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2012年03月31日

吉田哲憲先生退職

 今日、平成24年3月31日付で、
 札幌市病院事業管理者 病院局長
 市立札幌病院院長の
 吉田哲憲先生が退職されます。
 吉田先生は私の恩師、
 人生の師です。
 困った時には吉田先生に相談。
 とても頼りになる先輩です
      ■         ■
 吉田哲憲先生が、 
 市立札幌病院へ赴任なさったのは、
 平成7年1月1日付でした。
 当時の職位は、
 皮膚科主任医長職、
 最後に『職』の字がついています。
 市立札幌病院には、
 まだ形成外科がありませんでした。
      ■         ■
 病院は今のヤマダ電機テックランド札幌本店
 の場所にありました。
 吉田先生の部屋は、
 別館2階にあった、
 市立札幌病院では一番狭い…
 形成外科医局でした。
      ■         ■
 形成外科専従の正職員は…
 吉田哲憲先生お一人でした。
 他に常勤嘱託医が一人でした。
 北大から、
 講師クラスの医師を迎えて…
 新しい科をつくるというのに…
 実にお粗末な部屋でした。
 その部屋の前の住人が私でした。
      ■         ■
 私は市立札幌病院に在職中、
 新病院の設計図を北大へ持って行き、
 吉田先生に相談していました。
 外来のレイアウト…
 病棟の処置室。
 少しでも使いやすくするため…
 札幌市建設局の設計担当の方と何度も相談しました。
      ■         ■
 平成7年秋に現在地へ病院が移転新築され、
 形成外科も晴れて診療科として認められました。
 新病院での業績が認められ、
 吉田先生は院長に就任されました。
 しかも…
 市立札幌病院140年以上の歴史で、
 はじめて病院長が特別職になりました。
 私にとって実に感慨深いものがあります。
      ■         ■
 病院長に就任されてからも…
 看護師さんを副院長に登用されたり…
 長年の懸案であった分院を統合されたり…
 救命救急センターや周産期センターを充実されたり…
 私が知っているだけでも、
 たくさんの業績を残されました。
 ほんとうにご苦労様でした。
      ■         ■
 多くの先生が、
 病院長に就任されると…
 患者さんの診療から離れられます。
 時間がないからです。
 でも…
 吉田哲憲先生は、
 院長に就任されてからも…
 学会にも、
 外来にも、
 病棟にも来られました。
      ■         ■
 4月からも形成外科の診療を続けられるそうです。
 これからも、
 北大形成外科同門会長として、
 皮膚悪性腫瘍の権威として、
 ご活躍されることを祈念しています。
 吉田哲憲先生、
 ほんとうにありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 18:36 | コメント (0)

2012年03月30日

わきが手術は難しいです

 どんな手術にも…
 リスクも…
 合併症もあります。
 簡単な手術はありません。
 開業して手術件数が増えてから…
 手術の難しさを痛感しています。
 難しい手術はワキガです。
      ■         ■
 形成外科の進歩⑦【わきが手術】
 で引用した、
 クロスクリニックの石川浩一先生のお言葉です。
 腋臭症の治療という本に書かれています。 
 治療効果は真皮内の汗腺組織をより完全に切除することにより得られるが,
 皮膚を薄くすればそれだけ術後合併症の危険性や瘢痕拘縮の可能性が増える。
      ■         ■
 わきがの症状には個人差があります。
 腋毛の範囲も…
 皮膚の厚さも…
 毛の量も…
 人によってまったく違います。
 身長や体重によっても違います。
      ■         ■
 わきが手術できれいに治りやすいのは…
 細身の女性で…
 腋毛の範囲が少ない人です。
 手術する面積が少ないと…
 手術後の回復が早いです。
 もちろんタバコを吸わない人です。
      ■         ■
 反対に…
 治りが悪い人は…
 汗をかく範囲が広い方です。
 脇毛の範囲が広い人です。
 手術をする面積が広くなると…
 どうしても皮膚血流が悪くなります。
      ■         ■
 皮膚は完全に血流が無くなっても…
 全層植皮という手技と同じメカニズムで…
 血流が再開します。
 ちょっと難しい言葉ですが…
 ラベンダーを切って…
 土に植えて水を与えると根が生えるのと同じです。
      ■         ■
 皮膚にも…
 毛細血管というがあります。
 根を切ってもまた生えます。
 この根が…
 うまくのびると生きますが…
 はえた根が切れてしまったり…
 条件が悪いと枯れてしまいます。
 枯れた状態が皮膚の壊死(えし)です。
      ■         ■
 ラベンダーの挿し木をした時に…
 根がはえるまでそっとしておくのと同じで、
 わきが手術をした後は、
 腕を動かさず…
 ワキを固定して安静にしています。
 この安静が一番大切です。
 わきが手術後の固定に書いてあります。
 良い結果を出すためには、
 患者さんご自身のケアーも大切です。

投稿者 sapporobiyou : 22:04 | コメント (0)

2012年03月29日

高須シヅ先生の命日2012

 今日(3月29日)は高須シヅ先生の命日です。
 亡くなられてから…
 もう2年も経ちます。
 今朝、高須克弥先生のブログで知りました。
 8:28に更新なさっていらっしゃいます。
 高須先生の想いが伝わります。
      ■         ■
 私が好きな高須先生のブログに、
 シヅ先生の肖像画 …という
 2010年4月28のブログがあります。


 この絵は
 僕たちが知り合った十八才のとき

 僕がシヅ先生をモデルにして描いたんだ

 プロポーズするとき
 プレゼントしたんだ

 ラッカーとニスを使って描いたから
 なんか安っぽい仕上がりになって

 「漫画の看板みたいね(^O^)」って
 笑われたもんだ

 とっくに
 ゴミになってると思っていたが

 シヅ先生のクローゼットに大切にしまわれていた

 保存状態が良好で
 半世紀経過しているが
 いま描いたようにみずみずしい

 「あまり似てないわよ(^0^)/」って言ってたけど
 よく似てるじゃないかね?

 もしかしたら
 「上手ね!ステキね!才能あるわね!」なんておだてたら
 舞い上がりやすい僕は
 今頃
 売れない漫画家になってたかもしれない

 絵を大切にしてくれて
 ありがとう

 ホントは
 僕の才能
 認めてくれてたんだね


 大切にしてくれて
 ありがとう
      ■         ■
 私は残念なことに…
 シヅ先生と直接お話ししたことはありませんでした。
 高須先生を支えて…
 妻であり、
 母であり、
 医師であった立派な先生です。
      ■         ■
 子育てをしながら…
 医師として活躍され…
 子どもさんも皆勤賞です。
 なかなかできることではありません。
 シヅ先生から…
 夫婦円満、
 家庭円満のこつを、
 じっくりと伺ってみたかったと思います。
      ■         ■
 高須克弥先生も…
 星野シヅ先生も…
 とても素敵な青春時代をいっしょに過ごされ…
 たくさんのを語られたことと思います。
 素敵な先生を亡くしました。
 ご命日に、
 札幌から手を合わせて…
 ご冥福をお祈りしています。 
 


 高須シヅ先生
 高須クリニックHPから

投稿者 sapporobiyou : 12:39 | コメント (0)

2012年03月28日

立派な息子に育てる方法

 男の子が生まれたらという、
 2011年8月29日の院長日記に書いてあります。
 あかちゃんのちんちんは…
 おむつを替えるたびに…
 少しずつ引っ張って…
 皮を剥いてあげる
 そうすると…立派になる
      ■         ■
 泌尿器科の先生から伺ったお話しです。
 若い女性にも…
 是非、覚えておいていただきたいです。
 男性にとって…
 粗ちん
 短小
 小さい
 小指大
 とても屈辱的な言葉です。
      ■         ■
 一流大学を卒業していても…
 どんなに大金持ちでも…
 博士号を持っていても…
 体格が良くても…
 有名選手でも…
 やくざの親分さんでも…
 とにかく息子が小さいと…
 とても悩みます。
      ■         ■
 女性からの…
 何気ない一言で…
 あら…(ちいさい)
 …と言われただけで…
 一生、立ち直れなくなります
 赤ちゃんの時から…
 重度の真性包茎のままですと…
 成長が障害されます。
      ■         ■
 人間の皮膚は伸びます。
 アフリカのある種族は、
 下口唇が大きいほど美人です。
 口唇に器具をつけて…
 少しずつ伸ばします。
 医療でもティシューエクスパンダーという装置があります。
 風船で皮膚を進展する仕組みです。
      ■         ■
 赤ちゃんのちんは、
 全員、包茎です。
 成長とともに…
 少しずつ剥けてくるのが普通です。
 ところが…
 小さい頃に炎症を起こしたりすると…
 皮が硬くなって…
 剥けない子がいます。
      ■         ■
 そのまま…
 身体だけ大きくなっても…
 男性として大切な息子は背が伸びません。
 身長だけ170センチになっても…
 ちんは子どものまま…
 …というかわいそうな子がいます。
 将来、彼女ががっかりしないように…
 あかちゃんのうちから…
 ちんをきたえてください。

投稿者 sapporobiyou : 19:42 | コメント (0)

2012年03月27日

雪印パーラー改装中

 札幌美容形成外科の階下にある、
 雪印パーラーが改装工事中です。
 なんと…
 51年ぶりの全面改装工事です。
 雪印パーラーは、
 奥さんと最初に出会った…
 思い出の場所です。
      ■         ■
 今から5年前には、
 ビルの建てかえ計画が出ました
 さすがに築50年を過ぎているので…
 仕方のないこと…
 …と半分諦めていました。
 それが…
 リーマンショックや不況の‘おかげ’で…
 無くなってしまいました。
      ■         ■
 ビルのオーナー様も代わり…
 今のオーナー様は、
 6階で営業されている、
 コンタクトオフ様です。
 あと10年くらいは…
 改築はないようです。
      ■         ■
 雪印パーラーさんのオープンは、
 4月25日(水)です。
 新しい店舗が楽しみです。
 ビルがあと10年改築しないようなので…
 私もあと10年くらいは…
 このまま診療を続けようと思っています。
 病気をしないように気をつけます。

投稿者 sapporobiyou : 22:00 | コメント (0)

2012年03月26日

劔物 修(けんもつおさむ)先生の想い出

 私が劔物先生とご一緒だったのは、
 劔物先生が東邦大学から北大へ赴任された直後でした。
 毎週金曜日に、
 北大病院の中央手術部で、
 手術場会議(しゅじゅつばかいぎ)がありました。
 各科が…
 翌週の手術予定を持ち寄って、
 調整する会議です。
      ■         ■
 麻酔科研修の想い出④に書きました。
 手術室看護師の数や、
 麻酔科医の数には限りがあります。
 全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
 人的な余裕がありませんでした。
      ■         ■
 今はどうかわかりませんが、
 看護師さんの数が足りないので…
 直接介助は無しでお願いします。
 【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
 とか
 この手術は次週にまわしてください。
 という調整の会議でした。
 この会議に出るのが、
 形成外科ではチーフレジデントでした。
 私も半年間出席しました。
      ■         ■
 劔物先生は、
 札幌医大卒業生として、
 はじめて北大医学部の臨床系教授に就任されました。
 私たち札幌医大の卒業生としては、
 とても名誉なことでした。
 しかし…
 劔物先生が赴任されてからは大変でした。
      ■         ■
 麻酔科医の数は少なく、
 依頼されたすべての手術の麻酔を、
 安全にかけるのは大変なことです。
 ある日の手術場会議で…
 麻酔科医局長だった佐々木先生が、
 申し訳ございませんが…
 この手術は無理…と言いかけたところ…
 新任の劔物教授が、
 その麻酔は私がかけますから
 引き受けてください
 と言われたのを…
 今でもはっきり覚えています。
      ■         ■
 劔物先生は、
 手術場では厳しい先生でした。
 優秀な麻酔科の先輩ですら、
 『劔物先生からがっつり怒られた』
 …と伺ったことがありました。
 眼鏡の奥に鋭い目がありました。
 その鋭い目のさらに奥には…
 とても優しい目がありました。
 3月28日が命日です。
 心からご冥福をお祈りしています。
 【訂正】
 今まで札幌医大同窓会名簿と北大医学部の記載を見て、けんもつ先生を劒物と表記していましたが、物の誤りでした。
 先生ごめんなさい。

投稿者 sapporobiyou : 20:47 | コメント (1)

2012年03月25日

劒物 修(けんもつおさむ)先生一周忌

 劒物 修(けんもつおさむ)先生一周忌のDVDをいただきました。
 きっかけは…
 私の院長日記でした。
 【劒物】という字を検索したところ…
 私の院長日記がヒットしたそうです。
 毎日続けていると…
 思いもかけず良いことがあります。
      ■         ■
 DVDを製作してくださったのは、
 劒物先生の音楽の師匠である、
 中川文雄様です。
 中川様は、
 すすきので…
 CLUB@JAZZ.COM「ドットコム」を経営していらっしゃいます。
      ■         ■
 劒物先生は晩年、
 中川様とごいっしょに…
 フルートを演奏なさったり、
 作曲もされたそうです。
 素晴らしいDVDでした。
 タイトルは…
 『おげんきでいらっしゃいますか』
      ■         ■
 劒物先生はよく、
 『お元気でいらっしゃる?』
 …と話されました。
 昨日は、
 東京でご親族が集まって、
 一周忌の法要が営まれたそうです。
      ■         ■
 私は家内と中川さんのお店に伺い、
 劒物先生が作曲された曲を、
 中川様のピアノで聴かせていただきました。
 劒物先生を偲んで…
 とてもよい時間を過ごせました。
 中川様ありがとうございました。
 CLUB@JAZZ.COM「ドットコム」
 〒064-0805
 札幌市中央区南5条西3丁目
 第4グリーンビルB1
 電話:011-561-4868
 ラーメン横丁のお隣のビルの地下
 白い扉のお店です。

投稿者 sapporobiyou : 16:24 | コメント (0)

2012年03月24日

朝日新聞_天声新語から③

 朝日新聞の読者が書いた
 【天声語】
 入選作です。
 福島県須賀川市 主婦 浅見美奈子さん(50)
 「このきれいな夕日がずっとみられたらいいね」「50年先だって夕日はきれいだよ」。これは「ALWAYS三丁目の夕日」のラストシーン、親子の会話である。数年前、映画でこのシーンを見た時は家族の小さな幸せに胸熱くした。
▼しかし、先日、同じ映画を見たところ、このなんでもない小さな願いが、いかにすばらしい願いか、そして、それが、もろくも崩れることがあるのだと、福島にいて重く感じている。
▼原発事故が起きて1年たつが、いまだに除染が進まない。放射能を含んだ土、植物の仮置き場、中間貯蔵施設が決まらない。それが決まらないから除染ができない。除染ができないから故郷へ戻れない。福島は答えのきわめて出にくい問題に直面している。どうすればいいのか。
▼こんな時、幼稚な発想だが、ウルトラマン世代の私は、ウルトラマンに頼りたくなる。汚染された物を地球の外へ持っていってほしくなる。しかし、すぐにこれは、人間のエゴだと気づく。
▼人間が作り出した原発の汚染物は地球で処分し、手にあまる原発は人間がなだめ、全て廃炉へ持っていくべきだと考える。理想論かもしれないが、福島にいる私にとっては、この答えしか考えられないし、出せない。
▼「三丁目の夕日」の一平君(息子)の言った「50年後の夕日」の約束は、大人の一人として守らねばならない。福島の原発事故、放射能への挑戦は、これからも続く。日本、いや世界中の科学者の良心の赤い灯にも似た真っ赤な夕日を取り戻すまで。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 福島県に住む人にとって、
 実に深刻な問題です。
 50年後には…
 私は生きていませんが…
 自分たちが生きている間に、
 何とか英知を集めて解決したいです。
      ■         ■
 今の私には何もできませんが、
 自分たちの子孫に、
 負の遺産を残したまま…
 死にたくはないです。
 何とか自分たちが生きている間に、
 美しい国を取り戻したいです。

投稿者 sapporobiyou : 18:38 | コメント (0)

2012年03月23日

朝日新聞_天声新語から②

 朝日新聞の読者が書いた
 【天声新語】の続きです。
 今日は2つ目の優秀作です。
 作者はなんと高校生の女の子です。
 すごいです。
 大学生でもこれだけ書ける人はまれです。
      ■         ■
 天声
 優秀作(冨永格論説委員選)
 広島市安佐南区 高校生 森岡真菜さん(18)
 精神分析学者フロムの主著に「自由からの逃走」がある。自由を獲得した人間が、束縛からの自由がもたらす孤独や不安に耐えきれず、自由から逃走するというものだ。日本でも、投票率の低下や若者の政治離れなど、民主主義という自由からの逃走をよく見かける。
▼昨年起こった東日本大震災では、原発事故や被災地に対する政府の対応に、国民はいらだちを覚えただろう。異常な放射能の値については「人体に影響はない」の一点張り、視察に行った大臣は被災地を「死の町」と言った。
▼今、人々はこの現状に立ち向かうために、新たな挑戦をしている。国民は脱原発を訴え、原発がある自治体と計画中の自治体の一部は、原発交付金をもらうことを拒絶した。人々が新しい世の中を作るために動き出した。阪神淡路大震災の年をボランティア元年と呼ぶなら、東日本大震災の年を挑戦元年と呼びたい。
▼挑戦元年は、日本だけでなく世界にとっても挑戦の年であった。リビアでは、独裁者のカダフィ氏を倒し新たな政府を作り始め、アメリカでは、格差社会に不満を持つ人々がウオール街を占拠し、その行動が世界に広がった。
▼日本をはじめ、世界各地に人々の「新しい世の中」を求める声が上がっている。これは一種の自由を求める声であるといえよう。もう、「自由からの逃走」の時代は終わったのだ。
▼「新しい世の中」を求めて新たな挑戦を始めた私たちを、ぜひフロムに見てもらいたい。「自由からの逃走」ではなく「自由への奔走」をしている姿を。
       ■         ■
 ――受賞者から
 世界のうねりフロムに絡め
 新聞で募集を知り、私も受験に挑戦していたので、応募しようと決めました。
 日本では去年、東日本大震災が起き、中東・北アフリカでは民主化運動が進み、ウオール折からは「格差社会」への抗議行動が世界に広がりました。すごい勢いで世界中が動いていることを実感していました。
 フロムの「自由からの逃走」は、倫理の授業で習いました。これらのことを絡めて書くことにしましたが、書きたいことがまとまらず、下書きを繰り返し、受験勉強の合間を縫って仕上げました。
 多くの方の中から私の作品が選ばれて、とてもうれしいです。先生からは 「天声人語を読んだり、書いたりすると集中力がつく」と言われ、年明けから毎日書き写しています。4月からは大学生。小学校の先生をめざします。子どもたちに新聞の良さを伝えていけたら、と思っています。
 講評
 筆はやや硬いが、しっかり時事コラムになっています。政治に背を向けたかに見えたた大衆が原発事故で目覚めた日本。世界でもアラブの春、ウォール街占拠と「自由への奔走」が始った、という前向きの視点が若者らしくて好感を持ちました。
 (論説委員・「天声人語」筆者 冨永格)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私がこの天声新語を取り上げたのは、
 若い人に…
 新聞を読んでほしいからです。
 新聞の活字からは、
 ネットにはない情報が伝わります。
 紙面はどんなPC端末より見やすいです。
      ■         ■
 新聞は一度に目に入る情報量が違います。
 若い医師や看護師にも…
 新聞を読んでほしいです。
 優秀な成績で国家試験をパスしても…
 患者さんと上手に会話ができない医師がいます。
 マークシート式の国家試験に合格しても…
 患者さんに紙に書いて説明できない【先生】もいます。
      ■         ■
 高校生で、
 これだけの文章を書けるのは素晴らしいことです。
 私が毎日、院長日記を書けるのも…
 高校生の時に…
 現代国語の先生から…
 新聞を読むことをすすめられたからです。
 私は成績優秀者ではありませんでしたが…
 札幌西高校で…
 一番得意だったのが【現代国語】でした。
 担当だった教頭の林先生に感謝しています。


受賞者、森岡真菜さん
(朝日新聞より引用)

投稿者 sapporobiyou : 22:00 | コメント (0)

2012年03月22日

朝日新聞_天声新語から①

 私は朝日新聞が好きです。
 高校生の時から毎日読んでいます。
 現代国語の先生からすすめられました。
 天声人語は、
 私が受けて落ちた…
 旭川医大一期生の入学試験問題にも出た記憶があります。
      ■         ■
 平成24年3月21日(水)に、
 読者が書いた【天声語】が掲載されました。
 読んでいて…
 とても心に残ったので引用して掲載します。
 天声新語_優秀作
 福島申二論説委員選
 長野県飯田市_無職_藤本秀夫さん(61)
      ■         ■
 暮れに脳梗塞を患った。幸い言葉が少しもつれる程度で、目立った後遺症はない。リハビリに精を出せば、程なく回復できそうだった。ところが退院し、パソコンを起動して、がくぜんとした。キーボードの配列が、まったく分からない。
▼三十余年前覚えた頃は、珍しくて変人扱いされた。今では仕事もプライベートも、なしでは暮れないほど、生活の一部だった。それが一変した。一文字入力するのに、盤面中を探さねばならない。やっとみつけても、気がつけば隣のキーを押している。修正しようとすると、今度は「削除」キーがみつからない。もどかしい。
▼天声人語の入力を、日課にした。「修善寺の大患」の時の、夏目漱石の日記が載っていた。一命を取りとめてから、「夜は朝食を思い、朝は昼飯を思い、昼は夕飯を思う」と。涙がこぼれた。食事制限中の、身にしみた。
▼文豪は胃弱のくせに、食いしん坊だったと聞く。当方はといえば、胃袋はすこぶる
頑健で、食いしん坊だ。どっちがつらいか。同じだろう。だからこそ、あらゆる食物が、しみじみと、旨い。

▼以前は、ごちそうを並べて、味わいもせず食べ散らかしていた。食物に失礼だったと思う。思うがやはり、その頃に戻りたい。だから今は、空腹に耐えながらパソコンに向かう。一日分の入力に4時間かかったのが、2時間になり、1時間になった。
▼ならば、文章も書けるだろうか。挑戦してみよう。遅々とした歩みでも、一語一語。回生へ、一歩一歩。被災地のよみがえりのように。
      ■         ■
 ――受賞者から
 脳梗塞から回復中に自信
 自分の文章が客観的に評価されてうれしい。昨年末、脳梗塞で倒れてから、的確な言葉が出てこなくなってしまいました。営業の仕事で話は得意、キーボードを打つのも人より速かったのに……。
 朝日新聞を読むのは朝食後の日課です。好きなのは天声人語。文章が心地よいからです。1月7日付にあった病床の漱石の話を思い出して、自分のいまを書こうと思い立ちました。
 途中で、自分の病のことだけでは広がりがないぞと気づき、おこがましいですが、震災復興を重ねてみました。文章を書くことで視野が広がりましたね。これもリハビリです。書きたいことはあるのに、ふさわしい言葉が浮かばず、時間がかかりました。意味が伝わる文章なのか、以前のように自分で判断できていないのかもしれないとも思いました。だから、人に認められ、自信を取り戻せたことが一番の喜びです。
 講評
 味わい深いエッセー風ですね。死の大鉈(おおなた)をかわして「生」を取り戻した漱石には「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉(とんぼ)」の一句もあります。そんな文豪の話から、一歩一歩の回復を東日本大震災の復旧に重ね合わせていく筆運びは、読ませます。(論説委員・「天声人語」筆者 福島申二)
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 脳梗塞からのリハビリは大変です。
 医者でも…
 脳梗塞から回復に…
 懸命のリハビリを続けた先生を知っています。
 長野県の藤本様が、
 PCで入力の練習をされた日々が、
 他の方の励みになると思います。
      ■         ■
 脳梗塞は、
 脳のどの部位が…
 どの程度障害を受けたか?
 …で症状が異なります。
 怖い病気です。
 一命を取りとめても…
 後遺障害が残ることがあります。
      ■         ■
 懸命にリハビリを重ねられて…
 みごとに優秀作に選ばれた…
 とてもすごいことです。
 もし、私が病気になっても…
 藤本様のように諦めず!
 がんばりたいと思います。
 良い文章をありがとうございました。


受賞者、藤本秀夫さん(61)
(朝日新聞より引用)

投稿者 sapporobiyou : 12:26 | コメント (0)

2012年03月21日

40代の眼瞼下垂症手術

 眼瞼下垂症手術後の視力変化という日記を、
 2011年12月4日に書いています。
 もともと目が悪い方で…
 目を細めてものを見る人がいます。
 目を細めると…
 ピントが合いやすくなります。
      ■         ■
 生まれつき…
 目が細い人もいます。
 カメラの絞り(しぼり)は、
 穴が小さければちいさいほど…
 ピントがよく合います。
 専門用語で…
 被写界深度(ひしゃかいしんど)といいます。
      ■         ■
 人間の目も…
 カメラと同じ構造になっています。
 しぼりに相当するのが…
 瞳孔(どうこう)です。
 暗いところへ行くと開きます。
 明るいところ行くと閉じます。
 黒目の部分です。
      ■         ■
 まぶたはカメラの…
 レンズキャップのようなものです。
 レンズの前にある…
 レンズを保護する装置です。
 故障していて…
 レンズが半分しか見えないカメラが…
 眼瞼下垂症の目です。
      ■         ■
 故障していても(病気でも…)
 狭いところから見ていると…
 それなりにピントが合います。
 眼瞼下垂症手術をして…
 半分しか開いていない目を…
 黒目がよく見えるようにすると…
 ピントが合いにくくなることがあります。
      ■         ■
 若い人は調節力があるので…
 黒目を大きく出す手術をしても、
 視力の変化を訴えることはまれです。
 40代になると…
 少しずつ老視(ろうがん)がはじまります。
 目の調節力が落ちるためです。
 40代で眼瞼下垂症手術をすると…
 見えにくくなることがある
 …のはこの調節力の衰えのためです
 手術後に眼鏡をあわせることになります。

投稿者 sapporobiyou : 20:03 | コメント (0)

2012年03月20日

FaceBookで見つけました

 函館の看護師さんからコメントをいただき、
 フェイスブックで友だち検索をしても…
 誰も見つからない…
 …とがっかりしていたのですが…
 同級生が見つかりました。
 見つけたのは、
 牧師さんです。
      ■         ■
 金井創(かないはじめ)くんという同級生です。
 私と同じ…
 真面目な男です。
 金井くんのお父様は、
 日本基督教団札幌教会の牧師さんでした。
 私も…
 一時期、教会に通おうかなぁ~?
 …と思ったことがありました。
      ■         ■
 金井くんのお父さんの教会に…
 何度か行ったことがあります。
 ステンドグラスが美しい…
 石でできた教会です。
 金井くんは…
 教会の隣の牧師館に住んでいました。
      ■         ■
 高校生の時には、
 金井くんが牧師になるとは思っておらず…
 私も教会には興味がありませんでした。
 背が高くて…
 バスケットが上手な生徒でした。
 頭もよかったです。
      ■         ■
 金井くんは早稲田大学政治経済学部へ行き、
 卒業後は北海道銀行へ入行しました。
 そのまま銀行員になると思っていたら…
 ある時、
 銀行を辞めて神学校へ行くと聞きました。
 東京の神学校へ入学し、
 彼は牧師さんになりました。
      ■         ■
 東京飯田橋にある、
 日本基督教団富士見町教会の副牧師として赴任。
 その後、
 明治学院の学院牧師をしているところまで…
 …は年賀状のやり取りがありましたが…
 その後は音信不通になっていました。
      ■         ■
 facebookで検索して…
 同じ名前の人が沖縄にいました。
 まさか…
 …と思ってよくよく見ると…
 同級生だったかないでした。
 岩内町(いわないちょう)出身は間違いない!
      ■         ■
 休診日だったので、
 電話をしてみました。
 声と話し方は昔のままでした。
 日本キリスト教団佐敷教会牧師。
 沖縄キリスト教学院大学講師。
 沖縄キリスト教平和研究所コーディネーター。
 主な活動は、
 辺野古新基地建設阻止行動で船長。
 今度、沖縄へ行こうと思いました。

投稿者 sapporobiyou : 13:48 | コメント (0)

2012年03月19日

医師国家試験合格発表

 今日(平成24年3月19日)は、
 第106回医師国家試験合格発表の日です。
 私が受験したのは…
 今から32年前でした。
 私の時は、
 第69回医師国家試験でした。
 受験番号129番でした。
      ■         ■
 受験票は今でも持っています。
 『69』回の回数、
 受験地、札幌
 氏名、
 生年月日は、
 手書きでした。
      ■         ■
 今の医師国家試験も、
 『106』回の106という数字、
 受験地、
 住所、
 氏名、
 生年月日、
 卒業学校名、
 …などは手書きです。
      ■         ■
 手書きにするのは…
 本人の筆跡を確認する目的でしょうか?
 国家試験の問題形式は、
 筆記試験のみです。
 マークシート方式です。
 実技試験はありません。
 私の時は2日間、
 今は3日間朝から夕方まであります。
      ■         ■
 今年の合格発表は14:00に…
 厚生労働省に掲示されるのと同時に、
 インターネットでも確認できます。
 厚生労働省HPに、
 受験番号が掲載されます。
 昔は、
 札幌医大の近くにあった、
 厚生省の北海道医務局に掲示されました。
      ■         ■
 32年前は、
 国家試験合格者名が、
 北海道新聞に掲載されました。
 実は、
 私たちの時代には、
 国家試験の合否を、
 発表の前日に…
 北海道新聞社に電話で問い合わせていました。
      ■         ■
 詳しい理由はわかりませんが…
 当時の新聞は…
 活字をひろって紙面を組む時代だったと思います。
 厚生省から、
 各新聞社に前日午前に原稿が配られたようです。
 その原稿を見て…
 新聞社の人が合否を教えてくれました。
      ■         ■
 当時は4月に国家試験がありました。
 発表は5月でした。
 北大病院の研修医になっていた私は…
 おそるおそる…
 『受験番号129番の本間賢一』です…
 …と聞いた記憶があります。
 『おめでとうございます
 …と新聞社の人が教えてくれました。
      ■         ■
 今から考えると…
 古き良き時代だったと思います。
 どきどきしながら… 
 合否を聞いた覚えがあります。
 実際に医師免許証を手にしたのは6月でした。
 合格発表の後で保健所に診断書や申請書を提出し、
 医籍という医師の戸籍みたいなところに登録されたのが、
 昭和55年(1980年)5月26日でした。

投稿者 sapporobiyou : 20:44 | コメント (0)

2012年03月18日

小中学生でワキガ手術は受けないでください

 小学生のわきが手術
 中学生のわきが手術 
 形成外科勤務医時代の反省
 わきが手術と年齢①
 客室乗務員さんの手術
 今までに何回も書いています。
      ■         ■
 わきが手術は難しいです。
 私自身、わきが手術は反省の歴史です。
 昔は…
 中学生でもワキガ手術をしていました。
 おそらく…
 大人になってから臭いが気になっていると思います。
 申し訳ないことをしました。
      ■         ■
 今でも…わきが手術は、
 とてもきれいに治る人もいれば…
 残念なことに傷が残る人もいます。
 残ったキズの…
 修正手術をすることもあります。
 でも…
 今はわきが手術の目的である…
 臭いが気になる人はいません。
      ■         ■
 たまに汗のにおいを…
 術後臭だと誤解する人はいますが…
 ワキガ特有のにおいはしません。
 手術する範囲を広くして…
 アポクリン腺は…
 残さず取るようにしているからです。
 わきが手術は難しいです
      ■         ■
 下の絵のように…
 小学生や中学生は…
 身長が170㎝近くあっても…
 脇毛はまだ未熟です。
 アポクリン腺の発達と脇毛は比例しています。
 脇毛が細くて少ないうちは…
 まだアポクリン腺が増える可能性があります
      ■         ■
 小中学生で手術を受けた方を診察すると…
 脇毛がかなり生えています。
 手術した部分は…
 皮膚が硬く瘢痕(はんこん)となっていることもあります。
 その瘢痕の中に…
 アポクリン腺と脇毛があります。
 再手術しても完全に取り除くのは…
 かなり難しいです。 
 小中学生でわきが手術は受けないでください

アポクリン腺の発達

腋毛とアポクリン腺


毛が生えてくる。

投稿者 sapporobiyou : 11:43 | コメント (0)

2012年03月17日

28番山の手線

 私が札幌西高校へ通った昭和45年~48年は、
 札幌市営バスが通学の足でした。
 札幌市中心部からは…
 現在の大通ビッセ(北洋銀行本店)の前から…
 28番山の手線というバスが出ていました。
 札幌西高校の生徒と、
 当時の香蘭女子高(現在の山の手高校)の生徒が利用していました。
      ■         ■
 朝の登校時と…
 夕方の下校時はとても混みました。
 山の手線は、
 大通りから…
 北一条を通り…
 山の手通りを西野ターミナルまで行きました。
      ■         ■
 札幌西高校があるのは、
 札幌市中央区宮の森4条8丁目です。
 昔は…
 札幌市中央区宮の森800番地という住居表示でした。
 高校の周囲は住宅地です。
 立派なお宅もたくさんあります。
      ■         ■
 この28番山の手線のバスの乗客は、
 他の路線と比べて…
 とてもお行儀が良かった記憶があります。
 大通りのバス停も…
 他のバス停も…
 一列に整然と並んでいました。
      ■         ■
 混んでいても押し合うこともありませんでした。
 行儀が悪かったのは、
 私たち高校生だけでした。
 私は…
 宮の森とか山の手に住む人は…
 お行儀が良い人が多いなぁ~
 …と思っていました。
      ■         ■
 地下鉄東西線が開通してからは、
 西28丁目駅から…
 西21番山の手線というバスになりました。
 札幌市営バスは廃止され…
 JR北海道バスになりました。
 西高前というバス停は昔のままです。
 西高の近くを通るとなつかしく想い出します。

投稿者 sapporobiyou : 20:21 | コメント (0)

2012年03月16日

40年前の私

 今から40年前は1972年です。
 2月に札幌で冬季オリンピックが開催されました。
 札幌に…
 地下鉄南北線が開通していました。
 私は…
 高校2年生から3年生へ進学しました。
      ■         ■
 当時は…
 北大の合格者数で、
 北海道の高校がランキングされていました。
 一位は、
 札幌南高校でした。
 旧制、札幌一中(さっぽろいっちゅう)と呼ばれる、
 北海道の名門校でした。
      ■         ■
 二位が、
 札幌北高校でした。
 こちらは旧制、庁立札幌高等女学校(通称ちょうりつ)でした。
 三位が、
 私が通った札幌西高校でした。
 西高は旧制、札幌二中(さっぽろにちゅう)でした。
      ■         ■
 当時の高校入試は、
 大学区制と呼ばれていました。
 札幌圏の中学生は、
 住んでいる区域に限らず…
 札幌市内の高校を好きに選べました。
 成績の良い人から順番に…
 西…と選んだものです。
      ■         ■
 大夕張の鹿島中学校で3年間勉強した私は、
 中学生の時に…
 家庭教師をしていただいた…
 永井先生のおすすめで、
 札幌西高校に進学しました。
 札幌南高校はとても無理でした。
      ■         ■
 札幌西高校へ入学してからも…
 勉強はしていましたが…
 成績は伸びませんでした。
 試験の結果も…
 北大夢のまた夢でした。
 医者になれるなんて思ってもみませんでした。
      ■         ■
 私は40年前から真面目だけはとりえでした。
 高校生の時から、
 タバコを吸っていた同級生もいましたが…
 私はタバコも吸いませんでしたし、
 酒も飲みませんでした。
 もちろんもてなかったので彼女もいませんでした。
      ■         ■
 まじめに勉強しても…
 タバコを吸っていた同級生の方が…
 私より英語ができました。
 頭の構造が違うのか…?
 …と思ったこともありました。
 高校3年生に進級した時、
 私よりはるかに優秀な同級生がたくさんいました。
      ■         ■
 私は…
 旺文社の大学受験ラジオ講座を…
 テープに録音して勉強しました。
 クラブ活動も、
 バイトもしていませんでした。
 ただ毎日まじめに勉強していました。
 私の頭のデキはふつうでした。
 他人と違っていたのは…
 辛抱強く…
 諦めない…
 …ことだったように思います。
      ■         ■
 40年後に…
 クラス会の幹事を引き受けるとは…
 考えてもみませんでしたが…
 元気で働いているので…
 40年前の仲間に会ってみたいと思います。
 藤枝正道先生も楽しみにしていらっしゃいました。

投稿者 sapporobiyou : 20:17 | コメント (0)

2012年03月15日

札幌西高校3年7組のクラス会

 2009年9月21日に、
 私が卒業した、
 北海道札幌西高等学校、
 23期3年7組の…
 男子ばかりのクラス会がありました。
 みんなおじさん
 …という2009年9月22日の院長日記に書きました。
      ■         ■
 その時に…
 次は本間、お前が幹事をやれ!
 次のクラス会は…
 女子も呼べ!
 …と誰かから指名されました。
      ■         ■
 それから…
 あっという間に3年がたちました。
 私の怠慢のため…
 クラス会は開かれず…
 気がつくと…
 今年は3年7組だった頃から…
 40年もたっています。
      ■         ■
 当時の札幌西高校は、
 一クラス45人でした。
 残念なことですが…
 すでに故人となられた同級生もいます。
 担任の藤枝正道先生はお元気です。
 遅ればせながら…
 今年の7月にクラス会を企画しようと思っています。
      ■         ■
 困っているのが連絡方法です。
 今でも年賀状のやり取りをしている人が数人。
 メールアドレスがわかる人も数人。
 何とか連絡方法を見つけて…
 18歳だった頃から…
 40年後の再会を実現しようと思っています。

投稿者 sapporobiyou : 19:50 | コメント (0)

2012年03月14日

バストの左右差と陥没乳首のケアー

 陥没乳頭術後のケアーで、
 問題なのが…
 大きな胸で…
 左右差がある方です。
 小さな胸の方にはわからない…
 大きな胸の女性の悩みがあります。
 海外では多い悩みです。
      ■         ■
 身体的な悩みとしては…
 胸が大きくて重いので…
 胸の重みで肩がこります。
 首にできた傷が…
 重みで引っ張られて…
 盛り上がることもあります。
      ■         ■
 札幌美容形成外科では行っていませんが、
 美容外科のメニューには…
 乳房縮小術があります。
 大がかりな手術です。
 傷も残ります。
 簡単ではありません。
      ■         ■
 大きな胸で、
 左右のバストが2カップ以上違う方…
 小さい方の胸に合わせて…
 下着を購入されると…
 小さい胸の乳首が余計に圧迫されます。
      ■         ■
 陥没乳頭の手術をして…
 プロテクターを外したら…
 片方の乳首だけ扁平になった…
 こんな症状の方は…
 下着による圧迫が考えられます。
 少しでも持ち上げたい…
 少しでも小さく見せたい…
 …というお気持ちは理解できますが…
 大きい方の胸に合わせて下着を選んでください。

投稿者 sapporobiyou : 18:52 | コメント (0)

2012年03月13日

陥没乳首手術後のケアー

 陥没乳頭の手術は…
 形成外科・美容外科手術の中でも…
 高度の技術を要する難しい手術です。
 形成外科専門医を持っていても…
 慣れない先生が手術をするとトラブルになります。
 陥没乳頭のトラブル症例
 …という2011年8月8日の院長日記に書いてあります。
      ■         ■
 私が手術をしても…
 手術後のケアーが悪いと…
 扁平になってしまったり…
 再陥没する患者さんがいます。
 意外な盲点が…
 下着による圧迫です。
      ■         ■
 陥没乳首になる方は…
 ①小さな胸
 ②ふつうの胸
 ③大きな胸
 ④左右の大きさが違う胸
 ①~④のどの胸でも、
 乳首が出ない人がいます。
      ■         ■
 胸は女性の悩みでもあります。
 小さい人は少しでも大きく…
 ふつうの人ももう少し大きく…
 …少しでも美しく見せようと…
 …寄せたり上げたりなさいます。
 下着にもいろいろな種類があります。
      ■         ■
 意外なのは…
 ③大きな胸の人です。
 大きすぎる胸の人は…
 大きすぎることがコンプレックスになります。
 少しでも…
 小さく見せようと…
 ぎゅ~っと圧迫する人がいます。
      ■         ■
 手術した乳首の傷が安定するまでは…
 3~6ヵ月もかかります。
 安定するまでに…
 下着で持続的に圧迫されると…
 せっかく手術で引き出した乳首が…
 扁平になったり…
 再陥没することがあります。
 知らずに圧迫していると…
 せっかく手術をしたのに戻ることがあります。
 気をつけてください。

正常

陥没乳頭

投稿者 sapporobiyou : 20:14 | コメント (0)

2012年03月12日

札幌駅前通地下歩行空間_開通一周年

 今日で札幌駅前通地下歩行空間開通一周年です。
 札幌駅前通りの人の流れが変わりました。
 昨年までの工事中は…
 地上には青空もあるのに…
 地下をそんなに歩く人がいるの…?
 …という疑問がありました。
      ■         ■
 結果は…
 地上からは人が消えました。
 大多数の人は…
 夏も冬も…
 春も秋も…
 地下歩行空間を歩きます。
      ■         ■
 私も毎日利用しています。
 理由は…
 安全で快適だからです。
 冬でも凍っていません。
 転倒の心配もいりません。
 自動車も自転車も来ません。
      ■         ■
 雨も雪も平気です。
 外気よりあたたかです。
 信号がないので…
 地上を歩くより時間が短縮できます。
 一般道と…
 高速道の違いのようです。
      ■         ■
 ただ…
 人が多いので…
 注意しないと…
 人⇔人
 の衝突は危険です。
 スマホを見ながら歩く人もいます。
      ■         ■
 青空が広がる日も…
 女性には日焼けしないので好評のようです。
 札幌美容形成外科へも…
 とても便利になりました。
 目印は壁の1という数字です。
 1の裏側にエレベーターがあります。
      ■         ■
 このエレベーターの目の前が…
 札幌美容形成外科が入居するビルです。
 雪印パーラーの青い看板が見えます。
 その手前の入口に…
 札幌美容形成外科の光る看板があります。
 4階には美容室もできました。
 気軽に入っていただけます。
 ご来院をお待ちしております。


壁の1が目印、この裏にエレベーターがあります


エレベーターを降りたら目の前が雪印パーラーです


ビルの名前はコンタクトオフビルになりました

投稿者 sapporobiyou : 21:30 | コメント (0)

2012年03月11日

2012年3月11日

 今日で東日本大震災から一年です。
 TVで報道される画像を見ると…
 まだまだ大変な時期です。
 今でも遺体を捜すために…
 重機の免許を取得した女性や…
 ダイバーの資格を取得したお父さんが…
 新聞に掲載されていました。
      ■         ■
 札幌に居ると…
 震災の実感は忘れてしまいそうですが、
 まだまだ復興に時間がかかりそうです。
 阪神淡路大震災の後で、
 家族で神戸を訪れたことがありました。
 変わり果てた神戸を見て…
 神戸出身の家内は涙を浮かべていました。
      ■         ■
 新聞報道によると…
 被災地でも復興が進んでいます。
 昨年の院長日記にも書きましたが…
 日本を復興させるために必要なのは…
 人々の英知を集めて…
 助け合って協力することです。
      ■         ■
 昨年書いた言葉です
 日本人には、
 ノーベル賞の頭脳があり、
 すべての国民が読み書きができ、
 勤勉で、
 隣近所が助け合うという、
 素晴らしい国民性があります。
 日本を復興させるために
 一人ひとりががんばりましょう

投稿者 sapporobiyou : 17:08 | コメント (0)

2012年03月10日

有給休暇がない経営者

 昨日の院長日記で、
 北海道新聞に掲載された
 六花亭製菓社長小田豊さん
 …をご紹介いたしました。
 全従業員の有給休暇消化100%実現はすごいことですが…
 おそらく社長さんは…
 毎日休みなく働いていらっしゃると想像します。
      ■         ■
 美容整形の先生は…
 楽で…
 もうかりそうで…
 当直もないから…
 …とお考えの先生に言います。
 楽ではありません
 もうかりません
      ■         ■
 確かに…
 高額納税者に美容外科医が名を連ねた時代もありました。
 今は価格破壊が進んでいます。
 倒産した美容外科もたくさんあります。
 ぼやぼやしていると…
 あっという間に閉院の危機です。
      ■         ■
 私が知っている美容外科医は、
 勤勉でよく働いています
 毎日アメブロを更新していらっしゃる…
 高須幹弥先生は毎回学会でお会いします。
 内容も充実していて…
 私が読んでも参考になります。
      ■         ■
 ブログの更新を…
 よく新幹線の中でしていらっしゃいます。
 私なら…
 疲れて爆睡していると思います。
 新大阪→名古屋→東京…
 …と乗り過ごしそうです。
 ブログの最後の方に…
 今日は疲れているので
 ○○はまた今度書きますね
 …という文を読んで心配しています。
      ■         ■
 私たちが美容外科を生業としているのは、
 美容外科
 形成外科好きだからです。
 自分の技術が、
 他の人から評価されて…
 感謝されると嬉しいからです。
 疲れていても…
 ブログを更新するのは…
 読んでくださる方がいらっしゃるからです。
 有給休暇はなくても…
 がんばって働いています

投稿者 sapporobiyou : 20:42 | コメント (0)

2012年03月09日

六花亭製菓社長小田豊さん

 平成24年3月8日北海道新聞朝刊の記事です。
 トップの決断
 北の経営者たち
 六花亭製菓社長
 小田 豊さん(64)
 1947年、帯広市生まれ。帯広三条高、慶応大商学部卒。京都の老舗菓子店・鶴屋吉信で修行後、1972年7月六花亭製菓(当時は帯広千秋庵)に入社し、副社長。95年6月、社長。
 従業員は家族ゆとり職場へ残業ゼロ号令
 雇用維持の信念貫く
 東日本大震災のあった昨年3月。来客の大半を観光客に依存する小樽店の売り上げが、前年同月比で9割も減った。会社全体でも3割減。経験したことのない事態だった。経費削減が必要だが、すでに徹底して取り組んできた。人を減らすわけにはいかない。自分は何をすべきなのか。
 「残業はしないでほしい」。悩んだ末、従業員に指示を出した。雇用を最優先する考えに揺るぎはなかった。
 夏ごろから売り上げが徐々に回復し、仕事量も増えてきたが、残業ゼロの号令は社内に浸透していた。従業員は動きに無駄のないよう用具の置き場を変えるなど、地道に工夫を重ねた。その結果、1人当たり年間150時間あった残業時間が、2011年度はゼロになる見通しだ。経常利益も前期を60%上回る見込みで、特別ボーナスを3月、全従業員に支給する。
 厳しい局面で雇用維持を貫けたのは、長年の積み重ねがあったからだ。
 父豊四郎氏が創業した帯広千秋庵(現六花亭製菓)に1972年入社し副社長に就任した。このころ、ホワイトチョコレートがブームとなり、フル生産が続いた。
 1人1日1情報
 70~80年代、業績は急激に伸びた。ところが、会社の机の上に毎日のように従業員の辞表が置かれているのを目にした。給料や残業手当が支払われても休みは取れず、「もうついて行けない」との理由だ。
 ただ、菓子職人であり「お菓子の神様」と呼ぱれた父に、辞表の話など言い出せない。夜、従業員を呼び、酒をくみ交わして慰留した。「これは労働搾取だ。なんとか変えることはできないか」と思い始めた。やがて確信した。「おいしいお菓子を提供するためには、心も体も健康でなければいけない」
 週休2日制導入を追い風に1989年、従来のように有給休暇を買い上げることはしない、と宣言した。同年以降、毎年、全従業員の有給休暇消化100%を実現している。
 ゆとりのある職場づくりを進める一方で、従業員には意識改革を求めた。副社長だった87年から始めた「1人1日1情報」という取り組みだ。仕事で改善すべき点、客に言われてうれしかったこと、プライベートなことなど、さまざまな情報を従業員に出してもらう。寄せられる情報は1日600~700。毎日3時間かけて目を通して120~130を選び、365日休まず発行する社内新聞「六輪」に掲載する。
 「会社は大きな家族と考えているので、私は家長です。家族の思いを共有しようと、六輪を始めました。今では、これがないと経営はできない」と話す。全従業員1300人の名前と顔を覚えている。人事は、適性を考慮してすべて自分で決める。
 改善努力は、日々続けられる。今年1月、看板商品の「マルセイバターサンド」の個別の包装をフィルムを折りたたむ方式から、袋に入れて密封する方式に変更した。「製品に虫が入っていた」という苦情がまれに寄せられるためだ。調べてみると、これらの虫は道内に生息しないため、出荷時の混入ではない。折りたたみ式の包装には隙間があるため、本州などで、食べるまでに虫が入ってしまうと推測できた。
 密封式の機械の導入に2億円かかった。でも、思わぬ副産物があった。これまでのフィルムを折りたたむ機械の作業では、クリームを挟んだクッキーを押さえる必要があった。袋に入れる新方式ではその工程がないため、クリームのふんわりした食感が保たれた。「安心してお客に食べてもらえる。機械は高額だったけれど、製品の完成度が高まった。菓子作りは損得だけではないからね」と話す。
 社内のクラブ活動は、国体にも出場した軟式野球部をはじめ、管楽器アンサンブルなど活発だ。一方、勤務中は「精進を怠らず、こつこつまじめに働く人材の集まり」だ。「仕事も遊びも一生懸命」という社風がしっかり根付いている。
 取材を終えて
 若いころから茶道をたしなんでいるという。本店をはじめとする各店舗や中札内美術村(十勝管内中札内村)、六花の森(同)に足を踏み入れた際に感じる閑寂さと無駄を省いた美しさ。六花亭を貫いている独特の美的センスはここから来ているのだと納得した。理知的に話し、豪快に笑う。温かみのある人だ。(須藤幸恵)
 (以上、北海道新聞から引用)



本社敷地内には、勤勉さで知られる祖母としさんの胸像がある。
「六花亭の財産は人の勤勉さなんです」と話す小田豊社長=帯広市内

      ■         ■
 私は小田豊社長の講義を、
 北海学園大学経営学部経営学科の
 ニトリ寄附講座でお聞きしました。
 素晴らしい社長さんです。
 六花亭をここまで立派になさったのは、
 従業員は家族というお考えで…
 優秀な社員を育てられたからです。
      ■         ■
 昨年の震災後は、
 どこの企業も大変でした。
 その中で…
 経常利益が前期を60%も上回るのは…
 驚異的です。
 また、北海学園の講義でもお聞きした…
 全従業員の有給休暇消化100%実現は…
 すごいことです。
      ■         ■
 札幌美容形成外科も…
 可愛い従業員は家族と思っています。
 全従業員の有給休暇消化100%実現は…
 退職時にまとめて有給消化でしか実現できていません。
 私も小さいながら…
 経営者の端くれです。
 六花亭製菓様を見習って…
 ゆとりのある職場づくりを進めたいと思います。

投稿者 sapporobiyou : 20:22 | コメント (0)

2012年03月07日

美容外科の同時手術

 昨日の院長日記、
 わきがと眼瞼下垂の同日手術に…
 さくらんぼさんから
 コメントをいただきました
 せっかく寝てばかりいるのだから
 脱毛とわきが、
 ついでに眼瞼下垂 なんて
 背骨の手術と同時になんて無理ですよね。
      ■         ■
 今の日本では…
 背骨の手術と同時に…
 眼瞼下垂症をするなど…
 科を超えた同時手術は、
 あまり聞いたことがありません。
 特に背骨の手術はうつ伏せでするので…
 目の手術と同時には無理です。
      ■         ■
 でもよくよく考えてみると…
 貴重な休みを利用して…
 悩みを一度に解決
 …というのは理想です。
 チェーン店の美容外科では…
 目を二重にして…
 ついでに鼻も高くして…
 …と勧誘するところがあります。
      ■         ■
 理由もうかるからです。
 料金を割り引くので…
 …と営業するところもあります。
 わきがと眼瞼下垂の同日手術のように…
 別々の部位をする時は…
 体力や安静のことだけを考えれば大丈夫です。
      ■         ■
 問題なのは…
 顔のパーツを一度に何ヶ所も変える手術です。
 目を変えただけで別人になるのに…
 目も鼻もシワも変えると…
 自分の顔が無くなってしまいます。
 あまりの変貌ぶりに…
 手術後の顔を受け入れられないことがあります
      ■         ■
 特にはじめての美容外科手術で…
 一度に何ヶ所も顔を変えるのは危険です。
 腕の良い美容外科医が手術をしても…
 元に戻してください
 …と言われることがあります。
 美容外科医の苦悩です。
      ■         ■
 私は自分の顔が大嫌いです
 鏡を見るたびに悲しくなります
 私の顔を全部変えてください
 …というご希望の患者さんがいます。
 それじゃ…
 どこをどうなおしたいのですか…?
 …と言うと…
 わかりません、全部です
      ■         ■
 このような患者さんには、
 まず一番簡単な手術からはじめることです。
 美容外科入門①
 美容外科入門②
 美容外科入門③
 美容外科入門④
 美容外科入門⑤
 …という院長日記を読んでよく検討してください。

投稿者 sapporobiyou : 17:11 | コメント (0)

2012年03月06日

わきがと眼瞼下垂の同日手術

 わきが手術と…
 眼瞼下垂症手術を…
 お一人の患者さんに…
 同じ日に続けて手術することがあります。
 最初にわきが手術をします。
 その後で目の手術をします。
 合計4時間程度かかります。
      ■         ■
 時間がかかって…
 手術をする方も… 
 患者さんも大変ですが…
 限られた休みで…
 両方一度に悩みが解決できるメリットがあります。
      ■         ■
 同日手術をお引き受けできるのは…
 限られた人だけです。
 家族の人が協力してくれて…
 手術後のお迎えや…
 手術後のケアーを…
 手伝っていただける方だけです。
      ■         ■
 わきがも…
 眼瞼下垂(がんけんかすい)も…
 自分には何の責任もないのに…
 何も悪いことをした訳でもないのに…
 悩んでいる方は深刻です。
 心ないクリニックで手術を受けて…
 臭いもローンも残った方もいます。
      ■         ■
 どちらも簡単な手術ではありません
 一番大切なのは手術後の安静です
 安静を守らないと…
 傷が治りません。
 一人の患者さんに4時間もかかるので…
 お引き受けできる日は限られます。
      ■         ■
 進学や就職を控えて…
 手術できるのは今しかない!
 …という方は、
 ご家族の協力を得て…
 卒業式が終わってからの期間に…
 手術を検討なさってください。

投稿者 sapporobiyou : 18:20 | コメント (0)

2012年03月05日

父の誕生日2012

 昨日(平成24年3月4日)は、
 私の父の86歳の誕生日でした。
 今年は温泉には行かず…
 札幌市内で食事をしました。
 昨年に比べると…
 衰えてはいますが元気です。
      ■         ■
 両親の親しい友人ご夫妻のご主人が…
 入院したと心配していました。
 80歳を過ぎて…
 夫婦二人とも元気なのは…
 ありがたいことです。
 私の親は、
 よく夫婦喧嘩をしていました。
      ■         ■
 自分は結婚したら…
 夫婦喧嘩をしないつもりで…
 慎重に奥さんを選んだつもりでしたが…
 残念なことに歴史は繰り返されました
 同じ歴史でも…
 自分たちも夫婦二人そろって…
 80歳過ぎまで元気でいられるか…?
 私は自信がありません
      ■         ■
 家内の父親は64歳で急死してしまいました。
 来年で20年になります。
 私の親の年代になると…
 知人は胃瘻(いろう)を作ってもらったが…
 自分はいらないとか…
 苦しまないように…
 痛くないように…
 …は、してほしいけれど…
 延命治療いらないとか…
 義母はしっかりノートに書いていました。
 私もしっかり書き留めておこうと思います。 


私57歳、父86歳

投稿者 sapporobiyou : 19:30 | コメント (0)

2012年03月04日

上山博康先生の「宝刀」伝承

 2012年2月27日の院長日記
 2012年3月1日の院長日記
 でご紹介した北海道新聞夕刊に連載された、
 旭川赤十字病院脳神経外科部長、上山博康先生の
 私のなかの歴史
 平成24年3月3日が最終回でした。
      ■         ■
 私のなかの歴史
 人生を手術する「匠の手」-⑯
 旭川赤十字病院脳神経外科部長
 上山博康(かみやま ひろやす)さん
 「宝刀」伝承
 思いの詰まった技次代ヘ
 僕は最近、難しい手術に当たって、患者に必ず確認することがあります。まず、一番治りたいのは患者です。次に、治ってほしいと思っているのは家族です。3番目に、僕ら医者がいる。治したいから医者をやっている。それを忘れないでほしい。
 治りたい人、治ってほしい人、治したい人。3者が共同して立ち向かわねば難敵は克服できません。例えば、手術は僕ら医者の出番だ。患者が無事に帰れるよう全力を尽くす。でも、後遺症が残ることもある。術後のリハビリは患者の出番です。だが、くじけたりすることもある。その時は家族の出番になる。励まし、サポートするんです。
 きょうの手術も難しかったが、うまくいきました。こうした時、僕は患者や家族に「何とかやれたと思います。おめでとうございます」と必ず言います。至福の瞬間です。「外科医の凱旋(がいせん)」と僕は呼んでいます。
 今、外科医はなり手が少ない。確かにきついし、訴訟のリスクもある。でも楽しいこともたくさんある。若い先生はぜひ外科医となって、この感覚を味わってほしいと願っています。
 僕はテレビに出るようになって「スーパースター」とか「神の手を持つ」とか言われています。面はゆくて、自分の柄に合わない。だから「違います。匠(たくみ)の手です」と言うんです。
 「匠の手」。これは与えられたものではありません。師匠に厳しく教えられ、夜通し自分でトレーニングして得たものです。だから「神の手」には遠く及ばないかもしれません。
 だけど、匠の手は伝承できます。自分が学んだのと同じように、後輩に伝えることができます。神の手はその人間が死んだら死ぬ。でも匠の手は後輩が僕の技術を伝承していってくれるから、僕の手は死なない。
 「神の手は死ぬけれど、匠の手は死なず」匠の手は、自分の力だけでなれたわけではありません。導いてくれた人がいたからなれたのです。伝家の宝刀ではないが、諸先輩の思いが詰まった技術を受け継いでいる。重いんです。伝統の重みです。僕はね、それをもっと重くして、後輩に渡そうと思っています。とてつもなく重くしてね。その重さは、患者の命の重さになるんですよ。
 この4月から僕は二足のわらじを履きます。札幌市東区に新設される、禎心会脳疾患研究所の所長に就任します。旭川赤十字病院は、非常勤の脳神経外科顧問になります。
 旭川赤十字はあと2年、65歳で定年です。もう一つ、札幌にも診療や手術をする患者の受け皿をつくりたいと考えていと考えています。全国から集まる若い研修医もそこで育てます。もちろん旭川赤十字でも従来通り、週1回の外来も、手術も、続けます。基本的には今と変わりません。
 僕はこれまで「本当に満足」と、自信を持って言える生き方をしてきました。幸いにも僕を慕ってくれる後輩が全国にたくさんいます。彼らが今の僕と同じ年齢、63歳になった時、僕と同様、「満足」と言えるような生き方をしてほしいと願っています。そうなることが、たくさんの患者の幸せへとつながるからです。 (聞き手・岩本進)
 =おわり=
 (以上、北海道新聞から引用)


僕ら医者は素晴らしい仕事です。
一生懸命やればやるだけ感謝される。尊い仕事だと思います。

      ■         ■
 私には「匠の手」はありませんが、
 先輩から教えていただいた技術、
 友人から学んだ技術、
 国内や海外の学会で学んだ技術があります。
 ライブサージャリーも勉強になりました。
      ■         ■
 形成外科や美容外科は、
 命にかかわることはありません。
 逆に手術で命を落としては大変です。
 脳神経外科とは比べものになりませんが、
 私たちも実験動物で練習をして…
 顕微鏡下の手術を学びます。
      ■         ■
 美容外科や形成外科も…
 一生懸命やればやるだけ感謝されます
 外科医としてうれしいのは…
 患者さんから感謝された時です。
 若い先生が…
 なんちゃって美容外科医ではなく…
 真の意味での外科医を目指してほしいです。

投稿者 sapporobiyou : 15:51 | コメント (0)

2012年03月03日

早すぎる死防ぎたい

 平成24年3月3日、朝日新聞朝刊、
 ひとときからの引用です。
 早すぎる死防ぎたい
 昨年3月、若年性の大腸がんのため、31歳のめいが亡くなりました。5歳と3歳の男の子を残した早すぎる死でした。
 1年半前、職場の健康診断の結果があまりにも悪かったため総合病院を受診したところ、すでに多くの臓器やリンパ節にも転移していました。余命一カ月と診断されましたが、奇跡的に手術が成功。以後、抗がん剤治療を受けながら闘病生活を送りました。仕事を続け、家事・育児にも奮闘しました。しかし、次第に入退院を繰り返すようになり、ホスピスで最期を迎えました。
 予兆はあったようで、第2子出産後、ときどき下血していたようです。「痔だろう」と軽く考え、多忙なこともあって受診を先延ばしにしたようです。
 「若い人の大腸がんはまれ」と聞きます。それだけに取り返しのつかないこともあるようです。
 若い女性の場合、大腸検査には抵抗があるとも思います。しかし、早期に発見すれば、確実に良くなるといいます。
 間もなく一周忌がめぐってきます。めいの例を参考にしてもらい、悔しい思いをする人が1人でも少なくなればと思います。
 愛知県春日井市_吉田美奈子_ケアマネジヤー_60歳
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 31歳は若すぎる死です。
 予防医学が発達した今日でも…
 がんで亡くなる若い方はいらっしゃいます。
 どうにかして…
 尊い命を守りたいと思います。
      ■         ■
 職場の健康診断を受けられる方はまだ良いほうで…
 健康診断を受けたことも…
 採血をして検査をしたことも…
 一度もない!
 …という方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 北海道医報という…
 北海道医師会の広報誌2012年3月号に、
 北海道対がん協会の
 菊地浩吉先生が、
 若い医師よ、癌で死ぬな
 …という投稿を寄せられています。
      ■         ■
 菊地先生は、
 元札幌医大学長、
 私が病理学を習った先生です。
 大浦武彦先生と同期です。
 菊地先生によると…
 北海道対がん協会では、
 日曜日にも検診をしているそうです。
      ■         ■
 私も…
 職場の法定定期健診しか受けていないので…
 これを機会にがん検診を…
 受けてみようか…?
 …と考えました。

投稿者 sapporobiyou : 22:46 | コメント (0)

2012年03月02日

小池宏二さんの死を悼む

 昨夜(平成24年3月1日)、
 札幌市西区むすめやホール西町で、
 小池宏二さんのお通夜がありました。
 シオノギ小池さんに…
 お世話になった医師は…
 北海道にはたくさんいると思います。
      ■         ■
 小池宏二さんは、
 北大薬学部をご卒業なさった薬剤師さんです。
 北大薬学部をご卒業後に、
 塩野義製薬株式会社に入社されました。
 平成8年には札幌支店長に昇進されました。
 私は北大やJA帯広厚生病院時代に、
 大変お世話になりました。
      ■         ■
 私が医師免許を取得したのが…
 昭和55年(1980年)です。
 免許を取得したものの…
 ペーパードライバー以下でした。
 大学や医師国家試験で覚える薬の名前は、
 一般名という名前だけです。
      ■         ■
 処方箋を書くときには…
 商品名で書き、
 患者さんへの説明も薬の商品名で行います。
 この薬の名前を覚えるのが大変でした。
 また…
 用法・用量という…
 薬を何g(または何錠)ずつ…
 何日分出すのか…
 学校では教えてくれません
      ■         ■
 新米医師に…
 懇切丁寧に教えてくださったのが、
 製薬メーカーのMRさん(医薬情報担当者)でした。
 シオノギ小池さんは…
 自社の製品についてだけではなく、
 薬のことについて広く丁寧に教えてくださいました。
 医師としての生き方も教えてくださいました。
      ■         ■
 小池さんは、
 自然を愛する方でした。
 北大山とスキーの会の幹事をなさっていらして…
 山小屋の管理運営にもご尽力なさっていらっしゃいました。
 昨夜のお通夜の祭壇には、
 小池さんが愛用されたスキーとウェアーも飾られていました。
 毎年、自然を題材とした版画の年賀状をいただいていましたが、
 今年は体調不良で断念と書かれていました。
      ■         ■
 昭和16年5月生まれで満70歳でした。
 昨年8月に肺がんが見つかり…
 手術を受けられ…
 その後も最先端の治療を受けられましたが…
 2月28日に永眠されました。
 昨夜のお通夜には…
 北大医学部の名誉教授もいらしていました。
 心からご冥福をお祈りしています。
 小池さんありがとうございました。

投稿者 sapporobiyou : 09:37 | コメント (0)

2012年03月01日

上山博康先生の『お言葉ですが、反対です』

 2012年2月27日の院長日記でご紹介した、
 北海道新聞夕刊に連載中の、
 旭川赤十字病院脳神経外科部長の、
 上山博康先生の私のなかの歴史
 今日ご紹介するのは、
 平成24年2月27日に掲載された内容です。
 若い先生にも読んでいただきたいので、
 また引用させていただきました。
      ■         ■
 人生を手術する匠の手」―⑨
 旭川赤十字病院脳神経外科部長
 上山 博康(かみやま ひろやす)さん
 北大を去る
 患者の死を機に主張貫く
 1985年、秋田から北大脳神経外科に助手で戻りました。36歳でした。すぐに関連病院の部長で出る約束でしたが、行き先が次々と消え、翌1986年には講師となり、大学に残っていました。教授は都留美都雄先生(故人)から阿部弘先生(現北大名誉教授)に代わっていました。
 北大に戻った当初、手術があまり当たらない時期がしばらく続きました。朝から部屋で基礎論文を読み、手術で使う器具を作りました。「上山式」と呼ぶ一連の器具で、刃の薄いハサミが有名です。「上山式マイクロ剪刀(せんとう)ムラマサ」。脳外科医の間では全国で一番売れています。
 北大の脳神経外科は「腫瘍」「脊髄」「血管障害」の3班に分かれ、卒業後の6年間の研修医が終わると、どこかの班に属し、研究や臨床を続けます。僕は血管障害班のチーフ。戻ったころは僕一人でしたが数年すると最大の班になり、僕も数多くの手術をこなすようになりました。「次の教授は上山だ」。そんな声も聞こえてきました。
 ところが、ちょうどそのころです。僕に大学を去る決意をさせたある出来事が起きました。
 脳腫瘍の42歳の男性患者です。何回手術をしてもうまくいかなかった。妙に気が合い、いろいろな話をした患者でした。僕は、腫瘍に行く血管に特殊な接着剤を流し、腫瘍を内側から壊死(えし)させる作戦を立てた。呼吸など生命維持をつかさどる脳幹に接着剤が行かないよう、腫瘍から出る血管にクリップを2本かけてふさいでから、接着剤を注入した。当初はその血管を糸で縛るつもりでした。でも上司の指摘でクリップにしたんです。
 全てがうまくいったはずでした。「様子がおかしい」と手術室に呼ぱれ、顕微鏡をのぞいた瞬間に「だめだ」と思った。脳幹に接着剤が入っていた。クリップが緩んで漏れたんです。患者は亡くなりました。控室に戻っても、講師室に帰っても、自分の居場所がない。「息子が2人いてね…」と話す、患者の笑顔が目に浮かんできました。
 僕は家族に土下座して「全て私が悪かった」と謝りました。奥さんは泣き崩れました。確か中学2年生の長男が、涙を浮かべてこう言ったんです。「お父さんは、先生のことを大好きだと言っていた。その先生が一生懸命やった結果だから。悔しいけど、悲しいけど、今はどうこう言ってもしょうがない。良いとか、悪いとか、言えない」。胸に刺さる言葉でした。
 思い出すと今でも涙が出るほど悔しい出来事です。それから、僕は生き方を変えたのです。
 本音を言うと、僕は教授になりたかった。大学にいたら教授は夢です。だから、上司の言うことが自分の意にそぐわなくても、逆らわずにきた。あの手術も予定通り、血管を糸で縛れば絶対に漏れなかったんです。
 患者を失ったことで、僕に心の声が聞こえました。「そこまでして教授になりたいのか」「今のおまえは患者にとって良い医者か」「良い医者とは何か、考え直した方がよいのでは」。患者は常に命がけで、僕ら医者に真実を教えてくれるのです。
 「お言葉ですが、反対です」。僕は教授に自分の考えを言うようになった。そうなると大学にいられる日は長くない。92年4月、助手や講師を7年務めた北大を追われるように去り、旭川赤十字病院に来ました。43歳でした。(聞き手・岩本進)
 (以上、北海道新聞から引用)


秋田から北大に戻った僕(前列右)と医局の同期=36歳のころ

      ■         ■
 医者の間で出世とは…
 大学に残って教授になること…
 …と考えられています。
 確かに学会のトップは各大学の教授です。
 街中の開業医が…
 学会の理事長になることはありません。
      ■         ■
 上山先生と私では立場が違いすぎますが…
 この文章を読ませていただき…
 上山先生でも…
 教授になりたかった時期があったのだなぁ~
 …と思いました。
      ■         ■
 同じ北大でも…
 私がいた形成外科は…
 『お言葉ですが…』
 …を言える医局でした。
 大浦武彦先生は、
 部下の意見にも耳を傾けてくださいました。
      ■         ■
 その証拠に…
 新人の頃から『お言葉ですが…』を言っていた、
 山本有平先生が、
 現在、北大形成外科の教授です。
 山本教授は日本形成外科学会のリーダーの一人として、
 学会を牽引しています。
      ■         ■
 今の北大脳神経外科教授は、
 私と同年代の寳金清博(ほうきん_きよひろ)先生です。
 とても優秀な先生です。
 寳金先生でしたら、
 部下の『お言葉ですが…』にも、
 しっかりと耳を傾けると思います。
      ■         ■
 私が若い先生に伝えたいのは、
 教授でも、
 開業医でも、
 素晴らしい先輩の…
 良い言葉には…
 しっかりと耳を傾けて、
 何が患者さんのためになるかを、
 しっかり判断すべきだということです。
 私の記憶が正しければ…
 寳金教授は上山先生の弟子の一人だったはずです。

投稿者 sapporobiyou : 17:19 | コメント (0)