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2007年03月27日
修善寺の大患
現在では、修善寺温泉も観光地となってしまっていますが、昔は伊豆山中の閑静で清浄な温泉地であったために、多くの文人たちが執筆や療養のために滞在することが多かったようです。歴史物語に包まれた静寂な環境の中で感性が刺激され、筆も大いに進んだのではなかったでしょうか。
私が初めて修善寺に行ってみたいと思ったのは、中学生のときに川端康成の「伊豆の踊り子」を愛読するようになってからではなかたでしょうか。川端康成自身と思われる学生と旅芸人の少女が出会うのが、修善寺温泉に向かう山道なのです。修善寺から下田まで下るわずか数日間ですが、学生と少女の淡くみずみずしい心情が、修善寺の雰囲気とともに情感豊かに描かれています。中学生であった私にとっては、描写の一つ一つが鮮烈な憧憬となって心に刻まれたように思います。
川端康成は、旧制第一高校の学生時代に伊豆を旅したときに実際に体験したことを、後年に修善寺で執筆したのでしょうか。川端康成にとって修善寺は、若々しい感性を打ち振るわせた忘れえぬ思い出の場所だったに違いありません。
文学史上、もっとも著名ともいえる夏目漱石は、多くのストレスから胃潰瘍に悩まされ続け、49歳の若さで命を失うことになるのですが、43歳のとき「門」の執筆中に胃潰瘍が悪化したために修善寺に転地療養することとなったのです。修善寺の静寂な環境で気持ちをリラックスさせ、胃潰瘍を癒そうということだったのでしょうが、神経の緊張はそうそう簡単に取れるものではなかったのか、修善寺で大吐血を起こしてしまったのです。
これが世にいう「修善寺の大患」といわれるものです。このとき夏目漱石は一時危篤状態となり、生死の境をさ迷いましたが、なんとか命をとりとめることができました。このときの体験が、後の夏目漱石の人生観や作品に大きな影響を与えることになったのではないかといわれています。「死」というものを実感したことにより、人間とはいかなるものかということを文学において追求していくことになったのではないでしょうか。
中学生、高校生であったときの私には、何と理屈っぽくてくどくどと考えるのだろう。考えることは大事だけれど、もう少し楽天的でもいいじゃないかと思ったものでしたが、私も漱石のもがき苦しんでいたのと同じほどの年齢となり、人並みに困難に直面することで漱石の心情もようやくわかるようになってくるのではないかと思っています。
このように私にとっても修善寺は、文学少年であったころのみずみずしい思い出とともに、特別の響きをもつものなのです。
投稿者 root : 2007年03月27日 03:19
