2008年05月06日
太宰治と父の叔父Ⅱ
太宰と叔父の関わり、叔父の太宰への感情を書くにあたり、
まずは叔父の生い立ちからお話します。
叔父の生まれは、青森県五所川原市。
その頃は町だっだそうです。電気も水道も汽車もバスもなし。
家は貧しく、中学に行ける環境でもなかったところ、恩師の働きと皆さんの好意で
弘前中学・弘前高等学校へ進学させて頂きました。
叔父の父は字は書けましたが、母は文字を知らなかったそうです。
そんな時代だったのでしょうか?(ノωヾ*)ウゥ…
叔父はその後、東京帝国大学法学部に進学・・・・(・_・) エ? すごい
その大学一年のときに、友人の津島 圭治に呼ばれて、金木の津島家に遊びにいったそうです。
その時、ヒョコヒョコと絣(かすり)の着物を着て出て来た少年が、修治(太宰)でした。
「弘前高校に行きたいので、英語と数学を少し見てくれ。」
と言われ家庭教師もどきをして、1~2泊したのが太宰との最初の関わりだったそうです。
その頃の太宰の写真が叔父の本に載っていますが、皆さんが思い浮かべている「太宰」とは、
少し違う印象です。
叔父は、私にとっては「とてもお金持ちの叔父さん」(^-^ ) に見えていました。
戦後の「新聞疎開」で39歳で、地方新聞の主筆となり、41歳で社長になった人でした。
でも、新聞記者の地位が低いということで、色々な人と「けんか」ばかりしていたみたいです。
まあ、血の気が多いのと弁が立つのは、有名でした。
でも色々な苦労をして、あの地位を築いたのですね・・・
ああさて、話は戻りますが大学卒業後、叔父は東京日日新聞の新聞記者になりました。
当時叔父は、警視庁記者クラブに所属していたので、太宰が捕まると”もらい下げ”に
行くことが多くなりましした。。。。┐( ̄ー ̄)┌ありゃりゃ・・・
いわゆる左翼運動で検挙されるのですね。へ(×‐×;)へ
そうすると、太宰は留置所の中でひもというひもをみんなとられてしまい、わさわさ、と
青い顔をしていたらしいです。
そんなことが始まりで、津島 文治(長兄)に「面倒を見てくれ」と叔父と太宰の関係が始まりました。
さて、またまた続きはこの次へ~~~~♪~(・ε・)ふっふっふ~
そうそう、色々な患者様に「先生のブログ、読ませていただいてます。」とお聞きする機会が、
益々増えました。
最近ブログを更新していなかったので、反省しています。
ごめんなさ~い。
これからもよろしくお願いします。(◕ฺ‿◕ฺ✿ฺ)☆☆
投稿者 s.tobishima : 2008年05月06日 03:23