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2007年04月28日

月の砂漠

みなさん、「月の砂漠」という歌はご存知ですよね。青白い月の光に満たされた美しく果てしない砂漠を王子さまとお姫さまが、ラクダに乗って旅をしているという情景です。曲調ともあいまって、なんともエキゾチックであるとともに、悠久のときの流れのようなものを感じてしまいます。

 「アラビアン・ナイト」のアラジンやアリ・ババの物語からも想像がかきたてられるように、古代アラビア語圏は各オアシス都市に族長が割拠し、互いに抗争を繰り返してはいました。しかし、砂しかない砂漠のこととて商業を生業とするしかないために、ある程度のところで折り合いをつけながら共存していたので、存外平和であったのかもしれません。

 古代の雰囲気とは打って変わって、現在のアラビア語圏である中近東は、紛争の絶えない殺伐とした地域となってしまっています。そのような殺伐とした世界に住んでいる人々は、少しでも日常を豊かに過ごしたいと思うのでしょうか?近年、美容整形に対する関心が非常に高まっているらしいです。いつ戦争に巻き込まれるかもしれないという不安の下で、より美しく、より心満たされて生きたいと思うのでしょうか?

 そのようなニーズから、レバノンの銀行で住宅ローンならぬ美容整形ローンというものができたということです。美容整形ローンは非常に好評で、かなりの問い合わせがあるということです。聞くところによると1日に200人以上の問い合わせがあるとのこと。本当でしょうか?

 しかし、銀行が美容整形ローンというものを商品として扱うとは、日本では到底考えられないですね。やはりアラブの商人の面目躍如といったところでしょうか。

投稿者 root : 19:58 | コメント (0)

2007年04月24日

ヘミングウェイのラブレター

「老人と海」「誰ために鐘は鳴る」「武器よさらば」などの作品で知られるアーネスト・ヘミングウェイ。いわずと知れたノーベル賞作家ですね。ヘミングウェイは、狩猟や闘牛をこよなく愛し、スペイン内戦や第二次大戦にも志願するなど、いかにも男臭く、アクティブな人なのです。

 ヘミングウェイの文学は、彼の行動によって生み出されたものであり、人の行動そのものを淡々と描き出すことにより、独特の味わいを醸し出しているのです。日本近代文学に見られるような内省的なジメジメした感じとは対照的に、いかにもカラリとしたものであり、そのような文体から「Hard Boilled」といわれるようになりました。

 一方、マレーネ・ディートリッヒという映画の黎明期に活躍した大変セクシーな女優さんがいました。私は残念ながら彼女の映画を見たことはないのですが、セクシーでありながら気品があり、多くの男性を虜にしてしまっていたということです。当時、映像といえば映画しかなく、娯楽も少なかったゆえに、マレーネ・ディートリッヒは世の男性諸氏から熱狂的な人気を誇ったということです。それほどの人気を誇ったということですので、私もDVDを借りて、ぜひとも彼女の美しい姿を見てみたいと思っています。

 つい先日、ヘミングウェイがマレーネ・ディートリッヒに宛てたラブレターが見つかったというのです。あのへミングウェイもマレーネ・ディートリッヒのファンだったとは、同じ男として親近感を感じるとともにほほえましい気さえしてきます。

 ヘミングウェイが1899年、マレーネ・ディートリッヒが1901年の生まれですから、2人はまったくの同世代なのですね。積極的行動派のヘミングウェイのことですから、マレーネ・ディートリッヒのことも情熱的に口説いたのでしょうか?なんとなく興味深いですね。

 また、ハードボイルドと称される文体を持って知られるヘミングウェイが、マレーネ・ディートリッヒに宛てたラブレターでは、果たしてどのような文体で思いをつづったのでしょうか。ちょっと拝見してみたいものです。

投稿者 root : 19:57 | コメント (0)

2007年04月21日

チベット問題

チベットは、古くから中国の史書には吐蕃という名前で登場し、常に時の中国王朝から圧力を受け、中国の属国としての扱いを受けてきました。古代中国王朝は、世界最大の超大国でしたので、力にるよる支配が当然であった時代には、辺境の弱小国のチベットにしてみれば仕方のないことだったのですね。

 インドからチベットに伝わった仏教はラマ教といます。ラマ教を根幹として、チベット族の政治、文化、生活習慣などが形作られていくことになるのです。17世紀には、グシ・ハン王朝が成立し、奇跡により次々に生まれ変わるという高僧ダライ・ラマを信仰と政治の中心とする系譜は、現在まで続くものです。現在は、ダライ・ラマ14世がインド亡命政府の元首であることは周知のことです。

 第二次世界大戦後に成立した共産党による現在の中華人民共和国も古代王朝の伝統を継ぎ、1945年にチベットに侵攻し、チベット自治区として併合してしまったのです。侵攻に際し、多くの虐殺や迫害が行われたといいますが、真偽の程はわかりませんが、1956年に当時まだ20歳そこそこの青年だったダライ・ラマ14世は、ヒマラヤを越えてインドへと亡命せざるを得ませんでした。

 その後、ダライ・ラマ14世は多くの苦難を乗り越えながら、一貫して中国の非道とチベットの独立を世界中に出向き訴え続けております。そのような困難な人生で醸成された精神世界は、多くの信奉者得ることにります。また、最近ではダライ・ラマの崇高な精神が、精神神経生理学の研究対象として注目されたりもしています。

 苦難に身をさらし、チベットの伝統と独立を守ろうとするダライ・ラマ14世の努力もむなしく、近年、急速に経済発展を遂げた中国により、チベットの開発も急速に進んでいるようです。昨年開通したチベット鉄道に続き、来年にはチベット新空港が開港し、観光客を大量に迎え入れようとしているようです。大量に押し寄せる観光客のために、高山地帯の神秘卿であったチベットも急速に世俗化してしまっているそうです。

 チベット問題は今後ますます、混迷の度を深めていくのではないでしょうか。

投稿者 root : 19:52 | コメント (0)