« 2010年06月 | メイン | 2010年08月 »

2010年07月31日

良い医学教育?

 私が札幌医大を卒業したのは、
 今から30年前です。
 北大医学部へ入りたかったのですが、
 偏差値は私の模試の平均点よりはるか上でした。
 試験科目が、
 私の苦手な‘物理’が必須でした。
 一浪していて…
 二浪する元気も勇気もありませんでした。
      ■         ■
 受験生の夏という、
 2007年8月14日の院長日記。
 第二志望という、
 2009年4月3日の院長日記に書いてあります。
 私は北大へ憧れていましたが、
 学力不足で北大(医)は諦めました。
 入学した札幌医大は、
 単科の医科大学でした。
 今のように保健医療学部はありませんでした。
      ■         ■
 札幌医大には…
 大学生協もなければ…
 学生食堂もありませんでした。
 広いキャンパスがある、
 北大への憧れがありました。
 札幌医大には、
 グランドがなかったので、
 体育の授業はバスで新琴似まで行きました。
 楽しい思い出の一つです。
      ■         ■
 第一志望ではありませんでしたが、
 私は、札幌医大で教育を受けたことを、
 30年後の今はよかったと思っています。
 私が入学した、
 昭和49年(1974年)春の医師国家試験合格率は…
 札幌医大が全国最低でした。
 北海道新聞に大きく出たのを記憶しています。
 国家試験制度が変わり、
 それに対応できていなかったことが原因のようでした。
      ■         ■
 せっかく入学したのに…
 全国最低の合格率には凹みました。
 卒業して30年が経過して振り返ると…
 私たち札幌医大の卒業生は、
 良い医学教育を受けたと思います。
 昨日の産泊もそうです。
 卒業までに正常分娩3例(違っていたらごめんなさい)は、
 当時の札幌医大の教育要綱で決めたことだと思います。
 全国一律の基準ではありません。
      ■         ■
 札幌医大の医師国家試験合格率は、
 その後、年々上昇しました。
 今は北大(医)よりも上のことが多いと思います。
 国家試験合格率を上げるため、
 札幌医大の教官は一生懸命教えています。
 今は、偏差値が高い医科大学だけが、
 良い医学教育をしているのでは…
 ないと私は思います。
 私は学生時代にお世話になった先生に、
 今でも感謝しています。


札幌医大6年生の臨床実習
胸部外科

投稿者 sapporobiyou : 22:13 | コメント (0)

2010年07月30日

産泊(さんぱく)の思い出

 産泊(さんぱく)と言っていました。
 お産(分娩)を見学するために、
 医学生が病院に泊まることです。
 札幌医大の学生と…
 道立衛生学院助産婦科(今は助産師)の学生が…
 札幌医大附属病院の産婦人科へ泊まって、
 分娩の見学をしました。
      ■         ■
 私が札幌医大を卒業したのは、
 今から30年前です。
 札幌医大は北海道が設立した公立大学です。
 当時から、
 道民のための医師づくりに重点が置かれていました。
 離島の医師になっても…
 僻地の医師になっても…
 地域でたった一人の医師になっても…
 なんとかできる医師
 を目指していたように思います。
      ■         ■
 今から考えると…
 6年生の臨床実習は充実していました。
 産泊もその一つです。
 卒業するまでに、
 最低3例以上の正常分娩を見ること。
 という指導方針があったと記憶しています。
 この考えには、
 30年後の今も感謝しています。
      ■         ■
 もし…
 僻地の医師になって、
 その地域で
 急に産気づいた妊婦さんがいて…
 『僕、お産なんて…』
 『見たことありません…』
 では困ります。
 自分では何もできなくても、
 助産師さんと協力して、
 とにかく子どもを取り上げなくてはなりません。
      ■         ■
 お産は毎日ある訳ではないので…
 実習期間中に何泊かした記憶があります。
 産婦人科のお昼ご飯は、
 毎日、手づくりで美味しかったです。
 夜食のおにぎりもありました。
 実習中の学生は無料でいただきました。
 医局で先生と話したことも…
 楽しい思い出の一つです。
      ■         ■
 私が最初に見学させていただいたのは、
 経産婦の方でした。
 お産は順調でした。
 生命の誕生という
 劇的な瞬間に立ち合わせていただき、
 感激したことを覚えています。
 産科医冥利という日記にも、
 産科の素晴らしさが書かれています。
      ■         ■
 不覚にも…
 2例目のお産で、
 私は倒れました
 一緒にいた、
 助産婦科の学生さん(女性)が、
 助けてくれました。
 その産婦さんは経産でした。
 特に問題はないとのことでしたが…
 悲痛な叫び声を上げました。
 その声を聞いて…
 具合が悪くなりました。
      ■         ■
 赤ちゃんは無事に誕生しました。
 翌日、教室で級友から…
 『本間、ゆうべ…産泊で倒れたんだって…』
 と有名になりました。
 倒れた理由
 に書いた子どもの司法解剖についで、
 2回目でした。
 友人の間では、
 『本間はに弱い』
 という認識が広まりました。
      ■         ■
 こんな経験をできたのも、
 古きよき時代の思い出です。
 今の大学病院には…
 正常分娩の産婦さんが少なく、
 札幌医大でも…
 卒業までに3例も正常分娩を見学できないようです。
 他の大学病院でも、
 帝王切開は見学できても、
 正常分娩の症例がないため、
 多くの医学生が正常分娩も見学せず…
 医師免許を取得しているそうです。

投稿者 sapporobiyou : 21:13 | コメント (0)

2010年07月29日

臓器移植_読者編②術後の笑顔に命感じた

 平成22年7月28日、朝日新聞朝刊の記事です。
 患者を生きる1336
 臓器移植_読者編②
 術後の笑顔に命感じた
 2007年12月、心臓移植を受けるため渡米し、カリフォルニア州立大病院に入院した夫と私は、言葉も通じず、異なる環境に戸惑いました。
 本当に移植ができるのか、お金は足りるのか。先がまったく見えず、夫が病気になってから一番強く不安を感じた時期でした。
 ボランティアの入が交代で通訳してくれ、買い物を手伝ってくれました。「病院を信頼することが必要だ」と言われ、本当にそうだと思いました。英語ができないことを気にしなくてもいい、移植が終わったら、一緒に英語を勉強しましょう、と言われ、頑張っていこうと思いました。
 渡航は自分かちで決めたことだから、口にしまいと思っていましたが、米国の患者のための臓器移植システムを夫が利用する心苦しさがありました。日本で待機している人たちへのうしろめたい気持ちもありました。
 思い切ってそのことを打ち明けると、その人は、「神様が用意してくださっているから、当然受けるものとして、新しい心臓を受け取ってほしい」と言いました。
 「移植を受けていい」。その言葉で、ガチガチだった肩の力が抜けていく気がしました。
 08年が明けてまもなく、提供者(ドナー)が現れました。次々に医師や看護師がやって来て説明を受け、書類にサインをしました。
 手術室に入る前、「2入でこれからも頑張ろう」と私が声をかけると、「3人だ。ドナーも合わせて」と夫は答えました。
 12時間の手術が終わり、夫の顔色の良さ、以前のように温かい手に涙がこぼれました。
 それから毎日病院に通い、夫の生き生きとした笑顔を見て、これが命だと感じました。
 3ヵ月目の検査も拒絶反応がなく、帰国の許可が出ました。お世話になった大勢の人たちがお祝いとお別れの会をしてくれました。
 いま、夫は免疫抑制剤を毎日決まった時間に飲み、感染に気をつけ、新しい心臓に助けられて、元気に仕事もしています。
 私たち外国人を受け入れてくれた米国は、とても寛容な国だと感謝しています。
 日本には医療の技術も設備も保険制度もあるのに、移植が普及しないのが残念です。救える命を救える国になってほしい。そのためにできることをしたい。それが米国で移植を受けた夫と私の使命だと思っています。
 (さいたま市_佐藤いずみ_35歳)
      ■         ■
 私は朝日新聞の
 患者を生きるシリーズを愛読しています。
 2009年11月30日には、
 アメーバ角膜炎
 をご紹介しました。
 この前日の記事には、
 渡米して移植手術を受けるために、
 親が土地を売ってくれ、
 死亡保険金が高度障害を理由に給付され
 高額の費用を捻出したことが書かれてました。
      ■         ■
 ドナーさえ確保できれば、
 こちらの佐藤さんは
 日本国内で移植手術を受けられました。
 佐藤さんの奥様は保健師さんです。
 その奥様ですら、
 米国で移植を受けるのに、
 言葉も通じず、
 異なる環境に戸惑いました
 と書かれていました。
      ■         ■
 何度も書いているように…
 私はドナーカードを持っています。
 かなりくたびれているので…
 使い物にならないかも知れませんが…
 脳死になったり…
 臓器提供ができる状態であれば…
 私は喜んで臓器を提供します。
 下の写真はasahi.com
 から引用しました。
 日本でも臓器提供が普及し、
 移植医療が進歩することを祈っています。

sat
外出する佐藤いずみさんと夫の靖一さん。お隣の猫が寄ってきた=さいたま市
(以上、朝日新聞より引用)

投稿者 sapporobiyou : 20:31 | コメント (0)

2010年07月28日

帯広市医師会_医者のつぶやき

 今から13年前、
 私がJA帯広厚生病院形成外科主任部長だった時です。
 帯広市医師会の機関紙に投稿依頼が来ました。
 その時に書いた文章が…
 ネットに載っていると患者さんからお聞きしました。
 帯広市医師会HPがリニューアルしてしまい、
 簡単に見れなくなったので
 ここに掲載します。
      ■         ■
 社団法人_帯広市医師会ホームページ
 医者のつぶやき
 形成外科医のつぶやき
 宣伝できないことのもどかしさ。
 腋臭症(わきが)は保険診療で手術をうけられます。
 私どもの帯広厚生病院をはじめ,総合病院の形成外科では,健康保険で腋臭症(わきが)の手術を行っています。
 腋臭症は手術によって改善することが可能で,手術に健康保険が適用されます。
 患者さんの中には,心ない美容外科を受診し,30万円以上の手術費用をローンで払ったにもかかわらず,手術後も症状が改善せずローンの支払いだけが残ったというお気の毒な方もいらっしゃいます。
 腋臭症の手術に健康保険が使えること自体を御存知ない方や,健康保険で手術を受けると,醜いキズアトが残ってしまうのではないかと不安を持つ人が多いようです。
 健康保険で行う手術は,皮弁法または反転剪除法という大部分の美容外科で行っているのと同じ方法です。人によってキズアトが少し残る方もいますが,それは手術方法よりも体質や手術後の経過によるところが大きいと思います。
 女性週刊誌を見ると,美容外科の違法宣伝のオンパレードで,ビデオや本の説明に名を借りた手術の宣伝があふれています。良心的な美容外科の中には健康保険でわきがの手術を行っているところもありますが,多額の広告宣伝費をかけているところは自費診療で費用も30万円以上はします。
 残念なことに現在の法律では,われわれがどんなに良い手術をしていてもそれを宣伝することはできません。 疾患の性質上患者さんのクチコミで情報は伝わりません。
 病院によって入院を要するところ,外来通院でできるところがありますが,手術後の安静さえ保てれば,傷はきれいに治ります。わきがで悩んでいらっしゃる方を御存知でしたら,是非教えてあげてください。
 少し長くなりましたが,医者のつぶやきに投稿させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。
 〔専門科〕形成外科〔年齢〕43〔勤務〕
      ■         ■
 年齢43というところが…
 若いです。
 私はもう少しで56歳になります。
 ず~っと前から…
 同じことを言っています。
 この投稿でJA帯広厚生病院の
 わきが患者さんは増えませんでしたが…
 10年以上経過しても引用されるところがすごいです。
      ■         ■
 当時は、
 帯広駅前(高架になる前の古い駅です)に
 1階に三越帯広営業所が入った
 白いビルがありました。
 (今は再開発で取り壊されています)
 そのビルに西武クリニックという…
 帯広で唯一の美容外科がありました。
      ■         ■
 地元の医師会でも、
 誰が経営しているのか…?
 どんな先生がいるのかも知りませんでした。
 その美容外科へ行って
 わきが手術を受けた…
 30台の女性が帯広厚生病院形成外科を受診しました。
 手術を受けたのに…
 ちっともよくなっていない…!
      ■         ■
 手術を担当してくださったのは…
 年輩の男性の先生。
 手術は片側30分もかからず…
 あっという間に終わり…
 切開した傷と…
 ローンと…
 臭いが残ったという方でした。
      ■         ■
 札幌美容形成外科を開業してからも…
 30分で治るという広告を見て…
 東京まで行って…
 あなたは範囲が広いから100万円と言われて…
 ローンを組んで手術を受けたのに…
 何も改善しなかったという人が…
 何人も受診しています。
      ■         ■
 仕事を休まずにできる。
 手術後の通院は不要。
 行ったその日に手術ができる。
 手術後の安静は不要。
 確かに魅力的な言葉です。
 でも…
 症状が改善しなければ…
 何のための手術かわかりません。
 一生に一度の手術です。
 騙(だま)されないように気をつけてください。

投稿者 sapporobiyou : 20:18 | コメント (0)

2010年07月27日

私のロマンとビジョン

 私は札幌美容形成外科を開業する時に…
 最高水準
 安全
 快適
 医療を
 適正な価格
 提供すること
 を目標としました。
 私のロマンビジョンです。
      ■         ■
 私は1998年から2002年まで、
 札幌医科大学形成外科に勤務していました。
 当時の札幌医科大学医学部附属病院は
 地下1階に形成外科外来がありました。
 皮膚科外来のお隣でした。
 形成外科は付属病院の外来でも…
 一番小さな外来でした。
      ■         ■
 診察室はわずか2つだけです。
 処置室やレーザー治療室は、
 皮膚科にありました。
 形成外科外来担当は医師1名だけ。
 看護師さんは、
 皮膚科と兼務の方が1名だけ。
 電話がかかってきても出れませんでした。
      ■         ■
 夏休み前になると…
 そちらでわきがの手術はやっていますか?
 という電話がかかってきました。
 たまたま診察開始前に電話に出ることもありました。
 答えは…
 やってますが、入院になります。
 今から予約しても夏休みは無理です。
 札幌医大形成外科では、
 年に数例のわきが手術をしていました。
 最低一週間の入院手術でした。
      ■         ■
 当時でも、
 美容外科ではわきが手術は通院でしていました。
 保険は効かず…
 費用は最低25万円~35万円程度はしていました。
 公立病院の形成外科では、 
 保険診療でわきが手術をしていましたが…
 外来通院でしているところはありませんでした。
      ■         ■
 私は…
 自分が開業する時は…
 札幌駅前で…
 わきが手術は保険でする
 と同僚に言っていました。
 わきがは遺伝的な体質です。
 自分が悪いわけでもないのに…
 悩んでいる人はたくさんいます。
      ■         ■
 人の悩みに付け込んで…
 悪徳商法で…
 金儲けだけを考えている医師がいます。
 今朝の北海道新聞にも、
 書籍広告として
 30分で治るわきがが出ていました。
 同じ先生が、
 視力回復研究所のHPも出しています。
 新聞に堂々と広告が出ることを、
 ほんとうに情けなく思います。
      ■         ■
 松居一代さんが、
 ‘わきが’かな?
 と思って受診したところ…
 『あなたは範囲が広いから100万円です』と…
 診断されたのがこの先生です。
 わきが手術は簡単ではありません
 私が手術をしても治りが悪いこともありますし、
 キズが残ることもあります。
 少しでも臭いと汗から開放してあげたい
 と思って手術をしています。
      ■         ■
 同じ医師として情けなく思います。
 わきが手術を専門とする医師が、
 どうして眼のレーシック手術までするのですか?
 北海道新聞や
 朝日新聞という
 大手の新聞が、
 詐欺の片棒を担ぐような広告を掲載することも問題です。
 私のロマンビジョン
 正反対の美容外科があります。
 広告に騙(だま)されないでください

投稿者 sapporobiyou : 21:03 | コメント (0)

2010年07月26日

先行きが不透明な時代こそ、原点に立ち返る

 平成22年7月25日、北海道新聞朝刊の記事です。
 札幌圏版に掲載されていました。
 ちょっと長い文章ですが、
 とても印象深く読みましたので、掲載します。
 はなし_抄
 豊田自動織機顧問_磯谷智生(いそがい・ちせい)さん
 (6月22日・北海道銀行中小企業人材育成基金の講演会から)
 先行きが不透明な時代こそ、原点に立ち返る
 トヨタグループの概況を簡単に話しますと、現在、グループはトヨタ自動車や弊社など15社あります。グループ全体の売上高は約40兆円。全世界での従業員数は約80万人にもなります。ここまで発展できたのは、皆さんのおかけで非常に感謝しています。しかし、2007年のリーマン・ショックを機に、08年度は大幅赤字に陥ったとともに、米国での大規模リコールは、グループにとっても大きな衝撃でした。大変なご迷惑をおかけしたと思っています。
 ひるがえって09年度の決算をみますと、少しは黒字が出てきて先行きが良いとの印象を受けています。世界的に環境・エネルギーに焦点が当たり、自動車産業に目を転じれば、ガソリン車から電気自動車への関心がますます強くなってきています。これは、産業構造が大幅に変化していることを示していると同時に、将来的には、先行きが不透明といえるかもしれません。
 しかし、こうしたときこそ原点に立ち返って反省すべき所は反省し、良い所を継続し、伸ばしていく。将来に希望をもって前に進みたいと思っています。
 トヨタグループのものづくりの原点は、グループの創業者である豊田佐吉が発明した「G型自動織機」にあります。今から120年ぐらい前、織機は人の手と足を使い布を織っていました。貧しい農家に生まれた佐吉は、母親が朝から晩まで機織りに苦労する姿を日夜目の当たりにして育ちました。縦糸の間に横糸を左から右へ右から左へと動かす、大変手間のかかる作業だったためです。
 さらに当時は、若い女性たちが休みなく機織りにいそしみ、体をこわす人もいたそうです。「母親や女性従業員を少しでも楽にさせたい」。これが佐吉の切なる願いでした。1890年(明治23年)、佐吉はトヨタ式木製人力織機を発明しました。それは片手でおさを前後させるだけで、横組みが同時にできるようになっていて、従来に比べて能率を4割から5割も向上させるものでした。
 佐吉は、その後も織機に改良に改良を重ね1924年(大正13年)、長男喜一郎とともに、ついにG型自動織機を完成させたのです。G型は縦糸が切れると、織機が自動的に止まる仕組みになっています。縦糸が切れたままだと、不良品が大量にできてしまうからです。
 止まると、すぐに人が修理して再び動かす。現代のように電気的、光学的なセンサーのない時代に、こうした仕組みを作り上げた佐吉の発明は驚異的だったと思います。
 故障があれは自動的に停止して、修理して再び機械を動かす仕組み。これは、必要な商品を必要な時に、必要な分だけ作るという「ジャストインタイム」の概念につながっています。
 佐吉の原点は、異常があれば自動的に止まる。不良品は絶対につくらない。人を機械の番人にしない-の3点でした。だからこそ、織機の連続運転を可能にし、1人で30台以上も受け持つことができるようになりました。当時の世界は「マジックブーム」として、佐吉に惜しみない称賛を送りました。
 ただ、このG型自動織機は発明して、すぐに販売したわけではないのです。販売するまで2年間も営業試験を行いました。佐吉は機械の動きが、価値を生まなければならないと考えていました。お客さまに絶対に迷惑をかけてはいけない。この考えをわれわれは「自働化(じどうか)」と呼んでいます。故障しない設計を心掛け、806㌻からなる取り扱いマニュアルまで作成しました。 
 佐吉の発明したG型の性能の良さは、今でも同じ仕組みの織機が、中国や東南アジアで数万台も使われていることが証明しています。

 いそがい・ちせい_1929年名古屋市生まれ。53年に名古屋大学工学部卒業後、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)入社。74年に車両事業部生産技術部長、78年取締役を経て93年に社長。会長を経て2005年から現職。80歳。
 (以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 私(本間家)は運転免許を取得した時から
 トヨタ車です。
 トヨタの車は故障知らずです。
 16年も乗ったエスティマは、
 故障はほぼ零でした。
 その世界のトヨタですら…
 リーマン・ショックで売上激減。
 私たちの美容外科業界も悲惨です。
      ■         ■
 大手美容外科の…
 神奈川クリニックは…
 2010年5月に会社更生法の申請をしました。
 帝国データバンクによると…
 負債は68億円だそうです。
 美容外科学会へ行っても…
 景気が良い話しは聞きません。
 どこも大変なようです。
      ■         ■
 私は磯谷(いそがい)顧問のお話しを読んで、
 美容医療業界も、
 医療の原点に立ち返ってこそ、
 この不況を乗り切ることができると考えました。
 医療は薄利多売には馴染みません。
 困っている人を援助するのが、
 医療の原点です。
 儲かるからといって…
 美容外科からレーシックの眼科へ転向は、
 どう考えてもおかしな道です。
      ■         ■
 私は自分で開業する時に、
 総合病院の形成外科では
 できなかったことをしようと考えました。
 私の医療の原点は、
 安全で快適な医療の提供。
 確かな技術と信頼です。
 先行きが不透明な医療業界ですが、
 困っている人を助けるのが…
 医療の原点だと信じています。

iso
以上、北海道新聞より引用

投稿者 sapporobiyou : 21:11 | コメント (0)

2010年07月25日

暑中お見舞い申し上げます

 4月末に転居したまま…
 転居通知も差し上げていませんでした。
 申し訳ございませんでした。
 遅ればせながら…
 転居通知+暑中お見舞いの…
 葉書を出しました。
      ■         ■
 北海道も今年は暑い夏ですが…
 本州(山形も…)猛暑だと…
 メールやお手紙をいただきました。
 熱中症でお亡くなりになった方もいらっしゃると、
 今朝の報道で知りました。
 お悔やみとお見舞いを申し上げます。
 私は暑いのが苦手です。
      ■         ■
 昔の北海道には…
 エアコンもクーラーもありませんでした。
 病院も…
 涼しいのは…
 手術室と…
 コンピューターがあったCT室だけでした。
 大学ももちろんエアコンなしです。
 夏の臨床講堂は…
 まさに蒸し風呂でした。
      ■         ■
 小中学校のことはよく知りませんが…
 今でも北海道の小中学校には…
 エアコンもクーラーもないと思います。
 本州でもあるのは一部だけでしょうか?
 大学でも…
 古い校舎では…
 自然の風が唯一の冷房…
 というところもあると思います。
      ■         ■
 北海道の良いところは…
 夜になると涼しくなるところです。
 暑いあついといっても…
 夜に30度を超えることはありません。
 窓を開けると…
 涼しい風が入ってきます。
 北大には緑が多いので…
 森の香りがします。
 夏休みには…
 是非、さわやかな北海道へいらしてください。

投稿者 sapporobiyou : 19:10 | コメント (0)

2010年07月24日

顔貌の変化

 顔貌(がんぼう)の変化(へんか)と読みます。
 顔が変わることです。
 美容外科や形成外科は、
 顔という、
 大切なパーツを変える仕事です。
 レーザーでお肌をきれいにするのはいいけど…
 を変えるのは…
 どうかなぁ~~???
 という方は世の中にたくさんいらっしゃいます。
      ■         ■
 私も昔はそう考えていました。
 自分が美容整形の医者になるとは、
 考えたこともありませんでした。
 私は血を見るのがこわい医学生でした。
 形成外科医になった理由という、
 2006年11月26日の院長日記に書いてあります。
      ■         ■
 最初に美容外科の患者さん(お客様)を見た時には、
 私の率直な印象は
 『こんなにキレイな方なのに
 どうしてコラーゲンでシワなんかとるの?』でした。
 形成外科から美容外科という
 2007年3月27日の院長日記に書いてあります。
 当時は、
 北大病院でコラーゲンの臨床試験の担当になりました。
      ■         ■
 あれから30年近くになります。
 私の考えも変わりました。
 せっかく医学が進歩したのだから…
 ちょっと医学の力を借りて…
 きれいになればいいじゃないですか?
 親からもらっただって…
 親もきれいだったら…
 もっといい人生だったかもしれませんょ。
 きれいしあわせな方が…
 も喜びますよ!
      ■         ■
 それでも…
 いきなり変わるのはどうかなぁ~?
 と考えるのが人間です。
 先生、あまり変わらないようにお願いします!
 彼氏にバレないようにお願いします!
 会社でバレないようにお願いします!
 というお願いもよく承ります。
 もっともなお気持ちです。
      ■         ■
 顔貌(がんぼう)の変化を求めて…
 手術を受けるのに…
 あまり変わらないようにと願うのは、
 自然といえば自然な気持ちです。
 そんな方でも…
 手術から3ヶ月も経って…
 腫れが落ち着いてくると…
 もっとを広くしておけばよかった!
 ということになる人もいます。
      ■         ■
 これももっともなお気持ちです。
 私のモットーは、
 イメージは自然です。
 世の中には、
 お客さんの求めに応じて、
 外人顔でも…
 幅広二重の西洋人顔でも…
 何でも作ってしまう先生もいます。
 私はナチュラル派なので、
 もの足りないという人も多いようです。
 医者と患者の相性も大切です。
      ■         ■
 美容外科や形成外科は十分に相性の合う医師を選ぶべきです。
 私がどんなに、これはキレイでしょう。と申し上げても、本人が気に入らなければダメです。
 家を建てる場合や自動車を購入する時は、モデルハウスを見たり、試乗者に乗ったりして確められます。
 美容外科は高い買い物なのに、試乗することもできません。
 ホームページなどでその先生の‘代表作’をよく吟味して、実際にクリニックに足を運んで確めてください。
 どんな名医がした手術でも結果に不満足な人はいます。
 私は世界一の名医ではありません。
 後悔しないためにも、ご自分で吟味して、確認して、同意書にサインをして、手術を受けてください。

投稿者 sapporobiyou : 19:31 | コメント (0)

2010年07月23日

医者冥利(みょうり)

 医師になってよかったと思う瞬間があります。
 それはお給料をいただいた時とか…
 ではありません。
 自分が他人の役に立った…!
 と実感できた時です。
 この院長日記でも…
 何人かの先生の医者冥利を掲載しました。
      ■         ■
 私が一番印象に残っているのが…
 産科医冥利という
 2007年10月29日に掲載した、
 日本産婦人科医会会長、
 浜松医科大学長の寺尾俊彦先生のエッセイです。
 メディカルトリビューンという
 医師向けの新聞に掲載されていました。
      ■         ■
 以下が要旨です。
 名古屋大学医学部附属病院に勤務していた40年前、
 ある日、浜松から患者さんが診察にみえた。幼いころ、脊柱が湾曲する病気にかかり、身長が中学生位の方だった。
 大学で福祉の勉強をしたという、とてもかわいらしい女性である。卒業後、高校教諭と結婚したが、出産はあきらめていた。どの産婦人科医に尋ねても無理とのこと。
 しかし、愛する夫の子がどうしても欲しいと遂に名古屋まで来たという。
 正直、私も無理かと思った。子宮が大きくなるにつれ腸の行き場がなくなり食事ができない、また、背骨が痛むのではないかと心配した。
 しかし、話をしているうちに、この方の明るさと前向きな姿勢なら、ひょっとしていけるかもしれないと思うようになった。
 結局、浜松から名古屋まで通っていただき、帝王切開で無事、男の子が誕生した。更に数年後には女の子が誕生した。
 この男の子が名古屋大学医学部に入学し医師となった。
 卒業後2年間の研修医期間を終え、私たちの産婦人科教室に入ってくれた。さらにまた、結婚し、私たち夫婦が仲人をさせていただいた。
 最近、この夫婦にも赤ちゃんが誕生したが、将来きっと素晴らしい医師になってくれるに違いない。
      ■         ■
 医師という仕事は、
 ストレスの多い仕事です
 患者さんの死という…
 避けては通れない場面と遭遇します。
 どんなに頑張っても…
 救命できないこともあります。
 鹿野恒先生という日記に書いてあります。
 そんな時には無力感に襲われます。
      ■         ■
 美容外科や形成外科は…
 想像以上に大変な仕事です
 結果が目に見えるために…
 どんなに上手にできた!
 …と、こちらが思っても…
 患者さん(お客さん)が気に入らなければ…
 零点と同じです。
      ■         ■
 私にも…
 形成外科医になってよかったと思ったことがあります。
 私の顔を治してください
 と頼まれて…
 6時間30分もかけて治した方から…
 結婚しましたと…
 写真付の葉書をいただいた時。
 昔、赤ちゃんの時に手術をした患者さんが
 訪ねて来てくれてた時。
      ■         ■
 美容形成外科医になってからは…
 手術を受けていただいた方から
 院長日記に…
 手術を受けてよかった
 コメントをいただいた時。
 苦労して手術してよかった
 と…
 医者冥利を実感しています。
 これからもがんばりたいと思います。

投稿者 sapporobiyou : 19:10 | コメント (0)

2010年07月22日

未熟児だった私医師に

 平成22年7月21日、朝日新聞夕刊の記事です。
 小さく生まれて
 はぐ_Hug【育(はぐく)む】
 未熟児だった私医師に
 東京都内の大学付属病院の小児科病棟で、女性医師(29)が、忙しいながらも生き生きと子どもを診ている。おもちゃを手に子どもと一緒に遊びながら、体の具合を聞き出すこともある。
 彼女自身、未熟児だった。
 都内の日本赤十字病院で1980年8月30日、妊娠27週、1050㌘で産まれた。当時の主治医によると約50%の生存率だったという。肺が未熟で体重が増えず、母親(66)は不安が募った。医師になって2年目の主治医は重圧の中、夢中で治療した。
 半年後に退院。順調に育っていった彼女に、産まれた時の周囲の苦労を知っている母親は「あなたは、みんなに支えられて育ってきたのよ」と何度も諭した。
 高校3年の5月12日の「看護の日」。病院で看護体験をするという学校行事があった。彼女が選んだのは、自分が産まれた日赤病院だった。新生児集中治療室(NICU)で自分と同じ千㌘の新生児を見て、実際の小ささに驚いた。医師や看護師は24時間体制で新生児の命をつなぎとめる。その中には、生まれた時の彼女を覚えている看護師もいた。どれだけ周囲に支えられてきたのかを実感した。「恩返しをしたい」。小児科を目指すと決めた。
 都内の医科大学に進んだ。研修医時代には、急患が途絶えることのない小児科の当直業務を経験するなど厳しい面を実感したが、信念を貢いて小児科を選んだ。
 2年前のある日、母親から主治医の名前を初めて教えられ、30年も前のことで覚えていないかも知れないと思いながら手紙を出した。「未熟児の時はお世話になりました」。しかし「詳細に記憶している」と返事があり、会いに行った。「みんなに支えてもらったんだから、今度は君の番だね」と励まされた。
 半年間のNICU勤務も経験した。担当した女児の母親に、自分も未熟児だったことを伝えると「うちの子もお医者さんになれるかも」と喜んでくれた。
 昨春、病院からの帰り道にある女児の家を訪ねた。「何歳?]と聞くと、指を立てて1歳と教えてくれた。大きくなった姿を見て恩返しを少しでもできたかな、とうれしくなった。(沢伸也)
 シリーズ「小さく生まれて」はこれで終わります。
 「はぐ」担当記者がツイッターでつぶやいています。子育てをめぐる体験や記事への感想などを、ツイッター(http://twitter.com/asahi_hug)、またはメール(asahi-hug2010@asahi.com)でお寄せください。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私の後輩で、
 自分の父親が盲人なので…
 入学した時から眼科医になると言っていた先生がいます。
 写真の腕前はプロ級で…
 毎年、富良野や美瑛(びえい)の写真を…
 年賀状で送ってくれました。
 アレルギー性鼻炎に悩んでいたので…
 耳鼻科医になった先生もいます。
 医師を目指す理由はさまざまです。
      ■         ■
 私もはじめて…
 1000㌘以下の赤ちゃんを見た時には…
 こんなに小さくて生きられるのだろうか…?
 と思いました。
 市立札幌病院のNICUで育てていただいた…
 知人の子どもさんも大きくなりました。
 500㌘の赤ちゃん㊤
 500㌘の赤ちゃん㊥
 500㌘の赤ちゃん㊦
 の院長日記を読んでください。
      ■         ■
 未熟児だった赤ちゃんを、
 卒後2年目で懸命に助けた、
 元主治医の先生は、
 立派な女医さんになって訪ねてくれた先生を見て、
 どんなに嬉しかったことでしょうか。
 医者冥利(みょうり)に尽きる…
 と思います。
 未熟児だった子を…
 立派に育てたお母さんにも拍手です。

投稿者 sapporobiyou : 19:29 | コメント (0)

2010年07月21日

大森清一先生②

 私が存じている大森清一先生は、
 学会で最前列中央にお座りになり…
 『警察病院の大森ですが…
 と発言される先生でした。
 私の恩師、
 大浦武彦先生は…
 大森先生の弟子です。
      ■         ■
 私たちの世代は…
 大森先生の孫の世代です。
 私が札幌医大の学生だった30年前。
 実習で手術を見学していた頃です、
 顔を縫うのに
 どう見てもキズが残りそうな縫い方を見ました。
 『病気が治ってもキズが残ったら
 この人の人生はどうなるのだろう?』と思って、
 図書館で形成外科の教科書を見つけました
 この教科書の著者が大森清一先生でした。
      ■         ■
 医学部6年生の私は…
 形成外科のことはまったく知りませんでした。
 図書館で見つけた本も…
 よく理解できませんでした。
 本を読んだ(見た)だけでは…
 形成外科医になりたいとも思いませんでした。
 一つだけ理解したのは、
 形成外科に行けば
 傷をきれいにできる?
 という程度でした。
      ■         ■
 大森先生を知ったのは、
 北大形成外科へ入局して、
 大浦武彦先生が学会を開催された時が最初でした。
 威厳と貫禄のある先生でした。
 私たち孫の世代には…
 優しい先生でした。
 東京警察病院で修行を積まれた先生は、
 日本中で形成外科を広められました。
 大森清一先生は、
 たくさんの形成外科教授を育てられました。
      ■         ■
 今、日本形成外科学会の主なメンバーは
 大森先生の孫の時代になっています。
 若い先生が…
 大森清一先生のお名前を知らなくても…
 無理はないかも…?です。
 私たちの世代は、
 形成外科の教科書は
 日本の大森先生と
 米国のカンバースでした。
      ■         ■
 大森清一先生のことについては…
 塩谷信幸先生のブログにも掲載されています。
 東大形成外科50周年
 ムンテラの名手大森清一先生
 再び大森先生
 とても興味深い内容です。
 大森先生のような先生は…
 今は少なくなった気がします。
 形成外科を志す若い先生は、
 大森清一先生のことは覚えておいてください。
 日本形成外科学会のです。

投稿者 sapporobiyou : 20:37 | コメント (0)

2010年07月20日

大森清一先生①

 平成22年7月17日の日本美容外科学会で、
 大森喜太郎先生から資料をいただきました。
 私も知らなかったことが多いので…
 長文ですが引用して掲載しました。
 特に最後の部分に、
 大森清一先生の美容外科に対する思いが記載されています。
 以下の資料は’KOLBEN(三角フラスコを意味するドイツ語)
 という冊子に掲載された内容です。
 ’KOLBENがどこの出典かはわかりません。
      ■         ■ 

私の思い出


 じやんけんで負けたのが運命の分かれ道
 東京警察病院名誉院長
 大森清一
 アウトドアスポーツに熱中した学生時代
――先生のお生まれはどちらですか。
大森_東京は日本橋生まれです。家は、鮫津の浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の下屋敷があったところの近でした。秩父銘仙の問屋をしていて、母がそこの一人娘だった。父は入り婿で、家の商売をやらずに当時の中学で物理の教師をしていました。
――すると、先生が医学の道に進まれたのは、お父さまの影響でしょうか。
大森_いや、僕が医者になったきっかけというのはそんな大層なもんじやなくてね。まあ、家が商売をしていたから多少の小金はあったわけだ。で、一高に入る前に、別に就職を考えなくてもいい専門を選ぼうと思った。医学部に入れば何年でも医局にいればいいし、その間、好きなことをやっていられるという、不届きな理由で医学部を選んだんだよ(笑)。
 だから、大学在学中もアウトドアスポーツに熱中して、ラグビーだ、水泳だ野球だと、遊んでばかり。一日の大半を戸外で過ごして、帰ってくれば食べて寝る、勉強はどうしてもなおざりだったね。
――随分健康的な学生生活でしたね(笑)。
大森_そうだね。だが、後年、この時に培った体力やバイタリティが大いに役だったのではないかな。卒業も間近になって、何科をやろうかということになった時、外科を希望したのだが、一諸にスポーツをやってきた親友もやはり外科志望だった。だけど仲が良すぎて、一諸にいたら遊んてばかりいるに違いない。そこで二人でじゃんけんをしたら、僕は負けてしまった。で、皮膚科・泌尿器科なら欠員があるということでそこに入ったんです。人生の大事を決めるにしては、ひどいもんだね(笑)。しかし、結果的には、それが僕の運命を決めたわけです。
 あざの治療から傷痕をきれいにする形成外科の道に
――そんな先生が、形成外科の確立に力を注がれるようになったのには、どんなきっかけがあったのでしょう。
大森_入局後二年半位の時、あざを治療する部屋に行くことになっている。そこに行くと百五十名位のあざの患者さんがジーッと私の治療を待っている。随分長く通ってきていてもあまりよくなっていない。人三化七のような患者を診て悩んだ。そこで、あざを治すにはどうしたらいいのかに真剣に取り組み始めたんだ。当時は若い医者は珍しい病気に取り組んで学会で発表するという風潮であったが、僕は命にかかわらない、ありふれた病気でも、実際にその病気で苦しんだり悩んだりしている人が多い病気を、ほうっておいてはいけないと思ったんだな。そこであざ治しの医者になろうと志して、ドライアイスで凍らせてあざを取るなど、一定の治療方針の確立に努めました。とはいうものの学生時代に勉強していない付けが回ってきて、知らないことばかり。必要に迫られて懸命に本を読んだものでした。
――警察病院にでられたのはいつごろですか。
大森_昭和十七年かな。当時の東大皮膚科の教授は、カビの研究などで有名な太田正雄先生でした。太田先生は木下杢太郎というペンネームで文化人としても名を知られた方であった。その太田先生は皮膚科の外科的治療にも関心を持たれていた。私が警察病院の部長になれば東大の講師になる。そうすれば一つのテーマに取り組めるということだったので、あざの治療をテーマにしていただいた。これには、先生はあまり乗り気でなかったが、三日間お願いしてやっと許可が得られた。これには、一ヵ月に一度はケースを教授にお見せするという条件付であった。
 そのうちに私は、あざを取ったあとをきれいにすることにも関心を持ち始めた。患者にとっては、傷痕がきれいになって初めて治ったと思えるのですから。当時の日本でも植皮ということが一部で行われていましたが、やはり形成外科の先進国はイギリスやアメリカで当時は、バースキーの書いた本が唯一無二のテキストでしたね。僕が日比谷の米軍図書館に通いつめて、皮膚外科のことを集めた本を書いたのもこの頃です。また東大にいた時、二年先輩の整形外科の教授の三木威勇治さんに「日本は遅れている。外国の雑誌を読め、どんどん実験しろ」と言われましたが、その助言は僕にと実に貴重だったと思います。
 「知らないことは誰にでも訊け」の精神で世界中を飛び回る
――先生は随分頻繁に外国に行かれたそうですね。
大森_そう、最初は昭和二十五年に八か月間アメリカに行った。ある時、院長がここに百万円ある。この金で誰か留学してこないか」とおっしやった。部長も誰も手を挙げないので僕がろくに英語もできないのに図々しく「行きます」と言ったんだ。なにしろ、日本には形成外科のトレーニングをできるところがないのだから、ぜひアメリカに行きたかった。便宜上、ハーバードの皮膚科の卒後教育課程に入学したが、講義はエスケープして形成外科の手術をたくさん見せてもらった。その時皮膚をどんな厚さにも切れるダーマトームという器具を見て、帰ってから警察病院の院長に購入の許可を頼んだ。
 また、相手がどこの誰でも、優秀な技術を持っていたり、優れた治療効果をあげていれば、どんどん行って教えを乞うという精神で世界を飛び回って学んだ。語学も徐々に進歩した。なかったら、また翌年出かけて行く、それでもだめならまた見せてもらう、そうやって僕は自分の技量や考えかたの水準を少しずつ上げてくることができたんだと思っています。そして、そういう僕のやり方を支持して世界を見て歩く機会を与え下さったのが、当時の警察病院院長の塩沢総一先生です。大切な恩人の一人ですね。
 国際熱傷学会での万雷の拍手が生涯最高の光栄
――先生は日本形成学会の創設者でもいらっしやいますね。
大森_いや、なりゆきでね。先に話した三木先輩が東大の形成外科、当時はまだ形成診療班でしたが、それを作って下さった。1995年には国際形成学会がスタートするなどの情勢で、三木先生と「そろそろ科として独立させないといけない」ということになり、昭和三十二年には集談会をもって、その後、形成外科学会となった。その時は「形成美容外科会」にしようという動きもあったんだ。というのも、当時は美容整形で問題があいつぎ、美容整形の医師にも正しい訓練を積んでもらうことの必要が実感されていたわけです。もっとも、日本では会費を払えば会員ということで、のちに国際学会で「会員は約四百名です」と自慢したら「すごい、それだけの人をどうやって訓練したのか」と訊かれて、冷汗をかいたこともありますが。     
――多くの国際会議を経験していらして、一番心に残っていることは?
大森_1974年の第四回国際熱傷学会で発表した時のことですね。顕微鏡下で直径一ミリほどの血管を縫って血管付の皮膚および皮下脂肪を移植する手術は、1972年頃から臨床に応用していたのだが、それをこの学会では「遊離皮弁で治す」という演題で話すことになっていた。ところが手違いで、学会の最後に出席者全員が一堂に会したしたところで発表するはめになった。終わった途端、会場は万雷の拍手に包まれたのです。中には立って何か叫んでいる人もいる。この時ほど光栄に思ったことはありませんでした。帰ってきて仲間と悦びを分かちあいましたが、心の中は躍るようでした。当時としてはまったく新しい治療法でしたから。
 その翌年、パリで開かれた国際形成外科学会では、アジア及び南半球を代表して祝辞を述べるという栄誉を得ました。これは、白人も含めた地域の代表に黄色人種の日本人がついに選ばれたという意昧て感慨深いものがありました。
――先生がこれからなさろうと思っていらっしやることは?
大森_僕は今でも何か新しいことを見つけたくてしょうがない(笑)。もう一つには美容外科にもっと日が当たるようにしたい。アメリカでは、必要に応じて若々しく見えるために美容手術を受けるのはあたりまえです。乳癌で乳房を失った女性が乳房をとりもどしたいと思うのは当然でしょう。それはみかけの良さだけでなく、心の健康にとっても大事なことです。また、若い医師を中心に「恥すかしがらないでものを訊ける会」を開くことです。海外の一流の医者や研究者も呼んで意見を聞く。聞く方も質問を用意して、知識を吸収し、大いに議論もし、進歩していってほしい。それが今の僕の願いです。
大森先生略歴
明治39年東京に生まれる
大正15年第一高等学校卒業
昭和6年東京帝国大学医学部卒業
     同医学部皮膚科泌尿器科副手を経て
  17年東京警察病院皮膚科泌尿器科部長
     /東京大学医学部講師
  25年アメリカ留学(形成外科を志す)
  32年日本形成外科学会誕生(創設に携わる)
  43年東京大学医学部教授(形成外科診療科)
    東京警察病院副院長
  47年同病院院長
  53年同病院名誉院長
●学会活動
 日本形成外科学会第4回・第13回会長
 日本美容外科学会第1回・第2回会長
 1975~83年国際形成外科学会理事
 83~84年国際美容外科学会(ISAPS)会長
 85年~同学会理事
 日本形成外科学会名誉会員
 日本皮膚科学会名誉会員
 日本熱傷学会名誉会員
 日本美容外科学会名誉会員(JSAPS)
om
以上、’KOLBENより引用

      ■         ■
 長文を最後まで読んでいただき、
 ありがとうございました。
 最後に書かれていた、
 美容外科にもっと日が当たるようにしたい。
 アメリカでは、必要に応じて若々しく見えるために美容手術を受けるのはあたりまえです。
 乳癌で乳房を失った女性が乳房をとりもどしたいと思うのは当然でしょう。
 それはみかけの良さだけでなく、
 心の健康にとっても大事なことです。
 この文章を読んでいただきたかったのです。
      ■         ■
 私は、日本の形成外科の創始者である、
 大森清一先生は、
 美容外科にもっと日が当たるようにし、
 美容外科が広く国民に支持され、
 受け入れられることを願っている思います。
 2つの日本美容外科学会が統合され、
 美容外科が発展すると、
 大森先生は喜ばれると思います。

投稿者 sapporobiyou : 22:44 | コメント (0)

2010年07月19日

第108回日本美容外科学会(札幌)

 平成22年7月17日(土)に、
 札幌市北区北8条西4丁目の、
 札幌アスペンホテルで、
 第108回日本美容外科学会が開催されました。
 こちらの美容外科学会は、
 形成外科系の美容外科学会です。
 今回は、
 札幌スキンケアクリニックの
 松本敏明先生が組織会長でした。
      ■         ■
 松本先生が選ばれたテーマは…
 シンポジウム
 「次世代に伝えたい美容医療を求めて」
 蘇春堂形成外科、新冨芳尚(しんとみよしひさ)先生が座長。
 1.日本美容外科学会の成立とその経緯
 平賀形成外科、平賀義雄先生
 2.警病形成外科第2期の黄金時代を振り返って
 当山美容形成外科、當山 譲先生
 3.美容外科開業医と臨床形成美容外科医会
 セブンベルクリニック、渡部純至先生
 4.美容医療協会の成立と美容医療啓蒙活動
 中野坂上クリニック、古川晴海先生
 5.国際美容外科学会との関係
 クリニカ市ヶ谷、大森喜太郎先生
 6.美容外科の成り立ちと大森清一先生
 北海道大学名誉教授、大浦武彦先生
      ■         ■
 6人の日本を代表する先生が、
 形成外科系の美容外科学会の成り立ち、
 大森清一先生が考えていらした、
 形成外科と美容外科の関係について、
 私たちにもよくわかるように、
 詳しく講演をしてくださいました。
 正直なところ…
 これだけのお話しをお聞きしたのは…
 私もはじめてでした。
      ■         ■
 6人の先生の講演の中で、
 大浦武彦先生のご講演が最高でした。
 形成外科⇔美容外科の関係が…
 実によく理解できました。
 ヤスミクリニックの木村知史先生が、
 私より先にご自身のブログで解説してくださっています。
 木村先生のことは、
 2009年9月26日の院長日記でもご紹介しています。
 勉強熱心で進歩的な先生です。
      ■         ■
 大浦先生のお話しの要点です。
 大森清一先生は、
 形成外科と美容外科は車の両輪
 とお考えでした。
 大森先生ご自身も、
 積極的に美容外科手術を執刀され、
 美容外科の重要性は強く認識していらっしゃいました。
 フェイスリフト手術などを…
 山王病院でなさっていらしたそうです。
      ■         ■
 ところが…
 巷(ちまた)では、
 悪い‘美容整形’が死亡事故を起こし、
 誇大広告悪徳商法で、
 マスコミに大きく報道されるような事件が多発。
 美容整形の社会的地位は地に落ちていました。
 形成外科を発展させるためには、
 外科系医師のサポートが必要。
 そこで不本意ながら…
 形成外科は美容をいたしません…と宣言し…
 まず形成外科を認めてもらった。
      ■         ■
 大浦武彦先生は、
 もう、過去のことを言わずに…
 2つの日本美容外科学会を統一する時期です。
 と実に歯切れよく解説してくださいました。
 ヤスミクリニックの木村知史先生が書かれているように…
 平成竜馬新冨先生が
 おーい、いい加減にせんかい
 全美容外科が潰れるぞ
 と統一に向けて動いていることに…
 エールをおくられていました。
      ■         ■
 私は恩師の大浦武彦先生が、
 2つの美容外科学会の統一に向けて…
 力強いお言葉をくださったことに…
 心からありがとうございましたと言いたい気持ちです。
 素晴らしい恩師を誇りに思います。
 新冨芳尚先生と
 高須克弥先生のお力で、
 なんとか2つの美容外科学会が
 1つになってくれたらと願っています。

oo
大浦武彦先生(懇親会で)

投稿者 sapporobiyou : 18:03 | コメント (0)

2010年07月18日

ファーム富田の楽しみ方③

 私が毎年ファーム富田へ行くのは、
 ラベンダーを通じて…
 心と身体を癒(いや)すためです。
 美容外科医は心も身体も疲れます。
 ストレスもたまります。
 楽しいことばかりではありません。
 そんな私にはラベンダーが効果的です。
      ■         ■
 ラベンダーの効果という…
 2008年7月8日の院長日記があります。
 ラベンダーは、
 怒りを和らげ、
 疲労を回復し、
 精神的なことや
 人間関係の改善化にも役立ってくれる。
 また、ラベンダーは、
 中枢神経系のバランスをとる作用があるため、
 躁うつ症的な症状にも効果を発揮します。
 確かに…
 怒りんぼの私に
 ラベンダーはよく効きます。
      ■         ■
 精神安定剤には…
 眠くなるなどの副作用があります。
 睡眠薬にも副作用があります。
 ラベンダーには…
 よい香りという…
 プラスのおまけまでついて来ます。
 手術前の緊張を取るのにも…
 ラベンダーは効果的です。
      ■         ■
 札幌から富良野へ行く途中は…
 山の中の道です。
 三笠(みかさ)から…
 富良野までは…
 信号は一つもありません。
 たまに停車するのは…
 道路工事の片側通行だけです。
 道路にキツネが出てきて…
 避けるために停車することもあります。
 山の景色にも癒されます。
      ■         ■
 ファーム富田には、
 日本で唯一、
 ラベンダーから
 エッセンシャルオイルを抽出するための
 蒸留工場があります。
 蒸留の舎(じょうりゅうのいえ)
 というところです。
 大きな釜と、
 MIURAのボイラーがあります。
      ■         ■
 ラベンダーの花や茎から…
 オイルを抽出するところです。
 香水の香りとは別の…
 ラベンダーの香りがします。
 工場というより…
 釜とボイラーの家という感じです。
 この蒸留の舎の上に…
 トラディショナルラベンダー畑があります。
      ■         ■
 不景気な北海道ですが…
 ファーム富田には、
 ファーム富田にしかない…
 ラベンダーのすべてがあります。
 多くの人を魅了するのは、
 絶滅寸前だったラベンダーを…
 見事に商品化し、
 妥協を許さない…
 オーナーの富田忠雄さんの姿勢です。
 経営者としても…
 素晴らしい方だと思います。
 花→工場→製品となる過程を見るのも…
 とても楽しいものです。

to1
to2
蒸留の舎です。よい香りがします。

投稿者 sapporobiyou : 19:45 | コメント (0)

2010年07月17日

ファーム富田の楽しみ方②

 富良野の予約は1年前にします。
 年間予定を立てておかなければ…
 宿が取れません。
 運悪く…
 雨が降ることもあります。
 土砂降りの雨に遭った年もありました。
 そんな雨の日でも…
 ファーム富田は…
 十分に楽しめます。
      ■         ■
 ラベンダーが咲くのは7月です。
 わずか数週間の間に…
 大勢の観光客が来園します。
 7月の北海道は…
 晴れの日が多いのですが…
 お天気だけは…
 神だのみです。
 運悪く…
 雨が降ることもあります。
 花畑へ入るのは無理です。
      ■         ■
 雨の日のおすすめは…
 ドライフラワーの舎(ドライフラワーのいえ)です。
 2009年に、
 オランダ人のフラワーデザイナー、レン・オークメイド氏を招き、
 6年ぶりにドライフラワーの舎をリニューアルしました。
 素敵なドライフラワーがたくさんあります。
 入っただけでよい香りがします。
 たくさんのドライフラワーのアレンジがあり、
 見ているだけで癒されます。
      ■         ■
 ドライフラワーの舎は、
 お隣の花人の舎(はなびとのいえ)とつながっています。
 花人の舎のトイレには、
 ラベンダーハンドソープが置いてあります。
 ここで手を洗うと…
 ラベンダーの良い香りがします。
 ファーム富田のDVDを放映しているので、
 お花が見れない時は…
 DVDで楽しむこともできます。
      ■         ■
 雨の日のおすすめ②は
 香水の舎(こうすいのいえ)です。
 ファーム富田の建物は…
 どこも良い香りで満ちています。
 とくに…
 この香水の舎は特別良い香りがします。
 ここで香水を製造しています。
 香水の楽しみ方も展示されており、
 見て…
 嗅いで…
 楽しむことができます。
      ■         ■
 観光バスでいらして…
 ファーム富田の滞在時間が…
 40分なんてツアーを見ると…
 あ~ぁ
 もったいない
 と思います。
 何度も訪れている私ですら…
 半日はかけて…
 ゆっくり眺めたり…
 香りを楽しんだりしています。 

to31
香水の舎です。良い香りがします。

投稿者 sapporobiyou : 20:51 | コメント (0)

2010年07月16日

ファーム富田の楽しみ方①

 ファーム富田は広いです。
 約10㌶とありますが…
 2つの丘があります。
 ①ポスターによく出る彩りの畑
 (昨日の日記で私の写真を撮ったところ)
 の上の丘。
 ②トラディショナルラベンダー畑
 どちらも景色が良い丘です。
      ■         ■
 ファーム富田を楽しむには…
 歩きやすいが重要です。
 彩(いろど)りの畑に行くには…
 少し傾斜のある道を歩きます。
 彩りの畑の上には…
 赤いポピーが咲く丘があります。
 この丘の上から撮った写真が…
 昨日の日記に出した写真です。
      ■         ■
 ユキさんからいただいたコメントのように…
 同じ場所で撮っています。
 丘の上なので…
 あまり人が来ない場所です。
 (今年は特に濃紫早咲が刈り取られたため)
 今年はポピーの草丈が低く…
 花の数も少ない印象でした。
 ラベンダーと同時期に咲かせるのは…
 なかなか大変だと思います。
 札幌で植えるとポピーが先に咲きます。
      ■         ■
 ファーム富田には…
 車椅子の方もいらっしゃいます。
 昨日も…
 奥様が車椅子でご主人が押す方。
 お父さんが車椅子で…
 お嬢様が押す方。
 何台もの車椅子を見ました。
 私も車椅子になっても…
 見に行けるかなぁ~
 と少し考えました。
      ■         ■
 車椅子でも…
 駐車場から近い…
 倖(さきわい)の畑のラベンダー、
 花人(はなびと)の畑のお花は、
 十分に楽しむことができます。
 身障者用トイレもあります。
 傾斜がきついのは、
 トラディショナルラベンダー畑です。
      ■         ■
 このトラディショナルラベンダー畑からの風景が…
 旧国鉄のカレンダーに採用され…
 ラベンダーが生き残るきっかけになりました。
 丘の上からの景色は雄大ですが…
 下から眺めるラベンダーでも…
 十分にきれいです。
 悪天候で丘に上がれなくても…
 ラベンダーは楽しむことができます。

to0
トラディショナルラベンダー畑

投稿者 sapporobiyou : 19:11 | コメント (0)

2010年07月15日

富良野の楽しみ方

 私は毎年7月に富良野を訪れます。
 年に一度の楽しみにしています。
 中国や韓国、台湾など…
 アジアの国からもたくさんの人が訪れています。
 北海道が自慢できる…
 素晴らしい自然と…
 ラベンダーを愛する人が作った…
 素晴らしい花があります。
      ■         ■
 富良野を訪れるのなら…
 レンタカーがおすすめです。
 好きなところを選んで…
 何時間でも滞在できます。
 渋滞を避けて…
 山の中を走ることもできます。
 7月下旬の週末は、
 ファーム富田周辺は大混雑します。
      ■         ■
 ラベンダー畑は、
 フォーム富田の他にもあります。
 渋滞を避けて他の畑を訪れて、
 混雑がピークを過ぎた頃に…
 ファーム富田に行くこともできます。
 私は2日に分けて…
 ファーム富田を回ることもあります。
      ■         ■
 30年前の富良野は、
 冬が観光シーズンでした。
 ワールドカップが開催された…
 富良野スキー場が人気でした。
 ホテルの予約も…
 冬が混雑のピークでした。
 夏に訪れるのは、
 私のような花好きか…?
 ラベンダーの写真を撮る方でした。
      ■         ■
 今は夏が観光シーズンのピークです。
 ホテルの予約は…
 連日満室が続いています。
 私は…
 毎年、同じホテルに泊まり…
 翌年の予約をして帰ります。
 既に2011年7月9日土曜日の予約は…
 全館満室だと支配人から伺いました。
      ■         ■
 富良野を訪れるのでしたら、
 一年前に宿を予約なさってください。
 飛行機は…
 発売開始と同時に予約なさってください。
 北海道を何箇所も回るコースではなく、
 富良野に滞在して、
 富良野を楽しんでください。
 美しい花と…
 よい香りでリフレッシュできます。

2010
2010年7月14日
髪が白くなりました

2007
2007年7月10日

投稿者 sapporobiyou : 20:46 | コメント (0)

2010年07月14日

丘彩る花のじゅうたん

 平成22年7月13日、北海道新聞夕刊の記事です。
 丘彩る花のじゅうたん 中富良野
 【中富良野】上川管内中富良野町の観光花園「ファーム富田」(富田均社長)で、ラベンダーなどの花々が見ごろを迎え、観光客の目を楽しませている。
 花畑の広さは約10㌶で、半分以上を占めるラベンダー畑は一面が紫色に染まり、さわやかな香りを漂わせている。
 黄色やオレンジのマリーゴールド、赤や紫のサルビアも咲き、カラフルな「花のじゅうたん」が広がる。
 昨年は雨が多かったことから、同ファームは4月、花畑沿いの通路の一部に雨や日差しをさえぎる幅2~7㍍、長さ計60㍍の屋根を設け、ベンチも設置した。
 ラベンダーは20日すぎには満開となり、17~19日の3連休には1日1万人以上が来園する見込み。見ごろは今月末まで続く。
      ■         ■
 今日は富良野へ来ています。
 北海道新聞の記事は昨日の夕刊です。
 私は下の写真、
 ファーム富田
 ラベンダー畑を歩いてきました。
 早咲のラベンダーが満開を過ぎたところで、
 山上の畑では刈り取られていました。
 下の写真の中央からやや右下の
 濃い紫が濃紫早咲(のうしはやざき)です。
      ■         ■
 これから満開を迎えるのが、
 オカムラサキという香りの良い品種です。
 下の写真の濃い紫の隣…
 やや白っぽいのが
 オカムラサキです。
 畑の中は名古屋弁、
 関西弁、
 中国語、
 韓国語、
 英語が入り乱れていました。
      ■         ■
 売店の店員さんも…
 台湾からいらした…
 中国語と日本語も話させる方でした。
 大学で4年間日本語を勉強され、
 その後も企業で日本語を使われていたそうです。
 とても流暢(りゅうちょう)な日本語でした。
 富良野も国際化しました。
 中国からのお客様が増えたそうです。
      ■         ■
 お花は
 春先の低温のためか?
 ポピーなどの草丈が低い気がしました。
 札幌から車で2時間。
 高速道路と山の中の道を走って来ました。
 札幌から富良野まで約120㎞、
 2時間ちょっとで着きました。
 週末や連休は、
 車が大渋滞します。
 山の中から渋滞がはじまります。
 お出かけになる方は、
 早朝が狙い目です。


 しま横様の「花のじゅうたん」が広がる「ファーム富田」
 (本社ヘリから栗本充則撮影)
北海道新聞より引用

fu
彩りの畑の前です

投稿者 sapporobiyou : 17:05 | コメント (0)

2010年07月13日

義務教育で教えない税金の計算

 私は政治経済が好きでした。
 札幌西高校の時には、
 数学や英語で10段階評価の10を取ったことはありません。
 予備校で得意になった生物ですら…
 10は取れませんでした。
 10を取ったのは…
 現代国語と政治経済だけでした。
 それも高3になってからです。
      ■         ■
 そんな政治経済が得意だった私ですら…
 税務調査で申告漏れを指摘され…
 数百万円の納税をすることになりました。
 ペナルティとして払った延滞税は…
 年利14.6%という高金利でした。
 総額5百万円以上の納税をしました。
 開業したての頃は…
 毎日、診療が忙しく…
 帳簿を見る余裕もありませんでした。
      ■         ■
 当時は北海道でも有名な公認会計士の先生に
 経理全般をお願いしていました。
 公認会計士になるには…
 税理士より…
 ずっと難しい試験があります。
 正直なところ…
 私は公認会計士と税理士の違いも知りませんでした。
 何となく、公認会計士は超難関程度に思っていました。
      ■         ■
 私の税務調査には、
 公認会計士の先生がいらしていただき、
 自信満々で…
 どうぞ調べてくださいと…
 帳簿や書類をお渡ししていました。
 経理の字も知らない私は…
 ただ公認会計士の先生を信じて…
 (しっかり納税もしていたので…)
 調査を見守っていました。
      ■         ■
 数ヵ月たって…
 税務調査の結果が届きました。
 その間に、
 何回か国税調査官の方から、
 お尋ねをいただいていました。
 それには、
 家内と会計事務所が回答していました。
 税務調査の結果は…
 なんと!申告漏れ
 しかも!数百万円!
      ■         ■
 原因は私が加入していた、
 医師会の所得保障保険でした。
 所得保障保険の保険料が、
 必要経費とは認められず、
 過去数年間にわたって、
 所得税の申告漏れを指摘されました。
 ちょっと勉強すればわかったのですが、
 家内と会計事務所に任せてしまい、
 失敗しました。
 結果的に…
 私は高額の延滞税や加算税を納税しました。
      ■         ■
 その後に私は税金を勉強しました。
 政治経済が好きだった私ですら…
 税金は複雑です。
 今は東京のアトラス総合事務所にお願いしています。
 帳簿ファイルのやり取りは、
 セキュリティの高いサーバーを通しています。
 電話よりも、
 メールでやり取をしています。
 遠方ですが…
 札幌の会計事務所より丁寧に見てくださいます!
 料金も割安です。
 まさにネット時代の会計事務所です。
      ■         ■
 事業をはじめてみると…
 消費税だけではなく…
 所得税の計算も大変です。
 日本の高度成長を支えた…
 私たちより上の世代には、
 義務教育すら満足に受けていない社長さんもいました。
 ネットもない時代に…
 どんなに苦労なさって納税されたことでしょうか!
 その人たちが…
 苦労して税金の計算をして…
 税務署に指導されながら…
 納税をして…
 今の日本を築きました。
      ■         ■
 今はネットという便利な…
 通信手段があります。
 24時間…
 本屋さんへ行かなくても
 ネットで勉強ができます。
 アトラス総合事務所
 井上修先生が書かれている、
 週刊税務調査日記
 週刊節税教室
 週刊なるほど!消費税
 こちらのメルマガはとても参考になります。
 少し税金を勉強して…
 これからの日本を住みやすい国にしようではありませんか。

投稿者 sapporobiyou : 18:31 | コメント (0)

2010年07月12日

民主党敗北と消費税

 参議院議員選挙で、
 民主党が敗北しました。
 昨年の衆院選では…
 消費税は上げません!
 と言っていたのに…
 一年もしないうちに…
 ギリシャみたいになったら困るから… 
 消費税10%では…
 国民は怒ります。
      ■         ■
 私も自分で開業する前までは…
 自分が払った消費税は、
 そのまま税金として、
 私たちの生活のために使われると思っていました。
 事業者は、
 消費者からお預かりした…
 消費税
 そのまま納税すると考えていました。
      ■         ■
 実際に消費税をお預かりして…
 納税する事業者の立場になってわかりました。
 消費税ほど…
 面倒な税金はありません。
 会計ソフトとパソコンがなければ…
 消費税の計算はできません。
 税金として…
 収められずに…
 事業者に残ってしまう消費税があることも知りました。
      ■         ■
 札幌美容形成外科の消費税は、
 アトラス総合事務所にお願いして、
 しっかりと計算していただいています。
 消費税ドットコムという…
 とても参考になるHPは…
 アトラス総合事務所の、
 公認会計士の
 井上修先生が書いていらっしゃいます。
 一度、ご覧になることをおすすめします。
      ■         ■
 私は消費税値上げに反対です。
 税の徴収方法や課税方法の見直しで…
 消費税を値上げしなくても…
 税収を増やす方策はあると思います。
 私は正直に納税していますが、
 税金を収めていない人もいます。
 どうして…?
 宗教法人は…
 あんな立派な建物なのに…
 無税なのか…?
 と思うこともあります。
 もう一度、税金についてよく考えるべきです。

投稿者 sapporobiyou : 21:00 | コメント (0)

2010年07月11日

脳死の時代に③

 平成22年7月11日、北海道新聞朝刊の記事です。
 脳死の時代に
 家族の選択
 改正臓器移植法施行を前に
 ㊦ケア
 喪失感への寄り添い必要
 「本人が生きていた証しをどこかで残してあげたい」。日本臓器移植ネットワークのコーディネーター大宮かおりさん(36)は、交通事故で亡くした息子の臓器提供を選択した家族が語っていた言葉が忘れられない。
 提供者はバイク事故で頭部を負傷した20代前半の男性。命をつなぐことで、若くしてこの世を去る息子の人生の証しを残したい両親の思いが伝わった。
 人の役に立てたい
 「脳死と宣告されても家族は死の実感がわかず、受け入れるのはまず無理。だからこそ、だれかの中で生き続けてほしい、人の役に立てたいという家族なりの意味づけが臓器提供の大きな動機になる」と大宮さんは話す。
 移植コーディネーターは、提供を希望するドナーや家族と移植を受ける患者との橋渡し役だ。家族に臓器提供について説明し、移植がスムーズに行われるよう調整にあたる。終了後も定期的にドナーの家族を訪れ、移植患者からの手紙を届けるなどケアも担う。
 大宮さんはこれまで道内などで脳死を含む約80件の臓器提供に携わってきた。
 「提供した当初、家族は亡くなった肉親を悲しみつつも、どこかで生きている、提供できて良かったと充実した気持ちを持つ。でも半年後くらいに生活が落ち着いてくると、喪失感がどっと押し寄せる」という。
 大切な人を失う家族の気持ちは揺れ動いている。「何も言わないが、家族は自分たちの思いを聞いてほしいと願っている。だから医師や看護師から声をかけ、家族が自分たちのことを気にかけてくれていると思える医療が欠かせない」。大宮さんは、家族の気持ちに寄り添う医療者の対応やケアがあってこそ、はじめて臓器提供が成り立つと指摘する。
 判定難しい子ども
 17日に改正臓器移植法が施行されると、15歳未満の子どもからの脳死による臓器提供が可能になる。現行法では15歳未満の場合、心停止後の腎臓提供などは可能だが、脳死での臓器提供は認められていない。
 同ネットワークによると、15歳以下の子どもから心停止後に腎臓を提供したケースは、1995年4月から2009年12月までに全国で38件。年間1、2件程度で、多い年でも7件にとどまる。
 子どもの場合、ドナーカードで本人が意思表示することは想定しにくく、脳死の判定も大人より難しい。脳死になった子の臓器提供を選択する親の負担は重く、精神的なケアは欠かせない。
 今年、市立札幌病院救命救急センターで、事故で脳死状態となった10代前半の男子の腎臓提供をめぐり、家族が苦悩したケースがあった。父親はどこかで生きていてほしいという願いから提供に賛成した。母親は反対ではなかったが最後まで気持ちの整理がつかず、提供を見送った。
 同センターは脳死状態となった患者と家族に、残された時間を有意義に過ごしてもらう「看取りの医療」に力を入れる。患者を個室に移し面会制限もなくす。脳死という状況に家族が向き合える時間と場所を提供する。
 大切な入の死に直面し、臓器提供という選択を迫られる家族に、どれだけ医療者が寄り添えるか。市立札幌病院の鹿野恒医師は言う。「悩んだ末に提供をあきらめる家族もたくさんいる。十分なケアをした上で、最後に本人の意思を考えるのは残された家族、一緒に生きてきた人の責任ではないか」
      ■         ■
 移植医療で大切な役割を果たしてくださるのが、
 移植コーディネーターです。
 社団法人日本臓器移植ネットワークという、
 病院とはまったく別組織の方です。
 私が市立札幌病院に在職していた、
 20年前には、
 腎移植コーディネーターが活躍していました。
      ■         ■
 移植医療は、
 摘出した病院と…
 移植を行う病院が別になることが多いようです。
 臓器提供を行った病院の収益にもなりません。
 純粋なボランティアです。
 24時間待期のコーディネーターは、
 心身ともに大変なお仕事だと思います。
      ■         ■
 市立札幌病院救命救急センターは、
 臓器提供を多く行っている施設です。
 それだけ、
 患者さんから信頼されている証拠です。
 いい加減な医療を提供していては…
 不幸のどん底にある家族は…
 決して臓器提供をしようという気持ちにはなれません。
 北海道新聞社が、
 3回のシリーズで取り上げてくれた…
 臓器提供に…
 多くの人が賛同してくれることを祈念しています。
 担当の小塚由記夫様ありがとうございました。

co
提供家族と接するコーディネーターの大宮さん(右)。
家族が不安にならないよう明るい表情で話しかける(市立札幌病院)
以上、北海道新聞より引用

投稿者 sapporobiyou : 17:56 | コメント (0)

2010年07月10日

脳死の時代に②

 平成22年7月10日、北海道新聞朝刊の記事です。
 脳死の時代に
 家族の選択
 改正臓器移植法施行を前に
 ㊥迷い
 本人の意思、でも温かい体
  「今まで10年間透析をしていて、移植をするのは夢のまた夢のことだと思っていました。手術後1ヵ月が経って、おしっこが出た時は感激で涙があふれました」
 「移植をして1年が経ちました。今はずっとやりたかった仕事をしています。毎日働くのははじめてで、移植をして元気になれたからできることばかりです」
 札幌市のヤスエさん(56)=仮名=は、夫の腎臓が移植された30代女性から届いた手紙を読み返し、つぶやいた。「私が夫の心臓を止めてしまったのではと思い悩んだこともありました。でも移植を受けた人が元気で過ごしていると思うと、役に立てられて良かった」
 意識が戻るのでは
 2008年8月。バイクを運転中に夫はくも膜下出血で倒れ、救急搬送された病院で「脳死状態」と告げられた。56歳だった。
 身につけていた免許証入れの中に黄色いドナーカードが入っていた。自筆の署名と心臓や肺など臓器提供の意思が記されていた。ヤスエさんは10年ほど前に夫が「死んだらものでしかない。だれかの役に立つのなら」と臓器提供について話していたことを思い出し、医師にカードがあることを伝えた。
 「本人の意思を尊重しよう」。家族で話し合い臓器提供を決めた。だが長男(28)は違和感も覚えていた。人工呼吸器を付けているが、ベッドに横たわる姿は眠っているようにしか見えない。「意識が戻るのでは」という思いが残った。
 搬送から5日目。2度の脳死判定が行われ、心臓が動いている状態で夫の「死亡」が告げられた。7日目。夫の体から心臓、肺、肝臓、腎臓が摘出され、全国の6人の患者の元へ運ばれた。道内で4側目の脳死による臓器提供だった。
 話し合ってほしい
 あれから2年。夫の臓器を提供したことについて気持ちが揺らいだ時期もあった。「普通は人が亡くなる時、だんだん冷たくなっていくのに夫の体は温かい。あきらめていてもすぐには受け入れがたい。(心停止する前に)私が殺してしまったのかと思ったこともありました」。ヤスエさんは振り返る。
 でも移植を受けた入の手紙を読むと、夫の意思をかなえたあの時の選択は間違っていなかったと思う。
 改正臓器移植法が施行されると、本人の意思がはっきりしない場合、家族の同意で脳死による臓器提供ができるように変わる。
 「うちは本人の意思があったから提供できたが、もしカードがなかったらどうだったでしょう。移植を受けたい人の気持ちも分かるが、家族もなかなか踏ん切りがつかない。だからこそ一度、家族で話し合っておいてほしい」。身近な人の脳死に直面し、臓器提供の選択を迫られる家族の迷いや葛藤をヤスエさんは打ち明けた。
 まもなく三回忌。夫の位牌のそばには、移植コーディネーターを通じて届いた感謝状と匿名の手紙が供えられている。長男も今では臓器提供を「良かった」と言ってくれる。でもヤス工さんは、自分の署名をしたドナーカードを持つことは、まだためらっている。(以上、北海道新聞より引用)
      ■         ■
 私が最初にドナーカードを持ったのは…
 今から20年前です。
 当時は腎バンクが唯一の…
 ドナーになる道でした。
 ドナーカードという、
 2006年11月7日の院長日記に記載してあります。
      ■         ■
 1989年4月から市立札幌病院に勤務し毎日救命救急センターへ行って外傷や熱傷の患者さんを救急の先生と一緒に治療していました。私はそこではじめて脳死の患者さんを診察しました。いままで漠然としか脳死を知りませんでしたが救命救急の現場で脳死とはどのような状態であるかを知りました。
 市立札幌病院には救命救急センターのほかに腎センターと腎移植科がありました。腎移植科の平野先生は献身的に腎移植に取り組んでいらっしゃいました。市立札幌病院ではたくさんの患者さんが人工透析を受け腎移植を希望する方もたくさん待っていらっしゃいました。ある日、腎バンクの登録希望者を募集していたので、私はすぐに腎バンクに登録しました。その後、臓器移植法が整備され臓器提供意思表示カードを医師会でもらったので腎臓提供カードから、腎臓以外の組織もすべて提供できる臓器提供意思表示カードに切り替えたのが1998年でした。私は自分の死後にもし自分の臓器が役に立つなら喜んで提供します。
      ■         ■
 ある日何気なく…
 病院2階の外来廊下を歩いている時に、
 腎バンクのポスターを見つけました。
 腎移植科の…
 平野先生はとても温厚で…
 優秀な先生でした。
 私は平野先生から依頼されて…
 腎移植を受けた患者さんが
 ケガをした時には手術や処置もしました。
      ■         ■
 北海道新聞の記事にあるように…
 腎移植によって…
 その人の人生が変わります
 先進国の中で、
 日本は移植医療が遅れています。
 ドナーが少ないからです。
 医学水準は高いのに、
 日本人医師として残念に思います。
      ■         ■
 神様がおつくりになった、
 人体という組織は素晴らしいものです。
 決して人工臓器では補えません。
 ドナーになることは…
 人生で最大の社会貢献です。
 新聞記事による啓蒙が広まって、
 ドナーになる方が増えてほしいです。
      ■         ■
[caption id="attachment_6885" align="aligncenter" width="300" caption="ヤスエさんの亡き夫のドナーカードと、臓器を移植された患者から届いた手紙。生きる喜びと感謝の気持ちがつづられている(北海道新聞より引用)"]le[/caption]

投稿者 sapporobiyou : 20:33 | コメント (0)

2010年07月09日

脳死の時代に①

 平成22年7月9日、北海道新聞朝刊の記事です。
 脳死の時代に
 家族の選択
 改正臓器移植法施行を前に
 ㊤決断
 だれかの体で生き続けて
  「黙とう。ありがとうございました」 深夜の手術室に、北海道臓器移植コーディネーターの小野美和子さんの声が響く。
 青い布に覆われ手術台に横たわるタカシさん=仮名の遺体に向かって、医師や看護師が静かに頭を下げる。5秒間黙とうをささげ、もう一度全員で「ありがとうございました」と声をそろえた。
 傍らには、タカシさんの体から摘出された左右の腎臓を入れたククーラーボツクスが並んで置かれている。二つの箱には、臓器提供への感謝の思いを込めた一輪のランの花が添えられていた。
 タカシさんは6月、くも膜下出血で倒れ、市立札幌病院救命救急センターに心停止状態で運び込まれた。まだ30代の若さだった。
 懸命の救命措置で心臓は再び動きだしたが、呼吸など生命維持に欠かせない脳幹もダメージを受けていた。医師は両親に、人工呼吸器をつけても1、2週間ほどで心臓が止まる「脳死状態」であることを告げた上で、臓器提供の意思があるかどうかを確認した。
 希望を無駄にせず
 同病院は心肺停止患者の救命に全力を挙げる一方で、救命が不可能となった場合、家族に状況を正しく説明し、臓器提供の意思も必ず確認するようにしている。本人や家族の希望を無駄にしないためだ。
 タカシさんはドナーカードを持っていなかった。改正臓器移植法が施行されると脳死になった時、本人の意思がはっきりしなくても家族が同意すれば臓器を提供できるようになるが、現行法では本人の意思表示がなければ脳死での臓器提供はできない。ただし「献腎」と呼ばれる心停止後の腎臓提供は、本人が生前拒否していなければ、家族の同意で可能だ。
 胸の内にとどめて
 「だれかの体の中で生き続けてほしい」。腎臓提供を真っ先に決断したのは母親だった。その思いに父親もうなずいた。医師が見せてくれた脳波検査の結果は平たんな波形を描いていた。息子がもう助からないことは理解できた。でも、どこかで命がつながってほしいと願った。
 提供を決め、同意書にサインした。だが親せきに知られると反対されないかが気がかりだった。亡くなった体に傷をつけることに抵抗を感じる人は少なくない。悩んだ末、腎臓提供は両親らだけの胸の内にとどめ、周りには知らせず行うことにした。
 1週間が過ぎ、タカシさんは家族や友人にみとられ、静かに息を引き取った。ひとときの別れの後、遺体は手術室に運ばれた。
 1時間半後、病室に戻ったタカシさんの体は丁寧に傷跡が縫われ、看護師が薄く口紅をさした顔はほほ笑んでいるように見えた。
 タカシさんの腎臓は札幌市内で移植を待つ2人の患者の元へ届けられた。「親せきから冷たい親だと言われるかもしれない」。そう明かしていた父親は、最後に臓器提供という仕事を成し遂げた息子を穏やかな表情で見つめた。
      ■         ■
 17日に改正臓器移植法が全面施行される。「脳死は人の死」とされ、本人の意思が不明でも家族の同意で臓器提供できるようになる。家族の選択がより大きな意味を占める一方、負担も重くなりかねない。臓器提供の選択に直面した家族の思いを通して、脳死と臓器移植について考える。
(小塚由記夫が担当します)、以上、北海道新聞より引用。
      ■         ■
 北海道新聞にも…
 朝日新聞にも…
 臓器移植についての記事が増えています。
 朝日新聞の…
 患者を生きるシリーズでは、
 生体肝移植を受けたのに…
 50日後に亡くなってしまった…
 奥様のことも掲載されています
      ■         ■
 一般の方が…
 あまり知ることができない…
 救急医療の現場。
 さくらんぼさんが体験なさった、
 救命できなかった虚(むな)しさ。
 お通夜の席で…
 お坊さんや
 牧師さん、
 神父さん、
 神主さん、
 が…お話ししてくださるとよいと思います。
      ■         ■
 死んでしまってからの…
 社会貢献は… 
 ドナーになることです。
 火葬場で灰になってしまうより…
 私は、ずっと価値のある最期だと思います。
 自分自身が医師でありながら、
 救急の現場に行くまでは気付きませんでした。
 ドナーになる勇気を出してみませんか?
 きっと天国へ行けます。
      ■         ■
[caption id="attachment_6850" align="aligncenter" width="300" caption="手術室から運ばれる、タカシさんの腎臓を入れたクーラーポックス。ランの花が添えられている(北海道新聞より引用)"]do[/caption]

投稿者 sapporobiyou : 21:12 | コメント (0)

2010年07月08日

脳死_看取りの医療

 平成22年7月7日、北海道新聞夕刊の記事です。
 大きな写真が何枚もついていて、
 とても良い内容でした。
 現在(いま)を撮る
 脳死_看取りの医療
 市立札幌病院では、脳死患者が心停止するまでの限られた期間を家族らと有意義に過ごすため、積極的に時間と場所を提供する「看取りの医療」を行っている。
 札幌市内の宅配使運転手宗盛勲(むねもりいさお)さん(37)は6月12日、くも膜下出血で同病院に運ばれた。意識が戻らないまま14目、脳死状態と診断され、家族に告げられた。
 息子の死を覚悟した母美津子さん(66)は、看護師の助けを借り、ベッドの上の勲さんの髪を洗った。「洗うのは、子どもの時以来」とほほ笑みながら。看護師は「よかったね」と勲さんに優しい声を掛けた。
 同日夜、なじみの理容師谷明光(たにあきみつ)さん(37)が病室を訪問、勲さんの髪を切った。「男前になった」という友人の言葉に、家族らは涙をぬぐった。
 勲さんが帰らぬ人となったのは21日。父寿太郎(じゅたろう)さん(68)は「たくさんの人たちが、勲のために何度も会いに来てくれた」と感謝した。成人の場合、脳死から1、2週間ほどで心停止するといわれる。同病院の鹿野恒医師は「どんなに頑張っても救えない命がある。だからこそ、人間の尊厳を最期まで大切にする医療が重要だ」と話す。
 (写真部 西村昌晃)、以上、北海道新聞より引用。
      ■         ■
 今日は休診日だったので…
 理容福原へ伺って…
 散髪をしていただきました
 オーナーの福原宏伺さんに、
 私が脳死になったら…
 市立札幌病院まで来て散髪をしてください、
 とお願いしてきました。
      ■         ■
 私はドナーカードを持っています。
 脳死になったら…
 組織すべてを提供します。
 火葬場で灰になる前に…
 使えるものはすべて使ってください!
 という考えです。
      ■         ■
 市立札幌病院救命救急センターの
 鹿野恒(かの ひとし)先生のことは…
 2007年7月26日の日記に書いてあります。
 素晴らしい先生だと思います。
 看取りの医療は、
 私も是非受けたいです。
 できることなら…
 散髪風呂も…
 お願いしたいです。
      ■         ■
 私が勤務していた頃には…
 熱傷患者さん用に…
 熱傷浴室がありました。
 耐性菌の問題で、
 熱傷浴室を廃止した病院もあります。
 お風呂が無理ならシャワーか清拭をお願いします。
 私は脳死状態で…
 キレイにしていただき、
 お別れをして、
 ドナーとなって他人の役に立ちたいです。 

title=

ひと切り、ひと切り、気持ちをこめてハサミを入れる理容師の谷さん
北海道新聞社、写真部、西村昌晃

投稿者 sapporobiyou : 18:39 | コメント (0)

2010年07月07日

整形がバレたら…?②

 私はばか正直な人間です。
 小さい頃から…
 嘘をついてはいけない!と…
 教育されてきました。
 今でも嘘つきは嫌いです。
      ■         ■
 美容外科医になってよかった…
 …と思っています。
 医学を上手に利用なさって…
 素敵な人生を歩んでいる方を…
 たくさん知ることができたからです。
 整形している人がウソつきで
 虚飾に満ちた人生を
 歩んでいるのではありません。
      ■         ■
 矯正歯科は一般的になりました。
 矯正できれいな歯並びになると…
 死ぬまで健康的に噛むことができます。
 矯正装置をつけることは…
 恥ずかしいことではありません。
      ■         ■
 年齢とともに下がった瞼を…
 手術で治して差し上げると…
 ものが見やすくなります。
 生まれつき…
 半分しか開かなかった目を…
 大きな瞳にして差し上げると…
 視界が広くなります。
      ■         ■
 世の中にはさまざまな価値観があります。
 残念なことですが…
 整形は罪悪と考える人もいます。
 医学部の男子学生に聞くと…
 自分の彼女は…
 整形じゃない美人がいいそうです。
      ■         ■
 男なんてのは勝手なものです。
 整形じゃないのがいいと言いながら…
 2人の女性がいて…
 選ぶのは美人の方です。
 自分自身が…
 包茎手術を受けたとしても…
 絶対に彼女には言いません。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術は男性にもします。
 男子の方がイケメンになります。
 札幌美容形成外科の女性職員が…
 『わぁ~』というほど変わるのが男子です。
 女性はお化粧をしますが、
 男子は化粧をしないので…
 変化率が大きく感じるのです。
      ■         ■
 もし整形バレそうになったら…
 最後までしらをきることです。
 私、整形したの…
 …なんて言う必要はありません。
 子どもが私と同じ目だったら…
 というのは杞憂(きゆう)です。
 子どもも治せばいいのです。
 親子2代で受診してくださる方は…
 たくさんいらっしゃいます。
      ■         ■
 お母さんが整形していると…
 お嬢様は…
 お母さん以上に美人になっています。
 お母さんが…
 上手な美容外科医の見分け方を…
 よくご存知だからです。
 美容外科を上手に利用されると…
 人生が何倍にも楽しくなります。

投稿者 sapporobiyou : 19:42 | コメント (0)

2010年07月06日

整形がバレたら…?①

 整形がバレたら…?
 どうしよう…?
 には何て言い訳しよう…?
 世の中が変わっても…
 まだまだ整形に対する偏見があります。
 たとえ…
 保険適応で…
 眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)の手術をしたとしても…
 手術後に目が変わって…
 大きな瞳になって…
 整形した…?
 と思われることはあります。
      ■         ■
 私が手術用顕微鏡を使って…
 どんなに丁寧に縫合(ほうごう)しても…
 ちょっとした加減で…
 キズが見えることがあります。
 危険なのが…
 寝ている時です。
 化粧を落としてすっぴんになって…
 無防備に寝ていると…
 朝、ここどうしたの…?
 …と気付かれることもあります。
      ■         ■
 大切なのは…
 焦(あせ)らないことです。
 やばい…
 バレたかぁ……
 なんて考えないことです。
 この時点では…
 99%バレていないことが多いのです。
 どんなに経験豊富な男性でも…
 瞼の数ミリのキズを見て…
 整形したとはわかりません。
      ■         ■
 美容外科講座がある、
 医学部の学生でも…
 実際に瞼のキズを見る機会はありません。
 美容外科手術の‘見学’ですら…
 学生には見せない医学部が多いのです。
 キズを見てわかるのは…
 自分自身が手術を受けた男性。
 家族などが手術を受けた男性。
 …など、ごく限られた人だけです。
      ■         ■
 医師免許を持った人ですら、
 今の眼瞼下垂症手術がどんな結果になるか…
 ご存知ない方もたくさんいらっしゃいます。
 朝、ここどうしたの…?
 …と言ったは、
 ちょっと赤くなったところを見て…
 あれぇ……
 ○○ちゃん……
 寝ている間に虫にさされたかなぁ~
 と思っていたのです。
      ■         ■
 大丈夫、私、化粧品で赤くなるの…
 とか
 アトピーだったから赤くなりやすいの…
 とか
 めっぱができて切開したの…
 めっぱ:北海道でものもらいのことをめっぱといいます。
 関西では、めばちこと言うようです。私の家内はめばちこといいます。
 とかの言い訳をしましょう。
 わざわざ眼瞼下垂症(がんけんかすいしょう)なんて…
 難しい病名を言わないことです。



まぶたのキズ

投稿者 sapporobiyou : 21:30 | コメント (0)

2010年07月05日

ファーム富田の魅力

 富良野には…
 ラベンダー畑がたくさんあります。
 ここ数年で…
 かなり増えました。
 私が通いはじめたのは…
 約30年前です。
 その頃は…
 道路も駐車場も砂利道でした。
 渋滞もしませんでした。
      ■         ■
 なぜ…?
 毎年、同じ花を見に行くのか…?
 自分でもちょっと不思議です。
 富良野へ来た!というより…
 富良野へ帰ってきた!という感じです。
 今年も…
 ラベンダーがきれいで、
 よい香りがする…
 その感覚を味わいに行きます。
      ■         ■
 私のおすすめは…
 ファーム富田です。
 ここには…
 ラベンダーのすべてがあります。
 花もきれいですが、
 香水製造…
 ドライフラワーの館…
 入っただけで…
 よい香りがして…
 幸せな気持ちになれます。
      ■         ■
 ファーム富田が素晴らしいのは…
 オーナーの富田忠雄さんの気持ちが伝わってくるからです。
 昔はラベンダーを香水原料として育てていましたが、
 合成香料の発達によって…
 ‘商売’としてのラベンダー栽培が成り立たなくなりました。
 最後のラベンダー畑を
 ブルドーザーでつぶそうとした時に…
 ラベンダーの悲鳴が聞こえたそうです。
 そうして残ったのが…
 ファーム富田のラベンダー畑です。
 ファーム富田の歩みに記載されています。
      ■         ■
 私は有名になる前…
 今から30年近く前から…
 ラベンダー畑を訪れていました。
 天皇陛下までいらっしゃるような…
 有名な観光地になるとは…
 夢にも思いませんでした。
 何度訪ねても…
 心が落ち着くのが
 ファーム富田のラベンダー畑です。
 今年も行くのを楽しみにしてます。


オーナーの富田忠雄さん

花人たちより引用

投稿者 sapporobiyou : 20:13 | コメント (0)

2010年07月04日

ラベンダー開花2010

 私が楽しみにしている、
 道庁前のラベンダーが開花しました。
 今年は寒い日が続く春でしたが、
 6月の高温で…
 一気に成長したようです。
 例年通り7月上旬の開花になりました。
      ■         ■
 2007年7月2日ラベンダー開花
 2008年7月9日ラベンダー満開
 2009年7月10日富良野のラベンダー
 とにかく私はラベンダー好きなおじさんです。
 ラベンダーが咲く7月は、
 私の好きな季節です。
      ■         ■
 ラベンダーの良い点は…
 あまり手入れが要らない。
 花が終わったら…
 茎ごと刈り取り…
 適当に乾燥させると、
 とてもよい香りのポプリになります。
 枯れた後も香りがさわやかです。
      ■         ■
 刈り取る時にも…
 良い香りがします。
 あまり虫もつきません。
 (たまにいますが…)
 (開花時期には蜂も来ますが…)
 良い香りで心が落ち着きます。
 ストレス解消にもなります。
      ■         ■
 私はあまり趣味も楽しみもありません。
 お酒も飲まないし…
 タバコも吸いません。
 ススキノへもめったに行きません。
 ラベンダーは…
 数少ない楽しみの一つです。
 札幌市内では、
 道路の中央分離帯にも…
 ラベンダーが植えられています。

bee

2010年7月2日撮影

投稿者 sapporobiyou : 20:02 | コメント (0)

2010年07月03日

緊急時の連絡方法

 昨日は終日HPが開かず、
 大変申し訳ございませんでした。
 18時間以上不通でした。
 この院長日記は、
 美容の杜
 AmebloにもUPしています。
 そちらにだけは…
 早めに不通の情報を出していました。
 緊急時に連絡する方法がないと困ります。
      ■         ■
 医療機関は緊急時の連絡が必要です。
 私が若い頃は…
 ポケットベル(ポケベル)が唯一の連絡手段でした。
 休みの日にポケベルを持つのが…
 ポケベル当番でした。
 地方病院では…
 一番下の医師が…
 北大病院では…
 病棟チーフと当直医が持っていました。
      ■         ■
 今は大きな病院ですと、
 院内PHSをそのまま院外でも使い…
 病院へ電話するとつないでもらえます。
 携帯やPHSは便利ですが…
 圏外や…
 運転中もあります。
 光電話は…
 インターネットを使っているので、
 ネットのトラブルで不通になることもあります。
      ■         ■
 札幌美容形成外科では、
 NTT東日本のISDN回線と…
 IP電話や…
 インターネットを使っています。
 夜間や休日には、
 NTT東日本のボイスワープシステムを使って…
 対応しています。
 ニューヨークから相談電話がかかってきて…
 早朝から英語で話したこともあります。
 札幌美容形成外科の011-231-6666は、
 緊急時の電話を含めて…
 24時間対応するようにしています。 

投稿者 sapporobiyou : 21:15 | コメント (0)

2010年07月02日

サーバーの不具合

 2010年7月2日
 今朝からメールが使えなくなり、
 HPも見ることができなくなりました。
 札幌美容形成外科のHPは
 株式会社NTTPCコミュニケーションズの
 WebARENA SuiteXというサーバーを使っています。
 めったに障害は生じていませんでしたが、
 今朝は驚きました。
      ■         ■
 NTTPCコミュニケーションズの
 障害情報によると…
 障害発生日:2010年07月02日03時00分頃
 【対応中】
 7/2 dc2~dc13.etius.jp、
 my22.etius.jp 全てのサービスの停止
 お客さまには大変なご迷惑をお掛けし
 誠に申し訳ございません。
 早期復旧に向け
 鋭意作業中でございますので
 今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。
      ■         ■
 3:20 メンテナンス継続中
 4:10 ハードウェア不具合発生を確認
 5:00 詳細原因調査中
 6:00 ハードウェア交換実施中
 6:00 問題切り分けのためハードウェア交換実施中
 8:30 ハードウェア交換にて改善せず
 継続調査
 9:30 ハードウェアの詳細解析中
 10:30 継続対応中
 12:10 上記対応と並行して交換用新規サーバ環境を別途構築中
 14:30 継続対応中
 15:30 更に別のハードウェア交換にてサービス復旧を試みるも改善せず
 16:10 並行して作成していた交換用新規サーバ環境にてサービス復旧対処中
 サービス復旧目途 18:30
 18:10 継続対応中 サービス復旧目処 20:00に延期
 サービス復旧目途 18:30→20:00
 19:35 dc2よりサーバ順次起動中
 20:32 全てのサーバの起動を確認し、回復いたしました。
      ■         ■
 【原因】
 本日1:00-3:00の予定でメンテナンスを実施中に
 一部ハードウェアに不具合が認められました。
 深夜作業中に…
 不具合が生じると焦ります!
 病院の電子カルテでも…
 航空会社の予約搭乗システムでも…
 怖いのはコンピューターの不具合です。
      ■         ■
 札幌美容形成外科をご利用の皆様にも…
 大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
 少しでも早く復旧してくれることを…
 切に祈っています。
 メールが使えないと…
 予約も受け付けられません。
 なかなか復旧せず…
 20:32に復旧いたしました。
 長時間にわたり、ご迷惑をおかけしましたことを、
 心からお詫び申し上げます。
 札幌美容形成外科@本間賢一

投稿者 sapporobiyou : 12:57 | コメント (0)

2010年07月01日

第98回日本美容外科学会③

 今回の学会で印象に残った発表は、
 ソウルのShimmianクリニックJung Dong-Hak先生でした。
 Jung(ジョン)先生は、
 何度も私をソウルへ招待してくださった先生です。
 もともとは耳鼻科の教授をなさっていらっしゃいました。
 韓国で知らない人はいない…
 有名な鼻の先生です。
 韓国だけではなく…
 中国、シンガポール、台湾、日本からも…
 先生、助けて~と患者さんがいらっしゃいます。
      ■         ■
 先生の論文は、
 PRS(ぴーあーるえす)という、
 米国形成外科学会誌に何編も掲載されています。
 PRSに論文が載るというのは…
 形成外科医にとってとても名誉なことです。
 Jung(ジョン)先生は、
 形成外科医専門医以上の腕をお持ちで、
 アジア圏の患者さんを…
 たくさん救済していらっしゃいます。
      ■         ■
 今回、われわれに見せてくださった症例は、
 さまざまな注入物が鼻の血管に詰まってしまい…
 鼻が壊死になってしまった症例でした。
 Jung(ジョン)先生は、
 私たち形成外科専門医ですら…
 どうやって治そうか…???
 と困ってしまうような難しいケースを、
 皮弁という形成外科の手技で、
 それはみごとに治していらっしゃいました。
      ■         ■
 Jung Dong-Hak先生は、
 美容目的で使った…
 さまざまな注射が原因で、
 鼻の形が崩れてしまった方を、
 形成外科で使う皮弁(ひべん)という技(わざ)で治してしまいます。
 思わぬことでトラブルになるのは、
 世界共通のことです。
 ヒアルロン酸だからと安心はできません。
 鼻の手術でトラブルになって…
 どうしても日本で治らなければ…
 韓国のJung Dong-Hak先生に相談してください。


Jung先生(左から2人目)
と日本からの参加者
2008年11月

投稿者 sapporobiyou : 21:08 | コメント (0)