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2009年06月30日

旅立ち日和

 昨日tetsuko様からいただいたコメントです。
 今日の空、きれいですね。
 看取りの現場で言う、
 『旅立ち日和』って、
 ご存知でしたか。
 今日のような、
 初夏の晴れた日、
 その日が近くなった患者さんが、
 『こんな日に逝ってみたいもんだね、
 この土地の、
 一番きれいな空に昇るのは
 気分のいいものだろうね』と、
 笑顔で話してくださることがあるんですよ。
      ■         ■
 人生の終わりに、
 病気と向き合い、
 受け入れた患者さんの言葉です。
 残された者の気持ちをやわらげてくれるはず、
 そんな思いでこのお話をしました。
 しばらくたって、
 先生、半泣きからいつもの表情に変わって、
 「お義父さんもそうだったのかもしれない。
 今日の空のように、
 きれいな心の人だった。
 空を見るたび、
 お義父さんを思い出せるわ。」
      ■         ■
 検診で伺った園の
 園長先生が
 長年同居していたお義父様を、
 亡くされた時にかけられた
 お言葉でした。
 私の家内の父は、
 4月の桜が満開の時に急逝しました。
 毎年の命日には、
 桜がとてもキレイに咲きます。
      ■         ■
 私は医師でありながら、
 看取りは、
 数えるほどしか経験していません。
 重い病で、
 長く患う方と、
 ご一緒にいると…
 自分がのめり込みそうな性格なので、
 看取りとは離れた
 形成外科を選んだつもりでした。
      ■         ■
 形成外科とか、
 整形外科を選ぶ先生には、
 患者さんの死と、
 対面するのが苦手なので、
 その科目を選ぶ人もいます。
 いつかは対面しなければならない死は、
 医療者側にとっても辛いものです。
 私たち医師は、
 『ご臨終です』
 と申し上げると病室から去って、
 死亡診断書を書きます。
      ■         ■
 亡くなった患者さんの、
 死後の処置をして、
 ご遺族となられた家族へ、
 慰めの言葉をかけるのは、
 看護師さんです。
 tetsuko様のお知り合いの
 ベテランの看護師さんは、
 さぞ優しい方なのだろうなぁ…
 と考えてしまいました。
      ■         ■
 先日、高校の同期が亡くなったと知らせが来ました。
 高校一年の時に一緒だった男性です。
 何の病気だったか?わかりませんが、
 同年代の人が亡くなると、
 考えさせられます。
 辛いこともたくさんありますが、
 こうして元気をいただくと、
 頑張って元気なフリができます。
 2009年6月も今日で最後です。
 7月は元気が出ますように…
 tetsuko様ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 21:22 | コメント (0)

2009年06月29日

医者としての幸せとは?

 私が札幌医大の学生だった頃は、
 大きな病院の院長とか、
 ○○部長とかになるのが、
 医者として‘偉い’人なのかなぁ~?
 と漠然(ばくぜん)と思っていました。
 自分が院長になりたいとか、
 ○○部長になりたいとか、
 思っていたのではありません。
 自分の身の回りに、
 そういう人がいなかったので、
 漠然と思っていただけでした。
      ■         ■
 当時は、
 札幌医大を卒業しても、
 大きな病院の院長には、
 なれないと言われていました。
 北海道内の大きな病院の院長は、
 大部分が北大の卒業生で、
 一部に東北大の先生がいらっしゃいました。
 札幌医大は戦後に開学した公立大学です。
 私が学生だった頃には、
 まだ札幌医大の卒業生で
 札幌医大の教授になった先生は、
 数えるほどしかいませんでした。
      ■         ■
 大学病院で偉いのは、
 学長、
 医学部長、
 病院長、
 各教授でした。
 教授でも講義がつまらない人とか、
 助教授とか、
 講師の方が、
 講義も面白くて、
 学生に人気がある先生は…
 たくさんいらっしゃいました。
      ■         ■
 私が卒業して30年近くになりました。
 札幌医大の教授の多くが、
 札幌医大の卒業生です。
 これがよいことか?
 悪いことなのか?
 は後世の判断になると思います。
 北海道の大きな病院の院長は、
 まだ北大出身の先生が多いですが、
 札幌医大出身の院長も増えています。
 昔は、
 大病院の院長に就任するのが
 医者としての‘出世’だと
 思われていた時代がありました。
      ■         ■
 最近は、
 病院長に就任しても、
 マスコミで報道されるのは、
 謝罪の記者会見です。
 公立病院の多くは赤字なので、
 病院長は議会対応で大変そうです。
 職員組合との交渉もあります。
 大病院や中病院の院長も、
 とてもお疲れの様子です。
      ■         ■
 私が大病院に勤務していた時代に、
 手術場の更衣室で、
 当時の院長と一緒になったことがありました。
 私:先生、おはようございます。
 院長:おはようございます。
 私:先生、楽しそうですね。
 院長:手術場に来ると楽しいですよ。
 いつもは、困った顔ばかりしていた院長が、
 手術室では、とても楽しそうな笑顔でした。
      ■         ■
 院長室で決済の書類に判を押したり、
 議会で議員から追求されるよりも、
 ‘医者’として、
 手術ができるのが…
 ‘楽しい’のだなぁと思いました。
 大病院の院長が
 黒塗りの院長車(多くはクラウンでした)
 で送迎されたのは、
 昔のことです。
 今は専用車がある院長はほぼゼロです。
      ■         ■
 私は、
 医者として偉くなりたいとは思いません。
 出世したいとも思いません。
 少しでも、
 他人の役に立って、
 他人に喜ばれて、
 私のことを覚えてくれている人が、
 一人でも増えてくれれば、
 それが医者としのて幸せだと思っています。
 今日も
 元気なフリをして頑張っています。

投稿者 sapporobiyou : 21:37 | コメント (0)

2009年06月28日

元気なフリ

 元気がない時にも、
 元気なフリをしているのは、
 私も一緒です。
 こんなちっぽけな、
 極小企業の医療法人でも、
 苦労が絶えません。
 たとえ小さくても…
 院長とかと名の付く仕事には、
 常にストレスが伴います。
      ■         ■
 元気がない時に、
 元気なフリをしているのは
 辛いものです。
 私はすぐに顔に出るので、
 元気がないのは、
 職員にも
 患者さんにも
 バレバレです。
 日記でもばればれですね。
      ■         ■
 私が元気を回復するのは、
 手術をして、
 キレイになられた患者さんから、
 ありがとうございました
 言っていただいた時、
 お礼のメールをいただいた時、
 日記に励ましのコメントをいただいた時などです。
 生きている限り辛いことがありますが、
 他の人に励まされて、
 元気を回復しています。
      ■         ■
 私は趣味らしい趣味がありません。
 花を見るのが好きです。
 自分の家の花は、
 マンションに引越してしまったので、
 残念なことに、
 もう育てられません。
 通勤途中に見つけた花で、
 心を癒してもらっています。
 小さな花でも…
 よい香りがして、
 成長を眺めていると癒されます。
      ■         ■
 札幌は雨の多い6月でしたが、
 ここ数日でようやく夏らしくなりました。
 ラベンダーの花も、
 少しずつ開いてきました。
 私の好きな富良野のラベンダーは、
 札幌よりも少し遅れて咲きます。
 富良野のラベンダーは、
 早咲きから遅咲きまであります。
 7月下旬まで咲いていますが、
 咲いた順に刈り取られて、
 ラベンダーオイルの原料などになります。
 7月中旬頃がよい季節だと思います。

090628-1.jpg
札幌駅北口のラベンダー
2009年6月28日

投稿者 sapporobiyou : 20:41 | コメント (0)

2009年06月27日

手術回数と難易度

 マイケル・ジャクソンさんが、
 何回か鼻の手術を受けていたのは、
 事実のようです。
 これは一般論ですが…
 手術回数を重ねると、
 重ねただけ難易度が高くなります。
 つまり…
 患者さんは…
 『ちょっと、ここをなおしてほしい!』
 と思われても…
 実際には難しいことが多いのです。
      ■         ■
 二重も…
 鼻も…
 わきがも…
 陥没乳首も…
 あとから修正手術をするのが、
 最初の手術よりも難しいのです。
 これは、
 最初の手術で、
 瘢痕(はんこん)という、
 キズができてしまうためです。
      ■         ■
 前にどんな手術を受けたか…
 『忘れました』という方もたくさんいらっしゃいます。
 前に受けた手術のことを、
 申告されない方もいらっしゃいます。
 埋没法の糸でしたら、
 わからなくなっていることもあります。
 (20~30年も前に受けた手術ならなおさらです)
 そうすると、
 思わぬところに…
 微妙なラインがはいってしまうことがあります。
      ■         ■
 形成外科では、
 事故で復元できないほどに変形した、
 目や鼻をなおすことがあります。
 そういう時には、
 元の顔の写真や、
 本物の人骨を手がかりに、
 復元手術を行ないます。
 美容外科の手術は、
 形成外科よりも微妙で、
 『ちょっとここを
 というご希望が、
 なかなか難しいことがあります。
      ■         ■
 大学病院で行なうような、
 顔の骨の手術でも、
 手術後にトラブルが生じることがあります。
 骨がずれてしまったり、
 神経が麻痺してしびれが残ったり、
 予測できないような後遺症が残ることがあります。
 MRSA(えむあーるえすえい)による、
 術後感染もそうです。
 こういうトラブルに、
 いかに対処できるかは、
 先生の腕によるところもあれば、
 患者さんの体力によることもあります。
      ■         ■
 私はマイケルさんの死は、
 鼻の手術とは関係がないと推測します。
 彼の場合は、
 スターであることによる、
 さまざまなストレスから、
 いろいろな身体的な症状が出たのでは…?
 と考えます。
 偉大なスターは、
 元気がない時でも、
 ステージ上では…
 ‘元気なふり’を…
 していなければなりません。
 日本のスターがそう言っていたのを思い出しました。
 偉大なマイケルの死を残念に思います。

投稿者 sapporobiyou : 20:50 | コメント (0)

2009年06月26日

マイケル・ジャクソンさん

 今朝からTVでマイケル・ジャクソンさんの
 死亡が報道されています。
 心から哀悼の意を表します。
 マイケルさんの顔については、
 さまざまな憶測や評判があります。
 ネットで検索をしても、
 たくさんのサイトが出てきます。
      ■         ■
 彼の顔貌の変化が、
 単なる
 年齢に伴う変化ではないことがわかります。
 耳の軟骨を鼻に移植したとか、
 皮膚の病気だったという説も
 ネット上に書かれています。
 彼の顔貌は、
 誰が見ても不自然です。
 元の顔のほうがずっと素敵です。
      ■         ■
 私は彼を手術した先生のことも知りませんし、
 手術をしたかどうかもわかりません。
 手術が成功したとか、
 失敗だったとかいう前に、
 私はマイケルさんは、
 心の病気だったと推測します。
 いろいろな事件が報道されています。
 裁判で無罪だったこともありました。
      ■         ■
 美容外科も形成外科も、
 人の顔を変えることができます。
 形成外科は、
 事故やケガで変形した鼻を治します。
 美容外科は、
 病気ではない人の鼻をキレイにします。
 私が札幌美容形成外科を開業する時に考えた、
 イメージは自然
 自然な仕上がりを大切にします
 というコピーがあります。
      ■         ■
 私は形成外科医ですから、
 ものが見やすくなるとか、
 生活が快適になるとかの手術が好きです。
 いくら患者さんのご希望でも、
 私が不自然だと思う手術はおすすめしません。
 マイケルさんのことはわかりませんが、
 患者さんのご希望通りに手術を繰り返していると、
 自然な仕上がり
 維持できなることがあります。
      ■         ■
 美容外科医の中には、
 患者さんのご要望に答えて、
 日本人→西洋人
 の顔を作ってしまう先生もいらっしゃいます。
 私は、
 イメージは自然にこだわります。
 できないものは『できません』と
 申し上げます。
 形成外科医から美容外科医に、
 なりきれていないのかもしれません。
 マイケル・ジャクソンさんのご冥福をお祈りいたします。

投稿者 sapporobiyou : 22:49 | コメント (0)

2009年06月25日

熱傷用ベッドの管理

 高価な熱傷用ベッドは、
 維持管理にもお金がかかります。
 白い砂のような、
 シリコンコートした‘ビーズ’と呼ばれる、
 ‘砂’を交換する必要がありました。
 この‘砂’が高価でした。
 25年前で、
 交換には100万円以上かかりました。
 米国製の高級車は、
 維持費がかかるのと同じです。
      ■         ■
 患者さんがベッドに寝て、
 やけどした部位から、
 滲出液(しんしゅつえき)が出ると…
 その分だけビーズが汚れます。
 固まったビーズが、
 ベッドの底に溜まりました。
 また、
 白いナイロンの布が、
 ビーズの拡散を防いでいました。
 丈夫な布でしたが、
 これに穴を開けると、
 砂がこぼれてきました。
      ■         ■
 間違って、
 鋭利な刃物で布に穴をあけると、
 交換するのに何万円もかかりました。
 穴を塞がないと、
 ビーズがこぼれてきて、
 床に落ちると、
 すごく滑りました。
 とにかく扱いが面倒な器械でした。
 患者さんにも、
 ベッドの上に物を載せないでくださいと、
 お願いしていました。
      ■         ■
 私が医師になった、
 30年前に、
 このベッドがあったのは、 
 北大形成外科、
 美唄労災病院形成外科、
 釧路労災病院形成外科
 の3施設だけだったと思います。
 労災病院は、
 医師や看護師のお給料は低かったのですが、
 その分、設備は立派でした。
      ■         ■
 私は釧路労災病院形成外科にも勤務しました。
 釧路は霧の街です。
 私が赴任したのは、
 7月でしたが、
 まだストーブをつけていました。
 夏に発生する海霧のために、
 日照時間が少ないのが特徴でした。
 釧路労災病院のベッドは、
 北大より新しかったと思います。
 釧路労災病院のベッドだけ、
 この‘砂’の交換が余計に必要でした。
      ■         ■
 私は院長の新田一雄先生に呼ばれました。
 何でうちの病院のベッドだけが、
 毎年100万円以上もかけて、
 ビーズ交換をしなければならないのか?
 不良品ではないのか?
 ちゃんと調べなさいと指示されました。
 確かに、院長のおっしゃる通りでした。
 釧路労災病院は、
 日本一の黒字労災病院でしたが、
 それは新田先生の経営の賜物でした。
      ■         ■
 私はメーカーに指示をして、
 ‘砂’を米国へ送って分析してもらいました。
 その結果は、
 釧路の霧のため、
 ‘砂’が水分を吸ってしまい、
 それで劣化が早く進むということでした。
 霧が原因だったのか?
 ほんとうかどうか?
 今でもわかりません。
 私の自動車も釧路へ行って、
 マフラーが腐蝕しました。
      ■         ■
 それ以来、
 熱傷用ベッドは使っていない時も、
 定期的に電源を入れて、
 ビーズを動かしていました。
 市立札幌病院へ行ってからも、
 この定期的な空運転をしました。
 その成果のためか?
 それ以来、ビーズの劣化は少なくなりました。
 私は、今でも釧路労災病院の新田院長を、
 素晴らしい院長だったと尊敬しています。

投稿者 sapporobiyou : 20:24 | コメント (0)

2009年06月24日

熱傷用ベッド

 今日はやけどの患者さん用の
 特殊なベッドの解説です。
 熱傷用空気流動ベッド
 (ねっしょうようくうきりゅうどうべっど)
 と厚生労働省の書類に書いてあります。
 私たち形成外科医は、
 エアーベッド
 Air Floating Bed
 (えあー・ふろーてぃんぐ・べっど)
 とも呼んでいました。
      ■         ■
 もともと米国で開発されたベッドです。
 全身に大やけどをすると、
 体を動かしただけでも痛みます。
 痛みを感じないほど…
 (神経まで焼けてしまうと痛みを感じません)
 やけどをしてしまうこともあります。
 こうなっても…
 体を動かすことができません。
 じっとしていると…
 からだ中が
 褥瘡(じょくそう:床ずれ)になってしまいます。
      ■         ■
 私が医師になった、
 30年前には、
 このベッドが北大形成外科にありました。
 当時で、
 一台が約1,000万円もしました。
 米国製の高級車より高価でした。
 深さ50㎝くらいの、
 箱型のお風呂を想像してください。
 その平べったいお風呂が、
 機械の上に載っているとお考えください。
 ふつうのベッドより、
 高い位置に寝るようになっています。
      ■         ■
 お風呂の中には、
 マットレスの代わりに、
 白い砂のようなものが入っています。
 その砂が、
 空気で流動する仕掛けになっています。
 砂の上には、
 薄い白いナイロンの布が張ってあり、
 空気で流動する砂が、
 その布の下でボコボコ動きます。
      ■         ■
 はじめてこのベッドに寝てみた時は、
 ちょうど海の上に寝ているような気分でした。
 機械の音が、
 ウーンと聞こえます。
 身体が
 フワフワと浮いているような感じでした。
 実際にこのベッドに患者さんが寝ると、
 フワフワしているので、
 乗り物酔いになる方がいらっしゃいました。
      ■         ■
 やけどの患者さんだけではなく、
 褥瘡(じょくそう)の手術後の患者さん、
 大きな手術をした後で、
 動けない(動かせない)患者さんの
 手術後にも使いました。
 価格が高いだけではなく、
 重さも約1トン近くありました。
 ですから、
 現在の市立札幌病院を設計する時には、
 そのベッドを置くスペースだけ、
 床を補強したほどでした。
      ■         ■
 私が市立札幌病院へ赴任した20年前には、
 北海道でこのエアーベッドがあるのは、
 限られた施設だけでした。
 ベッドは温度管理が難しく、
 寝たきりで
 起き上がることもできないので、
 痰の排出などを気をつけないと、
 術後の合併症を起こすこともありました。
 せっかくの高価なベッドが
 活用されていませんでした。
      ■         ■
 私が赴任してから、
 この1トンもある重いベッドを
 4階の皮膚科病棟から、
 1階の救急病棟まで、
 何度も往復させました。
 私と看護師さんが運びましたが、
 一度はお見舞いに来ていらした、
 警察署長さんに
 お手伝いしていただいたこともありました。
 懐かしい想い出の一つです。

投稿者 sapporobiyou : 20:32 | コメント (0)

2009年06月23日

熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)

 さくらんぼさんから
 熱傷浴室(ねっしょうよくしつ)について、
 ご質問がありました。
 やけどに効く温泉について、
 お聞きになったことがあると思います。
 ある種の温泉は、
 やけどに効きます。
 生理的食塩水(0.9%)と同じ濃度の食塩水は、
 キズにしみません。
 生理的食塩水は、
 目に入っても、
 鼻に入っても痛くありません。
      ■         ■
 やけどをすると、
 皮膚がただれて、痛みがあります。
 キズからは滲出液(しんしゅつえき)という
 黄色の液体が出てきます。
 皮膚というバリアーがなくなるので、
 ばい菌が悪さをして化膿することもあります。
 生理的食塩水で、
 キズをキレイに洗い流すと、
 ばい菌の数が減ります。
 痛みもなく、キズをキレイにできます。
 これがやけど温浴療法(おんよくりょうほう)
 の原理です。
      ■         ■
 やけどの患者さんにとって、
 ガーゼ交換や、
 キズの処置は、
 痛くてつらいものです。
 特にキズにガーゼが固着(こちゃく:くっつくこと)てしまうと…
 はがす時に血が出たりして、
 それはつらいものです。
 生理的食塩水で濡らしてから、
 ガーゼを剥がすと痛みも無く、
 ばい菌を洗い流して、
 キズをキレイにすることができます。
      ■         ■
 やけどだけではなく、
 他のキズの処置でも、
 生理的食塩水で洗うことは、
 キズにとってよいことです。
 小さなキズややけどでしたら、
 ベッドサイドや
 洗面器を使ってもできます。
 問題なのは…
 全身の大やけどです。
 ベッドの上で処置をすると、
 水浸しになります。
      ■         ■
 そこで考えられたのが、
 熱傷浴室でした。
 やけどの患者さん用のお風呂です。
 ステンレスでできていて、
 横になったまま入れます。
 お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れます。
 そうすると、
 生理的食塩水と同じ0.9%の濃度になります。
 このお風呂でやけどのキズを洗い、
 軟膏処置をするのが、
 形成外科研修医の仕事でした。
      ■         ■
 私が形成外科医の卵になった、
 約30年前は、
 私の仕事はやけど患者さんの風呂入れでした。
 白いゴム長を履いて、
 茶色のゴムの長い前掛けをつけて、
 看護婦さんといっしょに、
 一日、数人の処置をしたこともありました。
 熱傷浴室は、
 寝たまま入れるお風呂なので、
 寝たきりで動けない方の、
 入浴にも使っていました。
      ■         ■
 ところが…
 30年の間に時代は変わりました。
 院内感染の原因として、
 この熱傷浴室が問題になりました。
 キズを洗い流すのは、
 今でもよい方法なのですが、
 MRSA(えむあーるえすえい)や
 多剤耐性緑膿菌などが、
 熱傷浴室で感染して問題となりました。
      ■         ■
 日本では、
 まだ熱傷浴室を使っている施設が多いと思いますが、
 一部の救命救急センターでは、
 感染の問題から廃止してしまったところもあります。
 ご自宅で、
 お湯1㍑に対して、食塩を9㌘入れて、
 それをペットボトルなどに入れて、
 キズを洗い流すのは、
 痛くなくてよい方法です。
 キズの処置として、
 覚えておかれるとよいと思います。

投稿者 sapporobiyou : 21:30 | コメント (0)

2009年06月22日

ヤマダ電機と旧市立札幌病院

 2009年6月19日(金)にオープンした、
 ヤマダ電機
 テックランド札幌本店
 札幌市中央区北1条西8丁目1-2
 TEL: 011-205-8001
 へ行ってきました。
 この札幌市中央区北1条西8丁目には、
 平成6年(1994年)まで、
 市立札幌病院がありました。
      ■         ■
 私は平成元年(1989年)から、
 平成6年(1994年)まで、
 この市立札幌病院で
 医師としての青春時代を送りました。
 ヤマダ電機のお隣には、
 当時の病棟の一部がまだ残っています。
 地下が救急部の
 救急ホール、
 CT室、
 救急部の医局、
 救急の当直室、
 など救急関係の部門でした。
      ■         ■
 1階が救急部の病棟、
 2階が中央手術室、
 3階からが病棟。
 私が働いていた病棟は、
 4階にありました。
 通称1-4(いちのよん)
 1病棟(いちびょうとう)
 4階(よんかい)
 なので
 いちのよん
 でした。
      ■         ■
 今でも、この病棟の横を通ると、
 当時のことを懐かしく思い出します。
 私が働いてた、
 1-4(いちのよん
 は放射線科と皮膚科の病棟でした。
 病棟婦長は、
 野切光子さんでした。
 とても優秀な婦長さんでした。
 朝は他のスタッフよりも早くいらして、
 各病室を回って、
 約50人近い患者さんのことを、
 すべて把握していらっしゃいました。
      ■         ■
 私が赴任してから、
 形成外科の患者さんも、
 積極的に受け入れてくださいました。
 使われていなかった、
 熱傷用の浴室を使ったり、
 熱傷用のベッドを、
 引っ張り出してきて、
 整備して使いました。
 今考えても…
 病棟のスタッフもよくやってくれたと思います。
      ■         ■
 ヤマダ電機は、
 北1条の西8丁目と9丁目の間に
 またがってあります。
 ちょっとわかりにくい表現ですが、
 この8丁目と9丁目の間から、
 大通り公園が見えます。
 駐車場から見た、
 大通り公園が、
 ちょうど旧市立札幌病院の
 正面玄関から見た風景といっしょでした。
      ■         ■
 同じ場所から見ているので、
 同じ光景がみえるのは当たり前なのです。
 ただ、
 20年の間に、
 病院→STVのスピカというホール
 →ヤマダ電機と変わりました。
 ヤマダ電機には、
 トイレットペーパーやティッシュ
 飲料水やお菓子まで売っていました。
      ■         ■
 時代の流れとはいえ、
 電気屋さんで、
 お菓子まで売っているのには、
 ほんとうに驚きです。
 これから札幌の街がどう発展していくのか?
 札幌駅前通りがどう変わるのか?
 もう少し私も長生きして、
 時代の移り変わりを見ようと思います。
 昨日の日記にたくさんのコメントを
 ありがとうございました♪

投稿者 sapporobiyou : 22:18 | コメント (0)

2009年06月21日

父の日

 今日は『父の日』です。
 私の父親は83歳になりますが、
 まだ元気です。
 毎年年末になると…
 『○○が死んだ』とか
 『残っているのはあと○人だ』
 とかよく言っています。
 私の父親は大正15年(1926年)生まれです。
      ■         ■
 父親の世代は、
 級友の多くが第二次世界大戦へ、
 徴兵されたそうです。
 父親は、
 札幌工業高校の木材工芸科という、
 家具などをつくる学科へ進学しました。
 薬学専門学校へ行くと、
 徴兵免除になったので、
 仙台の東北薬学専門学校へ進学しました。
      ■         ■
 戦争中の仙台で空襲に遭(あ)い、
 山へ避難して難を逃れたと、
 私が子どもの頃に聞きました。
 途中の防空壕(ぼうくうごう)で、
 学生さんここに入りなさいと、
 親切に言ってくれた人がいたそうです。
 父はその防空壕へは入らず、
 山へ逃げたそうです。
      ■         ■
 空襲が終わって、
 山から下りる時に、
 その防空壕は焼夷弾(しょういだん)に撃たれ
 防空壕の人たちは亡くなっていた。
 あの時、
 逃げていなかったら死んでいたと、
 聞かされた覚えがあります。
 子どもの頃に聞いた話しを
 何故かよく覚えています。
      ■         ■
 父親は煙草を吸い、
 酒もよく飲んでいました。
 さすがに高齢なので、
 酒も煙草も止めました。
 『お前は、(患者さんが来るから…)
 酒も飲めないで可愛そうになぁ~』
 と言われたこともありました。
 酒を飲まないのは、
 身体に合わないからで、
 別に可哀想とは思いませんでした。
      ■         ■
 父親と私は…
 好みも性格も違うと思っていました。
 ところが…
 DNAとは恐ろしいもので…
 年齢を重ねる毎に、
 父親のDNAを受け継いでいることに気付きます。
 体質はよく似ています。
 お腹が弱いところも似ています。
 短気なのも似ています。
 嫌になりますが、
 DNAには逆らえません。
      ■         ■
 短気だった父親も、
 年齢とともに温厚になりました。
 よく喧嘩もしていましたが、
 最近は喧嘩をしなくなりました。
 今日の父の日には、
 両親と家内の母親も誘って、
 琴似の鮓佐(すしさ)さんへ、
 回らないお鮨を食べに行きました。
 また来年も行きたいと願っています。

fa.jpg
私と83歳の父です

投稿者 sapporobiyou : 20:58 | コメント (0)

2009年06月20日

第6回北海道臨床創傷治癒研究会

 昨夜、札幌パークホテルで、
 第6回北海道臨床創傷治癒研究会がありました。
 昨日の特別講演は、
 市立札幌病院形成外科医長の、
 堀内勝己先生でした。
 チームアプローチによる
 糖尿病性足病変の治療
 ―米国の現状ならびに当院での取り組み―
 という興味深い内容でした。
      ■         ■
 堀内勝己先生は、
 1991年に福島県立医科大学をご卒業。
 北大形成外科へ入局され、
 北海道大学大学院をご卒業になった、
 素敵な形成外科医です。
 奥様は内科医で、
 福島県立医大の同級生です。
 私はJA帯広厚生病院で
 一年間ご一緒に働きました。
 とても優秀な先生です。
      ■         ■
 堀内勝己先生は、
 一昨年秋から、
 一年間、米国へ留学されました。
 ワシントンにある創傷治癒センターで、
 糖尿病などによる、
 足の治療を勉強されてきました。
 糖尿病は怖い病気です。
 足が腐って…
 壊死(えし)になってしまいます。
 足の趾(ゆび)だけではなく、
 膝から下を切断しなければならないこともあります。
      ■         ■
 堀内先生が講演で述べられていましたが、
 糖尿病の患者さんが増えています。
 ちょっと古いですが、
 平成20年12月26日、読売新聞の記事です。
 2,210万人に糖尿病の疑い
 10年で6割増…厚労省調査
 厚生労働省は2008年12月25日、
 2007年の「国民健康・栄養調査結果」を発表し、
 糖尿病の疑いがある人は
 全国で推定2,210万人に上るとした。
      ■         ■
 2006年調査(1,870万人)と比べ
 300万人以上増えた。
 同省は
 「運動不足や食生活の乱れが
 改善されていないことが原因」
 と分析している。
 調査は2007年11月、
 全国約6,000世帯の
 約1万8000人を対象に実施。
 糖尿病については成人約4,000人の
 血液検査結果をもとに推計した。
      ■         ■
 それによると、
 糖尿病が強く疑われるのは890万人で、
 可能性が否定できない1,320万人を合わせると
 2,210万人に上った。
 1997年調査(1,370万人)と比べると6割も増加。
 年代別の人口に占める割合は
 70歳以上が約38%、
 60代約35%、
 50代約27%、
 40代約15%、
 30代約6%、
 20代が1%だった。
 (以上、読売新聞から引用)
      ■         ■
  糖尿病になると、
 目が見えなくなり(糖尿病性網膜症)
 腎不全から人工透析を受けなればならなくなり
 (糖尿病性腎症)
 足の血管が詰まって、
 キズができると壊死になります。
 (糖尿病性足病変)
 神経も侵されるので
 男性は高率にインポテンツになります。
      ■         ■
 私も形成外科医時代に
 足趾切断(足のゆびを切断する)の
 手術は何例もしました。
 堀内先生は膝下の切断まで、
 形成外科でなさるそうです。
 切断した後の、
 義肢装具の調整も、
 義肢装具士の方と一緒になさっています。
      ■         ■
 糖尿病は内科の病気ですが、
 眼科や形成外科など、
 さまざまな科の医師や看護師、
 理学療法士、作業療法士、
 義肢装具士が
 力を合わせて治療しなければ、
 良い結果は得られません。
 堀内勝己先生のご尽力で、
 お一人でも多くの方が快適な生活をおくれるように
 祈念しています。
 堀内勝己先生ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 20:51 | コメント (0)

2009年06月19日

臓器移植法

 臓器移植法が衆議院を通過しました。
 河野洋平衆議院議長は、
 ご子息の河野太郎衆院議員から
 肝臓移植を受けられました。
 万感の思いで、
 採決を行なわれたことと思います。
 私のように、
 組織すべてを提供しますという人もいれば、
 臓器は提供しませんという人もいます。
 個人の考え方の問題です。
      ■         ■
 2009年4月8日に書いた、
 死後の願いという日記には、
 たくさんのコメントをいただきました。
 何度も繰り返しているように、
 私自身も、
 医師免許を取得してから数年間は、
 臓器提供には否定的でした。
 現在の医学教育では、
 医師、看護師ともに、
 脳死になった患者さんを長期間にわたって、
 ケアーしたり観察する実習はありません。
      ■         ■
 私の死生観が変わったのは、
 市立札幌病院救急部で、
 連日のように…
 脳死となった患者さんを診てからでした。
 私の遠縁にあたる人は、
 ご主人が…
 急性心筋梗塞で救命救急センターへ搬送され、
 亡くなるまでの、
 約1年以上を、
 毎日、病院へ通いました。
 とうとう意識が戻ることなく
 帰らぬ人となりました。
      ■         ■
 その人は、
 ご主人が亡くなった後で、
 尊厳死協会へ入り、
 自分には、
 『人工呼吸器はつけないでください。』
 『延命治療もしないでください。』
 と署名され…
 ご自分が亡くなる時は、
 安らかに眠りについたそうです。
      ■         ■
 臓器移植は医学の進歩によって可能となりました。
 また、
 脳死になった人も、
 医学の進歩によって生きることができるようになりました。
 私が医学生だった…
 30年前には、
 人工呼吸器が今ほど普及していませんでした。
 ですから、
 在宅で人工呼吸器をつけることなど、
 考えも及びませんでした。
      ■         ■
 医学が進歩したことにより、
 今までは救えなかった命が救えるようになりました。
 ロシアから来たヤケドの、
 コンスタンチンちゃんを手術したのは、
 旭川赤十字病院形成外科の
 阿部清秀先生です。
 阿部先生が東京から、
 亡くなった方の皮膚の提供を受けて、
 コンスタンチンちゃんは救命されました。
      ■         ■
 皮膚は心臓停止後にも採取できます。
 ドナーカードに皮膚はありませんが、
 その他に
 その他(すべて)と書いてあれば、
 皮膚も提供できます。

do.jpg
私の保険証の裏です

投稿者 sapporobiyou : 22:55 | コメント (0)

臓器移植法

 臓器移植法が衆議院を通過しました。
 河野洋平衆議院議長は、
 ご子息の河野太郎衆院議員から
 肝臓移植を受けられました。
 万感の思いで、
 採決を行なわれたことと思います。
 私のように、
 組織すべてを提供しますという人もいれば、
 臓器は提供しませんという人もいます。
 個人の考え方の問題です。
      ■         ■
 2009年4月8日に書いた、
 死後の願いという日記には、
 たくさんのコメントをいただきました。
 何度も繰り返しているように、
 私自身も、
 医師免許を取得してから数年間は、
 臓器提供には否定的でした。
 現在の医学教育では、
 医師、看護師ともに、
 脳死になった患者さんを長期間にわたって、
 ケアーしたり観察する実習はありません。
      ■         ■
 私の死生観が変わったのは、
 市立札幌病院救急部で、
 連日のように…
 脳死となった患者さんを診てからでした。
 私の遠縁にあたる人は、
 ご主人が…
 急性心筋梗塞で救命救急センターへ搬送され、
 亡くなるまでの、
 約1年以上を、
 毎日、病院へ通いました。
 とうとう意識が戻ることなく
 帰らぬ人となりました。
      ■         ■
 その人は、
 ご主人が亡くなった後で、
 尊厳死協会へ入り、
 自分には、
 『人工呼吸器はつけないでください。』
 『延命治療もしないでください。』
 と署名され…
 ご自分が亡くなる時は、
 安らかに眠りについたそうです。
      ■         ■
 臓器移植は医学の進歩によって可能となりました。
 また、
 脳死になった人も、
 医学の進歩によって生きることができるようになりました。
 私が医学生だった…
 30年前には、
 人工呼吸器が今ほど普及していませんでした。
 ですから、
 在宅で人工呼吸器をつけることなど、
 考えも及びませんでした。
      ■         ■
 医学が進歩したことにより、
 今までは救えなかった命が救えるようになりました。
 ロシアから来たヤケドの、
 コンスタンチンちゃんを手術したのは、
 旭川赤十字病院形成外科の
 阿部清秀先生です。
 阿部先生が東京から、
 亡くなった方の皮膚の提供を受けて、
 コンスタンチンちゃんは救命されました。
      ■         ■
 皮膚は心臓停止後にも採取できます。
 ドナーカードに皮膚はありませんが、
 その他に
 その他(すべて)と書いてあれば、
 皮膚も提供できます。

do.jpg
私の保険証の裏です

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臓器移植法

 臓器移植法が衆議院を通過しました。
 河野洋平衆議院議長は、
 ご子息の河野太郎衆院議員から
 肝臓移植を受けられました。
 万感の思いで、
 採決を行なわれたことと思います。
 私のように、
 組織すべてを提供しますという人もいれば、
 臓器は提供しませんという人もいます。
 個人の考え方の問題です。
      ■         ■
 2009年4月8日に書いた、
 死後の願いという日記には、
 たくさんのコメントをいただきました。
 何度も繰り返しているように、
 私自身も、
 医師免許を取得してから数年間は、
 臓器提供には否定的でした。
 現在の医学教育では、
 医師、看護師ともに、
 脳死になった患者さんを長期間にわたって、
 ケアーしたり観察する実習はありません。
      ■         ■
 私の死生観が変わったのは、
 市立札幌病院救急部で、
 連日のように…
 脳死となった患者さんを診てからでした。
 私の遠縁にあたる人は、
 ご主人が…
 急性心筋梗塞で救命救急センターへ搬送され、
 亡くなるまでの、
 約1年以上を、
 毎日、病院へ通いました。
 とうとう意識が戻ることなく
 帰らぬ人となりました。
      ■         ■
 その人は、
 ご主人が亡くなった後で、
 尊厳死協会へ入り、
 自分には、
 『人工呼吸器はつけないでください。』
 『延命治療もしないでください。』
 と署名され…
 ご自分が亡くなる時は、
 安らかに眠りについたそうです。
      ■         ■
 臓器移植は医学の進歩によって可能となりました。
 また、
 脳死になった人も、
 医学の進歩によって生きることができるようになりました。
 私が医学生だった…
 30年前には、
 人工呼吸器が今ほど普及していませんでした。
 ですから、
 在宅で人工呼吸器をつけることなど、
 考えも及びませんでした。
      ■         ■
 医学が進歩したことにより、
 今までは救えなかった命が救えるようになりました。
 ロシアから来たヤケドの、
 コンスタンチンちゃんを手術したのは、
 旭川赤十字病院形成外科の
 阿部清秀先生です。
 阿部先生が東京から、
 亡くなった方の皮膚の提供を受けて、
 コンスタンチンちゃんは救命されました。
      ■         ■
 皮膚は心臓停止後にも採取できます。
 ドナーカードに皮膚はありませんが、
 その他に
 その他(すべて)と書いてあれば、
 皮膚も提供できます。

do.jpg
私の保険証の裏です

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2009年06月18日

眼科と形成外科の違い

 米国や韓国には、
 眼形成外科、
 Oculoplastic surgery (オキュロプラスティク サージェリー)
 または
 Oculoplastics (オキュロプラスティク)
 という科があります。
 学会もあります。
 残念ですが日本にはまだありません。
 私を韓国へ招待してくださった先生は、
 この眼形成外科の先生たちでした。
      ■         ■
 私が学生時代に眼科を習ったのは、
 中川喬(なかがわたかし)先生でした。
 札幌医大眼科の教授を退職され、
 現在は、
 医大前中川眼科を開業なさっていらっしゃいます。
 中川先生は、
 眼科の中でも、
 斜視や流涙症などがご専門です。
 お若い頃に、
 ニューヨークに留学され、
 カンバースという有名な形成外科医の下で、
 指導を受けたと伺ったことがありました。
      ■         ■
 私が形成外科医になるきっかけとなった、
 医学部6年生の時の、
 形成外科の特別講義は、
 中川教授が担当されました。
 中川先生は、
 日本でも形成外科に造詣(ぞうけい)が深い、
 眼科医のお一人だと思います。
 私のような若輩者とは大違いです。
 私は斜視や流涙症などは、
 必ず中川先生をご紹介しています。
 中川先生から眼瞼下垂症をご紹介いただくこともあります。
      ■         ■
 一度、私が眼瞼下垂症を手術した方を、
 斜視の疑いで、
 中川先生にご紹介したことがありました。
 斜視は手術をするまでもなく、
 経過観察だけでよいことになりました。
 その時に、
 中川先生から、
 私の眼瞼下垂症手術を褒めていただき、
 とても嬉しかった思いがあります。
      ■         ■
 眼形成外科は、
 眼科医がしても、形成外科医がしても、
 まったく問題はありません。
 一部の眼科医の間では、
 形成外科医が眼瞼下垂症手術をするのを、
 非難されていらっしゃるのを
 目にすることがあります。
 確かに形成外科医は、
 より形態(見た目)を重視するのは確かです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術を、
 眼科で受けるか、
 形成外科で受けるかは、
 手術を受ける方に選ぶ権利があります。
 HPなどを参考にして、
 自分がなりたい目を選んでください。

kapre.jpg
手術前です


kapo1.jpg
手術直後です


kapo3.jpg
手術3週間後です


2-pre.jpg
まぶたが下がってものが見えません
手術前です


2-po1m.jpg
手術一ヵ月後です


2-po3y.jpg
手術3年後です

投稿者 sapporobiyou : 20:47 | コメント (0)

2009年06月17日

麻酔器の点検

 今日は麻酔器の点検日です。
 自動車は車検や定期点検が法律で決められています。
 医療器械の法定点検については、
 自動車のような法律は無いと思います。
 薬事法などの規定があるようですが、
 病院や診療所が自主的に
 点検整備しているのが現状だと思います。
 大規模な病院では、
 臨床工学士という方がいるところもありますが、
 クリニックでは、まだ一般的ではありません。
      ■         ■
 これから開業を考えていらっしゃる先生や、
 開業されて日が浅い先生は、
 おそらく医療器械の定期点検まで、
 頭が回らないと思います(失礼ですが…)。
 医学部の講義や
 臨床研修でも、
 医療器械の定期点検については、
 教えていないし、
 医師国家試験にも出ません。
      ■         ■
 私のような小さなクリニックでも、
 医療用レーザー装置、
 麻酔器、
 滅菌機など、
 さまざまな医療機器があります。
 滅菌機は、
 診療に必須のものなので、
 予備機も置いてあります。
      ■         ■
 一番メンテナンス費用がかかるのが、
 医療用レーザー機器です。
 次が麻酔器でしょうか?
 手術用顕微鏡は高価ですが、
 めったに故障はしませんし、
 電球が切れることもマレです。
 安全のことを考えると、
 麻酔器の点検整備は欠かせません。
      ■         ■
 開業する前には、
 金融機関に資金計画や、
 事業計画を提出して審査を受けます。
 銀行が融資をしてくれなければ、
 クリニックを開業することはできません。
 (スポンサーがいる場合とか)
 (自己資金が豊富な先生は別ですが…)
 この資金計画が狂うこともあります。
 メンテナンス費用は資金計画の
 意外な盲点になることもあります。
      ■         ■
 医療費抑制政策や
 100年に一度の不況で、
 医療機関の経営も大変です。
 ただ、安全にかける費用は、
 事故防止の観点からも惜しんではいられません。
 お医者さんもなかなか大変なのです。
 今日の麻酔器の点検は、
 3時間以上もかかりました。
 結果をドイツまで送るそうです。
 担当の及川様お疲れ様でした。

投稿者 sapporobiyou : 18:08 | コメント (0)

2009年06月16日

ピアノの発表会

 『先生、今度、市民文化会館で』
 『娘のピアノ発表会があるんです。』
 『よかったら、いらしてください。』
 とピアノ発表会のチケットをいただきました。
 もう20年以上も前のことです。
 そのお嬢さんは、
 生まれつき手が不自由でした。
      ■         ■
 手の先天異常は…
 山形大学整形外科の荻野利彦教授がご専門です。
 形成外科でも…
 生まれつき、
 指が多い多指症(たししょう)とか
 指と指がくっついている合指症(ごうししょう)の
 手術をしています。
 そのお嬢さんは、
 北大形成外科で手術をした方でした。
      ■         ■
 私が釧路労災病院形成外科へ勤務していた時、
 外来で経過を診ていました。
 指の異常があっても、
 ピアノは弾けます。
 障害の程度は人によってさまざまですが、
 練習を重ねると、
 ピアノも弾けるし、
 パソコンのキーボードも打てます。
      ■         ■
 土曜日の夜だったので、
 釧路労災病院から、
 歩いて釧路市民文化会館へ行きました。
 幼稚園か小学生だった、
 そのお嬢さんは、
 とても上手にピアノを弾いて、
 終わった後で、
 ちょっと恥ずかしそうにしていました。
 会場から大きな拍手がありました。
 もちろん手に障害があることはわかりませんでした。
      ■         ■
 お母さんは、
 手が不自由だったので、
 少しでもリハビリになれば…
 と思ってピアノを習わせたと、
 お話しくださいました。
 そのお嬢さんも、
 今は成人して、
 立派になられていることと思います。
      ■         ■
 小さい時に病気をしたので、
 看護師さんになったお嬢さんもいらっしゃいます。
 自分に障害があることで、
 他人の痛みが、
 健常者よりよくわかることもあります。
 父親の目が見えなかったので、
 眼科医になった先生もいます。
 ふつうの人よりも…
 よく理解できることもあると思います。
 病気に負けず頑張ってください♪

投稿者 sapporobiyou : 19:53 | コメント (0)

2009年06月15日

辻井伸行さんのピアノ

 今朝のとくダネ!で
 辻井伸行さんのピアノをお聴きしました。
 朝からとても感動しました。
 小学校6年生の時に、
 ご自身が作曲されたという、
 ロックフェラーの天使の羽
 という曲がよかったです。
 お父様は産婦人科のお医者さんです。
      ■         ■
 医院のHPに書かれていました。
 当院は、
 家庭的な暖かな雰囲気を大切にし、
 納得して頂けるような治療を心がけています。
 どんな事でも結構ですから
 お気軽な気持ちで来院してください。
      ■         ■
 別のインタビュー記事
 先生が回答なさっていらっしゃいました。
 思い出に残っている患者さんとのエピソードをお聞かせください
 産婦人科=おめでたい科というイメージがありますが、決しておめでたいことばかりではなく、流産や死産など、悲しい結末を迎えなくてはならないことも少なくありません。そのようなときに、できる限り力になり、サポートしたいと思っています。
      ■         ■
 思い出に残っていると言えば、ダウン症のお子さんを持ったお母さんのことが忘れられません。お子さんがダウン症だと知ったときはとてもショックを受けていましたが、数年経ってお子さんを連れて来てくださり、元気に子育てをなさっている様子が伝わってきて嬉しくなったものです。私自身もハンディキャップを持つ息子の父ですが、ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、悲しむこともないのだと息子に教えてもらいました。私の経験を活かして、医療面からも精神面でもお母さんをサポートしたいと思っています。
      ■         ■
 ご長男の辻井伸行さんはピアニストとしてご活躍されていますね
 息子は目が見えないというハンディキャップがありますが、周囲の方々の協力もあり、ピアニストとして活躍する場を与えていただいています。コンサートの舞台に立つ息子の姿を見るのが一番の楽しみです。家族全員で行ければ良いのですが、父と私の二人が医院を空けるわけにはいきませんので、父と交代でコンサートに行っています。

tsu.jpg 田園都市.comより引用

     ■         ■

 辻井先生がお話しになっていらっしゃる通りです。  ハンディキャップがあるからと絶望する必要もなければ、  悲しむこともないのです。  逆に私たちが、  励ましていただくこともたくさんあります。  辻井伸行さんのピアノは、  天賦の才能に…  本人の努力、  素晴らしい指導者、  そしてご両親やご家族の愛情によって、  育(はぐく)まれたのだと思います。       ■         ■  ピアノの音色も素晴らしかったですが、  辻井さんの明るい表情。  素晴らしい指の動き。  ピアノを弾き終えた後の、  満足そうな笑顔。  これらすべてが、  日本中の人を引きつける魅力なのだと思います。  これからも、  ますますご活躍されることを、  心から願っています。

投稿者 sapporobiyou : 22:39 | コメント (0)

2009年06月14日

さくらんぼありがとうございました♪

 山形から
 さくらんぼをたくさん送っていただきました。
 ありがとうございました。
 昨日いただいたさくらんぼさんのコメントです。
 山形は 梅雨いりしましたが、
 加温佐藤錦サクランボは終わり、
 来週から紅秀峰(べにしゅうほう)他が収穫期に入り
  あと10日間で終わります。
      ♡         ♡
 露地物(露地でもハウスは張ります)は
 今佐藤錦の 葉摘みが忙しく
 (さくらんぼに葉がくっついているとそこだけ青いままになるので、
 最小限くっついてる葉を手かハサミでとります)
 樹の下に太陽の陽が入るように
 銀色の反射シートを敷き詰めます。
 暑くてなかなか大変な作業です。
 が 作業中 実割れしたさくらんぼなど
 おなか いっぱい食べられるのが特権かな。
 食べ過ぎるとお腹の調子がゆるくなるので注意です。
      ♡         ♡
 山形は さくらんぼ狩りで
 これから 空港付近や 高速道路など
 さくらんぼ渋滞が来月初め過ぎまで続きます。
 ぜひ みちのく山形へ お越しください!
 私の家では観光果樹園はしてないですが、
 空港から降りると(千歳から約一時間で着きます)、
 回りは サクランボ狩りの旗がいっぱい たなびいてますよ。
      ♡         ♡
 宝石のようなさくらんぼをいただき、
 幸せな気分になれました。
 ありがとうございました。
 宝石のようなさくらんぼを作るには、
 ハウスをかけたり、
 葉っぱをとったり、
 反射シートを敷いたり、
 それはそれは大変なことを、
 さくらんぼさんと知り合うまで
 まったくわかりませんでした。
      ■         ■
 私の父が、
 孫のため、自宅の裏に、
 さくらんぼの木を2本植えました。
 『じいちゃん家さくらんぼ』は、
 大部分が鳥の餌になり、
 残った実も小さく、
 それを採るのも大変でした。
 ちょっと触っただけでもキズがついてしまう、
 柔らかなさくらんぼ
 一つひとつ手作業で収穫するのは、
 ほんとうに大変なことと思います。
      ■         ■
 さくらんぼさんには…
 毎日コメントをいただいて…
 私が日記を続ける原動力になっています。
 さくらんぼさんからいただく、
 山形のフルーツは最高です。
 私も時間ができたら、
 必ずみちのくのフルーツ王国、
 山形に行ってみたいと思っています。
 ありがとうございました♪

09sa1.jpg
宝石のようなサクランボ

09sa2.jpg
美味しくいただきました

sak2.jpg
2008年6月18日の
サクランボ

投稿者 sapporobiyou : 17:19 | コメント (0)

2009年06月13日

麻酔科研修の想い出⑥

 高橋長雄教授を偲(しの)んで書いた、
 麻酔科研修の想い出シリーズの最後です。
 偉大な教育者とは、
 自分がした失敗を、
 いかに繰り返さないか…?
 ということを正確に教える人のように思います。
 想い出⑤で書いたように、
 私の記憶が正しければ、
 盲腸の手術で患者さんが亡くなったのが、
 高橋先生を麻酔学へと導いたと思います。
      ■         ■
 第35回日本熱傷学会④で書いた、
 日本大学医学部法医学教授、
 押田茂實先生の、
 『医療事故知っておきたい実情と問題点』
 にあったように、
 医療というのは、
 病気を持った人に、
 大きな手術をしたり、
 危険性のある薬を使うことがあります。
 その結果的として…
 予想外の結果が生じる場合があります。
 リスクがある患者さんに麻酔をかけると…
 最悪の結果となることがあります。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科には、
 何人もの優秀な先生がいらっしゃいました。
 私はそこで研修を受けさせていただきました。
 私自身が研修期間中に、
 危うく事故を起こしそうになりました。
 麻酔科の研修を受けるというのは、
 自分自身で麻酔をかけなければ覚えられません。
 中には…
 予想できない事態が起こることもありました。
 事故を防ぐには、
 不測の事態が起きた時に、
 いかに対処できるかが問題となります。
      ■         ■
 大学病院の手術部では、
 同時進行で、
 毎日7~8例の手術がありました。
 麻酔科控え室には、
 各手術室の様子がモニターTVで写ります。
 患者さんの状態も、
 心電図などのモニターでわかるようになっています。
 その控え室には、
 インチャージと呼ばれる、
 麻酔科指導医の超ベテランが控えています。
 何かトラブルがあると…
 この先生がお助けマンとして急行してくれます。
      ■         ■
 私を助けてくれたのは、
 多汗症の交感神経節手術をしていらっしゃる、
 本間英司先生でした。
 本間先生は当時、留学から帰国されて、
 医局長をなさっていらっしゃいました。
 とても頼りになる兄貴分の先生でした。
 本間先生は覚えていらっしゃらないと思いますが、
 私は助けていただいたことを一生忘れません。
 札幌医大麻酔科では、
 私のようなトラブルが起きると、
 かならずケースカンファレンスという、
 症例検討会で発表していました。
      ■         ■
 毎週行なわれるケースカンファレンスでは、
 どうしてトラブルが起きたのか?
 トラブルを未然に防ぐにはどうしたら良いのか?
 などを詳細に調べて発表しました。
 私が起こしたトラブルは、
 他の先生が起こす危険性があるからです。
 熱心に討論が繰り返され、
 容赦ない質問が上の先生からも
 下の先生からもありました。
      ■         ■
 こうした
 失敗から学ぶ
 失敗を共有する
 ということが、
 医学の発展には必須だと思います。
 札幌医大では、
 今、三代目の麻酔科教授の選考中です。
 もうすぐ、新教授が選ばれて…
 高橋先生が築かれた札幌医大麻酔学教室は、
 これからもますます発展することと思います。
 先生のご冥福をこころからお祈りいたします。
 先生、ほんとうにありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 22:38 | コメント (0)

2009年06月12日

麻酔科研修の想い出⑤

 札幌医大麻酔科の高橋長雄教授は、
 麻酔学の他に、
 医学概論(いがくがいろん)という科目を
 担当されていました。
 医学概論は…
 医学部へ入学した学生に、
 お医者さんになるには…
 とか
 医師としての心構え…
 を教える科目です。
      ■         ■
 高校生や予備校生に…
 毛の生えたような…
 まだ解剖実習も始まらず…
 医学生とは言えないような時期に授業がありました。
 偉い先生が何人か交代で、
 数回の講義がありました。
 講義をしていただいた先生には、
 大変申し訳ございませんが…
 どんな内容だったか?
 覚えていません。
 ただ一つだけ覚えていることがあります。
 高橋先生が麻酔科医を志(こころざ)した理由です。
      ■         ■
 高橋先生は、
 北大医学部をご卒業後に、
 外科医を目指されました。
 当時の北大で外科学を学ぶ傍(かたわ)ら、
 薬理学教室で研究をされました。
 外科医として…
 北海道内のある町へ
 出張された時のことだそうです。
 その町の若い方が…
 盲腸(急性虫垂炎)になりました。
      ■         ■
 町の病院で…
 盲腸の手術をしました。
 ところが…
 不幸にもその患者さんが、
 亡くなってしまったそうです。
 時代は昭和20年代のはじめ、
 戦後の混乱期です。
 十分な設備が無かったのかもしれません。
 手術に問題があったのか?
 麻酔の問題だったのか?
 その辺のこともわかりません。
      ■         ■
 町では、
 『病院で盲腸の手術で死んだ』
 と評判になったそうです。
 当時でも、
 盲腸で死ぬのは…
 珍しいことだったのです。
 小さな町です。
 札幌から来た若いお医者さんは…
 すぐにわかります。
      ■         ■
 高橋先生は、
 患者さんが亡くなってから、
 町の食堂へ食事に行っても…
 買い物へ行っても…
 町の人の視線が…
 ずっと気になった。
 とお話しくださいました。
 町の人が何か話していると、
 すべて…
 ‘盲腸’とか
 ‘盲腸で死んだ’
 に聞こえたそうです。
      ■         ■
 6年間の医学部の講義で、
 自分が体験した医療事故の話しを聞いたのは、
 高橋先生の盲腸のことだけでした。
 おそらく今でも…
 自分の医療事故を講義で話す先生は、
 どこにもいないと思います。
 まだ19歳か20歳程度だった私は、
 『ふ~ん、そんなことがあるのか?』
 程度にしか思っていませんでした。
 今、自分が50歳も半ばとなり、
 そんな高橋先生をすごい!と思います。
      ■         ■
 一人の患者さんの死をきっかけとして、
 高橋先生は麻酔学をこころざし、
 若くして渡米され、
 ニューヨークで麻酔学を研鑽されました。
 私が生まれた頃の話しです。
 帰国後に、
 先生は麻酔学教室を開設され、
 多くの優秀な麻酔科医を育てられました。
 私は高橋先生から麻酔学を学んだことを、
 とても貴重な財産だと思っています。
 高橋先生と、
 高橋先生の下で研修することを許していただいた、
 恩師の大浦武彦先生に心から感謝しています。

投稿者 sapporobiyou : 20:18 | コメント (0)

2009年06月11日

麻酔科研修の想い出④

 麻酔科は外科系の科から、
 麻酔の依頼があると、
 麻酔をかける科です。
 当たり前のようですが、
 これが大変なことなのです。
 患者さんを選んで…
 麻酔をかけるのではなく、
 依頼があれば引き受けるのが原則です。
      ■         ■
 中には、
 生死にかかわるような手術もあります。
 麻酔をかけただけでも、
 生命の危険を伴うこともあります。
 私も札幌医大形成外科に勤務していた時に、
 心臓の機能が低下していて、
 麻酔科と相談して、
 手術を一度は諦めた患者さんが
 いらっしゃいました。
      ■         ■
 私が北大形成外科で研修をしていた頃、
 北大病院手術部では、
 毎週金曜日のお昼に、
 手術場(しゅじゅつば)会議というのがありました。
 各科から出された、
 翌週の手術予定を調整する会議でした。
 手術室看護師の数や、
 麻酔科医の数には限りがあります。
 全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
 人的な余裕がありませんでした。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、
 看護師さんの数が足りないので…
 直接介助は無しでお願いします。
 【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
 【看護師の代わりは研修医です】
 とか
 この手術は次週にまわしてください。
 という調整の会議でした。
 この会議に出るのが、
 形成外科ではチーフレジデントでした。
 私も半年間出席しました。
      ■         ■
 この会議で手術が(予定に)入らなくなると…
 患者さんに説明をして…
 『申し訳ございません。』
 『手術室の都合で来週の手術は延期になりました。』
 と謝るののも、
 チーフレジデントの仕事でした。
 幸い、私の時には断られて…
 中止になった例は無かったと思います。
 ただ、毎週気の重い会議でした。
 患者さんへの説明も、
 金曜日の手術部の会議の後で
 最終的な手術日程を説明していました。
      ■         ■
 麻酔科研修をした札幌医大では、
 手術部の人員の関係で、
 手術ができないとか…
 麻酔科医が足りないので、
 手術ができないとかいうことは…
 まったくありませんでした。
 手術が必要な患者さんを
 手術が必要な時に引き受けるのが、
 麻酔科と手術部の仕事でした。
 優秀な看護師や麻酔科医が、
 たくさんいたのでできたのだと思います。
      ■         ■
 現在の保険医療制度では…
 病棟の看護師を増やすと…
 病院に入る収入が
 増えるようになっています。
 ところが…
 手術室の看護師を増やしても、
 麻酔科医を増やしても、
 病院は経費がかかるばかりで、
 直接の収入増にはなりません。
 私たちが安心して医療を受けるためにも、
 国は麻酔科医や手術部の看護師にも、
 目を向けてほしいと思います。

投稿者 sapporobiyou : 21:18 | コメント (0)

2009年06月10日

麻酔科研修の想い出③

 私が麻酔科研修を受けた時に、
 私に直接、麻酔技術を指導してくださったのは、
 高橋長雄教授ではありませんでした。
 私に喉頭鏡(こうとうきょう)という器具を使って、
 口から麻酔の管(くだ)
 【挿管(そうかん)チューブと言います】
 を入れる手技を教えて下さったのは…
 当時の講師や助手・研究生の先生でした。
      ■         ■
 そのうちのお一人が、
 風のガーデンで、
 麻酔科の指導をなさった、
 旭川医科大学の岩崎寛教授でした。
 岩崎先生は大学院生で、
 博士号を取得するために、
 日夜研究をなさっていらっしゃいました。
 その他にも、
 当時、助手や研究生だった先生が、
 日本全国で、
 麻酔科教授としてご活躍中です。
      ■         ■
 麻酔科の朝は早く、
 夜は遅くまで研究室で勉強をしていました。
 ほぼ全員…
 夕食は出前でした。
 札幌医大近くのラーメン屋さんだったり、
 食堂だったりしました。
 夜の勉強は強制ではありませんでしたが、
 教室全体が勉強をする雰囲気でした。
 勉強の途中で、
 医局でコーヒーを飲んだり、
 雑談もしました。
      ■         ■
 そこら中に、
 教科書を執筆するような‘先生’が、
 何人もいました。
 医局には本や論文などの資料も、
 豊富にありました。
 わからないことがあれば、
 何でも気軽に質問できる雰囲気がありました。
 この豊富な人材こそが、
 高橋長雄教授が築かれた…
 貴重な財産であり、
 札幌医大麻酔科が、
 多くの教授を輩出した、
 原動力だと思います。
      ■         ■
 私は麻酔科研修で、
 点滴の刺し方から、
 中心静脈カテーテルの入れ方。
 心肺蘇生の基礎。
 とにかく…
 医師として、
 いざという時に必要な手技や知識を
 すべて教えていただきました。
 麻酔科研修を終えた後は、
 医師としての自信が数倍にもなった気がしました。
      ■         ■
 札幌医大麻酔科で教えていただいたのは、
 技術だけではありませんでした。
 事故を起こしてはいけないという、
 極めて基本的なことを何度も言われました。
 医師賠償責任保険にも加入しました。
 依頼があった麻酔は、
 断らないというのも、
 札幌医大麻酔科の特徴でした。
      ■         ■
 われわれは、
 北海道が作った公立大学の職員で、
 札幌医大は道民のための大学病院。
 手術を必要としている患者さんのために、
 最善を尽くすのが当然…と
 当時の並木助教授(現名誉教授)に、
 教えていただきました。
 麻酔の手技とともに…
 私の心の中に生涯、残っている、
 札幌医大麻酔科のスピリットです。

投稿者 sapporobiyou : 20:07 | コメント (0)

2009年06月09日

麻酔科研修の想い出②

 私が札幌医大の学生だった頃と、
 麻酔科研修をさせていただいたのは、
 昭和50年代でした。
 高橋長雄先生が作られた、
 札幌医大の麻酔科は、
 日本の草分け。
 新進気鋭の麻酔学教室でした。
      ■         ■
 当時は、すでに中央手術室という、
 手術部門が独立していました。
 手術室の中で、
 麻酔科医と、
 麻酔科の看護婦さんは、
 薄い水色の術衣を着ていました。
 外科系の先生と
 看護婦さんは緑色の術衣でした。
      ■         ■
 たかが術衣の色と思いますが…
 これは実にすごいことだと…
 医者になって何十年も経ってから気づきました。
 そもそも…
 麻酔科の看護婦さんが、
 手術部門で独立していたのは、
 札幌医大の他は、
 あまり無かったのでは…?
 と思います。
      ■         ■
 私が平成10年(1998年)に、
 札幌医大に赴任した時には、
 残念ながら…
 水色の術衣は無くなっていました。
 麻酔科医も緑色の術衣でした。
 麻酔科の看護婦さんは、
 その存在が無くなっていました。
 何でも…
 新病院を建築した際に、
 手術部門の看護婦さんに統一されたそうです。
      ■         ■
 確かに…
 現在の看護師不足や、
 手術部門での…
 夜勤を含めた勤務を考えると…
 仕方のないことかと思います。
 ただ、
 麻酔科の看護婦さんは、
 素晴らしかった!
 新米の研修医以上に、
 何でも麻酔のことをご存知でした。
      ■         ■
 風のガーデンに出てきた、
 主人公が麻酔科医でした。
 麻酔科准教授・白鳥貞美(中井貴一)先生は、
 素敵でしたね。
 麻酔科は、
 痛みをとるエキスパートです。
 麻酔は、
 手術を安楽に受ける魔法のような手技ですが、
 医療事故が多いのも麻酔です。
 医療安全のことが最近取り上げられてますが、
 私が医療安全の基礎を教えていただいたのが、
 この麻酔科研修でした。
      ■         ■
 手術室内で、
 水色の服を着た、
 麻酔科医と
 麻酔科専従の看護婦さんが、
 札幌医大中央手術部の、
 医療安全を担(にな)っていたと思います。
 麻酔科の看護師さんを専従にするのは、
 確かに大変なことだと思います。
 ただ、大学病院クラスになると…
 もう一度、麻酔科の看護師さんを見直しても?
 よい時期なのでは?と思います。
 麻酔科研修を受けた、
 古きよき時代のことを想い出します。

投稿者 sapporobiyou : 20:50 | コメント (0)

2009年06月08日

麻酔科研修の想い出①

 私は医師になって3年目の、
 昭和57年5月から、
 札幌医大麻酔学教室で、
 研究生として麻酔学を研修をさせていただきました。
 当時は、
 北大⇔札幌医大の間で、
 研修医が行き来して、
 研修をするというのはマレでした。
 私のわがままを…
 大浦武彦教授が聞いてくださり、
 札幌医大麻酔科の
 高橋長雄教授にお願いしてくださり、
 特例として認められました。
      ■         ■
 当時、北大形成外科医局長であられた、
 現、市立札幌病院院長の吉田哲憲先生には、
 研修先の変更で大変ご迷惑をおかけしました。
 今でも大変申し訳ないことをしたと…
 反省しております。
 しかし、私の人生にとって、
 札幌医大麻酔科での研修は、
 何ものにも代えがたい…
 貴重な財産となっています。
      ■         ■
 よき指導者の下で勉強することが、
 いかに大切かがよくわかりました。
 私は卒後3年目でしたが、
 新卒の先生と一緒に研修を受けました。
 まず最初に、
 同門の偉い先生が、
 交代で講義をしてくださいました。
 講義の合間には、
 こんなことで苦労したというような…
 教科書には書いていない、
 苦労話や体験談を聞かせていただきました。
      ■         ■
 麻酔科研修医の朝は、
 病院内で最も早いと言われていました。
 私は当時、
 北区新琴似の公団住宅に住んでいました。
 (まだ新婚でした…)
 麻生発6:00頃の
 地下鉄の始発で通いました。
 つまり…
 5:00過ぎには起きて、
 顔を洗って、
 朝食を食べて、
 車で麻生まで送ってもらい、
 始発の地下鉄に乗りました。
      ■         ■
 学生時代を含めて、
 始発の地下鉄で通ったのは、
 この麻酔科研修の時代だけでした。
 朝の地下鉄には、
 早朝から働く、
 清掃関係の方など、
 毎日、ほぼ決まった顔がありました。
 この早朝からの‘研修’が
 私の医師としての生涯で、
 とても役に立ちました。
      ■         ■
 大学病院に着くのは、
 午前7:00前でした。
 そこで、
 早出の麻酔科の看護婦さんから、
 器械や薬剤の準備を教わりました。
 当日の予定に合わせて、
 点滴や薬剤を準備します。
 麻酔器のパイピングや、
 モニターの準備などを、
 看護婦さんに教えていただきながら、
 (看護婦さんの仕事の邪魔になりながら…)
 一つひとつ覚えました。
      ■         ■
 医師免許を取得する前も、
 取得した後も、
 医師が
 点滴の準備を自分ですることはマレです。
 何本もの点滴を、
 間違えずに素早く準備するのは大変です。
 下手な自分がすると、
 点滴の管に空気が入ります。
 空気の抜き方も教えていただきました。
 注射のバイアルも、
 何本も失敗して壊しました。
      ■         ■
 点滴も注射も、
 バイアルから出してしまうと、
 無色透明な液体です。
 これを間違わないように…
 一つひとつしっかりラベルを貼ることを、
 教えていただきました。
 私が医療事故を起こさないで、
 30年近く医療を続けられるのは、
 この麻酔科研修で、
 一つひとつのことを確実にするという、
 実に単純なことをしっかり教わったからでした。
 親切に教えてくださった、
 麻酔科の看護婦さんには、
 今でも感謝しています。

投稿者 sapporobiyou : 22:16 | コメント (0)

2009年06月07日

高橋長雄(たけお)先生の死を悼(いた)む

 札幌医科大学名誉教授(麻酔学)、
 高橋長雄(たかはしたけお)先生が
 6月3日(水)午前7:55、
 87歳でお亡くなりになりました。
 こころからご冥福をお祈りいたします。
 高橋先生は、
 大正11年3月4日小樽市に生まれ、
 北大医学部を
 昭和20年(1945年)にご卒業なさいました。
      ■         ■
 1957年から1987年まで、
 30年間にわたり、
 札幌医大麻酔科の教授をなさいました。
 私は学生の時に高橋先生に麻酔学を習い、
 医師免許を取得後、3年目に、
 札幌医大麻酔学教室の研究生として、
 麻酔学をご指導していただきました。
 高橋先生は、
 地方の公立大学である、
 札幌医大が誇る素晴らしい先生です。
      ■         ■
 若くして米国へ留学され、
 当時は日本に普及していなかった、
 全身麻酔を米国から導入されました。
 札幌医大麻酔科からは、
 日本全国に多数の麻酔科医を出されました。
 高橋先生が育てられた麻酔科医の数は、
 世界でもトップクラスで、
 日本全国で多数の先生が、
 ご活躍なさっていらっしゃいます。
      ■         ■
 今日は高橋先生の告別式に参列して参りました。
 遺影を拝見して、
 先生の優しい声を想い出しました。
 私たちが医学部の6年生だった時です。
 臨床実習で麻酔科を回りました。
 高橋先生は、
 学生全員に、
 『君たちは、来年から医師として活躍します。』
 『全身麻酔とはどういうものか…』
 『体験しておくとよいです。』
 と…
 教授自らマスクを持って、
 一人ひとりの学生に
 笑気と酸素で麻酔をかけてくださいました。
      ■         ■
 自分が医師や指導医となって思ったことは、
 たとえ数分の麻酔でも、
 教授自らが学生に全身麻酔をかけてくださるのは、
 とてもすごいことです。
 北大や他大学を卒業した先生に聞いても…
 高橋先生のように、
 麻酔科の教授が自ら、
 マスクを持って一人ひとり麻酔をかけてくれるのは、
 あまり聞いたことがありませんでした。
 私は笑気麻酔でとても気持ちがよくなり、
 見えていた天井の蛍光灯が…
 次第に見えなくなったのを覚えています。
      ■         ■
 高橋先生のご自宅は、
 札幌西高校の近くにあり、
 私が高校生の頃に、
 確か?
 西高のPTA会長をなさっていらっしゃいました。
 札幌医大を退職後も、
 西野学園で校長をなさっていらしたそうです。
 人を育てるのがお好きで、
 とても上手な先生でした。
 頣神院博仁大雄禅居士
 勲三等旭日中綬章
 高橋長雄先生ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 20:45 | コメント (0)

2009年06月06日

第35回日本熱傷学会④

 昨日まで、日本熱傷学会に参加し、
 今朝7:00発のANAで帰ってきました。
 学会に参加すると、
 専門分野以外の講演も聴けます。
 昨日は、
 日本大学医学部法医学教授、
 押田茂實先生の、
 『救急医療とリスクマネジメント』という、
 教育講演がありました。
      ■         ■
 とても有意義な講演で、
 一時間があっという間に過ぎました。
 押田教授は有名な法医学者で、
 「足利事件」のDNA鑑定で、
 釈放された菅家利和さんのTV放送があったので、
 朝のテレビ朝日に生出演した後で、
 講演にいらしてくださいました。
 押田先生のご専門は、
 医療事故です。
 私たちが起こしてはいけない医療事故。
 押田先生の講演はとても勉強になりました。
      ■         ■
 講演の内容です。
 医療行為を合法的に行うには、
①免許を有する資格者が治療を目的に行うこと。
②患者がその医療行為を承諾していること。
③医療行為が現在の医療水準に達していること。
 の3条件が必要です。
 ところが、
 救急で搬送される患者さんには、
 意識がなく医療行為を承諾できない人がいます。
 救急の場合には、
 病歴が明らかではなく、
 専門外の特殊な診断困難な場合もあります。
      ■         ■
 医療というのは、
 病気を持った人に、
 場合によると大きな手術をしたり、
 危険性のある薬をつかうこともある
 専門的な行為です。
 つまり、
 もともと病気を持っている人に手を加えるので、
 結果的には
 病気のために具合が悪くなる患者さんもいますし、
 予想外の結果が生じる場合もあります。
      ■         ■
 詳しい内容は
 医療事故知っておきたい実情と問題点
 祥伝社、2005年発行_本体760円
 ISBN4-396-11006-5
 に書かれています。
 押田茂實先生は、
 医療事故を防ぐために、
 学生の教育はもちろん、
 全国の大学病院などを回っていらっしゃいます。
 病院職員と一緒に劇までして、
 いかに医療事故を防ぐかを、
 精力的に講演していらっしゃいます。
      ■         ■
 医学に関係する人には、
 是非一度聴いていただきたい講演です。
 祥伝社新書の本もとても参考になります。
 全国の病院で押田先生の講演を…
 お聞きになると…
 医療事故が減ると思いました。
 素晴らしい学会を開催してくださった、
 日本大学医学部形成外科の
 佐々木健司先生、
 東京女子医大形成外科の皆さん、
 ありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 20:58 | コメント (0)

2009年06月05日

第35回日本熱傷学会③

 昨日は‘低温やけど’についてご報告しました。
 今日はやけどの治療法です。
 2007年の日本熱傷学会からお知らせしている、
 フィブラストスプレーというお薬です。
 科研製薬㈱という会社が発売しています。
 一般名をトラフェルミンといいます。
 まだ、正式に保険で認可はされていませんが、
 このお薬がやけど治療の主役になりそうです。
      ■         ■
 このお薬のすごいところ…
 バイオ技術で作った…
 世界初の…
 線維芽細胞増殖因子
 (せんいがさいぼう_ぞうしょくいんし)。
 bFGF(べーしっく_えふ_じー_えふ)
 (basic fibroblast growth factor)
 を主成分とする薬です。
 主成分は小さな瓶に入っている、
 白い粉状の物質です。
      ■         ■
 この白い粉を
 溶解液で溶かして、
 付属品のスプレーをつけます。
 目薬の瓶より少し大きめになります。
 コロンをスプレーするような感じで…
 このお薬をやけどした部位へ噴霧します。
 噴霧したままだと痛いので、
 軟膏ガーゼや
 創傷被覆剤(そうしょうひふくざい)という
 通常のやけど治療に使う材料で覆います。
      ■         ■
 そうすると…
 軟膏ガーゼだけで治すより、
 早くキレイに治ります。
 私はこの製品を…
 大学に勤務していた10年前に、
 ネズミの実験に使わせていただきました。
 私の実験でも…
 このお薬はとても効果がありました。
      ■         ■
 日本熱傷学会の学会誌には、
 複数の先生が…
 このフィブラストスプレーが
 効果的であると発表しています。
 日本発の…
 画期的な…
 新しいやけど治療法です。
      ■         ■
 低温やけどは、
 キズが深くなってしまうために、
 治りにくいのが特徴です。
 治りにくいやけどでも、
 このお薬を使って
 上手な先生に治していただくと
 早くキレイに治ります。
 できるだけ早く…
 専門医にみせることが大切です。

投稿者 sapporobiyou : 16:11 | コメント (0)

2009年06月04日

第35回日本熱傷学会②

 今日から日本熱傷学会がはじまりました。
 『やけど』は一番身近な外傷(けが)です。
 私自身も小さなやけどをしたことがあります。
 今日の発表で参考になったこと…
 湯たんぽによるやけどです。
 経済不況になり、
 部屋が寒いので、
 寝る前に湯たんぽを使う方が増えたそうです。
      ■         ■
 北海道から九州の先生まで、
 最近、湯たんぽによるやけどが増えたと…
 発表されていました。
 湯たんぽは、
 古くからある便利な道具ですが、
 使用方法を誤ると…
 やけどをします。
 最近…
 女性と
 小さな子どもさんの、
 湯たんぽによる、
 低温やけどが増えています。
      ■         ■
 『低温やけど』をネットで検索すると、
 いろいろなサイトが出てきます。
 やけどは高温の液体とか物体に、
 人の皮膚が触れて起こります。
 天ぷら油がはねた…
 髪を整えるアイロンが触れた…
 ハワイで日焼けして赤くなった…なんてのもヤケドです。
 天ぷら油も、
 アイロンのコテも、
 ヤケドをした瞬間に痛みがあります。
 熱い!⇒痛い!でわかります。
      ■         ■
 ところが…
 低温ヤケドが厄介(やっかい)なのは…
 この熱い!⇒痛い!が無いのです。
 寒い夜に…
 一人で冷たい布団に入って、
 足が冷たいのは辛いものです。
 あたたかい湯たんぽは、
 とても気持ちがよいものです。
 ついつい湯たんぽ
 ぴったりと足をくっつけてしまいます。
 疲れていると…
 そのまま爆睡してしまうこともあります。
      ■         ■
 そうすると…
 温かくて気持ちがよかった湯たんぽ
 凶器に変わります。
 人間の皮膚も蛋白質でできています。
 蛋白質は熱に弱く、
 皮膚も卵のように焼くと白く固まります。
 ゆで卵を作る時に、
 沸騰したお湯に短時間入れると、
 半熟卵になりますが、
 少し低温で時間を長くすると、
 黄身まで固い完熟卵になります。
      ■         ■
 気持ちがよいと思っていた
 湯たんぽの温度でも、
 長時間当たっていると、
 皮膚が損傷されてしまいます。
 これを‘低温やけど’と言います。
 湯たんぽの他に、
 ホカロン、
 暖房便座、
 床暖房、
 ホットカーペットなど、
 あらゆる温かいもの
 低温やけどをする可能性があります。
      ■         ■
 注意していただきたいのは、
 ‘低温やけど’をしても、
 すぐには気づかないこともあります。
 痛みがないこともあります。
 夜勤明けの看護師さん、
 睡眠薬で爆睡してしまう方、
 お酒に酔って意識が薄い方、
 下肢の知覚障害がある方。
 低温やけどになりやすい方は、
 意外と多くいらっしゃいます。
 子どもさんにも注意が必要です。
 安全な湯たんぽ
 添い寝をしてくれる…
 温かい親の脚です。

投稿者 sapporobiyou : 17:56 | コメント (0)

2009年06月03日

第35回日本熱傷学会①

 日本熱傷学会へ出席するため、
 東京へ来ています。
 熱傷学会はやけどの学会です。
 形成外科の先生、
 救急の先生、
 看護師さん、
 が参加する学会です。
 まみ子師長さんも、
 明日からの学会に参加なさるそうです。
      ■         ■
 今日は学会の評議員会がありました。
 99人の評議員がいます。
 私は市立札幌病院に在籍中に、
 評議員にしていただきました。
 学会の予算や方針などを決める会です。
 大学教授などの偉い先生の中で、
 私のような開業医はちょっと場違いです。
 でも、懐かしい先生に会えるのが楽しみです。
      ■         ■
 今日は学術講習会などもありました。
 一般市民向けに…
 市民公開講座もありました。
 この公開講座で、
 特別講演をなさった、
 キャセイ産業㈱代表取締役
 大島修治様のお話しが
 懇親会でありました。
 とても感動的なお話しでした。
      ■         ■
 大島様は、
 1996年7月会社に押し入った暴漢に、
 ガソリンを頭からかけられて
 火をつけられました。
 全身の60%のⅢ度熱傷。
 医師からは、
 命の保証はできないと告げられたそうです。
 5度の危篤状態と
 十数回の移植手術を乗り越えて、
 不屈の精神で再起されました。
      ■         ■
 命は助かったものの…
 首はやけどの傷のために動かず…
 【瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)といいます】
 右手は指が焼けてなくなってしまい、
 ものをつかむことすらできなかったそうです。
 九州から…
 東京女子医大形成外科の
 野﨑幹弘教授を紹介していただきました。
      ■         ■
 今回の学会長である佐々木健司先生、
 女子医大東医療センターの仲沢弘明先生、
 女子医大の教授に就任された櫻井裕之先生、
 素晴らしい
 東京女子医大形成外科スタッフの手術で、
 見事に顔貌と手の再建が成功しました。
 ご自身の辛い体験を…
 著書/「人生逃げたらあかん
 NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、
 お話しされ、多くの人を勇気づけていらっしゃいます。
      ■         ■
 私もお話しさせていただきましたが、
 HPを拝見して、さらに勇気づけられました。
 大島様がお話しになる大切なことは、
 (1) ありがとうの心
 (2) すみませんの心
 (3) 感謝の心
 (4) 素直な心
 (5) 正直な心
 (6) 他人を思いやる心
 (7) 何でも良い一つ得意なものを持とう。
 (8) 親や先輩を尊敬しよう。
 (9) あいさつ、返事、後始末
      ■         ■
 他人に感謝して、思いやる心を持とう!!
 そして自分の成長の為には
 厳しさやストレスも必要だと認識しよう。
 自分を好きに成り、
 他人を好きになろう。
 自分も喜び、他人も喜ばせよう。
 自分も楽しみ、他人も楽しめるように成ろう。
 楽して生きるのではなく、楽しく生きよう!
 辛い事も、苦労も、嫌な事も、
 自分の成長の為に
 神様が与えて下さった勉強だと思って感謝しよう。
 その感謝する心が幸せをつかむ入口の門です。
      ■         ■
 人生は自分の好きな事や得意な事を一生懸命やって、 
 その事が
 直接他人の喜ぶ事に結びつく生き方が
 もっとも幸せで輝かしい人生だと思う。
 苦労や困難は自分の成長の為にあります。
 厳しさやストレスも必要です。
 ストレスも善玉 と悪玉があります。
 悪玉は残ります。
 善玉は吹き飛びます。
 悪玉ストレスを善玉にして楽しく生きよう。
 その為には何か一つでも
 得意な事、好きな事を見つけよう。
 (以上、HPから引用)
      ■         ■
 生死の境をさまよって、
 何度も辛い手術を受け、
 奇跡的に快復され…
 ご自分の事業も軌道に乗せ、
 他人のために、
 勇気を与える講演活動をされている、
 大島修治社長に、
 ほんとうに心を打たれました。
 女子医大形成外科の先生が、
 足の指を移植して再建された、
 大島社長の右手と握手できました。
 とてもあたたかな手でした。

投稿者 sapporobiyou : 21:43 | コメント (0)

2009年06月02日

札幌東豊病院

 週刊文春2529
 2009年6月4日号、
 病院情報ファイル2009の記事です。
 大規模産科診療
 お産主体の大型産婦人科病院。
 規模の利点を活かして、患者本位の診療を実現。
 札幌東豊病院
 〒065-0017
 札幌市東区北17条東15-3-1
 電話011-704-3911
 取材・構成
 恵原真知子
      ■         ■
 産科診療は二十四時間、年中無休の対応が求められる。その過酷な仕事ぶりが世間に知られるようになってはきたが、産科の縮小や閉鎖が相次ぎ、人気の産科には予約が殺到と、とても選べる状況ではない。医師の労働環境改善が一朝一タにゆくものではないだけに、お産難民となる可能性もなかなか解消されない。
      ■         ■
 「どこの産科でも勤務の過酷さは変わらないと思いますが、私どもは昭和59年に開院して以来、殆どの患者さんをお断りすることなく受け入れることができています。スタッフの数が多く、自分たちを支えあっているゆえのことでしょう。
 里帰り出産は女性の社会進出に伴って減りつつありますが、希望していても受け入れ先がなくて諦める方も多い。経験者の親御さんがそばにいることが育児不安の軽減に役立つ里帰り出産はもちろん、本州からのお産難民も大歓迎です」
 心強い一声は札幌東豊病院の前田信彦院長(産科)。
      ■         ■
 昭和終盤といえば既に少子化が顕在化し、産科や小児科を目指す医師が減り始めていたころだ。創設者は、産科診療を続けたいなら個別に開業するより仲間と一緒に病院を運営したほうが、医療側にも患者側にもメリットが大きいと考え、札幌医大出身の医師6人が集まってこの病院を始めたという。
 現在は、常勤の産婦人科医14人、小児科医4人、麻酔科医1人、助産師33人、看護師30人と増え、建物も増築を重ねてきた。この体制で年間平均1,300件前後の分娩に対応。2つの分院を含め札幌市内で生まれる赤ちゃんの6、7人に一人はこの病院で産声をあげているのだ。開院以来の分娩総数は3万3千件になるという。大学病院並みの件数だが、周産期母子医療センターの指定はない。いまのところは、通常の分娩を中心に、不妊症や婦人科疾患を幅広く扱う専門病院ということだ。
      ■         ■
 長期滞在用宿泊施設も
 産科診療における小児科医の存在は、子どもに病気がない母子にとっても大きな安心感となるだろう。しかし、配備しても診療報酬には何も反映されない。
 「もちろん実際に子どもを診療すれば診療費として請求できます。いざというときの対処のために、プロを揃えて医療の質を保障しているということです」とは理事長でもある小児科の若松章夫医師。ところで、この理事長・院長職は持ち回り制で、医療側の働きやすさ、患者のかかりやすさが優先されるらしい。
      ■         ■
 「医師数はまだ足りず、リクルート大歓迎です。万一、増員で賃下げになったとしても、休みや研究の時間がとれます。また、人員や設備(NICUなど)を規定の数に増やし、周産期医療センターの指定を受ける選択肢もあります」(若松理事長)
 産婦人科の外来診療は、8~19時(昼休みを除く)、土・日・祝日も9~17時オープン。仕事をもつ妊婦が助けを借りずに通院するには、夕方と土日に開いていないとニーズに応えられない。当院で働く女性医師や看護師が、妊娠中や育児期間に通院しやすい条件を考慮し、整えられた体制というしだい。
      ■         ■
 病室は、64床中個室が47床。また、遠方の雪深い地域から訪れる患者のための長期滞在施設(自炊できる部屋が2つあり、一泊2千円)も用意。
 “相手の身になった診療“と口にするのは簡単だが、少人数では、志があっても難しい。世に先駆けたチーム運営は、規模の利点が医師の負担軽減ばかりか医療の効率や質の向上につながる好例といえるだろう。
      ■         ■
 昨年1年間の診療内容
 産科
 分娩総数  1,252人(多胎分娩17件)
 帝王切開347人(分娩総数の28.1%)
 吸引分娩120人(分娩総数の9.6%)
 病的新生児の入院数
 入院総数350人
 低出生体重児132人
 人工呼吸管理12人
 他院搬送17人(先天性心臓疾患、難治性低血糖、超低出生体重児、染色体異常など)
 婦人科
 子宮筋腫(集束超音波治療装置もあリ)や卵巣嚢腫、婦人科がんなどの手術を400件以上実施。なお、がんや不妊の治療に欠かせない細胞検査技師も常駐
 (以上、週刊文春より引用)
      ■         ■
 札幌東豊病院が掲載されて…
 とてもうれしく思います。
 札幌美容形成外科の職員のお産も
 札幌東豊病院でした。
 私が赤ちゃんを抱っこしていたのは、
 個室の病室です。
 とてもよい病院です。
 おすすめします。
      ■         ■
 私の弟の子どもも、
 札幌東豊病院で生まれました。
 理事長の若松章夫先生(小児科)は
 私の結婚式の友人代表。
 若松先生は、
 同級生ですが、
 北大理学部をご卒業後に…
 札幌医大に入学なさったので、
 私より年上で、
 私の人生の先輩であり、よき相談相手です。
      ■         ■
 産科・婦人科の先生はもちろん、
 小児科、
 麻酔科と、
 とても優秀な先生がそろっています。
 麻酔科の河東寛(かわひがしひろし)先生は、
 元市立札幌病院麻酔科部長。
 超ベテランの麻酔科医です。
 病院スタッフの皆さんも…
 とても親切で優しい方ばかりです。
 赤ちゃんを産むなら…
 札幌東豊病院です。
 お食事もとても美味しいそうです。
 (職員が言っていました…) 
       ■         ■

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産休中の職員と赤ちゃん

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赤ちゃん(光希くん)と私です

投稿者 sapporobiyou : 21:37 | コメント (0)

2009年06月01日

ウイズ・エイジング

 平成21年5月31日、朝日新聞朝刊の記事です。
 私の視点
 高齢化社会
 ウイズ・エイジングを糧(かて)に
 鳥羽 研二(とぱ けんじ)
 医師、杏林大教授(高齢医学)
      ■         ■
 確実に進む加齢をどう受け止め、上手に老いていくか。高齢化社会の難題を解くかぎのひとつとして、日本人の特質を生かして老化と素直に向き合う生き方「ウイズ・エイジング(With Aging)」を提唱したい。
 米国で急速に台頭したアンチ・エイジング(Anti Aging)の概念がわが国へも広がったのは、今世紀に入った頃たった。抗加齢、すなわち、老化現象を悪と決めつけ、何とか逆らおうとする主張であり、いつまでも若々しくと願う中高年の人びとの心理を巧みにとらえた。
 若々しくありたいのは自然の欲求だ。しかし、行き過ぎるとどうなるか。たとえば、顔のシワを消したいあまり、危険を冒してまでも胎盤注射の治療に踏み込んでしまう。ここは、円然した知性でシワを年齢に相応の魅力のひとつと受け止めたい。
      ■         ■
 アンチ・エイジングではその人が社会に役立つか否か、という基準が強調されすぎていると思えてならない。不老長寿があたかも実現できるかのようないかがわしい宣伝すらある。ライフスタイルだけでなく化粧品、薬品、栄養食品など多様な産業が有望な市場ととらえて殺到している。
 ウイズ・エイジングという概念に私が至ったのは、老年医学の現場で長く過ごす中で「老いることにも、光を当てるべき良い部分があるのではないか」と考えたからだ。
      ■         ■
 加齢による変化は否定的に理解されがちである。しかし、本当にそうだろうか。
 確かに記憶力は低下するが、判断力や推察能力、寛容さは向上することが少なくない。20代の大学生と比べて70歳の語彙(ごい)は2倍以上、また自然科学の学問のピークは40~50歳だが人文科学は70歳でもピークを保っているとの研究結果もある。「年の功」だ。
      ■         ■
 どんな老化現象にもそっと寄り添い、生活上の不自由さはなるべく生じないよう知恵を絞る。たとえ認知症や寝たきりになっても、排泄や食事がなるべく自然に近い状態でできるよう配慮することで、その人らしさを保つ工夫をする。死の際に、額のシワに言葉にならない高齢者の人生を実感できる。単に精神論ではなく、価値あるものとして学問的に証明していきたい。
      ■         ■
 わが国は長寿国で、介護保険や国民皆保険など誇るべき制度も多い。謙譲の美徳や協調の精神は今なお日本人の誇るべき長所でもある。この特質に、加齢を包括的に理解するウイズ・エイジングはうまく融合するのではないか。
 老化現象をむやみに嫌ったり落胆したりせず、そうかといって目を背けもしない。その人なりの老化を個性の一部と見なすウイズ・エイジングを、アンチ・エイジングと対極の概念として成然した高齢社会の糧に育てたいと思う。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 ウイズ・エイジングという言葉を…
 はじめて聞きました。
 確かに…
 われわれ美容外科医・形成外科医は…
 アンチ・エイジングを強調しすぎている…?
 かもしれません。
 年齢とともに刻まれた、
 額(ひたい)の深いシワ…
 それはそれで…
 意味深いものがあります。
      ■         ■
 私は…
 商売柄…
 額のシワを見ると…
 すぐに眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)を
 思い浮かべます。
 上の方が見にくいとか…
 重症の肩こりがあるとか…
 アゴを上げてものを見ているとか…
 マッサージや整体に…
 通っていらっしゃるのかなぁ~
 などと思ってしまいます。
      ■         ■
 ウイズ・エイジングも…
 確かに大切なことだと思います。
 札幌美容形成外科では、
 胎盤注射の治療はしておりません。
 ただ、プラセンタを注射しても…
 顔のシワは消せません。
 ボトックスはシワを目立たなくできますが、
 私は危険だとは思っていません。
 その人その人の考え方の問題だと思います。
      ■         ■
 上手に年齢を重ねることは…
 とても大切なことです。
 私も今年55歳になります。
 昔だったら定年の年です。
 額の深いシワが、
 年齢のためだけでしたら…
 何の問題もありません。
      ■         ■
 ただ、ものが見にくかったら…
 眼瞼下垂症手術を受けるとよいと思います。
 70歳以上で1割負担の方でしたら…
 定額給付金の2万円でおつりがきます。
 生命保険の手術給付金もいただけると…
 黒字になります。
 上手なウイズ・エイジングだと思います。

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まぶたが下がってものが見えません
手術前です


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皮膚も切除したので
腫れが残っています
手術一ヵ月後です


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手術3年後です

投稿者 sapporobiyou : 20:32 | コメント (0)