「美容整形」に携わる美容ドクター専門プロフィールサイト【美容の杜】

« 2007年02月 | メイン | 2007年04月 »

2007年03月31日

青海・チベット鉄道

数千万年というスパンでみると大陸は常に激しく移動しているそうです。もとは孤立していたインド大陸がユーラシア大陸に激しく激突し、その圧力で押し上げられてできたのがヒマラヤ山脈からチベット高原にかけての大高原地帯だそうです。チベット高原は世界でもっとも標高の高い地域であるために、「世界の屋根」ともいわれています。古代のインドの仏教僧も天国に近い楽園と考えたのでしょうか、チベットはサンスクリット語で天国(trivistapa)を意味する言葉だそうです。

 天国にもっとも近い大高原ですから、さぞ美しいことでしょう。私はぜひ一度は訪れて見たいものだとつねづね思っていますが、きっと同じように思っている人もたくさんいらっしゃることでしょう。昨年、西蔵(チベット)自治区と青海省を結ぶ青蔵鉄道(青海・チベット鉄道)が開通したことにより、非常に多くの観光客が首府のラサに押し寄せ、チベットは急速に観光地化しているようです。

 チベット鉄道は、中国がチベットを併合して以来、40年以上にわたる大構想によるプロジェクトでしたが、なにせ海抜6,000m以上の山々が連なる高原を縫って鉄道を敷設しなければならないわけですから、その建設は非常に困難であり、難度も頓挫したようなのです。しかし、中国は近年、高度経済発展を遂げたことにより、ようやく開通にこぎつけたのです。

 チベット鉄道(ゴルムド~ラサ間)は全長1,142km、そのうち海抜4,000m以上の区間が960kmもあるそうです。チベット鉄道は、世界でもっとも海抜の高い地域を走る鉄道となり、その最高海抜地点はなんと5,072mになるとのことです。ざぞかし空気も薄くなっていることでしょう。乗客の高山病予防のために列車は気密性を高め、酸素吸入装置まで装備されているそうです。

 私は鉄道の旅もけっこう好きなのです。今もあるのでしょうか、ロンドン~イスタンブールを結ぶオリエント急行でのんびりと旅をしてみたいと、昔から思っていましたが、いまだ夢はかないません。チベット鉄道の開通で神秘の高原を訪れることが、夢の一つとして加わりました。

投稿者 root : 03:20 | コメント (0)

2007年03月27日

修善寺の大患

 現在では、修善寺温泉も観光地となってしまっていますが、昔は伊豆山中の閑静で清浄な温泉地であったために、多くの文人たちが執筆や療養のために滞在することが多かったようです。歴史物語に包まれた静寂な環境の中で感性が刺激され、筆も大いに進んだのではなかったでしょうか。

 私が初めて修善寺に行ってみたいと思ったのは、中学生のときに川端康成の「伊豆の踊り子」を愛読するようになってからではなかたでしょうか。川端康成自身と思われる学生と旅芸人の少女が出会うのが、修善寺温泉に向かう山道なのです。修善寺から下田まで下るわずか数日間ですが、学生と少女の淡くみずみずしい心情が、修善寺の雰囲気とともに情感豊かに描かれています。中学生であった私にとっては、描写の一つ一つが鮮烈な憧憬となって心に刻まれたように思います。

 川端康成は、旧制第一高校の学生時代に伊豆を旅したときに実際に体験したことを、後年に修善寺で執筆したのでしょうか。川端康成にとって修善寺は、若々しい感性を打ち振るわせた忘れえぬ思い出の場所だったに違いありません。

 文学史上、もっとも著名ともいえる夏目漱石は、多くのストレスから胃潰瘍に悩まされ続け、49歳の若さで命を失うことになるのですが、43歳のとき「門」の執筆中に胃潰瘍が悪化したために修善寺に転地療養することとなったのです。修善寺の静寂な環境で気持ちをリラックスさせ、胃潰瘍を癒そうということだったのでしょうが、神経の緊張はそうそう簡単に取れるものではなかったのか、修善寺で大吐血を起こしてしまったのです。

 これが世にいう「修善寺の大患」といわれるものです。このとき夏目漱石は一時危篤状態となり、生死の境をさ迷いましたが、なんとか命をとりとめることができました。このときの体験が、後の夏目漱石の人生観や作品に大きな影響を与えることになったのではないかといわれています。「死」というものを実感したことにより、人間とはいかなるものかということを文学において追求していくことになったのではないでしょうか。

 中学生、高校生であったときの私には、何と理屈っぽくてくどくどと考えるのだろう。考えることは大事だけれど、もう少し楽天的でもいいじゃないかと思ったものでしたが、私も漱石のもがき苦しんでいたのと同じほどの年齢となり、人並みに困難に直面することで漱石の心情もようやくわかるようになってくるのではないかと思っています。

 このように私にとっても修善寺は、文学少年であったころのみずみずしい思い出とともに、特別の響きをもつものなのです。

投稿者 root : 03:19 | コメント (0)

2007年03月25日

修善寺

姪が高校受験に合格したとのことで、その合格祝いもかねて伊豆の修善寺温泉に遊びに連れて行ってあげました。修善寺といえば歴史的にも文学的にも来歴の多い場所ですので、姪の合格祝いという口実で私が行ってみたかったというのも大いにあるのですが…

 修善寺は、807年に空海(弘法大師)により創建され、当初は真言宗であったそうです。伝説では弘法大師は修善寺の創建するとともに温泉も湧出させたということです。13世紀、鎌倉時代の建長年間には臨済宗に改宗されましが、その後、戦火により消失。戦国時代には北条早雲が曹洞宗として再建したそうです。宗派の変転するなんとも数奇な寺院なのですね。

 鎌倉時代には、鎌倉幕府2代将軍 源頼家が母の北条政子の陰謀で修善寺に幽閉され、その後、殺害されるにいたりました。源頼家の墓所は、現在も修善寺にあります。北条政子は、さらに頼家の弟である実朝をも鶴岡八幡宮の大銀杏の下で殺害して、源氏の血脈を途絶えさせてしまうのです。いくら天下の政治が絡むとはいえ、実の母に殺害されねばならなかった頼家、実朝の兄弟は哀れでなりません。

 わずか3代で源家の途絶えた後、鎌倉幕府は北条氏の執権政治となっていくのです。いつも北条政子という女性は、いったいどういう気持ちで我が子2人を殺したのだろうかと不思議でなりません。冷徹な政治的判断なのか?あるいは、実家である北条家第一という自己中心的な考えからなのか?

 鎌倉幕府が成り立ちからして陰鬱であり、その後も陰謀渦巻き、血の流れることの多かった政権であるので、どうしても暗い影を拭い去ることができません。鎌倉幕府成立に関わる重大な事件の舞台となった修善寺にも、歴史の黒いおりが沈殿しているよなイメージをついつい描いてしまいます。そのようなところが、文人墨客に愛されるゆえんなのかもしれませんね。

投稿者 root : 03:18 | コメント (0)

2007年03月18日

彼岸の入り

今日は春の彼岸の入りです。皆さん、お墓参りや先祖供養などをされることと思います。私は故郷を離れて仕事をしておりますので、心の中でそっと手を合わせるぐらいにしておきます。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますように、お彼岸が来ますと本格的な春到来ですね。

 子供のころにはお彼岸になりますと、大人たちにお墓参りに連れて行かれ、ぼたもちが振舞われるのが楽しみでした。春も近いということで何となくウキウキした気分であったような気がします。ぼたもちに釣られるだけであり、「お彼岸とはなんぞや?」などと深く考えることはなかったですね。しかし、私も中年以降になりますと、お彼岸ぐらいは自分のことをよく見つめ直し、自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか?あるいは自分はどうあるべきかを考えなければいけないなぁ… などと思うようになってきました。

 そもそも彼岸とは、多くの煩悩に惑わされる現世である此岸(しがん)に対する概念であり、西方浄土や悟りの境地を意味するのだそうです。つまり煩悩に満ち溢れ穢れ多き「此方(こなた)の岸」から清浄な「彼方の岸」に渡るように精進しなさいということなのでしょうか。

 まあしかし「此岸」と「彼岸」の間に横たわる川を越えるということは、凡人には至難のワザと言うことなのでしょうね。私のように、ぼたもちを見て食い気に走っているようでは、論外といったところでしょうか。所詮は、橋のない川を渡ることはできませんので、「彼岸」のありようを眺めるだけで、我々は「此岸」でぼたもちに舌鼓を打ちながら、生きることに悪戦苦闘するしか術はなさそうな気もしますが。

 私のように煩悩の多い人間は、煩悩は煩悩として楽しみつつ「彼岸」のありようをよく見つめ、人としての正しい道を踏み外すことのないように自戒をすることが、精一杯といったところでしょうか。そんなわけで今日が彼岸の入りというのに、フライングして昨夜にぼたもちをつまんでしまいました。

 いつの日か頬張りし彼岸団子かな

投稿者 root : 17:41 | コメント (0)

2007年03月12日

ハンバーガーは悪者?

無題.bmp

最近、「マクドナルド」の創始者であり、もっとも多くの億万長者を生み出したといわれるレイ・クロックの自伝を読んで見ました。1902年、レイ・クロックはシカゴの生まれといいますから、第一次世界大戦、禁酒法時代のアル・カポネの台頭、1929年の世界大恐慌など、さまざまな荒波にもまれて青春時代を過ごしたようです。
 
 シカゴでペーパーカップやマルチミキサーの営業を35年間行ていました。営業で訪れたマクドナルド兄弟のハンバーガー店のシステム化された様子と繁盛ぶりに驚き、フランチャイズチェーンによるハンバーガービジネスに乗りだすことを決意したのです。精妙に工夫されたマクドナルド兄弟のハンバーガー事業のシステムそのものを売り出していこうと考えたのですね。

 時に1955年、レイ・クロック52歳での大決断でした。 彼によると起業するのに遅すぎるということはない。 むしろ35年間の営業経験という下積みがあったからこそ、 成功することができたということです。 それに何よりも仕事が好き、みんなに喜んでもらうことが好きでなければ、事業は成功しないといっています。

 レイ・クロックの起業から半世紀が過ぎ、マクドナルドはアメリカ文化の象徴のごとく世界中を席巻しています。レイ・クロックの情熱とは裏腹に、ともするとアメリカの悪しき文化の代表として攻撃対象になってしまいがちです。

 ハンバーガーばかり食べて肥満になた人が、マクドナルドがこんな美味しいハンバーガーを作るからいけないのだ、という訴訟社会のアメリカならではのムチャクチャな(?)論理でマクドナルドを訴えたことがあり、ハンバーガーばかり食べ続けるとどうなるかという実験的な映画も作られましたね。幸いにもマクドナルドは有罪にはなりませんでしたが。

 マレーシアでは、肥満が国民の37%におよび糖尿病が急増しているそうです。そこで、チェア保健相がハンバーガーは「静かなる殺し屋」であると断じました。このまま野放しにすると国民の多くが糖尿病になってしまい健康被害を受けてしまうので、広告を禁止し、タバコと同等に扱うべきだという議論が始まっているようです。

 レイ・クロックさんの情熱から始まった事業が、あまりにも巨大になりすぎてしまったのでしょうか?

投稿者 root : 17:36 | コメント (0)

2007年03月09日

飛梅

受験のシーズンも終盤を迎えています。これからまだ試験がのこっているという方もいらっしゃるかも知れませんが、もうすでに結果が出て、悲喜こもごもの方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか?

 受験勉強とは何と無味乾燥なものなのでしょうか。こんな勉強などつまらない、と思いつつ苦痛と戦いながら勉強に励んだ人がほとんどではないでしょうか。かくいう私もそうでした。勉強はしたくない… でも試験日は近づいてくるのに全然準備ができていない気がして気ばかりが焦り… 何ともイヤな気持ちのせめぎ合いの日々だった気分だけは、生々しい記憶として刻み込まれているような気がします。

 そのような不安な気持ちを落ち着かせるためには、どうしても神様にでもすがりつきたくなってしますね。受験生にとってもっとも霊験あらたなのは、なんといっても学問の神様、菅原道真公をお祀りしている天神様ではないでしょうか?

 菅原道真公は、平安期の実力のみで台頭した優れた政治家でしたが、世は藤原氏の天下。藤原氏の陰謀で九州の大宰府の長官として左遷されてしまったのです。当時の大宰府といえば、大陸から使者を迎えたり、辺境の防備を固めたりと、都からすれば地の果てともいえるようなところでした。道真公にしてみれば、実質的に流罪に近いものであり、再び都の土を踏むことなく憤死したのでした。

 東風吹かば匂いおこせよ梅の花
        主なしとて春な忘れそ    菅原道真

 道真公が、都の空を懐かしみ、我が家の庭の梅の匂いに強い望郷の思いを馳せて読んだと伝えられます。その思いが通じたのか、現在の大宰府天満宮の境内にある梅の木は都の梅が飛んできたものだと、飛梅伝説は伝えています。

 受験生の皆さん、受験勉強は苦しいものですが、誰もが通らなければならない道です。いくら道真公でも神頼みだけでは合格できませんので、がんばってください。私などは受験や国家試験のときに余程プレッシャーを感じていたのでしょうか、いまだに夢の中で、どうしよう!全然勉強が進んでいない!間に合わない!… と、慌てふためいていることがあります。

  飛梅やいまだに夢でせし受験  芳郎

投稿者 root : 01:50 | コメント (0)

2007年03月03日

花粉症の季節

 スギ花粉の飛散が最盛期を迎えておりますが、花粉症の皆様は、気密度の高い立体マスクや防塵(?)メガネなどを着用せねばならず、さぞご苦労なさっていることと思います。私は、幸いにも花粉症ではないので、そのつらさはわかりませんが、鼻づまりや声枯れ、目のかゆみや痛み、流涙など日常生活にもかなりの支障がでるそうですね。

 かといってヒスタミンなどの抗アレルギー剤を服用すると睡魔に襲われます。抗アレルギー剤により完全に症状が取れるわけではない上に睡魔まで加わると、ちょっと精神的にも参ってしまい、仕事にもならないのではないでしょうか?

 花粉症やアトピー性皮膚炎など、アレルギー性の疾患は年々増えてきているといいます。免疫機能は、生物が生存するためには不可欠な機能です。生命体に細菌やウイルスなどの微生物が侵入すると、生命体は自己以外のものを異物と認識して貪食細胞や抗体を動員し、微生物を撃退するのです。免疫機能不全に陥ると生命体はたちまち微生物に侵され、息絶えてしまいます。

 アレルギー反応は、免疫機能の過剰反応によって引き起こされます。植物の花粉や食物は、ずっと昔からあるものであり、昔はそれらがアレルゲンとなるアレルギーはあまりなかったのに、どうして最近はアレルギーが増加しつつけているのでしょうか?詳しいことはよくわかっていませんが、産業の発達により、もともと自然界には存在していなかった化学物質が氾濫し、それらが自然界のものと類似の化学構造をもっていると交叉耐性といって、免疫機能が自然の物質と化学物質を混同してしまうこともあり得そうです。

 また、現代社会は人としての情緒よりもスピード重視、管理重視のストレス社会です。強いストレスにさらされるとホルモンなど内分泌のバランスが変化することもあり、それにより免疫機能に変調をきたすということもあります。このように考えますとアレルギー疾患は、現代病の典型とも考えられますね。

 最近、美容医療の分野では「金の糸」という治療が脚光を浴びてきております。「金の糸」はエジプトのミイラから大量に発見され、2,000年以上もまえから、「金の糸」は利用されていたようなのです。古代では、経験的に「金の糸」を皮下に埋め込むだけで美肌効果が得られるというこが知られていたので、多くの王侯貴族の女性たちが「金の糸」の手術を受けていたようなのです。古今東西を問わず、女性がいつも美しくありたいという願いは変わらないものなのですね。

 最近になり再発見された「金の糸美容法」なのですが、なぜ「純金」に美肌効果があるのかということは、現代医学においてもまだ十分には解明はされていません。
しかし、実際に効果があることは確実であり、どうやら「純金」の特性そのものが何らかの作用を持っているらしいのです。長年いかなる治療を行なっても改善しなかったアトピー性皮膚炎が、金の糸により改善したり、花粉症も改善するということもわかってきました。

 実は「金」は金の糸美容法以外でも、かなり昔から慢性関節リウマチの治療薬として使われてきていたのです。リウマチは自己免疫疾患といい免疫機能の異常による病気の一種なのです。したがって、はっきりとしたメカニズムの解明はされていないのですが、どうやら免疫系の疾患に効果があるらしいということなのです。

 そんな訳で、このたび、当院でも金の糸美容法を導入いたしました。「純金」の持つ不思議な力で多くの女性の皆さんが美しさを保つことに、アトピー性皮膚炎などアレルギー性の症状にお悩みの皆様に少しでお役に立てることができればと思っています。

投稿者 root : 01:49 | コメント (0)