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2008年06月23日
Pierre Gagnaireにて
六本木で私は開業して20年になる。そう簡単な20年間ではなかった。成功したのはいい人と巡り会い、思いやりのある方々にサポートをしてもらったからである。なので、人と会いネットワークを築き、そして互いに思いやるということは今でも絶やさない続けています。英語には「pay it forward」ということわざがありますが、直訳をすると「前に支払う」となる。「ん?いったいそれはどういうことだ?」と思われるかも知らないけど、つまり自分が思いやりのある方々にしてもらって、その恩は決して全部もらった方々に返せない。だからその分だけ次の人に、自分が与えられた機会、チャンスを造り、与えることによって恩返しをする。恩を前に支払っていくのだ。皆が皆これをすれば世界は少しづつ良いところになっていくと自分は思っている。
自分が一番与えられたチャンスは学生の時の留学の機会である。その時ロータリーという世界的な奉仕団体のネットワークの日本チャプターに色々とサポートしてもらい、今に至る。だからロタリアンになり、奨学金のプロジェクトや海外支援の人道的なプロジェクトや、またはワクチンのプロジェクトなどいくつかに携わっている。ロータリーを通じて知り合った友人は実は数えられいたくさんいます。先週の金曜はロタリアンの友人から招待を受けて、青山のピエール・ガニエールというレストランのテラスで開催されたフラミンコダンスパーティーに行きました。新しい友人もできて、深い親睦活動もできました。
当日の模様。ダンサーのパッションとエネルギーには驚かされた。
ちなみにこれがピエール・ガニエールのホームぺジ。食べ物もフレンチでものすごく上品な味わいになっていた。もし機会があればぜひ行って見て下さい。
2008年06月03日
日本からブラジルへの移民
一連の国際的な奉仕活動に参加して、ブラジルから日本に来ている交換学生、朋優学院高等学校に通うFernando Yasumoto君に会った。そして、「笠戸丸」のことを知り、この歴史的な事実をみんなとシェアしたいと思っています。
日本からブラジルへの移民
ブラジルは世界最大の日系居住地で、現在約150万人の日系人が住む。なお2008年は、日系移民100周年にあたり両国でさまざまな催しが予定されている。
ブラジルへの正式な移民は、1908年に神戸港を出港した笠戸丸に始まる。当時、土地が有り余るブラジルでは農業労働者が不足しており、日本の農村は貧しく、大日本国政府が海外への移民を奨励したものの、それまで最大の日本人移民の受入国であった米国における日系人に対する人種差別の激化と、それに伴う黄禍論の勃興などにより日本人移民の受け入れを実質禁止したこともあり、ブラジルが最大の日本移民受入国となった。日本人移住者の多くは、多くの移民船の最終目的地となったサントス港を外港とするブラジル最大の都市であるサンパウロ市周辺のコーヒー農園で働き、現在もサンパウロの日本人街「ガルボン・ブエノ通り」を中心とするサンパウロ周辺に日系人が多い。
戦後もアルゼンチナ丸などの移民船で移民した日本人は多い。移民総数は25万人に達し、その子孫である2世、3世は、その勤勉さと教育課程の高さから社会的地位が高い職業についているケースが多く、政・官界、経済界、医者、弁護士、教員、芸術・文化等を含む広範な分野に進出している。ブラジル及びラテンアメリカ諸国全体で見ても屈指の大学とされるサンパウロ大学の学生のうち、約15パーセントが日系人の子孫であるが、1パーセントに満たない日系人の人口比からみて、それがいかに高いものかがわかる(ただし、サンパウロ州としてみれば総人口に占める日系人の比率は2パーセント強であり、サンパウロ大学の本キャンパスが所在するサンパウロ市にいたっては総人口の5パーセント強は日系人である点、ブラジルの中でも日系人が偏在しているサンパウロ州周辺の南東部・南部地域が他の地域に比べ高等教育を受けやすい地域でもある)。現在は4世、5世も誕生し、完全にブラジル社会に同化している。