2007年03月25日
修善寺
姪が高校受験に合格したとのことで、その合格祝いもかねて伊豆の修善寺温泉に遊びに連れて行ってあげました。修善寺といえば歴史的にも文学的にも来歴の多い場所ですので、姪の合格祝いという口実で私が行ってみたかったというのも大いにあるのですが…
修善寺は、807年に空海(弘法大師)により創建され、当初は真言宗であったそうです。伝説では弘法大師は修善寺の創建するとともに温泉も湧出させたということです。13世紀、鎌倉時代の建長年間には臨済宗に改宗されましが、その後、戦火により消失。戦国時代には北条早雲が曹洞宗として再建したそうです。宗派の変転するなんとも数奇な寺院なのですね。
鎌倉時代には、鎌倉幕府2代将軍 源頼家が母の北条政子の陰謀で修善寺に幽閉され、その後、殺害されるにいたりました。源頼家の墓所は、現在も修善寺にあります。北条政子は、さらに頼家の弟である実朝をも鶴岡八幡宮の大銀杏の下で殺害して、源氏の血脈を途絶えさせてしまうのです。いくら天下の政治が絡むとはいえ、実の母に殺害されねばならなかった頼家、実朝の兄弟は哀れでなりません。
わずか3代で源家の途絶えた後、鎌倉幕府は北条氏の執権政治となっていくのです。いつも北条政子という女性は、いったいどういう気持ちで我が子2人を殺したのだろうかと不思議でなりません。冷徹な政治的判断なのか?あるいは、実家である北条家第一という自己中心的な考えからなのか?
鎌倉幕府が成り立ちからして陰鬱であり、その後も陰謀渦巻き、血の流れることの多かった政権であるので、どうしても暗い影を拭い去ることができません。鎌倉幕府成立に関わる重大な事件の舞台となった修善寺にも、歴史の黒いおりが沈殿しているよなイメージをついつい描いてしまいます。そのようなところが、文人墨客に愛されるゆえんなのかもしれませんね。
投稿者 root : 2007年03月25日 03:18
