十勝、オホーツク(網走)は、帯広柏葉と北見北斗
      ■         ■
 北海道内の医学部進学者は、道立高校から中高一貫の私立高校へとシフトしています。
 高校3年間にどれだけ努力しても、中学校から毎週6日間、毎日特訓した生徒にはかなわない現実があります。
 もし、道が本当に地域別の医進指定校をつくり、地域に密着させた医師を養成したいなら、地域別の入学枠を設けるべきです。
 ただ、そうすると、入学後に学力の差が目立ち、医師国家試験合格率が低下する恐れがあります。
      ■         ■
 私は、昭和49年に札幌医大に入学しました。
 私が入学した年から、入学定員が100名に増えました。
 当時の札幌医大には、道内出身者を入学定員の90%にするという不文律がありました。
 そうした、‘内規’が当時の文部省にバレて、国の補助金で運営している公立大学にふさわしくないという趣旨で撤廃されたと聞いています。
      ■         ■
 医師不足解消の妙案はありません。
 国が日本の防衛のために設立した、防衛医科大学校を卒業した‘先生’が、防衛とは関係のない‘美容外科’で活躍しています。
 これが現実です。
 医師がここで働きたいという、‘夢とロマン’のある地域医療政策を立てないと、地方のお医者さんは増えません。

投稿者 sapporobiyou : 23:34 | コメント (0)

2007年12月20日

挿管困難症例

 挿管困難症例(ソウカンコンナンショウレイ)
 医師を四半世紀以上もしていると、いろいろな患者様と出会います。
 ベテランの麻酔科医が、この人は‘絶対’に麻酔をかけたくないという人がいました。
 総合病院で全身麻酔をかける時は、一般的に筋弛緩剤という薬を使い、気管内挿管という手技で麻酔をかけます。
 簡単に言うと、薬で呼吸を止めて、その間に口から気管まで管(クダ)を入れます。
 その管から、酸素・笑気・麻酔ガスを送って、呼吸させて麻酔をかけます。
      ■         ■
 この管を入れる時に事故が起こります。
 挿管困難症例とは、アゴが小さい、首が短い、舌が大きいなどの原因で、簡単に管が入らない人のことを指します。
 私が市立札幌病院に勤務していた時に、麻酔科の先生が、この人は‘絶対’に気をつけて麻酔をかけないと危険だと言われた人がいました。
 その時の麻酔担当は、現在、北海道大学救急医学講座の丸藤哲(ガンドウサトシ)教授です。
      ■         ■
 丸藤先生が、挿管困難と言われたのは、私が記憶する限りその方だけでした。
 手術は足の手術でしたので、結局、気管内挿管はせずに手術を終了しました。
 私は手術の後で、その患者さんと奥様に、ベテランの麻酔科医でも麻酔が難しかったので、麻酔をかけたら危険ですとお話ししました。
 外国では、首からDifficult Airway(気道確保が難しい)と書かれたペンダントをかけておくと聞いたことがあります。
      ■         ■
 数年後に、その患者さんの奥さんが訪ねて来ました。
 『先生、お父さんが死んじゃったの』
 『○○病院で手術室に入っていって、バタバタとして、手術をする前に亡くなりましたと…』
 『エ~っ、まさか、どうしたのですか?』
 『先生から、麻酔をかけたら危険だと聞いていたので、病院の先生には伝えたんですが…』
 『その病院の先生は、大丈夫だと言って手術室に入ったら、それっきり…』
      ■         ■
 形成外科や耳鼻科では、アゴや首に異常がある方を手術することが多く、麻酔科医泣かせの患者様がいらっしゃいます。
 普通の方でしたら、どうってことはない麻酔でも、一つ間違うと死につながる事故になります。
 その患者様は、麻酔事故でお亡くなりになってしまいました。
 私が忘れられない患者様のお一人です。
 麻酔が難しいかどうか、麻酔をかける前に判断することが重要です。
      ■         ■
 どれだけ多くの挿管困難症例を経験したかどうかで、判断が分かれます。
 車を運転する時でも、危ない道だとわかっていれば、そこを避けたり迂回できます。
 一番危ないのは、その道が危険かどうかを判断する経験がない場合です。
 事故は思わぬところで起きるものです。
      ■         ■
 札幌美容形成外科でも全身麻酔で手術をしています。
 日帰り手術ですので、気管内挿管はいたしません。
 筋弛緩剤という薬剤も使用しません。
 全身麻酔が難しそうな方には、理由をご説明して総合病院をご紹介しています。
 手術後は、十分に回復して、歩いて帰れるまでは、院内でお待ちいただきます。
 用心しすぎて、しすぎということはありません。
      ■         ■
 麻酔は、素晴らしい技術です。
 だれでも、痛いのはイヤです。
 ただ、注意して行わないと危険なのも麻酔です。
 手術前日の、指定時刻以後は、一切食べたり飲んだりなさらないでください。
 タバコもできれば一週間前から禁煙してください。タバコで気道が荒れていると、分泌物が多くなります。
 安全に手術を行うためには、医師も患者も注意すべきことがたくさんあります。

投稿者 sapporobiyou : 23:30 | コメント (0)

2007年12月19日

救急コンビニ化

 平成19年12月18日、北海道新聞朝刊の記事です。
 明日の医療は
 軽症患者が夜、気軽に…医師疲弊
 道内救急コンビニ化
 帯広厚生病院ルポ
      ■         ■
 緊急性が低い病気やけがで夜間や休日に医療機関を受診する患者が増えている。
 本来は重篤な患者を受け入れるはずの道内十ヵ所の救命救急センターにも軽症患者が押し寄せ、医療スタッフは夜通し対応に追われている。
 24時間、365日診察してくれるという患者の利便性や安心感の裏で、救急の「コンビニ化」に苦悩する道内の医療現場を見た。
 (報道本部 渡辺玲男)
      ■         ■
 午後十時、十勝管内唯一の救命救急センター「帯広厚生病院」(帯広市)。
 救急車のサイレンとともに、転落事故で全身を打った男性が担ぎ込まれた。
 車にひかれた女性、高熱でぐったりした乳児…。6つある救急ベッドはすでに4つが埋まっていた。
      ■         ■
 精密検査や入院手続きに追われ、医師らは一息つく間もない。
 さらに待合室では4人の患者が待っていた。3つの救急電話もひっきりなしに鳴る。
 「相当待つことになると思いますが…」。緊急性が低そうな患者に看護師がやんわりと日中の受診を勧めるが、「すぐ診てほしい」という患者を断ることはない。
 午前零時すぎに一段落した後も断続的に患者は訪れ、午前5時半まで診療は続いた。
      ■         ■
 意識が変化
 命の危険がある高度な救急医療に24時間対応できる救急センター。
 同病院の昨年度の救急患者は約一万四千人で、開設した1999年度の1.5倍に増えた。
 ただ、心肺停止などの重症患者は4%の約600人。
 76%は入院の必要がないと診断された軽症で、小児科患者が四分の一を占める。
      ■         ■
 「夜間に気軽に受診する救急のコンビ二化は全道的な傾向。
 医師が疲弊してやめてしまい、医師不足のー因になっている」。
 北海道医師会の目黒順一常任理事は指摘する。
 受診者増加の背景には高齢者や共働きの増加のほか、夜でも病院に行くことをいとわない受診者側の意識変化もあるとみられる。
      ■         ■
 人手足りず 医師が100人以上いる同病院だが、夜間救急は毎晩常駐する小児科医一人を含め実質5人の当直医と3人の看護師が担う。
 6人しかいない小児科は、若い医師だと多い月は7、8回夜勤。夜に一睡もできなくても、翌日は通常勤務だ。
 日中に比べ人手が少ない夜間は検査も時聞かかかる。
      ■         ■
 「重症だと処置に数時間かかる人もいるが、患者が多く、かかりきりになれない」と当直医。
 軽症でも緊急性がないとは限らないが「夜の方が待たないから」「あす旅行に行くので、いま診てくれ」といった理由で深夜に来る患者もいる。
      ■         ■
 格差に悩む
 「共働きで日中は来られない。時間外診療を充実してほしい」と熱が出た5歳の子供の受診に訪れた主婦(35)。
 しかし、医師不足の現状では容易ではない。
 「日中のような診療を期待されても難しい」。
 一瀬広道副院長(57)は患者ニーズと現場実態の格差に悩む。
      ■         ■
 道医師会は軽い症状の場合は、日中に受診するよう促す冊子を2万部作り、9月から病院窓口などで配布している。
 ただ「患者に万が一のことがあっては…」と、受診抑制には戸惑う医療関係者も少なくない。
 患者が運び込まれカーテンで仕切られた帯広厚生病院の救命救急センターの処置室。
 医師や看護師が走り回る=午後10時30分。
 (以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 私は平成7年1月から平成10年3月まで、3年3ヵ月間、JA帯広厚生病院の形成外科主任部長を務めました。
 現在は、病床数748床、従業員数1,009名の十勝管内で一番大きな総合病院です。
 形成外科を見ても、私が在籍していた10年前より、患者数も手術件数も増加しています。
      ■         ■
 帯広厚生病院へは、北大、札幌医大などから優秀な先生が赴任しています。
 臨床研修指定病院としても、人気が高い病院で、若い先生からも人気があります。
 私が在籍していた時に、救命救急センター構想がありました。
 私も、現在使用されている救命救急センターの設計に加わりました。
      ■         ■
 私が勤務していた当時から、どの診療科もとても混んでいました。
 2時間待ちの3分診療なんて…よく非難されました。
 外来は、一応‘予約制’でしたが、予約しても2時間待ちなんてことがザラにありました。
 その理由は、再来と新患を2人で診なければならなかったからです。
 少しでも症状が重く、説明や処置にかかる時間が長くなると、たちまち‘遅れ’が出ていました。
 飛行機やJRだったら大変なことになります。
      ■         ■
 昔から、昼に行くと混んでいるから、夜に行くという人がいました。
 確かに、重症ですぐにでも手術や処置が必要なこともありました。
 緊急手術も何回もしたことがあります。
 お母さんが、遠慮がちに、『いただいた坐薬で熱が下がらなく、ぐったりしてきたので心配で…』と電話をいただいたこともありました。
 小児科の先生が、診察し検査したところ、脳に異常があったケースでした。
 一概に、救急を受診するなとは言えませんが、コンビニと救命救急センターが違うことは理解していただきたいと思います。

投稿者 sapporobiyou : 21:36 | コメント (0)

2007年12月18日

再生請負人

 平成19年12月15日、朝日新聞朝刊のbe on Saturday Businessの記事です。
 フロントランナー
 ケンウッド会長 河原春郎さん(68歳)
 「再生請負人」次の一手は?
      ■         ■
 ケンウッドと日本ビクター。オーディオファンなら誰もが知る名門2社が2008年、経営統合に踏み出す。
 人懐っこい笑顔を浮かべるこの人が、業界再編の口火を切った統合劇の立役者だ。
 「日本の専業メーカーが勝ち残るには大同団結しかない」。
      ■         ■
 韓国や台湾との価格競争、デジタル化で膨らむ開発費。規模のメリットを出せない中堅メーカーは剣が峰だ。
 重複する事業が多いビクターには2年前にも協業を呼びかけていた。
 昨秋からの統合交渉。資金力に勝る米系ファンドが優勢になっても「志は変わらない」と言い続けた。
      ■         ■
 再生への確信は関係者を動かす。共同開発に向けて両社で立ち上げた新会社の発足式で、技術者130人にこう呼びかけた。
 「力を結集して強い製品を作り、カーマルチメディアで世界一をめざそう」
 7月の提携発表から2ヵ月後、シャープとパイオニアも資本・業務提携を発表した。
      ■         ■
 社長に就いた2002年は「不良債権処理の嵐」の真っただ中。
 銀行はバブル期の貸付金の回収に走り、ケンウッドも170億円の債務超過で会社の存続さえ危ぶまれていた。
 そこで講じたのが債務を株式に変える金融手法。会社が再生すれば株価は上がり債権者も利益を得る。
 同時に増資もして資本を増強、工場集約などを一気に進め、1年で過去最高益を達成してみせた。
      ■         ■
 国内で前例のなかった財務テクニックは、日本長期信用銀行を買収した外資系ファンドのリップルウッドで学んだ。
 東芝の役員を引退後、「米国のお金で日本を再建できるなら」と転身。
 日本コロムビアの買収を担当し、音響部門デノンと日本マランツとの統合を指揮した。
 ビクターヘの出資にも応じた筆頭株主スパークス・グループの阿部修平社長は「決断は速く、迷いがない。彼になら任せられる」と全幅の信頼を寄せる。
      ■         ■
 「再生請負人」は名うての工ンジニアでもある。東芝時代に開発した発電所の自動制御システムは今も現役だ。
 技術者の視点はケンウッド再建でも生かされ、「何でもアジアが安いというのは間違い」とMDプレーヤーの製造をマレーシアから山形の工場に移した。
 向こうで22人かかった工程を熟練工が4人でこなし、不良率は激減。製造業の国内回帰のお手本になった。
 金融も技術もわかる「ハイブリッド経営者」は時代の要請ともいえる。
      ■         ■
 本業と並んで大切にしている活動がある。
 「ベンチャーを支援するベテランの会」。
 熟練経営者たちが起業家の事業発表を聞いて助言や指導をする会に、2001年の発足時から加わる。
 2005年にはロボット制作会社の技術支援を引き受けた。
 3人しかいない「音質マイスター」の一人を派遣し、動いて踊る音楽プレーヤーを共同開発した。
      ■         ■
 ベンチャー支援も企業再生も、思いを支えるのは次世代への責任だ。
 「高度成長の成功体験を忘れられない僕らがバブルを招いた。
 その負の遺産の始末もせずに若い世代の世話になるわけにはいかない」。
 日本の専業メーカー再編を「最後の仕事」と任じている。
        文・後藤絵里。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 原油が値上がりして、灯油やガソリンが値上がりしています。
 好景気が実感できない北海道で、ますます景気が悪くなってきています。
 病院や診療所などの医療機関も、経営困難になっているところが出てきています。
      ■         ■
 私は、朝日新聞のフロントランナーが好きです。
 再建外科という、医学の中でも特殊な外科を担当していたためか、企業の再建にも興味があります。
 私はオーディオファンではありませんが、ケンウッドのステレオを持っていました。
 トリオの時代から、良い音で有名でした。
 ビクターもVHSのビデオを開発した技術力がある企業です。
      ■         ■
 どんなに良い技術を持っていても、良い音が出せても、油断していると企業の存続が危ぶまれる時代です。
 ファンドや投資機関のお金の行方で、世界経済が変わり、あっという間に不況になることも考えられます。
 年金問題のためか?福田内閣の支持率も下がっているようです。
 このケンウッドの河原さんのような方が、日本という国を再生して欲しいと思います。
 国民が安心して暮らせる国、安心して老後をすごすことができる国に、誰か再生して欲しいと願っています。

投稿者 sapporobiyou : 23:47 | コメント (0)

2007年12月17日

廃用性萎縮

 廃用性萎縮(ハイヨウセイイシュク)と読みます。
 筋肉を使わないと、衰えて(オトロエテ)筋肉が細くなることです。
 たとえば、足を骨折したとします。
 骨折したら骨がくっつくまで、ギプスで固定して動けません。
      ■         ■
 骨折の程度にもよりますが、数週間、ギプス固定をしていると、確実に足が細くなります。
 だからといって、わざと足を折ったりしないでくださいね。
 これは筋トレの逆です。
 ボディビルまでしなくても、筋トレをすると、筋肉がついて筋肉隆々になります。
 使わないと、筋肉は衰えます。
      ■         ■
 この廃用性萎縮を利用して、小顔にするのが、えらボトックスです。
 硬いものを噛む癖のある人。
 スポーツなどで奥歯を噛みしめる癖のある人。
 噛み合わせが悪く、いつもどちらか片方で物を噛む人。
 硬いものが好きで、いつでも噛んでいる人。
 こういう人は、知らず知らずのうちに、咬筋という筋肉の筋トレをしていることになります。
      ■         ■
 毎日まいにち、噛み続けていると、噛む筋肉=咬筋(コウキン)がボディビルをしたように発達してしまいます。
 耳の前に手を当てて、奥歯をグッと噛みしめてください。
 骨の上で、ボコっと膨らんだのが咬筋です。
 咬筋が発達していると、どんなに体重を落として痩せても、ホッペだけ小顔になりません。
      ■         ■
 片方だけ、咬筋が発達してしまった病態(ビョウタイ)を片側咬筋肥大症(ヘンソクコウキンヒダイショウ)といいます。
 大学病院に勤務していた時に、口腔外科(コウクウゲカ)の先生と一緒に咬筋を減らす手術をしたことがあります。
 入院手術をしましたが、術後は逆に悪くなった?と思うほど腫れます。
 手術で咬筋を取ると、腫れがとれるまでに数ヵ月はかかります。
      ■         ■
 えらボトックスは、耳の前に少量の注射をするだけです。
 ボトックスを注射すると、神経から筋肉へ‘収縮しなさい’という‘信号’が伝わらなくなります。
 信号が伝わらないので、筋肉は筋トレをお休みします。
 噛む力が弱くなりますので、硬いものが食べたくなくなります。
      ■         ■
 注射して、数週間もすると、噛んでも筋肉がポコっと膨らまなくなります。
 耳の前で膨らんでいた筋肉が薄くなると、小顔になってきます。
 残念ですが、ボトックスは筋肉だけに効き、脂肪には効きません。
 えらボトックスが効くのは、咬筋が発達している方だけです。脂肪には効きません。
      ■         ■
 ボトックスが効いているのは、約6ヵ月間です。
 ボトックスの効果が弱くなってきた時に、また‘筋トレ’をすると、筋肉は発達してしまいます。
 噛み合わせの異常など、歯科的な問題がある方は、矯正歯科をご紹介しています。
 外国では、ボトックスを‘歯ぎしり’の治療として行うこともあるそうです。
 小顔になりたい方は、一度相談にいらしてください。
 顔の脂肪には、カボメッドも効果的です。
 カーボメッドは無料お試しもできます^^♪

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月16日

未受診妊婦

 平成19年12月16日、北海道新聞朝刊の記事です。
 未受診妊婦の1割飛び込み出産経験
 費用未払いは4割 医師調査
      ■         ■
 妊婦検診をほとんど受けないまま、出産時にいきなり病院に来る「未受診妊婦」の一割強は、過去にも飛び込み出産したことのある″リピーター″だったことが15日までに、日本産婦人科医会広報委員の前田津紀夫医師の調査で分かった。
      ■         ■
 また、医療費未払い率も4割に上り、同医会は「未受診は母子のリスクが高いだけでなく、(医師や病床などの)医療資源を浪費することになり、社会的にも問題」としている。
      ■         ■
 調査は、未受診妊婦に関する過去の文献と、静岡県内の五施設の受け入れ状況調査を合わせ、計586人分について分析。
 未受診妊婦は年々増える傾向にあり、対象のほとんどは最近5年以内の事例だった。
      ■         ■
 未受診者の妊婦全体に占める割合は、0.2~2%。年齢は10代が14%、20代が43%、30代が40%。10代は、日本の妊婦全体では2%にすぎず、率の高さが目立つ。
      ■         ■
 10代の初産婦が多い一方、出産4回目以上の人の割合も16%(全体1%)と高かった。詳しく調査できた291人のうち、12%に当たる三十六人は過去にも飛び込み出産していた。
      ■         ■
 入院費は40%が未払い。隣接する公立病院をはしごして、飛び込み出産と未払いを繰り返す例もあるという。
 15%は病院に到着する前に路上や車中で出産。妊婦が死亡したケースは8%で、全体の16倍の高率だった。未熟児の割合も、全体の4倍近い33%に上った。
 (以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 15%が病院へ到着する前に路上や車中で出産とは驚きです。
 このような出産を墜落分娩といいます。
 おしっこやうんこがガマンできなくて、トイレに行く前に‘出ちゃった’のとはわけが違います。
      ■         ■
 また、妊婦が死亡したケースが8%というのにも驚きました。
 12.5人に一人が亡くなるのはかなりの高率です。
 以前から書いていますが、妊娠・出産は‘簡単’なものではありません。
 昔から、安産の神様がいるのは、それだけ安産でない人が多かった理由です。
 ですから、安産の神様やお守りがあるのです。
      ■         ■
 私は産婦人科が専門ではありませんが、医師の一人として、妊婦健診はしっかり受けていただきたいと思います。
 ‘デキ婚’は仕方がないとしても、安易に堕胎を繰り返すのは避けるべきです。
 性感染症で不妊症になる方もたくさんいらっしゃいます。
 女性のクラミジア感染は、自覚症状が乏しく、自分が原因となって知らない間に感染を拡大していることもあります。
 少子高齢化社会を迎え、日本はこのままだと滅びます。自分の身体を大切にして、丈夫な赤ちゃんを産んでください。

投稿者 sapporobiyou : 17:30 | コメント (0)

2007年12月15日

まな板の鯉

 医師にとって、医師本人や医師の身内を治療するのは、ストレスなものです。
 相手は、同じ業界で生計を立てているプロです。専門が違っても、医療の裏も表も熟知しています。
 私の父を治療していただいた、長岡康裕先生にもご苦労をおかけしました。
      ■         ■
 私の父が受けた治療は、経皮経肝的胆嚢ドレナージ(PTGBD)という治療です。
 一般的な、治療説明・同意書には次のように書いてあります(高知医療センターHPから引用:()内の注釈は私が追記)。
      ■         ■
1.現在の病状と処置・検査・治療の必要性について
 原疾患(ゲンシッカン=もともとの病気の意味)により胆嚢管(タンノウカン)の狭窄・閉塞(キョウサク・ヘイソク=細くなりつまること)が生じています。また胆嚢炎があります。
 このような状態を放置すると敗血症(ハイケツショウ=からだ中にバイ菌が回ってしまう病気)を合併し、全身状態の悪化が起こり致命的(チメイテキ=死んでしまうこと)ともなりかねません。
 そこで胆嚢にたまっている胆汁を体外に放出することにより胆嚢炎の治療を行います。
2.処置・検査・治療の方法
 この治療は局所麻酔で行います。超音波でみながら胆嚢を穿刺(センシ=刺すこと)し、ドレナージチューブ(膿を出す管のこと)を留置します。
3.処置・検査・治療に伴う合併症と危険性、および緊急時の処置について
 頻度的には非常にまれなものも含めて、以下のような合併症の可能性があります。
 現在の疾患の治療の上で必要な検査、手技です。緊急時の処置は勿論万全を期して施行しますので、ご了解下さい。
 1:局所麻酔薬(キシロカイン)に対するアレルギー
 2:反応穿刺に伴う合併症として、穿刺部の血腫形成、肝臓からの出血、感染、等
 3:胆嚢を傷つけることにより、胆汁が腹腔内に漏れだし胆汁性腹膜炎を起こす場合があります。
 内科的治療で軽快しなければ外科的手術(胆嚢摘出および腹腔ドレナージ)が必要となります。
 4:肺の近傍を穿刺することによる気胸。程度によっては胸腔ドレナージが必要となります。
 5:ドレナージチューブが抜けたり,つまったりした場合には交換が必要となります。
(以上、高知医療センターHPから引用)
      ■         ■
 ベテランの先生がすれば合併症も起こさずに済む治療ですが、時には思わぬことが起こる場合もあります。
 特に高齢者の場合は、いつ何が起こるか予測がつきません。
 治療を受けた父は、おそらく同意書にサインしていると思います。
 合併症の危険があろうと、耐えられない激痛を一刻も早く取り除いて欲しいというのが切実な願いです。
      ■         ■
 私は自分が治療を受ける時も、身内が受ける時も、いつも次のように言っています。
 『どんなことがあっても、絶対に文句は言いません』
 『どうか治してください』
 『お願いします』
 言われる方の立場としては、これも結構なプレッシャーです。
      ■         ■
 医師も経験を積んで、立場が上になるほど、ストレスの多い治療を引き受けることになります。
 治療は人間がやる人間相手の仕事です。一つとして同じ治療はありません。
 どんな治療や手術にもリスクはあります。
 植皮術などは、今でも100%成功させるのは至難のわざだと思っています。
      ■         ■
 札幌美容形成外科には、たくさんの医療関係者の方がいらしてくださいます。
 私はどんな方の手術でも、自分の身内や‘お医者さん’だと思って治療しています。
 どんな手術や治療でも緊張して施術しています。
 自分を信頼して、治療を受けてくださっている方に、いい加減なことはできません。
      ■         ■
 自分が信頼されていないかなぁ~?と感じた時には、手術をお断りすることもあります。
 幸い、形成外科や美容外科には緊急性がある治療は多くはありません。
 自分が信頼できて、心から『お願いします』と言える先生を見つけてくださいとお伝えします。
 ちょっと偏屈な医者だと非難されることもありますが、これが私の考えです。
 私は自分が手術を受ける時には、慎重に‘先生’を選んで、まな板の鯉(コイ)になります。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月14日

膿を出す

 私の父は大正15年3月生まれです。満81歳になります。
 その81歳の父親が平成19年12月12日(水)に入院しました。
 入院する数日前からお腹の調子が悪く、近所の内科で点滴をしてもらっていました。
 点滴をしても快くならず、12日(水)に札幌市手稲区の稲積公園病院に入院させていただきました。
      ■         ■
 13日(木)の午前中に見舞いに行きました。
 すっかり憔悴(ショウスイ)して、
 「もう死ぬかもしれない」
 「昨夜は痛くて、一睡もできなかった」と言っていました。
 入院時検査で、白血球数が2万。CRP(シーアールーピー)という炎症反応を示す数値が13。
 かなり重症の感染症でした。
      ■         ■
 病院で検査していただいたところ、見つかったのが急性胆嚢炎でした。
 急性胆嚢炎は、胆石という石が原因で起こることが多い病気です。石がない場合もあります。
 胆嚢炎の痛みは、激痛といわれています。
 父が一睡もできない位、痛かったというのも無理はありません。
      ■         ■
 病院で検査しても、胆石は見つからなかったそうです。
 13日に見舞いに行って、院長の松嶋喬先生と主治医の長岡康裕先生からお話しを伺いました。
 炎症が強くなり、白血球が3万、CRPも亢進(コウシン)しているので、胆嚢に針を刺して膿を抜くことになりました。
      ■         ■
 エコーという超音波でガイドしながら、腫れている胆嚢に針を刺します。
 局所麻酔をして、お腹に針を刺します。
 ちょっと怖い気がしますが、このまま放置すると生命に危険が及ぶ可能性があります。
 父の病状を考えると最適な治療です。
 担当の長岡先生にお願いして13日の午後に行っていただきました。
      ■         ■
 13日の夜に、再度見舞いに行きました。
 午前中に「もう死ぬかもしれない」と言っていた父は、すやすやと眠っていました。
 私たちが行くと目を覚ましました。
 父親は、痛みがなくなって元気になっていました。
 「いゃぁ~、痛みが楽になって、もう天国だ!」と言っていました。
      ■         ■
 おいおい、じいちゃん!
 「死ぬかもしれない」と言っていた人が、いきなり天国じゃ、神様もびっくりするぜ。と思わず言いそうになりました。
 点滴を交換してくださっていた、優しい看護師さんが、
 「本間さん、天国へ行ったように楽になってよかったですね」と声をかけてくださいました。
 急性胆嚢炎の痛みは、尋常ではないくらい、強いものだとわかりました。
      ■         ■
 稲積公園病院は肝臓病の病院として有名です。
 院長の松嶋喬先生は、北大第三内科の助教授から、市立函館病院院長を歴任された、肝臓病の大家です。
 私が北大形成外科に勤務していた時にも、肝臓病を患った患者様を形成外科病棟まで往診してくださいました。
 現在は、特定医療法人カレスサッポロの一つとして、地域医療に貢献されています。
      ■         ■
 “膿(ウミ)を出す”という言葉があります。
 外科の基本に切開・排膿という手技があります。
 皮膚にニキビができると、赤く腫れて触ると痛くなります。
 ひどくなると、直径が1㎝近くまで赤くなることもあります。
 ニキビをつぶして上手く膿が出て、ニキビの芯がでると炎症がおさまります。
      ■         ■
 ニキビですら、痛くなるのですから、胆嚢がパンパンに腫れて膿がたまると、死ぬほどの痛みが出ます。
 たまった膿を出して、腫れた胆嚢が縮むと痛みがウソのように楽になります。
 父の場合は高齢でもあり、また膿がたまる可能性もあります。外科的な手術が必要になることも考えられます。
 それでも、痛みをとっていただき、夜に眠れるようにしていただいただけでも感謝かんしゃです。
 長岡先生、ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 23:58 | コメント (0)

2007年12月13日

生態系からとらえた企業戦略

 今日は北海学園大学経営学部・大学院経営学研究科 ニトリ講座寄附講座、2007年度・後期講座の最終回へ行ってきました。
 今日の講師は、株式会社アレフの庄司昭夫社長でした。テーマは生態系からとらえた企業戦略
 株式会社アレフはビックリドンキーで有名な企業です。
 庄司社長は、環境問題に早くから取り組んでいらっしゃいました。
      ■         ■
 レストランで発生する生ゴミのリサイクル。
 雨水を貯水タンクを設置して、トイレの流し水に使用。
 ソーラーパネルや廃油ボイラーなどを早くから導入。
 企業として環境問題に積極的に取り組んでいます。
      ■         ■
 アレフは食材の生産から消費までの流れの中で、安全・安心へ取り組んでいます。
 その取り組みが、自然環境の保全に役立ち環境を守ります。
 人間の食物は、太陽・大地・空気・水がつくりだした自然の恵みです。
 自然を大切にする環境への取り組みは、人間の生命・健康に直結します。
      ■         ■
 アレフの2006年度、環境報告書から、
 水資源の枯渇と生態系に及ぼす影響、環境問題についてご紹介します。
      ■         ■
●水資源の枯渇
 トウモロコシ1㎏を生産するのに、約1100㎏の水が必要とされます。
 そのためアメリカの穀倉地帯といわれるコロラドやカンサスなどでは、以前から川の水枯れや地下水の枯渇が問題になっていました。
 トウモロコシの増産は、この傾向にさらに拍車をかける心配があります。
 2000年時点で地球上の約5億人の人ぴとが慢性的な水の不足に悩まされています。
      ■         ■
●生態系に及ぼす影響
 単一作物による大規模な農業は、それだけで生態系のバランスを崩す怖れがあります。
 しかも、栽培されるのは、環境リスクの点でも疑問の多い遺伝子組み換えトウモロコシです。
 トウモロコシ畑をつくるために、また中南米の森林が伐採されれば、森林のもつCO2を吸収し、酸素をつくりだす機能が損われます。
 もちろん、森林に生きるさまざまな生きものも、その場所を失います。
      ■         ■
●不足する食糧とエネルギー
 現在、世界で約8億5000万人の人ぴとが飢えや栄養不足に悩んでいます。
 毎日2万人以上の子供たちが、栄養不良やそれに関連する病気などで死んでいます。  世界の穀物生産量は2000年に消費量を下回り、年とともにその差が開いています。
 食糧となりうるトウモロコシをエネルギーに変えなければならない必然性にも疑問が湧きます。
      ■         ■
●環境問題の現れ方と本質
 環境問題には3つの特徴があります。
 ①長い時間をかけて進行し、結果として広範囲で多様な被害を生じさせる
 ②個々の問題が環境や経済を通して繋がっていて“で問題群”をかたちづくっている
 ③因果関係がまだ科学的に解明されていない問題が多い
 これらが環境問題を難しく、複雑にしています。
      ■         ■
 しかし地球は―つしかなく、その資源や自然の機能にも限りがあるという事実は変わりません。
 すべての経済活動も、突き詰めれば、地球の一部を加工したり、その機能を利用したりして人間の暮らしに役立てていることになります。
 たとえぱ森林の二酸化炭素を吸収し、酸素をつくりだすという働きを人工的に行うとして、その費用はいくらになるのでしょう。
 このような考え方で地球上のすべての価値を金額に検算するすることができます。
 この、地球の価値は、この先減ることはあっても決して増えることはありません。
      ■         ■
 農業の時代、一人あたりの1日のエネルギー消費量は釣1万2000kcal程度でした。
 しかし産業革命を節目にして、いまでは25万kcalにまで増えています。
 このままでは、地球も人間の社会も近い将来に破綻してしまうことは明らかです。
      ■         ■
 環境問題への取り組みには、つねに難しさがつきまといます。
 しかし、大きくて複雑な問題への取り組みこそ、私たちの生き方や社会、そして文明を前進させるチャンスだと思います。
 さまざまな試行錯誤や模索を怖れず、勉強を重ねながら、取り組んでいきたいと考えています。
 (以上、㈱アレフ2006年度環境報告書より引用)
      ■         ■
 今年の日本をあらわす漢字は『偽』だそうです。
 これほど食品の偽装が問題になった年はありませんでした。
 今日のお昼は家内とびっくりドンキーへ行きました。
 日替わりランチが一人\617で、二人で1,234円でした。美味しいお味噌汁がたっぷりついていました。
 今日の日替わりランチにも、新鮮な野菜とハンバーグがついていて、ご飯もとても美味しかったです。
      ■         ■
 自然を大切にして、自然と共存して、安全・安心して食べられる食材を入手する。
 企業が儲かるとか、売上がいくらではなく、いかに社会に貢献できるか、地球に優しいかで企業価値が決まる。
 これが64歳になられる庄司社長からのメッセージでした。
 庄司社長も小学生の時は成績が悪く、いつもビリかビリから2番目だったそうです。
 ビリを争ったのがミノル君だったとお話しされました。
 この他にも中国の仙人のお話しとか、陰と陽のお話しなどためになるお話しがたくさんありました。
 私たちも限りある地球の資源を大切にして、毎日生活したいものだと考えました。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月12日

診療情報管理士

 平成19年12月11日(火)朝日新聞朝刊の投稿-私の視点-からの引用です。
 ◆カルテ 長期保存支える体制整備を
 診療情報管理士 枝光 尚美(エダミツ ナオミ)
      ■         ■
 山口普史氏の「カルテ長期保存し診療に生かせ」 (11月2日付本欄)を興味深く読ませていただいた。
 そのなかで山口氏はカルテなどの診療録が廃棄される背景として、医療紛争の増加に伴い診療録が裁判に使われる心配があるためと指摘されていたが、私の意見は少し違う。
      ■         ■
 医療機関が診療録を廃棄しているのは、来院しない患者の診療録を管理するために膨大な費用が必要で、保管場所の確保が困難なこと、法的にも長期保存が求められていないことが主な理由であると考える。
      ■         ■
 私が勤務する大阪府内の医療機関の医師は、自分たちの行った先進的な医療には数十年後にならないと評価できない場合があり、その評価を終えるまで診療録の廃棄はあってはならない、という。
      ■         ■
 実際に、薬害エイズやC型肝炎の原因となった血液製剤使用の確認では、医師法で保存が義務付けられている5年間を過ぎた問い合わせが相次いだ。
 その際、多くの医療機関で診療録が廃棄されていたために使用の有無の確認ができない事例が発生した。
 過去の診療録は、山口氏が述べておられるとおり、患者さん個人だけでなく国民の財産であることは明白である。
      ■         ■
 私の勤務先では、開院以来26年間すべての診療録が保存されている。開院後18年目に保管庫の確保が困難となったため、過去の記録の廃棄を検討したが、診療録の長期保存は、患者さんはもとより日本の医療の質向上のために不可欠であると判断し、スキャナーで読み取りデジタル化して保存するようになった。
      ■         ■
 しかし、このように長期保存をしても、診療報酬上の評価はほとんどない。いまの診療報酬制度では、診療情報を適切に管理している施設に対し、1入院につき30点(300円)の加算が認められているのみ。診療録は各医療機関の使命感によりかろうじて残されているのが現状だ。
      ■         ■
 私は今年6月、韓国の先進的な病院を訪問する機会があった。そこでは1958年の開院以来、過去の入院診療録約100万件をすべてデジタル化して保存しており、診療録管理室には約50人のスタッフが配属されていた。
 日本の医療機関でもここ数年、診療情報管理の必要性についての認識は高まっているものの、配置されている診療情録管理士は、まだまだ少ない。
      ■         ■
 診療情報管理士は一般には知られていない職種だが、1972年から養成が始まり、これまでに約1万4千人が誕生している。
 診療録を点検して記載の不備があれば医師や看護師に要請して、きちんと完成してもらうとともに、診療が終わると迅速に回収し、保管・管理にあたるのが仕事だ。
 貴重な臨床経過であっても、記録が不完全であれば、たとえ長期間保存しても将来、患者さんや医療の質向上には利用できない。
      ■         ■
 これら貴重な診療情報を社会に還元させるためには、長期保存を支える診療報酬上の評価を行うとともに、適切な診療録を作成できるような体制を整備するため、医療機関への診療情報管理士配置を義務付けることが望まれる。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私が今までに勤務した病院の中で、一番診療録(カルテ)の管理がしっかりしていたのが、労災病院でした。
 当時の労災病院は、労働福祉事業団という労働省の外郭団体が経営していました。
 北海道の労災病院は、岩見沢、美唄、釧路と産炭地に建設されました。
 産炭地では、珪肺症(ケイハイ)など、長期にわたって治療や経過観察が必要な疾患があります。
 労災では、必ず補償が絡むため、診療録の長期保存は必須です。
      ■         ■
 労災病院には、ベテランの診療情報管理士がいらっしゃいました。
 恥ずかしい話しですが、医学生はあまりカルテの記載方法について学びません。医師国家試験にも出題されません。
 偉い先生が書かれたカルテでも、ミミズが這ったような字で、何が書いてあるかさっぱり解読不可能なものもありました。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、私が医師になった頃の最初の仕事は、カルテに検査伝票を貼る、‘紙貼り’という単調な仕事でした。
 糊のつけ方が悪いと、カルテがくっついてしまいます。貼り方が悪くて先輩によく叱られたものです。
 内科では、患者さんが退院する時に、サマリーというまとめを書きました。これが結構厄介で、レポートとしてまとめるのが学生の勉強の一つでした。
      ■         ■
 労災病院では、カルテがしっかり書かれていないと、診療情報管理士(当時はカルテ室と呼んでいました)からお呼びがかかり注意を受けました。
 医師といえども、注意されたらしっかり書かなくてはなりません。注意していただいたおかげで勉強になりました。
 私どもの診療所を含めて、これからの時代は電子カルテだと思います。電子化なくしては、カルテの長期保存は不可能です。
      ■         ■
 電子カルテと診療報酬請求書(いわゆるレセプト)をドッキングさせたシステムが必要です。
 できればフォーマットを決めて、医療機関同士がお互いにファイルを交換できるようなシステムが望ましいと思います。
 こういう仕事は国が率先してして欲しいのですが、日本の厚生労働省では無理なようです。

投稿者 sapporobiyou : 23:44 | コメント (0)

2007年12月11日

医療クラーク

 平成19年12月10日(月)朝日新聞夕刊のコラム-窓 論説委員室から-の引用です。
 医療クラーク 論説委員 梶本 章
      ■         ■
 医師にかわって、診療や患者への説明の記録といった書類を下書きする「医療クラーク」を導入してはどうか―。
 診療報酬の改定を議論している中央社会保険医療協議会で、厚生労働省がこんな方針を示している。
      ■         ■
 医療費の抑制に大なたをふるう同省にしては、珍しく、新たな費用を伴う提案だ。
 そのねらいは、病院からの医師離れ対策。
 猫の手も借りたいくらい忙しい勤務医の負担を少しでも軽くし、病院にとどまってもらおうというのだ。
      ■         ■
 たしかに医師の書く書類は多い。
 知人の勤務医は「毎日2時間くらい、診察が終わったあと、夜なべしていろいろな書類を書いている」という。
 医師が患者に診療内容をきちんと説明して同意を求める。
 このインフォームド・コンセントの導入が、書類を増やした大きな原因だ。
 この制度自体は当然のものだが、書類書きが医師の負担となっているのも否めない。
      ■         ■
 すでに、自腹を切って医療クラークを採用する病院は出始めている。
 「予算をやりくりして35人分の人件費をひねり出してます。
 きちんと保険制度の中で負担してもらえればありがたい」
 3年前から導入した東大病院の前院長、永井良三さんはそう語る。
      ■         ■
 医師には、専門分野でこそ思う存分、腕をふるってもらいたい。
 この小さな試みがどこまでのびるのか、注目していきたい。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 まったく同感です。大病院では、病棟の看護師を増やすと収入増になりますが、外来の看護師を増やしても収入増になりません。
 医師は外来で、朝から夕方まで、昼食も食べずに悪戦苦闘の毎日です。
 電子カルテになった病院では、PCに入力するのもすべて医師の仕事。
 音声入力システムがあればよいのに…と思ったことは何度もありました。
 システム障害が発生して、外来の端末から入力できなくなるとすべてパーです。
      ■         ■
 お薬を処方して処方箋を渡し、次回受診日の予約をとって、『はい、次の方どうぞ!』まで自分でしなくてはいけませんでした。
 一人にとってある予約時間は、平均10分から15分。ちょっと説明に手間取る方が出てきて、丁寧に30分も説明すると、途端に次の方の待ち時間が増えます。
      ■         ■
 お昼近くに予約になっていた方は、平均1時間待ちになり、『何のための予約診療?』と患者様からお叱りを受けます。
 医療クラークさんが、PCの入力や予約をしていただけるだけでも、病院勤務の医師はかなり楽になると思います。
 よい制度は一日も早く実行していただきたいものです。

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2007年12月10日

看護基準

 病棟に勤務する看護師さんの数によって、病院のランク付けがされています。
 患者さん一人当たりに対して、看護師さんの数が多いほど‘良い病院’と判断されます。
 厚生労働省が決めた看護基準です。
 2006年3月6日に出された、厚生労働省告示第93号(基本診療料の施設基準等)で国の基準が変わりました。
      ■         ■
 7対1入院基本料の施設基準というのが、国が決めた新しいルールです。
 ‘良い病院’にはご褒美として、たくさんお金が配分されます。
 診療報酬という病院の生命線ともいえる収入が、看護師の数によって決まります。
      ■         ■
 病院はホテルと同じで、患者さん一人当たり、一日いくらで入院費が支払われます。
 ホテルは☆の数で、ランクや料金が決まるそうですが、病院はいくら豪華に作っても料金は値上げできません。
 同じ病院の建物・設備でも看護師の数を増やすと、一日の入院費を増やしますというのが、厚生労働省が決めた方針です。
      ■         ■
 簡単に説明すると、看護師の数を増やすと、一日12,090円だった入院費が、15,550円に増えます。(一人当たり3,460円の増収になります)。
 病棟単位で計算するので、病棟の入院患者が50人だったとすると、一年で、
 3,460円×50人×365日=63,145,000円の増収になります。
      ■         ■
 看護師さんの人件費が増える分を差し引いても、病院は十分に‘儲かります’。
 これで、大学病院や公立病院も、なりふり構わず看護師を大量に募集しました。
 その結果、大病院に看護師が集まり、民間の中小病院や私たちのような診療所は看護師不足になりました。
 ある先生が、昨年から看護師を募集しても一人も応募がなかったと話されていました。
 当院はまだ応募者があるので、ありがたいと思っています。
      ■         ■
 ある大病院では、病棟の看護師が20人から30人に増えたそうです。
 しかし、その増えた10人が全員新人看護師。
 一番人件費が安いのが、卒業したての‘新人看護師’です。
 専門学校を卒業した看護師も大卒の看護師も、卒業したてでは何もできません。
      ■         ■
 医師も看護師も、現行法の下では、免許証を取得するまでは針一本刺せません。
 新人看護師は1~2週間の研修期間に針を刺す‘特訓’を受けます。
 静脈内留置針という点滴の針は、もっと難しいので、ベテランに付き添われて刺します。
      ■         ■
 4月~6月くらいまで、大病院へ入院すると、新人看護師の練習台になることを覚悟する必要があります。
 30人中10人が新人となった病棟は、当然、最初は看護の質が低下します。
 夜勤ができるようになるまで、最低数ヵ月。リーダーとして、チームをまとめられるようになるには最低一年近くかかります。
      ■         ■
 30人中10人が‘新人看護師’でも、国が決めた看護基準は満たされています。
 人件費が安く、収入が増えるので、その病院は潤います。
 これが、厚生労働省が決めた‘医療制度改革’です。
 だから私は厚生労働省が嫌いです。
      ■         ■
 保険診療をしていると、医療保険制度の矛盾を身にしみて感じることがあります。
 国民は、年金問題で相当頭に来て、選挙で自民党が大敗しました。
 医療は、国民が健康で文化的な生活を営むためになくてはならない制度です。
 厚生労働省は、もう少し国民のためになる政策を立案し実行して欲しいものです。

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2007年12月09日

老舗の信用と「茶の心」

 平成19年12月9日(日)朝日新聞朝刊のコラム-補助線-からの引用です。
 船場吉兆を読み解く
 老舗(シニセ)の信用と「茶の心」
 編集委員 多賀谷克彦
      ■         ■
 大阪のビジネス街にある湯木美術館が11月、開館20周年を迎えた。
 日本料理店「吉兆」の創業者、故湯本貞一氏(1901~97年)が集めた茶道具を展示している。
 春、秋の一時期しか公開せず、今回は今日9日まで20周年の記念名品展が聞かれている。
      ■         ■
 湯木氏が大阪・新町の間口1間2分5厘(約1.8㍍)の店を、日本を代表する料理店に成長させたのは、この茶道への造詣が大きい。
 料理に四季を織り込み、創意工夫を重ねた。
 阪急電鉄の小林一三氏、電力の松永安左工門氏ら茶道を通じた財界の重鎮との親交も評価を高めた。
      ■         ■
 貞一氏の四女の娘婿、神戸吉兆の湯木喜和氏は貞一氏が店に来た時の緊張感が忘れられない。
 皿を出すと「もう1回つくってきて」。
 お造りを出すと「まな板と包丁持ってきて」。
 出来が悪かったときの口癖だ。
 座敷の生け花がおかしいと「はさみと新聞紙を持ってきて」と生け直し、茶道と同じくもてなしの心を示してみせた。
      ■         ■
 「料理屋とできものは大きいなったらつぶれる」
 「料理屋と屏風は広げすぎたら倒れる」
 喜和氏は、貞一氏からよく聞かされた。
      ■         ■
 フランス料理の辻静雄氏との対談をまとめた「吉兆料理花伝」では、
「質素から出た仕事じゃないといけません。華美に流れるともう上に花が無くなります」
 と料理人の心得を語っている。
      ■         ■
 5人の子どもたちの中では、船場吉兆を継いだ三女の娘婿が貞一氏と近く、よく教えを請う間柄だったという。
 その船場吉兆が、百貨店のテナントとして、菓子の賞味期限、消費期限を偽装したり、牛肉の産地を偽ったりする不祥事を起こした。
      ■         ■
 バブル後の本業不振から、総菜の販売を始めた料理店は多い。とくに、年末年始の外出を控えた「2000年問題」を機に、料亭のおせちを百貨店などでそろえる需要が高まった。
 座敷の上得意だった関西の金融業、製薬業の再編が進み、本社機能も東京に移った。
 だが、その場で料理を出す商売と持ち帰り総菜のビジネスモデルは大きく異なる。
 そこに先代がこだわった「茶の心」はあったか。
      ■         ■
 青山学院大学院の八田進二教授(会計監査論)は、内部統制に問題が生じやすい企業に、創案者の強い指導力で急成長した企業と、外部の目が入りにくい老舗を挙げる。
 食品に絡む不祥事を起こした「白い恋人」の石屋製菓、赤福、船場吉兆は、いずれも、これに当てはまる。
 貞一氏の孫、京都吉兆の徳岡邦夫氏は「ベールに包まれ、なんとなく金持ちが行く料理屋では生き残れない」と語る。老舗の信用は、歴史とのれんだけでなく、透明さが必要な時代になっている。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 美容外科も、「大きいなったらつぶれる」業種の一つかもしれません。
 大量生産はできません。下請けにも出せません。
 私は茶道はわかりません。ただ、料理と同じで、手術も一つひとつ手作りです。
      ■         ■
 美味しい料理を作って、お客さんに喜んでいただくと、また美味しい料理を作る元気が出ます。
 「茶の心」で料理を作り、お客様をもてなす。
 自分の技術で、喜んでいただき、自分もお客さんも満足できる‘医療’が提供できて、はじめて医師としての満足感が達成できます。

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2007年12月08日

フィブリン糊とC型肝炎

 フィブリン糊を使用した患者様が、C型肝炎になったと新聞で報道されています。
 私も、市立札幌病院に勤務していた時にフィブリン糊を使用しました。
      ■         ■
 私が使用した製品は、日本臓器製薬という会社が、オーストリアのイムノ社から輸入した製品でした。製品名はティシールです。
 昭和63年1月20日に承認され、私が使用した段階で、2年以上経過し、有害事象は報告されていませんでした。
 当時はHIVについての認識がありました。この製剤は加熱処理による不活化で安全だと認められていました。
 もちろん、C型肝炎になることは‘絶対に’考えられませんでした。
      ■         ■
 私がこの製剤を使用したのは、重症の外傷で神経断裂があった方でした。
 日本マイクロサージャリー学会の学術講習会で、信州大学の先生がティシールを使用すると神経が回復する率が高いと教えてくださいました。
 神経は生体組織ですが、顕微鏡でみると電気の線のような構造をしています。
      ■         ■
 神経が断裂すると、あたかも電気器具の線が切れたように、細い繊維がたくさん束になっている様子がわかります。
 一本いっぽんを、細かく縫合できない時に、大まかに神経線維を引き寄せておき、フィブリン糊で周囲を固める方法を教わりました。
 実際にこの方法で、断裂した神経を修復すると、それまでより回復が早く認められました。
      ■         ■
 細い電線の束を繋いで、周囲にアロンアルファーのような糊をつけるようなものです。
 そうすると、ただ単に電線を繋ぐよりも確実に電流が流れます。
 私が手術をした方も、フィブリン糊を使用するようになって、手術成績が向上しました。
      ■         ■
 今回、問題になっているのは、旧ミドリ十字が販売した分だと推測します。
 私が、使用した製品とは別です。
 ただ、絶対に大丈夫か?と問われると、確信は持てません。
 できれば、血液検査で肝機能とC型肝炎ウイルスのチェックをするべきです。
      ■         ■
 ところが、その当時のカルテがあるかどうかわかりません。
 医療法で定められた保存期間は5年間です。
 市立札幌病院の倉庫へ行って調べると、手掛りがあるかもしれませんが、既に焼却されていればアウトです。
 また、私は現在、市立札幌病院の職員ではありませんから、自分で調べる訳にも参りません。
      ■         ■
 個人情報保護の観点から、私の手元には患者様のリストはありません。
 製薬会社には、何年何月にどこの病院へ納入したという記録があります。ただ、15年以上も前ですと???です。
 やはり、最後は国の責任で調べるべきです。
 認可したのは国。私たち医師も患者も、C型肝炎になるとわかっていれば、危険な薬は使いませんでした。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月07日

ミシュランと焼き芋

 平成19年12月7日(木)朝日新聞朝刊への投稿-ひととき-からです。
 ミシュランと焼き芋
      ■         ■
 夫がさっそくミシュランガイド東京版を買ってきた。
 せっかく東京に住んでいるんだから三ツ星レストランに行かない手はないと言う。
 1回は行ってみたいねと相づちをうちながら、フランスの古城にいるような雰囲気というレストランの写真に見入った。
      ■         ■
 この豪華なシャンデリアの下で、メタボな夫としばらく美容院もごぶさたな私と、緊張しいの娘とキレやすい息子がフレンチを食べる?
 お父さんはおならで退場かも?
 粗相があったら飛んで行けるよう、お店の人がすぐ後ろで見張っているんじゃない、と皆で大笑い。
      ■         ■
 ページをぱらぱらめくると8万円という数字が目に入った。
 1人1食分の金額だ。うちの1ヵ月の食費より多いじゃない。
 だれがこういう店に行くのかねえ、どうすれば8万円なんて数字が出てくるんだろう、と侃々諤々(カンカンガクガク)。
      ■         ■
 なんだか腹がたって夕食のカレーをしゃにむに食べた。
 実家から送ってきた大きいジャガイモや、生協から届いた素性の確かそうな豚小間を使った小細工なしのカレーだ。
 「おいしかった。ごちそうさま」と娘が席を立った。
      ■         ■
 早食いの夫はとっくにカレーを食べ終わり、ちょっとだけと言って焼き芋をほおばっている。
 「ミシュラン片手に焼き芋か」と夫がため息まじりにつぶやいたので、ふきだしてしまった。
 (東京都板橋区 パート 51歳)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私は美食家ではありません。今日の夕食はアジの干物でした。
 私は和食が好きで、油が多い食べ物はどちらかというと苦手です。
 今日のアジはとても美味しくいただきました。
 8万円のレストランは行ったことがありませんし、行く気もありません。
      ■         ■
 ミシュランの三ツ星は、東京で外国人を接待するのに良いレストランだという評判を聞いたことがあります。
 私の贅沢は、鮓佐というおすし屋さんへたまに行って、ご主人とお話しをしながら、美味しいお鮨をいただくことです。
 フレンチも嫌いではありませんが、一人一万円でも‘高い’と思います。
 私は貧乏舌なのかもしれません。大学生協の食堂でも十分に美味しいと思います。ミシュランのお店には行けません。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月06日

マスコミからの取材

 日記をつけてよかったなぁ~と思うことの一つにマスコミからの取材があります。
 拙い(ツタナイ)日記でも、毎日書いてUPしていると、マスコミ関係の方の目に留まることがあります。
 営業目的ではない、読者に正しい情報を伝えるために取材を受けると嬉しくなります。
      ■         ■
 平成19年6月9日に書いた、加湿器によるヤケドは、私がマスコミに直接訴えたはじめてのケースでした。
 毎年、この時期になり、電気店で加湿器が販売されるようになると、当時のことを思い出します。
 スチーム式加湿器や炊飯器から出る水蒸気は危険です。
 まさかと思いますが、ヤケドで指が曲がってしまい手術が必要になります。
      ■         ■
 私は、帯広厚生病院形成外科に在職中に、この加湿器によるヤケドを発表しました。
 医師は、学会発表をすると、その発表を論文として投稿し学会誌に掲載されます。
 ところが、学会誌は専門誌のため、書店では販売されず、学会員と大学図書館程度にしか頒布されません。
 いくら学会誌に、『スチーム式加湿器は危険です』と論文を書いたところで、国民の目にはとまりません。
 スチーム式加湿器によるヤケドは、学会誌には論文を書きませんでした。
      ■         ■
 札幌医大に赴任してからも、スチーム式加湿器でヤケドをして、指が曲がってしまった子の手術をしました。
 その子のおばあちゃんが、
 『本当に子供に悪いことをしました』
 『私は、加湿器から出る湯気で子供がヤケドをして、指が曲がってしまうなんて、考えもしませんでした』
 といわれたので、これは何とかしないとダメだと考えました。
      ■         ■
 東京で行われた、日本熱傷学会で発表しました。
 学会の取材にマスコミの方が来ることもありますが、世界的な大発見でもない限り新聞で取り上げてはくれません。
 私は学会へ出発する前日に、各新聞社のHPからアドレスを探し、こんな発表をするので取材してくださいとメールを出しました。
 一番早く取材にいらしていただいたのが読売新聞社でした。
 私は学会場のホテルで取材を受け、資料を読売の記者さんにお渡ししました。
      ■         ■
 最初の記事は、私が発表した日の夕刊(全国版)に掲載されました。
 その後、朝日新聞が日曜版の記事として取り上げてくれました。
 朝日の記事を読んでくださった、国民生活センターの方が調査をしてくださいました。
      ■         ■
 国民生活センターで取り上げてくれて、スチーム式加湿器の危険性を啓蒙(ケイモウ)してくれました。
 その結果増えたのが、ハイブリッド式加湿器と気化式加湿器です。
 気化式加湿器でしたら、熱くなることもなく、小さな子供さんがいらしても安全です。
      ■         ■
 昨日は醜形恐怖症についての取材を受けました。
 醜形恐怖症は、北海道大学精神神経学講座の小山教授から直接お電話をいただき、当院としても積極的に取り組むことにした経緯があります。
 私が醜形恐怖症に取り組むのは、7月24日に書いた、一人の若者の死のためです。
 私が手術をしたのではありませんが、医師として自分がかかわった人が亡くなってしまうのは残念で、一番心に残るからです。

投稿者 sapporobiyou : 23:07 | コメント (0)

夕張市立鹿島中学校

 平成18年11月8日の日記に書いたように、私は夕張市立鹿島中学校を昭和45年3月に卒業しました。
 卒業時のクラスは、3年A組でした。担任は渡辺熈(ワタナベヒロシ)先生、担当は社会科でした。
 当時の夕張市は、まだ炭鉱が栄えており、商店街も、街自体も繁栄していました。
      ■         ■
 私が住んでいた大夕張(オオユウバリ)は、夕張市役所があった、夕張本町から、バスで約1時間弱、山奥へ入ったところにありました。
 夕張川の源流である、シューパロ川があり、夕張岳が見える、風光明媚な場所でした。
 そこに、小学校2校、中学校1校、高校が1校ありました。
      ■         ■
 私は中学1年の5月に、美唄市茶志内から、夕張市鹿島へ引っ越しました。
 引っ越した当時にいじめられたのは、昨年11月8日に書いた通りです。
 私がいじめられた時に助けてくれたのが、同級生のT君でした。
 T君は、私を助けた覚えはないと言いますが、私はしっかり覚えています。
 T君は、小樽商科大学を卒業して、札幌銀行へ入行。今は札幌市内の支店長です。
      ■         ■
 今日、40年ぶりにT君と食事をして、中学校時代の卒業記念アルバムを見て、昔話に花を咲かせました。
 一人では、なかなか思い出せないことも、2人揃うとすらすらと想い出します。
 ○○さんは、可愛かったとか。
 ○○さんと、○○が付き合っていたけれど、その後どうなったとか……
 何で本間はいじめられた?とか……。
      ■         ■
 私は高校から、越境入学(5%の特別枠というのがありました)で、札幌西高校へ入学しました。
 T君は、地元の進学校である夕張北高校へ入学し、見事に現役で小樽商科大学へ入学しました。
 私の記憶は中学時代で途切れていますが、T君は高校のこともよく覚えています。
 私たちが通った、夕張市立鹿島中学校は、ダム工事のため、もう少しでダムの底に沈んでしまいます。
 校舎自体も、炭鉱閉山による人口減で、とっくに取り壊されています。
      ■         ■
 育った街が消えてダムの底に沈んでも、私たちの記憶の中では生き続けています。
 T君は支店長、私は院長。
 社会的な立場は違っても、昔に戻ると、
 …だったべ
 …だったなぁ
 と懐かしく話せます。
 昔の友達はよいものです。
 自分が年をとったせいでしょうか?昔の話をしていると、時間を忘れて話せました。
 そのうち、他の仲間にも会ってみたいと思っています。

投稿者 sapporobiyou : 00:14 | コメント (0)

2007年12月04日

被曝線量

 私は、ペルテスの診断と治療のために、股関節のレントゲン写真を何枚も撮りました。
 前にも書きましたが、レントゲン写真はじっとしているだけでした。
 注射と違って、何枚撮っても痛くないので子供にとっては安心でした。
      ■         ■
 股関節のレントゲンを撮ると、当然、チンチンにも放射線が当たり被曝します。
 今でしたら、チンチンにプロテクターを当てて、被曝を防ぎますが、当時、子供のチンチンにプロテクターを当てたかどうか、記憶が定かではありませんでした。
 被曝線量を計算すれば、大したことはない値だと思います。
 それでも、結婚して子供ができた時には、一抹の不安がありました。
 家内には話しませんでしたが、何か子供に異常があれば、私の責任かなぁ?と考えていました。
      ■         ■
 私は形成外科医として、たくさんの子供さんの手術をしてきました。
 親は、
 どうして…?
 うちの子供にだけ…?
 神様はこんなむごいことをしたのだろう…?
 と考えます。
 待望の赤ちゃんが生まれて、本来であれば、喜びに包まれているはずなのに……
      ■         ■
 以前、ある患者さんのお父さんから、
 『自分は病気で治療を受けていました』
 『子供に生まれつきの異常があったのは、自分の治療と何か関係があるのでは?』
 と質問を受けたことがあります。
 私は、子供さんの異常とお父さんの治療は関係がないこと。
 先天異常の大部分は、原因がはっきりとわかっていないことをご説明しました。
      ■         ■
 人間は、信じられないような不幸な出来事が起こると、
 『なぜ?』
 『どうして?』
 と考えて、思いを巡らせます。
 私が被曝した線量は、問題になるような量ではなかったと思いますが、自分自身には不安がありました。
      ■         ■
 幸いなことに、私の子供には生まれつきの異常はなく、私はホッとしました。
 もし、何らかの異常があれば、私は自分を責めたり、神を憎んだりしたと思います。
 ペルテスになった原因は今でもわかりません。
 一つだけ心当たりがあるとすれば、私は小さい頃に結構やんちゃで、よく飛び降りて遊んでいたような気がします。
 二軒長屋で育ったので、ソファーの上から飛び降りて遊んでも、階下の人から‘うるさい’と言われることはありませんでした。
      ■         ■
 幸いにも、私はペルテスという病気が治り、レントゲンによる障害も受けませんでした。
 誰にでも、人には話せない悩みや苦悩があります。
 私たち、医療従事者は、他人の悩みや苦しみを少しでも取り除くことを使命としています。
 自分自身が、被曝線量のことを気にしていたので、少しは他人の悩みが理解しやすかったように思います。
 私は自分が受けた治療の恩返しのために、少しでも社会の役に立ちたいと考えて診療をしています。

投稿者 sapporobiyou : 23:58 | コメント (0)

2007年12月03日

初発症状

 私の左股関節は、整形外科の専門家が診てもわからない位、しっかり治っていました。
 これは、私の歩き方が変で、異常があると早期に発見され、診断をつけ、治療していただいたからです。
      ■         ■
 健康診断で、今までに大きな病気をしたことがありますか?と聞かれます。
 医師になるまでは、子供の時にペルテスをしました。と答えていました。
 ペルテスと言って、すぐにわかる先生はマレでした。
 『ペルテス?』
 『ヘルペスですか?』
 『いいえ、ペルテスです』
 『股関節の病気のペルテスです。幼稚園の時になりました。』
 『……??? はぁ、ペルテスね』
 といった感じで、ペルテスを知らない内科医もたくさんいました。
      ■         ■
 子供の頃の写真を気をつけて見ると、私はよく左足を上げていました。
 両親は、この子は写真を撮る時にポーズをつけて足を上げていると思っていたそうです。
 私にはまったく記憶がありませんが、痛い足をかばうために無意識に足を上げていたのです。
      ■         ■
 整形外科の先生は、私を診察する時に必ず歩かせました。
 向うの壁まで歩いて戻ってきて。
 注射をされないので、整形外科は好きでしたが、先生によっては何回もなんかいも歩かされました。
 子供心に、どうやって歩けば、一発で‘合格’して、何回も歩かされなくて済むのだろう?と思いました。
      ■         ■
 ペルテスに関するホームページがあります。
 50年たった今でも、原因不明で、ペルテスの子の親は戸惑うことが多いようです。
 札幌医大の学生だった時に、一度だけコルセットをつけた子供の親子に、JRで乗り合わせたことがありました。
      ■         ■
 時間があったので、私は『子供さんはペルテスですか?』と伺ったところ、お父さんはとても驚いていらっしゃいました。
・私は、自分も子供の頃にペルテスだったこと。
・今は特に後遺障害もなく普通に生活していること。
・札幌医大の学生であることをお話ししました。
 子供さんは、わからないようでしたが、お父さんはとても喜んでくれました。
      ■         ■
 私は、周囲に医師や医療関係者が多い環境で幼少時を過ごしました。
 私の周囲の‘先生’も、‘ケンちゃん’の歩き方が変なことに気付き、早期発見ができました。
 私は幸運にも、早期発見、早期治療を受けることができ、後遺障害もなく成長できました。
 ペルテスという病名は、北大整形外科でつきましたが、私の周囲は‘小さな変化’を見逃しませんでした。
      ■         ■
 どんな病気でも、早期発見、早期治療が大切です。
 私の両親は、左足を上げる子供を‘ポーズをつける’と思ったようでした。
 私の親が普通のサラリーマンで、周囲に医療関係者がいなければ、‘病気’の発見は遅れたと思います。
 子供のちょっとした変化を目ざとく見つけ、しっかり治療してくれた親と‘先生’に感謝しています。

1959-11-1.jpg

1959年11月1日(手稲にて)
私と母と弟です。左足を上げています。
入院2日前です

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2007年12月02日

鉄人28号

 左下肢に装具をつけていた私は、歩き方がロボットのようでした。
 幼稚園で誰かが、鉄人28号みたいだと言いました。
 鉄人28号は当時流行していた、ウルトラマンの原型のようなロボットでした。
      ■         ■
 私は鉄人28号と呼ばれることを喜んでいました。
 そのロボットは正義の味方で、悪者を次々とやっつける、カッコいいロボットだったからです。
      ■         ■
 私の周囲の子供たちは、育ちがよかったのか?‘いじめ’はありませんでした。
 むしろ私が女の子の髪を引っぱっていたそうです。
 私はあまり記憶がないのですが、札幌西高校へ入学した時に、幼稚園から小学校まで同級だった女の子に会い、『昔、本間君に髪を引っぱられた』と言われ、謝ったことがありました。
      ■         ■
 幼稚園へどうやって通ったのか忘れましたが、幼稚園の遠足では、神社の階段を園長先生が、私をおんぶして上がってくれました。
 コルセットをつけて、外でも遊んでいたような気がします。
 子供は驚くほど適応力があるので、私が手術した子供たちも、ギプスをつけながら器用に遊んでいたことを想い出します。
 こうして、私は約一年間コルセットをつけて幼稚園へ通園しました。
      ■         ■
 整形外科のおかげで、私の骨は変形することもなく成長できました。
 札幌医大に入学してから、整形外科の臨床実習がありました。
 実習担当の先生に、『僕は昔ペルテスで整形外科のお世話になりました』と話しました。
      ■         ■
 『今は何ともないの?』と聞かれました。
 私は、母親から歩き方が変だと言われたことはありますが、特に問題なく、スキーもできますと答えました。
 じゃぁ、念のためレントゲンを撮ってみようということになり、私は20年ぶりくらいで股関節のレントゲンを撮りました。
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 レントゲンを読影してくださった先生は、『本間君、ペルテスだったのは右か?左か?どっちだった?』と言われました。
 私は今回、日記を書くために古い写真を見て、左とわかりましたが、学生の時はどちらだかはっきりわかりませんでした。
 『おそらく左だったと思います』
 先生は、『イゃ~、こりゃ、どっちかわかんないほどよく治っているゎ』と仰ってくださいました。
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 私は今でも、歩き方が少し変です。
 でも、別に股関節に痛みもありませんし、歩行も水泳もできます。
 手稲でペルテスが見つかり、北大から愛育病院へ紹介され、しっかり治していただいたことに感謝しています。
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 ペルテスのことは、家内にも息子にもあまり話したことはありません。おそらく知らないと思います。
 私の親や親戚は、よく覚えていると思います。
 祖母は、骨によいからと言って、ホッケという魚の骨を焼いて、それを子供の私に食べさせました。
 これを食べると骨が丈夫になるから。
 小さい子供にとって、ホッケの骨は美味しいものではありませんでしたが、私は骨を丈夫にするという言葉を信じて、固い骨をカリカリと食べていました。

投稿者 sapporobiyou : 23:57 | コメント (0)

2007年12月01日

コルセット

 ペルテスになって愛育病院へ入院した私は、無事に退院できました。
 入院中はギプスをつけたり、下肢を牽引したりの治療でした。
 退院後は大腿骨にかかる負荷を減らし、下肢の安静を保つ目的で装具を作りました。
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 私が子供の時は、装具をコルセットと呼んでいました。
 お風呂に入る時と寝る時以外はすべてコルセットをつけていました。
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 コルセットを作ってくれるのは、義肢装具屋さんという専門家です。義肢装具士という国家資格があります。
 私の装具を作ってくれたのは、北大病院の近くにあった馬場義肢製作所というところでした。
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 整形外科の先生の指示で義肢装具士の方が私の採寸をしてくださいます。
 ある程度できたところで仮合わせをして、微調整を経て完成です。
 コルセットができるまでは、歩行禁止でした。
 出かける時は『おんぶ』です。
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 今にして思えば、ずっとおんぶは大変だったと思います。
 3歳下の弟はヨチヨチ歩きで、大きな私がおんぶでした。
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 このコルセットが高価でした。当時は健康保険の適用はありませんでした。
 私はコルセットを2回作りました。
 一個が\18,000でした。
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 当時、私の父はスクーターに乗っていました。
 中古のラビットスクーターを購入して、自分で手入れをして乗っていました。
 私のコルセットは、その中古のスクーターとほぼ同じ価格でした。
 今では20万円以上でしょうか?父の月給と同じ位の額だったと記憶しています。
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 子供心に、高いものを買ってもらって親に申し訳ないと思っていました。
 私が開業する時に、保険診療でなるべく費用がかからないようにと考えたのは、この記憶に影響されています。
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 親は自分のワキガ体質が遺伝したので、子供にはイヤな思いをかけたくないと考えます。
 ふつうの人はワキガ手術が健康保険で受けられるとは知りません。
 人知れず手術をしたいと思うので、美容外科へ行きこっそり手術を受けます。
 20~30万円で‘治る’ならと考えてローンを組んでも手術を受けます。
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 私は、自分が子供の時に入院して治療を受けて、親に高いコルセットを2回も作ってもらったので、保険が効くものは保険で安く手術をしようと考えて開業しました。
 もし、自分の体験がなければ、このような発想は浮かばなかったと思います。
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 日本の医療保険制度は‘倒産寸前’の赤字企業です。
 医療費の配分も適正に行われていると考えにくい部分もあります。
 せっかく高い保険料を払っているのですから、これを利用しない手はありません。
 ワキガ手術も何年かすると保険から外されることも考えられます。
 かしこい納税者になって、利用できる制度は大いに利用しようではありませんか。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (1)