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2008年09月28日
信じてはいけない人
次の文章は2008年度版、北大形成外科年報(教室発行の小冊子)に投稿して、内容不適切でボツになった原稿です。いつか、このHPで公開することにしていました。
関堂充教授就任祝賀会の翌日にあえて掲載します。教授と講師では立場が大きく違いますが、同じことが繰り返されないように、私が犯した人生で最大の失敗をここに記載します。
信じてはいけない人
医療法人札幌美容形成外科 理事長 本間賢一
この同門会・教室年報は、北大形成外科の同門だけではなく、日本全国の形成外科学教室へ配布されます。
私の原稿は、私のことを、快く思っていない人に読まれることも覚悟の上で、書いています。
自分の、人生で最大の失敗について、私からのメッセージです。どうか同じ過ちを繰り返さないでください。
医療は、医師と患者間の信頼関係があって、はじめて成り立ちます。
医師と医師、医師とパラメディカルの間にも信頼関係が必須です。
外科は、チーム医療です。チームの仲間を信頼しなければ、手術はできません。
術者は、助手が採取してくれる皮弁の血管に異常がないことを信じています。
病棟では、しっかりと術後管理をしてくれていることを信じています。
医療人として生きていく上で、同僚を信頼することは、すべてのはじまりです。
私は、1974年(昭和49年)に札幌医大に入学し、1980年(昭和55年)に卒業しました。
1980年に北大形成外科へ入局。1998年(平成10年)に帯広厚生病院を退職するまで、18年間、北大と北大の関連病院にお世話になりました。
1998年9月から、札幌医大形成外科に勤務しました。卒業以来18年ぶりでした。
札幌医大形成外科は、1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)まで、15年間にわたり、阿部清秀先生が基礎をつくられました。
私が札幌医大に呼ばれたのは、阿部先生が旭川赤十字病院へ転出され、唇顎口蓋裂の手術ができる医師がいなくなったためでした。北大形成外科と比べて、当時の札幌医大形成外科のスタッフはマイクロを使った再建もできませんでした。
私を札幌医大に呼んだのは、当時の皮膚科教授で形成外科教授を兼務していた人でした。
『英文論文をあと2編書いたら、助教授にする』というのが、私を誘った時の言葉でした。
私が、1998年(平成10年)9月に赴任した時は、形成外科は附属病院の診療科で、講師1、助手1(皮膚科から借り)の定員でした。そこへ私が赴任して、講師2、助手1となりました。
卒業後18年も経っていましたが、母校だけあって、手術症例はすぐに集まりました。耳鼻科の再建手術が多く、英文論文になった手術症例もありました。
私は、もともと教育職に就く気はありませんでした。札幌医大では、北大形成外科の先生の助けをお借りして、教育や研究に情熱を傾けました。私なりに努力していました。
札幌医大へ赴任して、2年も経つと、私は教授と合わないことに気づきました。
教授は学内で権力を得て、医学部長に就任しました。任期は2年でした。
2期目の医学部長選挙の時に、私は対立候補に投票しました。
残念なことに、私が支持した対立候補の先生は落ちました。
2002年(平成14年)1月のことでした。
私は、札幌医大を去って、開業する道を模索しはじめていました。
そんな中、2002年(平成14年)3月7日(木)21:00に、私は医学部長室に呼ばれました。
医学部長は得意そうな笑顔で、医局員が書いたという手紙を読み上げました。
医学部長の傍には、私が札幌医大に赴任以来、‘信頼’していた助手がいました。
半年も前から、周到に準備された計画であったことを後から知りました。
私を札幌医大に呼んだのも、私を札幌医大から追い出したのも、同じ人でした。
私は、最初からその教授を信用していませんでした。
いつかは、そのような日が来ることを予測していました。
ただ、同じ形成外科の助手がグルとは…
同じ形成外科の講師がグルとは…
半年も前から周到に準備されていたとは…
愚かな私は、全く気づいていませんでした。
自分を追い出したい人がいると、自分に味方してくれる人もいるものです。
失意のどん底から救ってくれたのは、自分を慕ってくれた‘仲間’でした。
私は、約4ヵ月の間、診療・教育から一切外されました。
一日も早く出て行ってくれという態度が見えていました。
48歳にして、職を失いました。
そんな時に、私の力になってくれたのが、北大形成外科の先輩やかつての同僚でした。
『本間先生が、そんなこと、するはずがない』
『札幌医大も、よほど追い出すネタがなかったんだね』
『本間ちゃん、元気出せよ』
どんなに私を元気づけてくれたことでしょうか。
人生には、いろいろなことがあります。
自分を引っ張ってくれる人がいて、出世できることもあります。
自分を陥れる人のために、職を失うこともあります。
失意のどん底に落ちた時に、助けてくれた恩は一生忘れられません。
今、私は、札幌医大を追い出されて、本当によかったと思っています。
何の未練もありません。
泥足で、蹴られて、追い出されたようなものですが、背中を押してくれた人に感謝しています。
私は、北大形成外科という、とても良い環境で育ちすぎました。
純培養で育ったので、仲間を疑うことを知りませんでした。
外科医は、仲間に嘘をついたり、裏切ったりしないと思っていました。
世の中には、信じてはいけない人がいます。
自分の最愛の妻でさえ、平気で嘘をついて騙すような人は、簡単に他人を騙します。
そのことに気づいたのは、自分が騙された後でした。
世の中には、良い人もいれば、悪い人もいます。
論文に嘘を書く人も、データーを捏造する人もいます。
権力のトップに立った人は、権力を行使すれば何でもできると思っています。
ただ、嘘をついたり、人を陥れる人は、自分も仕返しをされると気づくべきです。
科研費の不正。所得税の不正申告。
権力の座から、引き摺り下ろされる材料はいくらでもあります。
残念なことに、私の同期で、私を助けてくれた人が…
私と同じような目に遭ってしまいました。
陥れられた、悔しい思いは、当事者でなければわかりません。
私は声を大にして言います。
『元気出せよ』
『先生がそんなことするはずないよ!』
『今にきっといいことがあるよ!』
『俺たち、北大形成外科の同期じゃないか!』
投稿者 sapporobiyou : 2008年09月28日 10:12
コメント
はじめまして、先生のブログは毎日拝見させていただいています。
先生のお人柄がそのまま文章に表れているような気がします。
先生はいつも正直にブログを書かれていらっしゃるので毎日読むのが楽しみになってしまいました。
今回の記事で、頑張ってお医者さんになられたのにそんな事もあるのかと・・・・少し心が痛くなりました。
私も人生、色々経験してきましたがどうしようもなく困った事や嫌な事があった時はその事が人生の転機に結びつく・・・と考える事にしています。
この事を乗り越えられたらきっと良い事が待ってると・・・
同期の先生もこれから今までよりも良いお仕事をされると思います。
良い方向に向かわれると良いですね。
投稿者 モモ : 2008年09月29日 17:47
いつも拝見させていただいております。先生のように実名でブログを更新されていることに深く感銘をうけております。
私も医療人であるため、チームならびに信頼という言葉に共感します。良い医療とは、すべてのつながりに信頼関係があってこそと思いますし、そうであるべきだとも思います。
今後も興味深く読ませていただきますので、身体に気をつけてください。微力ですが、ご協力できることがあればご連絡ください。
社会医療法人社団カレスサッポロ 時計台記念病院
システム管理室 赤澤 孝司
投稿者 赤澤 孝司 : 2008年09月30日 13:20
はじめまして。
いつも勉強になるエントリーありがとうございます。
私は今、信じてはいけない病院へ通院しておりますが、本当に患者へ対しても、医局だのよその大学系列病院だのなんだの、治療に関係ないことで、他の病院の文句を言っています。よその大学系列病院と言われても、こちらはさっぱりわからず、教授に至っては、半喧嘩口調です。
私が医療事務の勉強をしていたときに、先生が「医療はサービス業です」とおっしゃっていたのを、思い出しました。
信じてはいけない病院は精神的に参り、他院へ行きたいのですが、その治療は信じてはいけない病院しかやっていないらしく、困っています。
フィジカルをとるか、メンタルをとるか、迷っています。
人間として呆れます。
どうにもなりませんね。
それでは。
季節柄、寒暖の差が激しいので、ご自愛くださいませ。
投稿者 YUKI : 2008年10月24日 08:53
はじめまして。
私は札幌医科大学に通っている医学生です。たまたま本間先生のブログを拝見したのですが、とても興味深い内容だったのでコメントを残させていただきます。
私の父もかつて札幌医科大学に勤務していたものですが、本文中にある教授とのいざこざで、大学病院を辞めることになりました。
私は今札幌医科大学の学生なのですが、数ヶ月前に母からなぜ父が札幌医科大学の付属病院を辞めたのかを聞きました。
今までなぜ父が大学病院を辞めたかを知らなかった私は堪え様のない憤りを感じました。
助手や講師を使っての医局ぐるみのいじめ、いびり。そんなものがまかり通っている現状に驚き、戸惑いました。
父が、事あるごとに「どこにいっても大丈夫なように技術を身につけろ」と言っていた意味がわかりました。
元来諍いや競争が苦手な性格なので、このまま医師として一生を過ごせるか疑問を感じています。
医師になって社会的地位や権力を得てしまったら、自分が誤ってしまうのではないか?
そうでなければ、自分も父と同じように権力に押しつぶされてしまうのではないか?
恥ずかしながら私は人様のように立派な志を抱いて医学部に入学したとは言えません。
父の仕事ぶりを見ていてやりがいがありそうだと思ったこと。
一生安定した職業に就けること。
一定以上の収入や社会的地位が約束されていること。
そんな理由でしか医学部を選ばなかった自分に、医師としての資格があるとは到底思えません。
私は自分の心を曲げずに、ただの一医師として一生患者さんと向き合いたいとしか思っていません。
権力争いに巻き込まれずにこのような生き方をすることは可能なのでしょうか?
また、医師として生きていく中でこのような信念が変わってしまうようなことはないでしょうか?
本来父に聞くべき疑問なのですが、親子と言うこともあり多少聞きにくい面があって、このコメントに書かせていただきました。
独り言のようなものなので、そのままスルーしていただいても結構です。
他の記事も拝見させてもらいました。
これからもお仕事頑張ってください。
ちなみに、父は今も元気に働いています。もしも父と話すようなことがあっても、このコメントの事は話さないでいてくださると助かります。
投稿者 医学生A : 2009年04月20日 05:54