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2008年06月30日

山形大学の事件⑥

 美容形成外科、
 美容外科、
 美容整形、
 このうち厚生労働省が認めた、
 正式な標榜科目名はどれでしょうか?
 医師免許を持っていても間違う人がいます。
      ■         ■
 正解は美容外科です。
 いちばん一般的な美容整形は、
 認められていません。
 でも、
 ‘整形する’
 という日本語を聞くと、
 整形外科で骨の手術をするのではなく、
 美容外科で
 二重の手術や鼻を高くするする手術を連想します。
      ■         ■
 形成外科は、
 よく誤解されます。
 最近では、
 さすがに、
 形成外科医です、
 といって
 整形外科医と間違える人は
 少なくなりました。
 でも、形成外科と美容外科は混同されます。
      ■         ■
 いちばん多い誤解は、
 山形大学医学部が間違った誤解です。
 つまり、
 事故などでできたキズを
 キレイに治す手術は、
 ‘美容外科的手術’であるという誤解です。
 これは、
 私の先輩にあたる形成外科医が
 長い年月をかけて保険適応にしてきた、
 ‘形成外科戦いの歴史’です。
      ■         ■
 生まれつき、
 耳がない子どもさんがいます。
 今は、保険適応になっていますが、
 昔は耳をつくる手術が
 保険適応になりませんでした。
 昭和50年の毎日新聞社会欄に
 「ボク、左耳がほしい。健保なぜきかないの?」
 という記事が出ました。
 耳がない病気の子どもさんが、
 当時の田中厚生大臣に手紙を書きました。
      ■         ■
 その翌日に、
 「左耳、手術できるよ」と、
 田中厚生大臣が健康保険の適応を認め、
 それが毎日新聞の記事になっています。
 このことを書かれたのは 
 日本形成外科学会で、
 長い間、社会保険委員をなさった、
 東京厚生年金病院の故中村純次先生でした。
 中村先生が、
 1982年に
 日本形成外科学会25周年記念誌に書かれました。
      ■         ■
 キレイなるために
 鼻を高くする、
 おっぱいを大きくする、
 これはもちろん美容外科の手術です。
 保険はききません。
 不慮の事故や
 熱傷で
 キズができてつっぱっている、
 そのキズを少しでもよくしたい。
 これは形成外科の手術です。
 形成外科では保険診療で手術をしています。
      ■         ■
 日本形成外科学会HPには、
 次のように書かれています。
 生まれつきの病気や
 変形の治療、
 外傷や熱傷(ヤケド)の治療、
 ガン切除後の再建手術などは
 健康保険の対象になります

      ■         ■
 山形大学医学部に入院された患者様は
 私の推測では、
 健康保険の適応手術だったと思います。
 それを
 「美容的外科手術」
 などと報道発表すること自体が、
 形成外科を理解していない証拠なのです。
      ■         ■
 同じような事故を防ぐためには、
 山形大学医学部に形成外科をつくり、
 形成外科の診療体制を確立することです。
 それが患者様への償いになります。
 私は、
 今でも患者様の脚にはキズが残り、
 少しでも、
 それを改善したいと
 願っていらっしゃると思います。

投稿者 sapporobiyou : 23:23 | コメント (0)

2008年06月29日

山形大学の事件⑤

 山形大学の医療事故は、
 山形大学医学部が
 形成外科のこと、
 手術を希望する患者さんのことを、
 軽視したために、
 起こるべくして起こったと考えます。
 山形大学医学部が
 いかに形成外科を理解していなかったか?
 ということは、
 発表された文書を見ても明らかです。
      ■         ■
 2007年1月の調査委員会発足の会見で、
 事故のことを附属病院長から
 「生命と関係ないいわゆる美容的外科手術」
 と発表されました。
 2007年12月19日に、
 【医療事故に係る手術名訂正について】
 山形大学医学部附属病院長山下英俊先生の名前で
 訂正の公示が出ています。 
 「美容的外科手術」を
 「形成外科的再建術」
 と訂正させていただきます。
 という内容です。
      ■         ■
 何のことか?
 よくわからない方がいらっしゃると思います。
 大学当局は、
 「美容的外科手術」と
 「形成外科的再建術」
 の違いすら認識していなかったのです。
 本間先生、何?言ってんの?
 『美容形成外科』って言うくらいだから、
 美容も形成も同じでしょ? 
 という方がいらっしゃると思います。
      ■         ■
 そこが大きな違いなのです!
 「形成外科的再建術」であれば、
 保険適応で手術をすることができます。
 「美容的外科手術」であれば、
 大学病院といえども、
 絶対に保険適応にはできません。
 保険適応にならない、美容的外科手術を、
 保険請求していたとします。
 そうすると、不正請求になります。
      ■         ■
 不正請求をした病院は、
 保険医療機関の取消しになることもあります。
 社会保険事務局の調査が入って、
 山形大学医学部附属病院が、
 保険医療機関の取消し処分を受けると、
 さくらんぼさんも診療が受けられなくなります。
 これは、
 【重大な誤り】です。
 ちょっと、文言を誤りましたで、
 済むことではありません。
      ■         ■
 もし、山形大学医学部が
 形成外科専門医に相談をして、
 報道発表をしていれば、
 絶対に「美容的外科手術」とは書きません。
 山形大学医学部HPの記載です。
 【医療事故に係る手術名訂正について】
 山形大学医学部附属病院は、
 平成17年5月に本院で手術された患者様が
 術後経過不良となった件について、
 平成19年1月に調査委員会発足の会見をした際、
 現病及び診療科名等から患者様が特定されないよう
 「生命と関係ないいわゆる美容的外科手術」
 の表現を用いました。
      ■         ■
 平成19年3月の調査結果報告の会見をした際は、
 調査結果を踏まえ、
 手術名は
 「形成外科的再建術」
 と訂正し、
 診療科名と共に公表いたしました。
 この案件に関しては、
 「美容的外科手術」を
 「形成外科的再建術」と訂正させていただきます。
 平成19年12月19日      
 山形大学医学部附属病院長 山下英俊

      ■         ■
 もっともらしく発表していますが、
 読む人が読めば不正請求の疑いがあります。
 山形大学は荻野先生を処分して、
 安全対策を万全にしたと公表しています。
 ところが、実際には
 事故の後も、
 発表の後も、
 何も変わっていません。
 残念なことに、山形大学医学部には、
 形成外科的再建術を必要とする患者さんを
 これからどうしようという姿勢がありません。
 同じような形成外科患者さんの手術で、
 また事故が起こる可能性も考えられます。

投稿者 sapporobiyou : 16:32 | コメント (2)

2008年06月28日

山形大学の事件④

 北海道には、
 北海道大学医学部、
 札幌医科大学、
 旭川医科大学の
 3つの医育機関があります。
 旭川医科大学には形成外科はありません。
 形成外科専門医もいません。
      ■         ■
 東北には、
 青森県→弘前大学医学部、
 岩手県→岩手医科大学、
 秋田県→秋田大学医学部、
 山形県→山形大学医学部、
 宮城県→東北大学医学部、
 福島県→福島県立医科大学
 の医学部があります。
 このうち、秋田大学医学部と
 山形大学医学部には形成外科がありません。
      ■         ■
 日本の医学部や医科大学には、
 形成外科専門医すらいないところがあります。
 何回か書いたことがありますが、
 もともと形成外科は、
 皮膚科や整形外科の一部から独立しました。
 北大に形成外科ができたのが、
 昭和53年でした。
 私の恩師である、
 大浦武彦先生が血の出るような努力をされて、
 北大に形成外科をつくられました。
      ■         ■
 北大に形成外科ができたのは、
 大浦先生の恩師である、
 北大皮膚科教授の三浦祐晶先生のおかげだと
 私は大浦先生から何度もお聞きしました。
 大学や大きな総合病院に新しい診療科をつくることは、
 大変なことだというのは、
 私自身が肌で感じてきたことです。
 北大では、皮膚科から別れて形成外科ができました。
 当時の詳しいことはわかりませんが、
 一般的には形成外科ができるということは、
 皮膚科の教官が減るということです。
      ■         ■
 私の推測では、
 三浦先生は皮膚科の教官数が減っても、
 形成外科という新しい科をつくって、
 手術が必要な患者さんを助けたいと思われたのです。
 三浦先生のような、
 よき理解者がいないと、
 形成外科のような新しい診療科はできません。
 もちろん、北海道大学医学部付属病院長や
 北海道大学総長の英断もあったと思います。
      ■         ■
 北大と同じ昭和50年代前半から、
 形成外科があった国立大学は、
 東大、
 京大、
 長崎大学
 だけだったように記憶しています。
 私は、30年近く形成外科を専門としてきました。
 私自身が、市立札幌病院で、
 平成元年から平成6年まで、
 皮膚科医師として形成外科の診療を、
 6年間も担当しました。
      ■         ■
 交通事故で顔の骨を骨折した患者さんが搬送されました。
 救急部へ行って、
 『手術が必要です』
 『手術は○○のように行います』と
 ご家族に説明しました。
 何も状況がわからないご家族から、
 『失礼ですが…、
 皮膚科の先生に顔の骨の手術ができるのですか?』
 というようなことを聞かれたことがありました。
      ■         ■
 山形にも、
 脚のキズをキレイに治したい。
 脚にある、アザをキレイに治したい。
 という患者さんが必ずいると思います。
 形成外科がないので、
 患者さんはどこを受診したらよいかわかりません。
 病院の受付で聞いてもわかりません。
 皮膚のキズだから皮膚科?
 なんて感じで皮膚科をすすめられたことも
 実際にありました。
      ■         ■
 もし、山形大学医学部に形成外科があれば、
 形成外科専門医が最初から診察し、
 入院・手術計画を立て、
 患者さんやご家族に説明していたと思います。
 そうすれば、形成外科の中で
 手術法についてカンファレンスがあり、
 術後も形成外科専門医がチェックできたはずです。
 患者さんがご不幸だったのは、
 しっかりとした形成外科の診療体制がなかったことです。
 形成外科専門医として本当に申し訳なく思います。

投稿者 sapporobiyou : 19:01 | コメント (0)

2008年06月27日

山形大学の事件③

 ここからの記載は、一般的な術後経過です。
 私は山形大学と何の関係もなく、
 手術に入ったわけでもありません。
 ひとりの形成外科専門医の推測です。
 山形大学の先生は、
 下腿のキズを丁寧に縫合したと思います。
 手術終了時には何の問題もなく、
 無事に終了してよかったよかった!
 と手術を終わりました。
      ■         ■
 手術のトラブルは手術後に起こります。
 術後出血、
 術後感染、
 術後の肺合併症、
 など
 手術の後の管理が大切です。
 外科医は、
 研修医時代に先輩からイヤというほど叱られて
 術後管理を覚えます。
      ■         ■
 手術が終わると、
 患者さんは入院していた皮膚科病棟へ帰りました。
 ご家族が心配してお待ちになっています。
 ふつうの一般的な大学病院でしたら、
 患者さんの術後管理は入院している病棟、
 すなわち皮膚科病棟で行います。
 問題はそこからです。
      ■         ■
 病棟へ戻ってから、
 手術後の腫れが出てきます。
 手術直後は問題がなくても、
 手術後の腫れ(医学用語で腫脹(しゅちょう)といいます)
 によって、血流障害が出ることがあります。
 病棟では、担当の看護師が
 術後の観察をします。
      ■         ■
 麻酔が切れて、
 腫れが強くなってくると、
 患者さんは痛みを訴えます。
 術後の一過性の痛みか?
 合併症による痛みか?
 の判断が重要になります。
 持続硬膜外麻酔という麻酔が効いていると、
 痛みを訴えないことがあります。
 その時は、足先の血流を見て判断します。
      ■         ■
 ベテランの看護師が夜勤をしていると、
 すぐに判断ができて、医師へ報告されます。
 報告先は、皮膚科の当直医です。
 皮膚科の当直医は患者さんを診察して、
 異常が認められれば、主治医へ報告します。
 主治医は、診察をして、
 自分で対応ができなければ、
 手術を手伝ってくれた形成外科専門医へ報告します。
 これが、大学病院のごく一般的な流れです。
      ■         ■
 病棟での責任者は、
 ①主治医
 ②病棟医長(ふつうは皮膚科の准教授か講師)
 ③皮膚科診療科長(皮膚科教授)
 ④附属病院病院長
 となるのが一般的です。
 実際に毎日回診して、キズを診るのが、
 研修医+指導医(皮膚科)
 何か問題が生じたら…
 整形外科の形成外科専門医に連絡!
 というのが、
 日本における平均的な医学部附属病院です。
      ■         ■
 白い巨搭でおなじみの教授回診。
 浪速大学医学部第一外科では、
 外科の財前教授が回診をしていました。
 内科の里見助教授は、外科の回診には来ません。
 山形大学の患者様は、
 皮膚科に入院されていたので、
 ふつうの医学部附属病院であれば、
 診療科長である皮膚科教授が責任者です。
 皮膚科病棟の教授回診は皮膚科教授がします。
 教授が不在の時は、准教授がします。
      ■         ■
 医療事故の報告も同じです。
 このような、事故があった際には、
 まず担当した診療科の皮膚科医師から
 診療科長の皮膚科教授に報告が上がり、
 そこから病院長へと報告が上がるのが
 一般的なルールです。
      ■         ■
 山形大学の患者様の主治医は
 皮膚科医師であり、
 手術に際して、
 皮膚科から整形外科に組織的な要請はなく、
 整形外科の所属である形成外科専門医に
 直接執刀をお願いしたことで、
 結果的に、整形外科内でのカンファレンスがおこなわれず、
 整形外科長(荻野教授)に状況が伝えられないまま
 医療事故になりました。
      ■         ■
 私は、
 患者様が、
 もし整形外科病棟へ入院されていたら…
 この事故は防げたと考えます。
 整形外科の病棟では、
 術後に下肢の状態をチェックするのは…
 日常茶飯事。
 どんな新人のナースでも、
 患者さんの訴えを見逃すはずはありません。
      ■         ■
 荻野教授の指揮監督下であれば、
 必ず教授回診で善処されたと思います。
 この事故は、
 荻野教授の守備範囲以外の部署で起こりました。
 ですから、
 処置が後手後手になったのだと推測します。
 私は荻野教授の手術を知っています。
 とても丁寧でキレイな手術をなさる先生です。
 問題なのは山形大学医学部の診療体制なのです。
 その理由を次に書きます。

投稿者 sapporobiyou : 07:00 | コメント (0)

2008年06月26日

山形大学の事件②

 報道発表によると、
 20台の女性患者さんの医療事故の原因は
 コンパートメント症候群です。
 コンパートメント症候群?って何?
 ネットで検索すると、いろいろな説明がでてきます。
 どの説明を読んでも、あまりピンときません。
      ■         ■
 話しをわかりやすくするために、
 ブーツを例にとってお話しします。
 女性が冬に履くブーツ。
 いろいろなデザインがあります。
 たいていのブーツに、ファスナーがついています。
 体重が増えて、脚(下腿)が太くなったとします。
 昨年は履けたブーツがきつくて入りません。
 ショックです。
      ■         ■
 気に入っていたブーツで、
 あまり痛んでもいないので、
 無理やりファスナーを引っ張り上げて…
 ブーツが裂けそうになるくらい…
 無理矢理ブーツを履きます。
 ようやく入りました。
 パンパンになったまま、朝お出かけします。
      ■         ■
 最初はなんとかガマンできていても、
 そのうち痛みで耐えられなくなってきます。
 でもファスナーを緩めると、
 ブーツが脱げてしまい歩けません。
 仕事中に靴屋さんに行くこともできません。
 痛みをガマンして歩いていると、
 そのうち感覚が麻痺してしまいます。
      ■         ■
 仕事で外回りをしている。
 通勤に長時間かかる。
 きついブーツを長時間履いて、
 歩いていると、脚がパンパンになってきます。
 感覚が麻痺しても歩いていると、
 脚がしびれて、最後には血流が止まってしまいます。
 これがコンパートメント症候群の原理です。
      ■         ■
 つまり、脚をしめつけて血流が悪くなる病態です。
 ブーツで…
 そこまでガマンする人はいないでしょうが、
 真冬の寒い時期などにガマンしていると
 足先の感覚がなくなってしまうのと同じです。
 痛みを感じているうちは大丈夫ですが、
 きついブーツを履いたまま、
 酔って泥酔してしまったりすると…
 大変なことになります。
 脚が壊死(えし)してしまいます。
      ■         ■
 日本救急医学会HPの説明です。()内は私の捕捉です。 
 (下腿のように)複数の筋肉がある部位では,
 いくつかの筋ごとに,
 骨,筋膜,筋間中隔などで
 囲まれた区画に分かれて存在する。
 その区画のことをコンパートメントという。
      ■         ■
 骨折や打撲などの外傷が原因で
 筋肉組織などの腫脹(しゅちょう)がおこり,
 その区画内圧が上昇すると,
 その中にある筋肉,血管,神経などが圧迫され,
 循環不全のため壊死や神経麻痺をおこすことがある。
 これをコンパートメント症候群という。
 とくに多くの筋が存在する
 前腕,
 下腿や
 大腿部で起きやすい。
      ■         ■
 骨折や打撲だけではなく
 ランニングやジャンプなどの
 激しい運動によってもおこりうる。
 強い疼痛が特徴であり,
 他に
 腫脹(しゅちょう),
 知覚障害,
 強い圧痛などがみられる。
 処置が遅れれば筋肉壊死や神経麻痺をおこす。
 筋区画内圧が40mmHg以上であれば,
 筋膜切開(減張切開)が必要となる。

      ■         ■
 コンパートメント症候群は珍しい病態ではありません。
 整形外科医、
 救急医、
 外科医、
 形成外科医
 であれば、
 必ず知っているべき病態です。
      ■         ■
 救急医学会HPにあるように、
 処置が遅れれば後遺障害が残ります。
 逆に処置が早ければ
 後遺障害を残さずに治癒することもあります。
 きついブーツだって、
 早く脱げば脚はしびれませんし、
 後遺障害が残るようなことはありません。
 残念なのは、
 山形大学医学部付属病院で
 どうして早く処置ができなかったか?です。
 この理由は、別の日に書きます。

投稿者 sapporobiyou : 18:53 | コメント (0)

2008年06月25日

山形大学の事件①

 さくらんぼさんが、
 何回かコメントしてくださっている事件のことです。
 私が山形大学の事件を知ったのは、
 さくらんぼさんからの、一通の相談メールでした。
 最初に、
 手術を受けながら、後遺障害が残ってしまった患者様に、
 一人の形成外科医として、心からお詫びいたします。
 詳細は
 山形大学職員組合ホームページ
 荻野先生の裁判を支援する会として記載されています。
 この医療事故は形成外科に関係があります。
 新聞記事や職員組合HPによると次の通りです。
      ■         ■
 2005年5月一人の女性患者さんが、
 下肢の手術のために、
 山形大学病院の皮膚科に入院しました。
 主治医は皮膚科の先生です。
 手術を引き受けて、
 入院の指示をした皮膚科には、
 形成外科専門医はいませんでした。
 もちろん美容外科を専門とする医師もいません。
 経緯はわかりませんが、
 整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
      ■         ■
 手術の結果が思わしくなく、
 結果的に手術前より状態が悪化したのだと私は思います。
 その事実については、一人の形成外科医師として、
 患者様に本当に申し訳なく思います。
 皮膚科に入院していた患者様は、
 2005年8月山形県外の病院に転院。
 2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
 2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
 事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
 初めて明るみに出ました。
      ■         ■
 2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
 荻野教授に対し科長解任および診療中止の処分。
 2007年11月山形大学教育研究評議会が
 荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
 この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
 それは手術を執刀した形成外科専門医が
 整形外科の所属だったからです。
 荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
      ■         ■
 その結果、さくらんぼさんが書かれていたように、
 ある日、大学病院へ行ったら、
 突然、荻野教授の名前がなくなっていた…
 という事態になったのです。
 皮膚科の担当医は2007年8月までに
 定年退職および転出。
 何の処分も受けなかったようです。
      ■         ■
 私は、
 もし山形大学に形成外科があって、
 形成外科の担当教官がいれば、
 この事故は防げたと思います。
 山形大学の診療体制が事故の原因です。
 荻野教授を処分しても、
 何の問題解決にもなりません。
 荻野先生を頼っている、
 たくさんの患者さんが心配しています。
 この事件に関して数回に分けて記載します。

投稿者 sapporobiyou : 18:04 | コメント (0)

2008年06月24日

チェリー1周忌

 愛犬のチェリーが亡くなって、
 6月18日で一年になりました。
 18日は、特に何も行事はしませんでした。
 チェリーが亡くなって一年だね…
 と話した程度です。
      ■         ■
 6月19日に知り合いのお宅へ伺いました。
 そのお宅では、
 シェルティーを3匹飼っていらっしゃいました。
 チェリーと同じ位の年令の
 お母さんワンコとその仔犬たちでした。
 残念なことに、
 3匹ともチェリーより先に旅立ってしまいました。
      ■         ■
 チェリーにも
 一匹、子どもがいました。
 メスのクッキーという名前でした。
 北見の知人のお宅で、
 大切に飼っていただいていましたが、
 チェリーより早く亡くなってしまいました。
 人間の世界より、
 イヌの世界の方が、
 親より先に亡くなる仔犬が多いようです。
      ■         ■
 シェルティーを3匹飼っていらしたお宅では、
 奥様がすっかり元気をなくされていました。
 最後のワンコが亡くなってから…
 約2年間、ペットがいませんでした。
 そのお宅に、仔犬がやってきました。
 まだ、4ヵ月のシェルティーです。
 東京のブリーダーさんが大切に育てたワンコです。
      ■         ■
 19日に、そのワンコと遊ばせていただきました。
 ともておりこうなワンコでした。
 まだ、4ヵ月なのに…
 とてもおりこうでした。
 チェリーが4ヵ月の時はどうだったかなぁ~?
 と思い出していました。
      ■         ■
 私の小さい頃からの夢は、
 戸建の家に住んで、
 イヌを飼うことでした。
 昨年までは、チェリーがいました。
 一軒家に住んでいました。
 チェリーが亡くなって、
 家も引っ越しました。
 家内はもうイヌは飼わないと言っています。
      ■         ■
 わが家は、まだ当分イヌを飼う雰囲気ではありません。
 もうしばらく、喪に服して、
 他に楽しみを見つけて暮らします。
 シェルティーを見るとチェリーを想い出します。
 かわいいワンコでした。
 

min.jpg
チェリーの子ども
クッキーの写真です

投稿者 sapporobiyou : 23:37 | コメント (0)

2008年06月23日

切断指再接着

 平成20年6月21日の日記に、
 北海道で最初に、
 切断指再接着を成功させたのが、
 薄井正道先生と書きました。
 切断した指を、
 世界ではじめてつないだのが、
 1965年、
 奈良医大整形外科の玉井先生と小松先生でした。
 これは今でも、欧米の教科書に記載されています。
      ■         ■
 北海道で最初の成功例は、
 1974年、
 北海道大学整形外科の薄井正道先生でした。
 1974年3月(昭和49年3月)でした。
 当時、私は一浪の末に、
 札幌医大から合格通知をいただいていました。
 ようやく試験勉強から開放され、
 毎日、ぼ~っとしていました。
      ■         ■
 当時は朝日新聞を購読していました。
 夕刊の記事だったと思います。
 『せっちゃん、指くっついた!』
 という見出しで、
 写真入りの記事が掲載されました。
 何気なく、読んでいると…
 その記事に載っていたのは、
 私の夕張市立鹿島中学校の同級生でした。
      ■         ■
 間違いなく、
 鹿島中学3年A組で、
 渡辺煕(わたなべひろし)先生のクラスで、
 同級生だった、○○勢津子さんでした。
 新聞記事を見た第一印象。
 『キレイになったなぁ!』
      ■         ■
 私が大夕張で同級生だったのは、
 15歳の時でした。
 面倒見のよい、明るい子でした。
 目がパッチリと大きかった印象があります。
 それから4年が経過していました。
 私19歳、彼女も19歳です。
 同じ班だったこともあり、
 中学校ではよく話していました。
      ■         ■
 彼女は、南大夕張の木工場で作業中、
 誤って指を切断してしまいました。
 南大夕張から、北大まで搬送され、
 薄井正道先生に手術を受けました。 
 切断された、
 おや指の血管と神経をつないで、
 再接着術に成功しました。
      ■         ■
 札幌医大に合格したばかりで、
 私には何の医学的知識もありませんでした。
 新聞に掲載されていた彼女を見て
 ただただ驚きました。
 笑顔で『先生ありがとう!』と言っているのは
 4年前に同じクラスで勉強していた子でした。
 すごいなぁ。
 痛かっただろうなぁ。
 そんな思いが頭をめぐりました。
      ■         ■
 お見舞いに行こうかなぁ?
 一人では行きにくいなぁ…
 シャイな私は、友人に頼んで、
 一緒に北大病院まで行ってもらいました。
 北大病院の整形外科病棟まで行きました。
 病棟の看護婦さんに、
 『あのぅ~、指の○○さんのお見舞いに…』
 と言ったところ、
 『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
 と言われました。
      ■         ■
 『あっ、それじゃこれ渡してください。』
 と
 持って行った、お菓子を置いて、
 シャイな私は逃げるように帰ってきました。
 看護婦さんが、
 『ちょっと待っててくれればいいのに…』
 『きっと残念がるゎ…』
 と言われたのを覚えています。
 新聞に出ていた○○さんが、
 とてもキレイになっていたので、
 私は会うのが恥ずかしかったのです。
      ■         ■
 その後、35年が経過しました。
 私は○○さんにお会いしたことがありません。
 医師になってから、
 薄井先生に、話したことがあります。
 先生もよく覚えていらして、
 『あぁ、せっちゃんいい子だった。』
 『確か、天理市へ行かれてその後診ていない…』
 というようなことを話した記憶があります。
      ■         ■
 日記に書いた、
 土田芳彦先生は薄井先生の弟子。
 薄井正道先生は、
 現在、釧路市の東北海道病院院長をなさっていらっしゃいます。
 もし、山形で切断指や重症四肢外傷になったら、
 山形大学医学部整形外科に
 荻野利彦教授がいらっしゃいます。
 山形大学整形外科は、
 一度に多数の指の再接着に成功し、
 TVや新聞で報道されたこともあります。
 荻野教授も
 薄井先生と同じ、北大整形外科上肢班でした。
 さくらんぼさん、
 北海道まで来なくても大丈夫ですょ。

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2008年06月22日

北大形成外科同門会

 昨夜、北大形成外科同門会の会議がありました。
 同門会というのは、
 北大形成外科で修行をした仲間医師の集まりです。
 今は、北大形成外科には所属していなくて、
 病院勤務や開業をしている医師が
 同門会の主要メンバーになります。
 OBによる親睦団体というところです。
 北大形成外科では、
 現在、北大形成外科に在籍している医局員も
 教室会員となります。
 教授や准教授、講師、助教というスタッフの他に
 研修医も教室会員です。
      ■         ■
 北大で研修した仲間の会ですから、
 30年近くも、ずっと顔見知りです。
 遠い親戚よりも、自分にはずっと身近な存在です。
 自分にいろいろなことを教えてくれた、
 大切な先輩であり、
 自分が手術を教えた、
 かわいい後輩も同門会員です。
 業界の親睦団体と違うのは、
 師弟関係であったり…
 よき相談相手であったり…
 私に言わせると、
 形成外科という、自分にとってかけがいのない
 もう一つの‘親兄弟・親戚’以上の関係が同門会です。
      ■         ■
 最近の若い先生は、
 卒後に大学病院の医局に入らず、
 すぐに市中病院や民間病院で臨床研修をします。
 結果的に、大学に残る人が少なくなっています。
 確かに、昔から医局制度には問題もありました。
 ただ、私にとっては良い制度で
 良い時代でした。
 採血や点滴すら満足にできなかった私が、
 手術ができるようになったのは、
 北大形成外科のおかげです。
      ■         ■
 私は、大浦武彦教授が率いる、
 北大形成外科へ入局しました。
 現在の私があるのは、
 大浦武彦先生や北大形成外科の先輩のおかげです。
 いつも感謝しています。
 札幌医大から北大へ行くことは少し勇気がいりました。
 私が北大へ行けたのは、
 松本敏明先生、
 大岩彰先生という、
 お二人の札幌医大の先輩がいらしたからでした。
      ■         ■
 特に大岩彰先生は、
 私が札幌医大に入学した時に、
 熱心に弓道部へ誘ってくださった先生でした。
 大岩先生の、
 『私でもやっているんだから大丈夫だょ』
 『おいで!』
 という一言で、
 私は安心して北大形成外科へ来ました。
 大岩先生はお忘れになっていると思いますが、
 私が北大を訪ねた時に、
 生姜焼き定食をごちそうしてくださいました。
      ■         ■
 松本先生は、アクティブで激しい先生です。
 レーザーのスペシャリストです。
 大岩先生は、穏やかで優しい先生です。
 巻き爪という、手術が難しい爪の病気に、
 独自の大岩法という、手術法を考案されました。
 あまり知られていませんが、
 私は今でも素晴らしい手術法だと思っています。
 大岩先生は現在は形成外科を離れていらっしゃいますが、
 同門会にはいつもいらしてくださいます。
      ■         ■
 同門会の会議で、
 最近、医局を離れる先生のことが話題になりました。
 全国どこの大学の形成外科でも、
 専門医も取らずに、大学を去る先生がいらっしゃいます。
 どこへ行くのも、
 職業選択の自由という、
 日本国憲法が定めた基本的人権です。
 形成外科や自分の将来のことを考えてのことです。
 私は、北大形成外科は円満退局しましたが、
 札幌医大は追い出されました。
      ■         ■
 前にも書いたことがありますが、
 48歳にして職を失い、
 路頭に迷いました。
 子どもにもお金がかかる時期だったので、
 本当に困りました。
 私は幸いなことに、
 中央クリニックの社長さんに拾っていただきました。
 中央クリニックも円満に退職させていただき、
 札幌美容形成外科を開業できました。
      ■         ■
 私は自分の生き方が正しいとか、
 大学を辞めて美容外科医になるのが悪いとか、
 言うつもりはまったくありません。
 一度しかない人生ですから、
 自分の思うように生きるのがいいと思います。
 ただ、
 私が札幌医大を追い出された時に、
 精神的な力になってくれたのが、
 北大形成外科の先輩や後輩でした。
      ■         ■
 医師にもたくさんの悩みや苦しみがあります。
 悩んだり苦しんだりした時に、
 相談できる先輩がいるのは、
 本当にありがたいことです。
 これは苦しんだ人にしかわかりません。
 そんな時に相談できる先輩を持つには、
 北大形成外科同門会は最適なところだと思います。
 私は、自分が一度、
 奈落の底へ落ちて助けてもらったので、
 後輩が困っていたら、
 できるだけのことをしたいと思っています。

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2008年06月21日

札幌東徳洲会病院外傷センター

 昨夜、札幌パークホテルで、
 第5回北海道臨床創傷治癒研究会がありました。
 昨年は、時計台記念病院
 循環器センター長の浦澤一史先生の特別講演がありました。
 浦澤先生の講演は、
 血管に細いカテーテルという管を刺して、
 詰まった血管開通させるという技術でした。
 この日記でご紹介したのが、ご縁で、
 浦澤先生に治療を受けて快くなった方がいらっしゃいました。
      ■         ■
 昨日の特別講演は、
 札幌東徳洲会病院
 外傷センター、センター長の
 土田芳彦先生でした。
 土田先生は、北大医学部をご卒業後、
 東京で麻酔科研修。
 その後、札幌医大整形外科へ入局され、
 薄井正道先生の下で、
 マイクロサージャリーのスペシャリストになられました。
      ■         ■
 札幌医科大学高度救急救命センターで
 講師としてご活躍。
 重症の四肢外傷を、
 神業のような手術で再建されていました。
 その手術の腕は、まさにブラックジャック以上。
 通常でしたら、切断になる腕や下肢を、
 見事につなげて、
 社会復帰させていらっしゃいます。
      ■         ■
 指を切断したら…
 再接着という手術でつなげます。
 この程度の知識は、一般的になっています。
 つなげるのは容易ではありません。
 細い血管や神経を手術用顕微鏡で縫い合わせます。
 使う糸は髪の毛よりも細く、
 目の良い人が肉眼でようやく見える程度です。
 北海道で一番最初に、
 指の再接着に成功したのが、
 当時、北大整形外科にいらした薄井正道先生でした。
      ■         ■
 土田先生の得意技は、
 ダンプに轢かれた…
 機械に腕を巻き込まれた…
 交通事故で足がグチャグチャになった…
 などなど、
 専門医ですら、
 これ…
 どうしましょう???
 というような重度の外傷を治す技術です。
      ■         ■
 そのような、重症の患者さんは、
 たいてい頭部外傷や肺損傷という、
 生命にかかわる、合併症を持っています。
 頭部や肺の状態が悪いため、
 手術をためらっているうちに、
 下肢の治療が遅れることがあります。
 逆に、頭部の状態が悪いのに無理に手術をして、
 骨折は治ったのに、脳死になることもあります。
      ■         ■
 患者さんの意識がない中で、
 同意書も取れない状態で
 緊急手術をする必要があることも
 マレではありません。
 昨日の講演の最初は、
 『やってはいけない治療』という内容でした。
 われわれ医療者に衝撃的な内容でした。
 是非、医学生に聴いて欲しい内容でした。
      ■         ■
 その次が、土田先生の手術症例でした。
 私の印象に残ったのが、
 機械に腕を巻き込まれて、
 肘から先が、グチャグチャになってしまった女性でした。
 機械から腕を抜き取れなかったので、
 なんと機械ごと救急車で搬送されてきました。
 病院で機械を壊して、
 腕を引き抜くと、筋肉もグチャグチャ。
 腕は完全に取れていました。。。
      ■         ■
 普通でしたら、どう考えても切断です。
 本人の意識はあるものの、
 完璧なパニック状態。
 とにかくつないでみます…!
 土田先生のブラックジャック以上の腕で
 腕はつながりました。
 問題は、その後です。
      ■         ■
 指の再接着でしたら、
 多少曲がりが悪いことがあっても、
 まず、機能が問題になることはありません。
 腕は大変です。
 動かない手、
 動かない腕、
 があると、
 義肢より使い勝手が悪いことがあります。
 感覚が悪いと、ヤケドやケガをすることもあります。
      ■         ■
 土田先生が手術をされたその女性は、
 懸命にリハビリをして、
 『先生、今日はこんなことができました』
 『先生、お鍋が持てるようになりました』
 と先生を逆に励ましてくれたそうです。
 土田先生は、ここが男性と女性の違うところ…
 とおっしゃっていました。
 私も同感です。
 女性は、辛抱強くリハビリを続けられました。
      ■         ■
 重症の交通外傷、
 労働災害、
 などの不慮の事故で、
 腕や足がもげたら…
 救急病院で切断と言われたら…
 四肢再建スペシャリストの、
 土田芳彦先生を思い出してください。
 札幌東徳洲会病院外傷センター
 011-722-1110です。
 腕のよい、優しい先生です。

投稿者 sapporobiyou : 22:56 | コメント (0)

2008年06月20日

刑務所の医療

 平成20年6月20日、北海道新聞朝刊の記事です。
 医務官診療拒む 福岡
 「刑務所に戻らぬよう苦痛与える」
 福岡刑務所(福岡県宇美町)の受刑者が
 「医務官から投薬や診療を拒否されたり、
 差別的、侮辱的な暴言を受けたりした」と
 福岡県弁護士会に人権救済を申し立てるケースが相次ぎ、
 2002年以降少なくとも70件に上っていることが6月19日、
 関係者の話で分かった。
      ■         ■
 ほとんどは医師資格を持つ同刑務所第2医務課長の言動に集中。
 この課長は、
 法務省が福岡県内の大学教授や弁護士らに委嘱した
 福岡刑務所視察委員会の調査に対し
 「二度と刑務所に来させないためにも、
 受刑者には苦痛を与えなければならない」
 という趣旨の説明をしたという。
      ■         ■
 特定非営利活動法人(NPO法人)監獄人権センター(東京)は
 「自らに加罰権限があると思っている医務課長の発想はおかしい。
 全国の刑務所に根差している問題ではないか」と指摘している。
 福岡刑務所の広報担当者は
 取材に対し「コメントすることはない」と話した。
 刑務所を管轄する福岡矯正管区は
 「福岡刑務所に問題があるとは考えていない」、
 法務省矯正局は「事情を把握していない」としている。
      ■         ■
 関係者によると、
 第二医務課長は投薬や診療を求める受刑者に対し
 「仮病だろう」
 「帰れ」
 「日本で盗みをする中国人は診ない」
 とたびたび発言したとされる。
 県弁護士会や
 監獄人権センターには
 「詐病と決めつけられた」
 「人工透析を受けさせてもらえない」
 「診察要請に一切応じてくれない」
 などの訴えが寄せられている。
      ■         ■
 関係者によると、
 課長は自らを
 「コスト力ッター(経費を削減する人)」と公言。
 刑務所の薬剤費は
 2005年度に約5千万円だっが
 2007年度には約3千万円に減ったという。

      ■         ■
 昨日の朝日新聞の投稿記事で、
 受刑者一人に年間300万円の経費がかかるとありました。
 受刑者の医療水準をどの程度にするか、
 とても難しい問題です。
 コストがかかるのは、
 外科手術。
 人工透析。
 抗癌剤治療。
 などなど、さまざまな治療があります。
      ■         ■
 覚醒剤依存症で、服役したとします。
 覚醒剤を注射する時に、
 注射器を使いまわしして、
 高い確率で、
 ウイルス性肝炎になります。
 肝炎の治療にはお金がかかります。
 新薬ですと、一ヵ月の薬代が数万円。
 インターフェロンの注射なんかをすると、
 数十万円にもなります。
      ■         ■
 もし刑務所でこのような‘治療’が認められると、
 お金がなくなったら、
 悪いことをして、
 刑務所に入れてもらい、
 医療刑務所で治療してもらう…
 なんて人が増えたらどうしましょうか?
 税金で数百万円もかけて、
 ‘治療’してあげる必要があるのでしょうか?
      ■         ■
 私たちは、中学校までの義務教育で、
 悪いことをしたら刑務所に入れられることを教えられます。
 でも、普通の国民は、
 刑務所の中がどうなっているか?
 刑務所の中で病気になったらどうなるのか?
 まったく知識がありません。
      ■         ■
 受刑者の人権もわかりますが、
 刑務所で、
 普通の病院と同等か
 それ以上の医療を求めるのは…?
 身勝手すぎると、私は思います。
 どこまで治療するのが、
 受刑者に適当なのか、判断に困ります。
      ■         ■
 世の中には、
 毎日、
 朝早くから、夜遅くまで働いて、
 きちんと納税もして、
 選挙には投票にも行っているのに…
 無医村で、
 医療を受けられない人がたくさんいます。
 受刑者だけが、
 際限なく医療を受けられるというのは、
 医療者の一人として、納得できません。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2008年06月19日

障害のある受刑者

 平成20年6月18日、朝日新聞朝刊-私の視点-への投稿記事です。
 障害のある受刑者
 再犯防止へ自立支援を
 山本譲司(やまもと じょうじ)
 元衆議院議員
 わが国の刑務所は今や、
 その一部が福祉の代替施設になってしまっている。
 犯罪を繰り返して刑務所に何度も入ってくる
 障害者が増えているからだ。
      ■         ■
 私は、
 国会議員の秘書給与を詐取した罪により、
 2001年7月から1年余り、
 栃木県の黒羽刑務所に服役した。
 私に与えられた作業は、
 知的障害者、
 精神障害者、
 認知症老人など、
 心身に障害のある受刑者たちの世話係だった。
 自分が今どこにいるのかさえ理解できない
 受刑者も少なくなかった。
      ■         ■
 当初、
 法務省が障害のある受刑者を
 黒羽刑務所に集めたのかと思っていたが、
 そうではなかった。
 近年の調査では、
 全国の刑務所が同じような状態だった。
 とくに、
 服役が2度目以降の「累犯者」を収容する刑務所では
 障害者の割合が高く、
 私が最近訪ねた累犯刑務所では、
 受刑者の約6割が何らかの障害を抱えていた。
      ■         ■
 彼らの多くは、
 実社会で福祉から見放され、
 ホームレスに近い生活を続けた揚げ句、
 無銭飲食や置き引きといった
 軽微な罪で刑務所に送られてくる。
 知的障害があるのに
 障害者手帳も持っていない受刑者にもよく出会った。
 彼らは福祉の支援が届かない環境で生活し、
 犯罪者として逮捕されても
 取り調べや裁判で自らの境遇を語って
 情状酌量を得ることさえ難しい。
 もし福祉とのかかわりがあれば、
 犯罪そのものを防げた事例も多い。
      ■         ■
 彼らは福祉のセーフティーネットからこぼれ落ちて、
 やっと司法という網に引っかかり、
 獄中で保護されている。
 それが日本の福祉の現実だ。
 私はこうした暗澹(あんたん)たる状況を
 「累犯障害者」などの著書を通じて訴えてきた。
 一方、ここ数年、
 障害者福祉をめぐる環境は大きく変化している。
 2003年に障害者に対する支援費制度が導入され、
 障害者の自立を促し、
 施設入所型から地域定住型への
 政策転換が始まった。
 「脱施設」の流れは、
 2006年施行の障害者自立支援法で、
 さらに推し進められた。
      ■         ■
 しかし、
 障害者を施設でなく地域で支えるシステムは
 まだまだ弱い。
 福祉の網からこぼれ落ち、
 そのうち、
 少なからぬ障害者たちが罪を犯してしまう可能性がある。
 これは、
 同じような障害者福祉政策をとってきた欧米などで顕在化した問題だ。
      ■         ■
 そこで私は、
 問題意識を共有する関係者らと2006年、
 「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究班」
 を立ち上げ、
 厚生労働省の研究事業になった。
 調査だけでなく、
 出所した障害者を福祉施設につなぐ実践活動もしている。
 今年は、
 障害のある受刑者向けの相談窓口として、
 「社会生活支援センター」を開設するに至った。
      ■         ■
 しかし、民間主導で取り組むには限界がある。
 政府はぜひ、自立支援策を制度化してほしい。
 例えば、
 罪を犯した障害者を受け入れた福祉施設に
 助成金を手厚くする制度や、
 福祉施設と更生保護施設が相乗りした
 「障害者更生保護施設」を新設することなどが考えられる。
      ■         ■
 この問題でぜひとも必要なのは、
 法務行政と福祉行政の一体化だ。
 法務省(矯正)と厚労省(福祉)が
 縦割り意識を捨てて連携しないと、
 累犯障害者は救い出せない。
      ■         ■
 受刑者1人当たりに使われている法務省予算は
 年間300万円近い。
 刑務所に入る前に福祉の場で支えれば、
 それほどお金はかからないし、
 再犯防止の効果もあるだろう。
 日本の福祉の力が問われている。
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 刑務所に勤務する医師を、
 矯正医官といいます。
 私がはじめて矯正医官を知ったのは、
 札幌医大の学生の時でした。
 矯正医官を希望する医師は少なく、
 30年前から、
 奨学金制度などで医学生に呼びかけていました。
      ■         ■
 私が大学病院に勤務していた頃は、
 札幌刑務所の矯正医官として働きながら、
 大学で研究をしている先生がいました。
 法務大臣が認めた、‘勉強’だったと思います。
 刑務所の受刑者も病気になります。
 私はケガをした受刑者しか治療した経験がありません。
 受刑者には末期ガンの人も糖尿病の人もいるそうです。
      ■         ■
 治療が必要な受刑者には、
 ‘治療’が施されます。
 矯正医官が少ないのに、
 どのような‘治療’が行われているのでしょうか?
 受刑者には、健康保険がありません。
 治療費は全て国庫負担です。
 受刑者一人当たり、年間300万円には驚きです。
 塀の中に入れておくのにも、
 ずいぶんお金がかかるものです。
      ■         ■
 私は、この山本譲司さんを直接は知りません。
 秘書給与問題が出た時に、
 有罪判決を受けて、
 服役されたこともはじめて知りました。
 私たちは、犯罪のない、
 安全な社会に住みたいと願っています。
 どうしたら、再犯を防げるか?
 どうしたら累犯者をなくせるか?
 塀の中のことも情報を開示して、
 広く国民が考えるべきだと思いました。

yaj.jpg
山本譲司さん
(朝日新聞より引用)

投稿者 sapporobiyou : 23:54 | コメント (1)

2008年06月18日

きょうの料理

 新婚の頃です。
 今から、30年も前のお話しです。
 北大病院形成外科の忘年会で、
 その年に結婚した、先生が壇上に上げられました。
 その年(昭和56年、1981年)に結婚したのは、
 私を含めて3人でした。
 看護婦さんから、
 いろいろ質問がありました。
 どこで知り合ったとか…?
 プロポーズの言葉とか…?
 もう、すっかり忘れてしまいました。
      ■         ■
 その中で、
 奥さんの得意な料理は何ですか?
 という質問がありました。
 それぞれの先生が答えました。
 他のお2人の先生が
 何と答えたか忘れました。
 私の回答は、
 『家内が得意なのは、NHKのきょうの料理です。』
 でした。
      ■         ■
 私は、口うるさい男です。
 『家の中がキタナイ』
 『片付いていない』
 『冷蔵庫の中でものが腐っている』
 などなど…
 家内も反論します。
 『どこの家もこんなものょ…』
 女性も強くなります。
      ■         ■
 ただ、料理の味付けだけは、
 あまり文句を言った記憶がありません。
 私は、薄味が好きです。
 これは、
 関西出身の奥さんと結婚してよかったと思っています。
 茶碗蒸しも、出汁(ダシ)だけの関西風が好きです。
 関東風は、少し甘味があるそうです。
 玉子焼きも同じです。
      ■         ■
 家内は、私と結婚することが決まってから、
 お料理教室へ通ったそうです。
 大阪の、土井勝さんのお料理教室。
 結婚した時に持ってきた、
 土井勝の料理包丁は、
 かなり活躍していました。
 土井勝さんが、
 NHKの‘きょうの料理’に出演なさっていらっしゃいました。
      ■         ■
 Wikipediaによると、
 土井勝さんは、
 NHK総合テレビの「きょうの料理」や、
 テレビ朝日「土井勝の紀文おかずのクッキング」などにも出演。
 主婦層を中心に
 手軽に作れる家庭料理を数多く紹介、
 「おふくろの味」を流行語にした。

 とあります。
 これから、
 結婚なさる若いお嬢さんには、
 是非、お料理を習うことをおすすめします。
 さくらんぼさんから、コメントをいただきました。
 私としては、コメントをいただけるのは嬉しいことです。
 無理のない範囲で結構ですから、
 これからも、お願いいたします。
 札幌美容形成外科@本間賢一

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2008年06月17日

作る喜びと苦労

 さくらんぼさんから、
 時々、果樹園の写真を送っていただきます。
 ‘畑ちがい’もいいところなので、
 果樹園のことはまったくわかりません。
 私の父が植えた、
 ‘じいちゃんちのサクランボ’は、
 高いところの実は、鳥の餌になりました。
 雨が当たって割れたり、
 一部が変色したりしていました。
 どう間違っても、売れるような…
 サクランボではありませんでした。
      ■         ■
 雨が当たらないように、
 ハウスでサクランボを栽培することを知りました。
 美味しいフルーツを作るために、
 摘果作業があることも知りました。
 ブドウには摘粒作業もあるそうです。
 どれも、人の手による、
 手作業です。
      ■         ■
 外国へ行くと、
 日本の果物の美味しさがわかります。
 先進国といわれるカナダですら、
 フルーツの味では、日本に負けると思います。
 日本人は器用で、
 創意工夫が上手です。
 さくらんぼの栽培技術も、
 おそらく世界一だと思います。
      ■         ■
 恥ずかしながら、
 私は果樹園の作業が、
 こんなに大変だとは存じませんでした。
 花が咲いて、実がなるまで
 実に多くの人の手がかかり、
 その結果として、
 宝石のようなさくらんぼができることを知りました。
      ■         ■
 私が、北大形成外科に在籍していた時、
 今から25年以上前です。
 冷蔵庫に見慣れない梨がありました。
 形は少し、小さめ。
 色も、
 ところどころ茶色。
 どう見ても、‘美人のフルーツ’ではありませんでした。
 それが、
 私がはじめてラ・フランスを見た時の印象でした。
      ■         ■
 秘書さんが、
 この梨は、
 川嶋先生のご実家の山形から送っていただきました。
 『本間先生、すっごく!美味しいので、食べてみてください!』
 と絶賛していました。
 今まで、食べたことがない、
 すばらしい味でした。
 川嶋先生に、
 『先生、あの梨、何て言うの?』
 『今まで食べたことがない、素晴らしい味だった。』
 と言ったのを覚えています。
      ■         ■
 川嶋邦裕先生は、
 『あぁ、あれッスかぁ?』
 『ラ・フランスっていう、洋ナシですょ』
 といつもの口調(少し山形アクセント)で、
 ラ・フランスという名前を教えてくれました。
 当時は、今のように普及していませんでした。
 ネットで検索することもできませんでした。
 私にとって、
 ラ・フランスは、川嶋先生のふるさと、
 山形の偉大なフルーツというイメージでした。
      ■         ■
 何かのご縁で、
 さくらんぼさんから、
 ラ・フランスの写真を送っていただき、
 葉っぱの形とか…
 実が大きくなる様子とかが…
 わかるようになりました。
 作るのは、本当に大変なことです。
      ■         ■
 私たち、美容外科の手術も手作業です。
 作るのは大変ですが、
 できた時の喜びがあるから、がんばれます。
 日記も毎日書くのは、
 (本当は)大変です。
 やめようかなぁ…???
 と思うこともあります。
 でも、
 さくらんぼさんが、
 毎日コメントをくださるので…
 アクセスカウンターの数が増えているので…
 コメントをいただかない読者の方にも、
 励ましていただいています。
 ですから、続けられます。
 皆様、今日も最後まで読んでいただき
 ありがとうございました。

sak.jpg
世界一のサクランボ

投稿者 sapporobiyou : 23:40 | コメント (0)

2008年06月16日

仕事の喜び

 昨日、さくらんぼさんから
 コメントをいただきました。
 植物や動物を育てたり飼ったりする事は好きでも
 仕事となると また 別で
 農家も 労働時間と 収入が見合えば
 息子にも 継いで欲しいと思うかもしれませんが、
 私の代の方より下の後継者はほとんどいません。
      ★         ★
 私も手術をこんなにする前は
 草刈り機械で草刈りをしたり
 朝 四時から
 収穫期は夜中まで
 作業していましたが、
 体に無理が くるし
 主人だけに負担をかけてしまうので
 慣れた人を頼んでいます。
      ★         ★
 それでも
 今は 病院に診察に行く日くらいしか
 休み?がないです。
 母は 私たちが 若い時は
 三時に起きて仕事した。
 などと言ってます。
 なんだか 愚痴になってしまいました。
      ★         ★
 でも 私の家は 超忙しいけれど
 収穫の時期は 他県に配達に行く事も 多く
 たくさんの 人と触れ合い
 帰りは 美味しい 海鮮丼など 食べたりできるので
 息抜きもできます。

      ■         ■
 私の仕事も年中ヒマなしです。
 夜間の呼び出しはなくなりましたが、
 メールの返信は深夜になることもあります。
 私は、仕事をためるのがイヤなので、
 今日できることは、
 すぐにやる主義です。
 勤務医の時も、
 開業してからも、
 医師に労働基準法はないと思っています。
      ■         ■
 私のような開業医は、
 極小企業の経営者です。
 農家の方も、個人事業主ですね。
 経営者や個人事業主に、
 労働基準法はありません。
 好きで選らんだ職業だからやってられます。
 大企業になられた、
 ニトリの似鳥昭雄社長も、
 休みなく働いていらっしゃいます。
      ■         ■
 似鳥昭雄社長は、
 母校の北海学園大学で、
 教鞭までとられています。
 本当に大変なことだと思います。
 ニトリさんは、
 日本の暮らしを豊かにして、
 お客様に喜んでいただくという、
 夢とロマンが企業のバックボーンです。
      ■         ■
 私は、人をキレイにして、
 お客様に喜んでいただく。
 さくらんぼさんは、
 美味しい、フルーツを作って
 消費者の方に喜んでいただく。
 これが、生きがいだから…
 辛い高所作業もできるのだと思います。
      ■         ■
 さくらんぼさんに
 サクランボを送っていただきました。
 今まで見たこともないような…
 一度も食べたことがないような…
 超高級で、
 美味しいサクランボでした。
 今日も作業を頑張ってください!
 辛い作業でも、
 確実に実を結ぶことができるのは、
 素晴らしいことだと思います。
 

che.jpg
宝石のようなサクランボ
ありがとうございました!

投稿者 sapporobiyou : 23:29 | コメント (0)

2008年06月15日

おやじのせなか

 平成20年6月15日、朝日新聞の記事です。
 おやじのせなか
 寺脇 研
 偉大な反面教師だった
 父は医者でした。
 医者というより医学部の教授でした。
 強烈な上昇志向の持ち主で、
 鹿児島の農村から苦学を重ねて
 九州大医学部講師になり、
 後に九大総長となる恩師の娘、
 私の母と結婚しました。
      ■         ■
 長男の私を、なんとしても医学部の教授にしたかった。
 勉強して役に立てというより、
 偉くなれ、
 自分より偉くなれという感じでした。
 父が鹿児島大医学部教授のとき、
 私は中高一貫の私学の進学校に
 トップで合格しました。
      ■         ■
 自慢の息子だったのは、
 そこまでです。
 勉強しないもんだから成績は急降下。
 高校の卒業時は生徒250人中230番台でした。
 父は怒りました。
 私の部屋を監視し、
 文学本ばかり読んでいるといって
 本棚をひもでぐるぐる巻きにして封印したり、
 凝っていた将棋盤と駒を捨てたり。
      ■         ■
 こっちは医者になる気はなく、
 苦しくて自殺まで考えたけど、
 やがて父を欺く術を身につけました。
 ふすまに細工をして「ギー」と音が鳴るようにしました。
 父の急襲をいち早く察知して、
 勉強のふりをする時間を稼ぎます。
      ■         ■
 土曜の夜には家を抜け出して
 オールナイトの映画館に入り浸りました。
 早朝に帰ると
 「徹夜で勉強した」と言って
 日中に寝ます。
 父は最後まで、
 私の真の姿に気づきませんでした。
 運よく東大にひっかかり、
 キャリア官僚にもなって、
 そのたびに手放しで喜ぶ父を
 私はしらけた気分で見ていました。
      ■         ■
 私はやりたいことをやって生きていく。
 栄達を望む父と意気投合することは、
 一度もありませんでした。
 無趣味で仕事人間の父は、
 大学を退くと何もやることがなかった。
 そのとき、
 初めてむなしさを感じたようです。
      ■         ■
 テレビで夜遅く電車に乗る塾帰りの子どもを見て、
 言ってました。
 「いかん。
 私のようになるぞ。
 おまえ、
 なんとかしろ」
 と。
      ■         ■
 72歳のとき、
 老衰で死にました。
 その後読んだ教授時代の日記に
 「もっと頑張って、
 日本一の学者に、
 いや世界一の学者に」
 とありました。
      ■         ■
 裏表がなく、
 自分の素をさらけ出して生きた人でした。
 それでよかったんだ、
 と思います。
 ある意味、
 私と同じ。
 その素は、
 南極と北極ぐらいの違いがあったけど。
 偉大なる反面教師でした。
 (聞き手・大出公二)
(以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 今日は父の日です。
 私の父は82歳です。
 私の父は、私が大学受験をする時に、
 医師ではなく、
 弁護士になれと言っていました。
 自分が法律を知らなくて、
 土地をだましとられたため、
 私が小学1年生の時に、
 NHKの大学講座で、
 法律を勉強していました。
      ■         ■
 NHKで勉強していた、
 おやじのせなかを見て育った私は、
 今でも、NHKで英語会話を勉強しています。
 中学生の時には、
 NHKの中学生の勉強室という、
 ラジオ講座で勉強しました。
 大学受験の時には、
 旺文社の大学受験ラジオ講座を利用しました。
      ■         ■
 知らず知らずのうちに…
 おやじのせなかを見て、
 子どもは育つものだと思っていました。
 私は大学を追い出されて、
 ひどい目に遭いました。
 ですから、
 息子を医学部の教授にしたいと思った、
 この寺脇先生の
 お父さんの気持ちがわかりません。
      ■         ■
 『末は博士か大臣か?』
 昔の人は、
 立身出世を夢見てこう言ったそうです。
 私は医学博士の学位をいただきましたが、
 それは研究した成果のしるしであり、
 別に偉くもなんともありません。
 それで生活が楽になったこともありません。
 内閣総理大臣になっても大変そうです。
 支持率低迷で四苦八苦ですね。
      ■         ■
 私は美容外科という仕事が好きなのでしています。
 子どもは、
 自分で好きなことを見つけて、
 それをするのがよいと思います。
 親から強制されても、
 長続きしません。
      ■         ■
 私が高校生の時になりたかったのは、
 パイロットでした。
 パイロットになった友人に聞くと…
 パイロットも大変そうです。
 自分が好きな仕事をして、
 人に喜んでいただけるのが
 一番幸せだと思います。 
      ■         ■
 追記:
 東北地方の地震で被害に遭われた方に
 お見舞い申し上げます。
 さくらんぼさんはご無事で、
 今日もお仕事をなさっていらっしゃるそうです。

ter.jpg

寺脇 研
てらわき・けん
映画評論家、
京都造形芸術大学教授。
文部科学省元大臣官房審議官。
在職当時、「ゆとり教育」を推進し、
「ミスター文部省」とも呼ばれた。
近著に
「官僚批判」(講談社)。
55歳。
上田潤撮影
 (以上、朝日新聞より引用)

投稿者 sapporobiyou : 21:30 | コメント (0)

2008年06月14日

容姿の悩み

 美容外科は容姿(外貌)を変える診療科目です。
 キレイにするのが仕事です。
 私がこの仕事を選んだのは、
 少年時代(大夕張の鹿島中学校)で、
 『イカリヤ長介』とあだ名をつけられたことが、
 心の底で関係していると思います。
      ■         ■
 私は中学校1年の5月に、
 美唄市(びばいし)茶志内(ちゃしない)中学校から、
 大夕張(おおゆうばり)の鹿島中学校へ転校しました。
 私は長髪だったのですが、
 鹿島中学校では、
 坊主頭が‘標準’でした。
 長髪(といってもごく普通の頭)の転校生は、
 格好のいじめの対象でした。
      ■         ■
 私は、学校で言われるようになってから、
 自分の下くちびるが気になるようになりました。
 たまに札幌へ出ると、
 ススキノ交差点の角に…
 『中央整形』と書かれた、ビルがありました。
 今のロビンソン百貨店がある場所に、
 三谷ビルというビルがありました。
 そこで、開業なさっていらしたのが、
 武藤靖夫先生でした。
      ■         ■
 形成外科医になってから、
 はじめて武藤先生にお会いしました。
 私の父と同じ年令で、大大先輩です。
 現在は、時計台の向いで
 息子さんの、武藤英生先生が後を継がれ、
 札幌中央形成外科を開業なさっていらっしゃいます。
 親子、お二人とも温和で優しい先生です。
 英生先生のブログもあります。
      ■         ■
 武藤先生(父)に
 このことをお話ししたことがありました。
 先生は、
 『そんなことがあったのですか?』
 と笑っていらっしゃいました。
 中学生だった私は、
 勇気もお金もなかったので、
 中央整形へは行きませんでした。
 当時はメールで相談するシステムもありませんでした。
      ■         ■
 下くちびるが出ていると言われると…
 余計に気になるものです。
 当時の写真を見ると…
 必ず、下くちびるを…
 ギュっとして写真を撮っています。
 ですから余計に目立ちます。
 級友も、私が気にするのをおもしろがって
 言わなくてもいいことを言います。
      ■         ■
 私は、中央整形を受診しませんでしたが、
 もし、受診していたとしても、
 武藤先生は手術はすすめなかったと思います。
 ですから、お会いした時に
 笑ってお話しされたのです。
 このように、
 ちょっとしたことでも、
 何気なく他人から指摘されて気になることがあります。
      ■         ■
 このような悩みは誰にでもあります。
 確かに、美容外科の技術で解決できるもの、
 美容外科で治した方がよいものもあります。
 ただ、私の下くちびるのように…
 友人の
 『本間、そんなの気にすんな!』
 という一言で救われることもたくさんあります。
 上手な美容外科にかかることも大切ですが、
 よい友人を持つことは…
 それ以上に大切だと思います。
 人間は誰でも悩みがあり、
 一人では解決できないことがたくさんあります。

投稿者 sapporobiyou : 23:59 | コメント (0)

2008年06月13日

札幌西高の想い出

 私が札幌西高校へ入学したのが、
 昭和45年(1970年)4月でした。
 今から38年前です。
 自由な雰囲気の高校でした。
 当時はまだ制服がありました。
 黒の学生服に3本の白い線が入った学生帽です。
      ■         ■
 学生服のボタンだけが、
 西高のマークがついたボタンになり、
 帽子には、西高の校章がつきました。
 当時、3本線が入った帽子を被っているのは、
 中学生でした。
 ですから、高校生になっても3本線は西高だけ。
 逆に目立っていました。
      ■         ■
 一学年の定員は450人でした。
 45人ずつ、10クラスありました。
 男子が約300人。
 女子が約150人でした。
 数からいって、
 約半分は彼女ができない組です。
 私は、彼女ができない組でした。
      ■         ■
 西高は、自由な校風の高校でした。
 ある同期(男性)が言っていましたが…
 高校に入学すると…
 3年生の先輩とかが…
 男子と女子が手をつないで通学…
 この光景を見て、
 カルチャーショックを受けたと言っていました。
      ■         ■
 入学して私は1年8組になりました。
 橋本順子(はしもとまさこ)先生という、
 世界史の先生が担任でした。
 『順子と書いて、まさこと読みます。』
 というのが最初の挨拶でした。
 はっきりと、ものを言う先生でした。
 東京のお茶の水女子大卒の、
 頭のよい先生でした。
      ■         ■
 大夕張の田舎から出て来て、
 毎日、バスで通学するだけで大変でした。
 とにかく人が多いのに驚きました。
 毎日、通学だけで疲れました。
 その上、勉強はできず…
 英語の暗記はできず…
 高校に入ってから、劣等生になりました。
      ■         ■
 中学校から選抜された450人が集まったのです。
 正規分布した母集団です。
 大夕張では、成績が優秀だったとしても…
 高校に入ってから成績が落ちるのは、
 当然と言えば当然の結果です。
 彼女はできませんでしたが、
 友人はすぐにできました。
 お前、英語の暗記できた?
 できねぇ~。
 勉強しようと思ったけど、寝ちゃった。
      ■         ■
 男同士でも楽しい高校生活でした。
 友人にも彼女はいませんでした。
 だから、
 彼女がいなくても…
 自分が価値のない人間とは思いませんでした。
 秋葉原の無差別殺人の加藤容疑者。
 彼女がいないことより、
 男性の親友がいなくて、
 携帯とPCが親友だったことが…
 孤立を深めた原因だったと思います。

投稿者 sapporobiyou : 22:55 | コメント (2)

2008年06月12日

男は顔か?

 東京・秋葉原の無差別殺人。
 亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
 ケガをされた方々は、
 一日も早く快復できるようお見舞い申し上げます。
      ■         ■
 逮捕された加藤智大容疑者(25)が、
 【友達できない】不細工に人権無し【彼女できない】
 というスレッドを立てて、
 自分のコンプレックスを吐露し続けたといいます。
 男も不細工だと、彼女ができないのでしょうか?
 美容外科を生業とする私には、
 ちょっと気になることです。
      ■         ■
 札幌美容形成外科にも、
 たまに男性が来院されます。
 来院なさるのは90%以上が女性です。
 男性は多くはありません。
 目をなおして欲しい、
 鼻を高くして欲しい、
 という男性がいらっしゃることもあります。
      ■         ■
 平成19年10月9日の日記に書きました。
 日本美容外科学会で、
 北里大学名誉教授の塩谷先生が発言されました。
 注意して施術すべきなのは、
 40~50年前の米国での調査でも、
 男性の鼻の手術だったそうです。 
 男性でも隆鼻術をなさって、
 見事にイケメンになっていらっしゃる方がいるのは事実です。
      ■         ■
 ただ、私自身は、
 男性の隆鼻術は、
 事故などで鼻が変形した方など
 ごく限られた例にしか施術していません。
 男性でも、
 目の手術はたくさんしています。
 特に眼瞼下垂症手術は、
 若年層から高齢の方まで、
 たくさんの方に施術しています。
 みなさん、とても(ものが)見やすくなったと好評です。
 奥様や彼女(娘さん)の評判もよいそうです。
      ■         ■
 たまに、加藤容疑者のように、
 「自分の人生がうまくいかないのは、
 自分の顔が悪いからです。」
 目も鼻も全部一度になおして下さい、
 という男性がいらっしゃいます。
 私は、施術するとしても一度にはしません。
 元に戻せるような手術から、
 少しずつ‘お直し’するのが私の主義です。
      ■         ■
 男性がモテないのは、
 顔のせいではないと、
 私は思います。
 私もモテませんでした。
 中学・高校と彼女はできませんでした。
 平成18年12月2日の日記に書いた、
 高校生の法則があります。
      ■         ■
 私が高校生の頃にモテたのは、
 スポーツマンでカッコよい男子。
 音楽(歌・楽器)などが上手で、
 話しがうまい男子。
 でした…
 私のように医学部を目指して、
 勉強ばかりしている男子は100%モテません。
 東大や慶応を目指していた男子にも、
 彼女がいませんでした。
      ■         ■
 私は、男は顔が第一条件ではないと思います。
 女性には失礼ですが、
 男が女性を選ぶ時は、
 まず顔や容姿が優先することもあると思います。
 女性が男性を選ぶ時はどうでしょうか?
 顔がマズイというより、
 携帯やPCばかり見ていてキモイおたく系
 だから
 モテなかったのではないでしょうか?
 加藤容疑者の容姿は、
 悪くないと私は思いました。

投稿者 sapporobiyou : 22:02 | コメント (0)

2008年06月11日

私の学生時代

 私は、昭和45年4月から札幌に住んでいます。
 その年に、札幌西高校へ入学しました。
 当時は大学区制で、入学定員の3%程度までは、
 北海道のどこからでも、札幌の高校へ進学できました。
 一番難しかったのが、
 札幌南高校、
 昔は札幌一中(いっちゅう)と呼ばれていました。
 その次が、
 札幌北高校、昔の庁立高等女学校です。
 札幌西高校は、おおよそ3番目でした。
 昔の札幌二中(にちゅう)でした。
      ■         ■
 私の父方の祖母が住んでいた、
 琴似八軒(後の西区八軒)から、
 一番通いやすかったのも選んだ理由の一つです。
 西高は自由な雰囲気が‘売り’でした。
 自分の学力と相談して、
 札幌南は無理でした。
 無理のないところが、札幌西でした。
      ■         ■
 大夕張に父親を一人残して、
 母親、私、弟の3人が札幌へ来ました。
 今から思えば、父親には悪いことをしました。
 父親は、月に1~2回、
 バスで札幌へ来ました。
 自家用車もありませんでした。
 バスの運賃が、片道1,080円程度だったと記憶してます。
      ■         ■
 お金がないので、
 母親は、八軒にあった森永製菓の工場へ、
 パートで働きに出ました。
 エンゼルパイというお菓子を作っていました。
 たまに、できそこないで廃棄処分にされるお菓子を、
 こっそり持って帰ってくれて、
 それを食べるのが楽しみでした。
      ■         ■
 当時の日本(札幌)は、
 今と比べて裕福とは言えませんでした。
 トイレは汲み取り式。
 道路は未舗装。
 下水道はなく、ドブ川に排水を流していました。
 私が高校2年生の時、昭和47年(1972年)に
 札幌オリンピックがありました。
 その時に、地下鉄南北線ができました。
 真駒内⇔北24条でした。
      ■         ■
 私は、高校生の時からケチでした。
 ケチというより、お金がなかったので、
 ケチケチ生活にならざるをえませんでした。
 お金がないので、
 街に出てラーメンを食べる時も、
 必ず安いところで食べました。
      ■         ■
 めったに食べませんでしたが、
 市役所の食堂なんかを利用しました。
 当時は滝本食品という会社が、
 市役所の食堂に入っていました。
 大通り公園が見える食堂で、
 ラーメンが300円もしなかったと思います。
 公共機関の安い食堂を利用するのは、
 今でも昔のままだと、家内に言われます。
 私は悪いことだとは思いません。
 北大生協の食堂も好きです。
      ■         ■
 それでも、小遣いが少なくなると…
 あと500円しかないのに…
 どうやって、一週間過ごそうなんて考えたものです。
 街へ出かけるのにも、バスを使うとお金がかかるので、
 よく自転車を利用しました。
 私が尊敬する、
 ニトリの似鳥昭雄社長も、
 苦労した時代に、
 毎日インスタントラーメンしか食べられず、
 トリ目になったと言われていました。
      ■         ■
 昔と今は違うと家内は言いますが…
 人間は、一度は腹ペコになって…
 あ~ぁ。
 お腹すいたなぁ~
 でも財布には、300円しかないから、
 どうしたらこれでお腹いっぱいになれるかなぁ~?
 という時期が必要だと思います。
 そういう時代を過ごした人が政治家になって、
 世の中をよくして欲しいと願っています。
 医師も同じだと思います。
 苦労を知らない人は、
 人の痛みがわかる医師にはなれません。

投稿者 sapporobiyou : 23:23 | コメント (0)

2008年06月10日

アカシアの花

 この道はいつか来た道
 ああ_そうだよ
 あかしやの花が咲いてる
 「この道」という歌の一節です。
 北原白秋がうたった、
 「この道」は札幌の道です。
      ■         ■
 札幌美容形成外科のある、
 札幌駅前通りにも、
 アカシアの並木がありました。
 残念なことに…
 地下歩道の建設工事で、
 大部分が移植されてしまいました。
      ■         ■
 でも…
 しぶとく生き残っている木がありました。
 昨日あたりから…
 通勤途中に、あまい香りがします。
 上を見上げてみると、
 アカシアの花が咲いていました。
 6月の札幌はとてもよい季節です。
 ‘よさこい’が終わり、
 今週末からは、札幌祭りといわれる、
 北海道神宮例大祭があります。
      ■         ■
 昔は、札幌祭りの時は、
 小学校も早く終わり、
 医院も休診のところがありました。
 今は、‘よさこい’が有名で、
 お祭りは影が薄いのですが、
 中島公園には出店が並びます。
 私は、このアカシアの咲く季節が好きです。
 緑がキレイな時期です。
      ■         ■
 北海道には梅雨がありません。
 さわやかな季節です。
 アカシアの花と、
 札幌駅前通りの写真を撮ってきました。
 航空運賃も安い時期です。
 さわやかカントリー北海道へいらしてください。
 お待ちしております。
      ■         ■
 

ak1.jpg
アカシアの花

 
ak2.jpg
札幌駅前通り
雪印パーラーのビルの3階が
札幌美容形成外科です
ビルの左側にある木が
アカシアの木です
下を通るとあまい香りがします

投稿者 sapporobiyou : 22:52 | コメント (1)

2008年06月09日

生協の白石さん

 平成20年6月8日、朝日新聞朝刊の記事です。
 ブログ「生協の白石さん」に幕
 火付け役の学生就職で更新終了
 東京農工大(東京都小金井市、府中市)で3年前、
 学生からの質問に対するユニークな回答が話題になった
 「生協の白石さん」。
 新聞やテレビにも採り上げられ、
 学生とのやりとりをまとめた本
 「生協の白石さん」(講談社)は
 93万部のベストセラーになった。
 このブームの火付け役となったプログが、
 運営していた同大学生の卒業と同時に
 今春に終了した。
      ■         ■
 「生協の白石さん」とは
 東京農工大生協職員の白石昌則さん(38)。
 学生が生協への要望や質問を寄せる
 「ひとことカード」で、
 「問 愛は売っていないのですか…?
 答 どうやら、愛は非売品のようです。
 もし、どこかで販売していたとしたら、
 それは何かの罠かと思われます。
 くれぐれもご注意ください」
 など軽妙な回答が反響を呼んだ。
      ■         ■
 当時工学部2年生だっだ上条景介さん(23)が
 2005年、白石さんの了解を得てプログで回答を紹介し、
 多い日には10万件のアクセスを数える
 人気プログとなった。
 上条さんは生協に通って数日に1度の割で
 「ひとことカード」の回答を紹介していたが、
 この春大学を卒業、
 就職するため、
 3月末でプログの更新をやめた。
      ■         ■
 3年間で取り上げた回答は320件。
 最後のページには
 「いつもとても癒やされた」
 「上質の笑いを提供してくれてありがとう」
 「もう白石さんの律義なコメントが楽しめないのかと思うと、
 とっても悲しい」
 など約270件の書き込みが寄せられた。
      ■         ■
 4月からネット関連の会社に勤める上条さんは
 「さびしいけれど区切りは必要。
 学ぶことの多い3年間でした」
 と振り返る。
 白石さんは
 「外に発信してもらったことで、
 自分も視野が広がった。
 業務の一環として
 ひとことカードは今も書いております」。
 プログ(http://shiraishi.seesaa.net/)は
 閉鎖していないため閲覧はできる。
             (芳垣文子)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 北大生協にもひとことカードがあります。
 白石さんのようなカードはありませんが、
 北部店の食堂のカードには、
 生協も変わったものだ…
 と思わせる、的確なカードがありました。
 学生さんの要望に真摯に答えていました。
      ■         ■
 私も「白石さん」を読んでみました。
 さすがに面白い。
 また毎日が短いので読みやすい。
 参考にさせていただきます。
 一部を引用させていただきます。
 ひとことカード 2006年12月17日
 Q:なぜうちの生協の職員の方には
 美人の女性が多いのですか?(吉田さんラブ)
 A:(白石さん)ありがとうございます。
 当生協にて勤務する全ての女性にとっての
 励みとなりました。
 日頃クールなさすがの吉田も、
 口角が上がっておりました。
 何でも農工大生の皆さんは矯正視力の方々が多いとの事。
 眼力が確かであるという裏付けでもあり、
 喜ばしい限りです。
 このようなお褒めのお言葉が、
 美を保つことに不可欠だと思う次第です。(白石)

 管理人:
 女性は褒めれば褒めるほどキレイになる、
 そんなことを先日教えられ、
 早速仲の良い友人で実験し始めたのは、
 つい1週間前。
 ボキャブラリーが少ない私は、
 かける言葉がなくなり早くもダウンしかけています。
 しかし、
 できるのならこの機会に褒め上手な男になりたい、
 そんな下心丸出しの野望を持つ今日この頃です。
 そう、目標は石田純一。
 私の憧れの存在です。

      ■         ■
 めでたく社会人となられた、
 管理人の上条景介さんは、
 石田純一さんになれたでしょうか?
 この生協の白石さんも
 毎日真面目に仕事をしていらした方です。
 学生さんの、不躾な質問にも
 真摯(しんし)に回答していたので、
 後世に残る、本まで出版されました。
      ■         ■
 私は、お会いしたことはなく、
 本も買っていませんが、
 ブログを拝見しただけで
 その姿勢が伝わってきました。
 私の日記も、いつかどこかで、
 誰かのお役に立てるように…
 と思って、毎日書いています。
 今日も最後まで読んでいただき、
 ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 20:16 | コメント (0)

2008年06月08日

「ありがとう」で変わる

 平成20年6月6日、朝日新聞夕刊の記事です。
 「ありがとう」で変わる
 語る人
 京セラ名誉会長 稲盛和夫さん
 心地よく、周囲も優しく、生活潤う
 勝つか負けるか。
 厳しい競争でぎりぎりの日常は、
 「ありがとう」という言葉で変えられると、
 京セラ名誉会長で僧侶の稲盛和夫さん(76)は言う。
 自分以外のすべてに感謝することで、
 挫折続きの人生が本当に一変したという。
 (織弁優佳)
      ■         ■
 ――苦しい時に「ありがとう」なんて言えるでしょうか。
 不平、不満が募る悪循環から抜け出す時が、
 一番大変です。
 空襲で丸焼けになった鹿児島から、
 私が京都に出てきたのは1955年。
 家は貧しい。
 受験はことごとく失敗。
 大学を出たら就職難。
 やっと入った会社はつぶれそう。
 これが不平を言わずにおれますか。
      ■         ■
 同期がみんな辞めて不満を言う相手もなくなり、
 仕方なく仕事に気持ちを向けた。
 エレクトロニクス用の絶縁材料の開発です。
 本気になると時間が惜しくなって研究室に泊まり込む。
 上司が様子を見に来る。
 良いデータが出れば、
 「よかったね」と声がかかる。
 いよいよ張り切る。
 こうして新しいファインセラミックス材料の合成に成功し、
 それがテレビのプラウン管部品に採用された。
 逆境のままでしたが、
 ここから「善の循環]が始まりました。
      ■         ■
 ――好調だと今度はおごりが出そうです。
 努力の結果だとうぬぼれたい時も、
 幸運には感謝できるでしょ?
 いい時も悪い時も、
 ウソでもいいから「ありがとう」と言ってみる。
 まず自分が心地よい。