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2009年08月05日

納豆と太宰治と父の叔父Ⅲ

友達が、「やっぱり夕飯は納豆がなくちゃ、だめだよね~。」と納豆で思い出したお話です。
父の叔父と太宰治のお話が、途中でしたね。

以前のブログを参考にして下さい。
http://www.biyou-m.com/blog/004/archives/2008/04/post_124.html

http://www.biyou-m.com/blog/004/archives/2008/05/post_125.html

父の叔父と太宰治は、当時の芝の白金三光町~荻窪といっしょに住んでいました。
もちろん、太宰の奥さんの初枝さんもいっしょです。
でも、初枝さんは長いこと芸者さんだったので、炊事ができない・・・。
変わりに叔母が大宰夫婦の分まで作っていました。

ここからは、叔父の本の抜粋です。
太宰は夜に小説を書いているので夜更かし。
でも、叔父は新聞記者なので出勤しなければならず、いっしょに食べる。
叔父の印象に残っているのは、お汁が冷めるからと言っても太宰は下りてこない。
「おい、納豆があるぞ。」というと下りてくる。
それも、前に記述したように筋子納豆。
これは津軽の人間の好物。

でも、そんな生活は長くは続かなくなる・・・
心中事件。どうしてもいっしょにいられなくないと思ったらしい。
その頃は多少太宰も有名だったので、夜は警視庁の記者クラブに押しかけられる。
そんなことが2~3回もあったらしい。
死にたがるのには、何とも困ったらしい。説き伏せる方法がない。

その後に、大病(盲腸)もする。
叔父は「太宰よ、私はお前といっしょにいるのはもうたくさんだ。自殺はする、大病はする。
とても駄目だ、お別れしよう」といったらしい。

その後、太宰は初枝さんと船橋に移る。
そこでも、海に行って海岸から沖に向かって、まっすぐに歩いていったのを初枝さんが止めたり、
線路の上に座って動かないという自殺未遂は続いたらしい。
船橋でモヒ患者になり、薬代で苦労したらしい。
その頃叔父は宇都宮支局長になっていたが、そこにも初枝さんはお金を借りに来たらしい。
叔母は、何か質に置いてお金を作って渡した。

その後、戦争が激化し太宰とも会うことがなくなり、
終戦直後のある日の銀座で太宰と会ったのが最後になった。
その時、太宰がこんなことを言ったらしい。
「今度、朝日新聞に連載小説を書くことになりました。“グッドバイ”という小説です。
そうするといくらかお金が入りますから、今までの借金は全部お支払いしますので、
もう少しお待ち下さい。」
でも、この“グッドバイ”も何日くらい続いたか・・・連載してまもなく、
本当にこの世にグッドバイをしてしまった太宰。

どうも叔父にとっては、太宰との思い出は苦労の連続だったようです。
叔父の本の記述は、その後の太宰の兄・津島 文治さんとのやりとりもありますが、
ここではあえて割愛させて頂きます。

でも、不思議な物で、私にとっては小説「人間失格」と「グッドバイ」は、
時を越えて年に最低一度は読む、愛読書になりました。
人間「太宰治」は常識では推し量れない、死を目指して邁進した苦悩の人だったのだと思います。

と、納豆で思い出したお話でした。

投稿者 s.tobishima : 2009年08月05日 00:25

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