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2008年03月16日

塩谷先生のお父様ご逝去

 北里大学名誉教授、塩谷信幸先生のお父様が、
 106歳-(マイナス)10日でご逝去されたと、先生のブログに掲載されていました。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 塩谷先生は、日本形成外科学会の重鎮で、現在は名誉会員です。
 1931年のお生まれで、
 私の恩師である、北海道大学名誉教授の大浦武彦先生と同年代です。
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 塩谷先生は、毎日ブログを更新されています。
 私が、毎日、日記を更新する支えとさせていただいています。
 今日は、疲れて書くことがないなぁ~と思っている時には、
 塩谷先生のブログを読んで、気を取り直して書くこともよくあります。
 ここ数日、お父様の容体が悪いと書かれていたので、
 気になっていました。
 多摩丘陵の桜が見える
 『よみうりランド慶友病院』へ移ることができるように…
 と私も願っていたのですが、残念です。
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 塩谷先生がブログに書かれていたように、
 日本の高齢者医療政策は最悪です。
 新聞の読者投稿欄には、
 「姥捨て山の医療政策」なんて言葉が出ていて、
 高齢者の怒りが爆発しています。
 ある人が、
 「われわれは、第二次世界大戦を生き抜いて来た」
 「国は、ご苦労さんと」
 「高齢者の医療費を全額国庫負担にするくらいのことはできないのか?」
 と書かれていました。
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 私の親も、家内の親も、
 「ポックリ楽にお迎えが来てくれたら一番いいのに…」
 とよく言っています。
 私の親など、
 「お前、もうダメになったら、苦しまないように…」
 「こっそり…、楽にしてくれないものかねぇ…」
 なんてことまで言います。
 私:そんなことしたら、医師免許取り消しで、食べていけなくなる。
 正直なところ、
 私だって、コロリと楽にあの世へ行けたら幸せだと思います。
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 家内の両親が一時期、奈良県香芝市に住んでいました。
 私も、たまに香芝へ行っていました。
 その時に、『ぽっくり寺』という看板をよく見ていました。
 当時は、
 さすが奈良には、おもしろい名前の寺があるものだ。
 と思っていた程度でした。
 実際に行ったことはありませんでした。
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 Googleで『ぽっくり寺』を検索してみると、
①奈良県香芝市良福寺361 (元祖)
 阿日寺(あにちじ)
②奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23
 吉田寺。よしだ寺と書いて、きちでんじ。
 の2つの寺がありました。
 おそらく、私が見た看板は
 阿日寺(あにちじ)だったと思います。
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 このお寺のご利益のせいかどうかわかりませんが、
 家内の父は、64歳でポックリと亡くなってしまいました。
 ゴルフ場のグリーンの上で、
 突然の心筋梗塞で帰らぬ人となってしまいました。
 平成5年4月6日のことです。
 私は、家内の父にほんとうに申し訳ないことをしたと思いました。
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 家内は、父が急逝してから数年間は、魂が抜けたようになりました。
 『私が北海道にお嫁に来たから、お父さんの変化に気づかなかった』
 『私がお父さんを早死にさせてしまった』
 何を言っても、無駄でした。
 立ち直るまでに、長い時間がかかりました。
 今でも、わが家の居間には、笑顔の家内の父の写真があります。
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 実は、家内の父の心筋梗塞には‘前兆’がありました。
 亡くなる前日にも、体調不良で、職場近くの病院にかかっていたそうです。
 胸部写真と心電図で異常がなく、
 『病院、行ったけど大丈夫やった』
 と、翌日早朝からゴルフへ行って、
 そのまま倒れて、救急車で運ばれた病院では心肺停止。
 死亡が確認されました。
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 JRを退職後に、関連会社に勤務していましたので、
 現職のまま死亡。
 お葬式は盛大で、たくさんの弔問客にいらしていただきました。
 お葬式は、香芝市の林法寺という、浄土宗のお寺で行いました。
 ①の阿日寺も香芝市の浄土宗のお寺です。
 何か不思議な縁を感じます。
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 私は、人間には、寿命という電池があって、
 その電池の使い方に個人差があるのだと思っています。
 家内の父も、病気一つしないで働く、パワフルな人でした。
 今でも、声が聞こえてくるような気がします。
 私は家内の父を尊敬していました。
 この道一筋50年。
 何でも知っている、保線のおじさんでした。
 家内の父や私のように、ず~っと働いている人は
 電池が早く消耗してしまって、
 ある日突然電池切れになって、ポックリ逝けるのだと思います。
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 家内の父が亡くなった時は、
 香芝市の林法寺近くのサクラが、それはキレイに咲いていました。
 私はゴルフはしませんが、
 家内の父のように、好きなゴルフ場やキレイな場所で
 キレイなグリーンやラベンダー畑の上で倒れて
 ポックリあの世へ行けたら…と願っています。
 64歳まで、あと10年です。
 いつ亡くなってもいいように、身辺はキレイにしています。

投稿者 sapporobiyou : 2008年03月16日 23:59

コメント

私も主人の父の葬儀を昨日すませ 今日は後片付けに行ってきました。咽頭癌の手術を六年ほど前にしてから声を失い 肺気腫になり酸素は外せませんでした。最近は 町立病院に入院していて 義母が付きっきりでした。大学病院でも朝から晩まで夜も看病していたのは 義母だけだったかもしれません。かなりわがままな義父でした。私が代わりに付きそうと気疲れするから義母がいいといいます。 田舎なので古いしきたりがありびっくりしました。隣り組が葬儀を取り仕切ります。私の家は曹洞宗、主人の実家は真言宗、妹は一向宗で かなり 儀式が違います。セレモニーですれば 親族や近所の隣り組は楽ですが、このような 葬式は 残された人が 具合悪くなるほど大変です。喪主は東京暮らしが長いので 何もわからず 弔事を読んだだけで 私の主人が 陰 喪主でした。義母一人になるので 心配ですが、男が一人で残るより女のほうが心配ないのは なぜでしょうか? 板餅を押し切りで切り塩をつけて後ろ向きで親族に一切れづつ渡し食べ その後納豆餅を 一本の箸で食べるなど見た事なかったです。でも 和尚さんはお経はあまり読まず 細木数子みたいに 教えをたんたんと語られるのも驚きでした

投稿者 さくらんぼ : 2008年03月17日 23:11