2008年07月18日

大阪院:志賀由章「秘密基地」

小学校のころ、学校の帰り道の途中に秘密基地を作っておりました。そこには、仲間が漫画の本や釣り道具、虫取り網やおもちゃなどを持ち寄って隠しておくのです。中学にもなると制服を着るので行けなくなりますから、次の世代の子供たちに明け渡します。

私は今でも家の裏にテントを張って秘密基地にしております。ここは私の憩いの場所です。雨の日でも、仲間とバイクの修理やバーベキューをしたり、酒を飲んだりすることができます。日差しの強い夏はマメやアズキも涼んでいます。家庭菜園をするためのクワやスコップも置いたり、苗作りはここでしてます。

朝起きると、アイスコーヒーを持ってここに来て、苗の状況を確認しながら目を覚まします。。落ち着いたら庭の水撒きをして 出勤するのです。

2月の雪でテントの屋根が雪の重みに耐えかねて破れてしまいました。やはり9000円のテントは何年も張りっぱなしにはできないのですね。以前は青だったので、今回は黄色にしてより明るい雰囲気を作ってみました。 

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2008年07月16日

大阪院:志賀由章「篤姫」

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今年の大河ドラマ「篤姫」は近年稀に見る名作です。私は大河ドラマの中では「利家とまつ」以来の名作だと思います。宮崎あおいさんの熱演も素晴らしいうえに、父親役の長塚京三さん、母親役の樋口可南子さん、島津斉彬役の高橋英樹さんの名演技には感激します。

篤姫は鹿児島に生まれ、13代将軍 徳川家定と政略結婚させられます。しかし家定は数年で亡くなったので、未亡人として大奥に残りました。14代将軍 徳川家茂には天皇家から和宮が降嫁しました。和宮は有栖川親王と婚約していたのに公武合体(天皇家と武士を仲良くさせる)のために、婚約破棄させられ、家茂と政略結婚させられたのです。しかし家茂も数年で死去したため、和宮も未亡人となり大奥に残りました。その後15代将軍 徳川慶喜へと移り変わっていくのです。

大政奉還後は徳川政権を倒すために薩長(薩摩と長州)連合が天皇家を味方に引き入れ、官軍として江戸城を攻撃することになりました。

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天皇家が味方しているのが官軍(正義)、それに反抗するものを賊軍(悪)といいます。ですから、徳川家は和宮を嫁に出していることもあり官軍だったのですが、天皇家(それも婚約者だった有栖川親王です)が薩長側に味方することになったので、徳川家の立場は賊軍となってしまいました。篤姫や和宮は政治的に利用され、最後は実家に見捨てられたのです。未亡人となった篤姫、和宮は実家に帰ることもできたのでしょうが、徳川家の人間として無血開場(戦をせずに江戸城を明け渡すこと)へと奔走し、あわやというところで江戸城は攻撃されなかったのです。もし。彼女たちがいなかったら、西郷隆盛は江戸城に攻め込んだのかもしれません。

徳川幕府が崩壊した後も篤姫は生涯、鹿児島に帰ることも援助をうけることもなく、波乱の時代を生きぬいたのです。また数年しか結婚生活をしなかった和宮も 死後は家茂の墓の隣に入ったのです。

*幕末といえば坂本龍馬です。そんなに多くは出ないと思いますが、玉木 宏さんが演じる予定です。また掘北真希さんの和宮も楽しみです。

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2008年07月15日

大阪院:志賀由章「研修医」

医師免許の試験を取ると、2年間は研修医になります。学生のときは大学で勉強しても、手術や注射の経験はさせてもらえないので研修医になってはじめて注射したりするのです。

先輩医師に教わりながらはじめて静脈注射をしたときは感激したのを覚えております。それが上手にできるようになると、病棟の患者さんに朝の点滴に回ります。血管の出にくい人には大変苦労します。女性部屋は特に苦労しました。一度刺すのに失敗したりすると「下手な先生」のレッテルを貼られてしまいます。そうなると 点滴に回っても、「あの先生はイヤ」なんて看護士さんに告げ口されてしまうのです。

そういったことを乗り越えていくと、次は手術の助手です。大きな手術や小さな手術のお手伝いをさせてもらうのです。それが上手にできるようになると、やっと手術をさせてもらいます。手術部屋には今日の手術の予定表が貼ってあります。私のはじめての手術は「アテローム」でした。手術時間は30分の簡単な手術とはいえ、さまざまな科の教授に並んで、手術の予定表の術者のところに自分の名前をみつけたときジーンとしました。なんかチョッピリだけ社会に貢献している人間になれた気分でした。

そんなことを2年間やって生きていくのです。問題は給料が月に2万円ということです。確かに何もできないのですが、同時に入った若い看護士は初任給が17万円です。看護士さんと このことについて話すと、

「先生たちは将来たくさんもらえるでしょ」

そういう問題ではありません!研修医がはじまるころのある日、父が「これ持ってけ」。と封筒を渡してくれました。なんと100万円です。「おまえらは、当分安月給なんだから、これで食いつなげ」「うん、ありがとう(涙)」。私にはこのお金があったので、少しずつ使って食いつなぎました。、そして、お金がなくなってきた10月頃に、やっと当直のバイトを割り当てられたのです。

 一晩3万円の当直です。何か問題が起きたら大変なので 山ほどの本を抱えて病院に行ったものです。手帳にも 先輩から聞いたさまざまなマニュアルを書き込み、眠れない夜を過ごしたのを覚えてます。お金を頂くことの大切さを知り、当直代として頂いた3万円は大切に使いました。

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2008年07月12日

大阪院:志賀由章「脂肪吸引」

脂肪吸引は、最も技術の差が出る手術かもしれません。脂肪吸引は取れば取るほど美しい結果になるというものではありません(勿論、そういったケースもあります)。

美容外科に入門して初期に覚える手術のひとつに脂肪吸引があります。覚えたての先生は 張り切ってますから一生懸命吸引します。「先生!今日は3リットル吸引しました。明日は4リットルに挑戦します。がんばるぞー!」そんなことを言っている先生に出会ったら、気合いをそぐようで申し訳ないのですが、脂肪吸引についてじっくりと説明してあげなければなりません。脂肪吸引は彫刻のようなもので多くとれば良いといったものではないのです。大木から仏像を彫りだすくらいの心構えでやってほしいものなのです。

臀部下部・下腹部・ウエスト・上腕など、重力の影響を受けやすい部分(特に高齢の方)は吸引する層を考えて吸引しないと、皮膚のタルミという問題を残してしまうこともあります。しかし、患者さんにはさまざまな目的や環境がありますので、目的によっては皮膚のタルミや張りを度外視して吸引して良い場合もあります。

またバランスの問題もあります。日本人の女性で多いのは上半身が細く、臀部下部から大腿部外側に脂肪がつくタイプです。こういった場合はウエストの細さに合わせて大腿部を吸引するので、多く吸引すべきです。しかし、身体全体にバランス良く脂肪がついている場合は最も難しいケースです。ある部分を吸引すると、他の部分が太くみえてしまうからです。ですから本人の希望を聞いた上で、こういったことをインフォームドコンセントし、吸引量と層を決めて吸引しなければならないのです。

ちょっと前の話ですが、70歳の着物を着た上品そうな女性が脂肪吸引のカウンセリングに来ました。

「先生、太ももの脂肪吸引したいのですが。」

「はい わかりました。(診察後)太ももの外側が張り出していますから、外側を多めに吸引すると良いと思います。」

「いや、内側だけでいいんです。」

「他の部分とのバランスを考えると、内側だけではあまりよいできあがりにはならないと思いますが。」

「実は、夏になると股ずれするのでそこだけでいいんです。」

「・・・・・・・・・・・・・なるほど」

そんな脂肪吸引もあります。

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2008年07月11日

大阪院:志賀由章「BIKE ②」

私にとってバイクは人生の中で切り離せないものです。

風をきって走っている気持ち良さはフェラーリやポルシェにも味わえない感覚だと思います。しかしバイクはスピードを出したら大変に危険な乗り物ですから、私は原付程度のスピードでしか走りませんが、それで充分なのです。

バイク好きにはいろいろな楽しみ方があります。スピードやスリルが好きな方。ファッションの一部として乗る方。スポーツとして乗る方。おもちゃのように改造していじくりまわす方。さまざまです。

私にとってヨンフォアは20歳のときに生まれてはじめて買った乗り物ですし、さまざまな思い出がつまっているので、これに乗っているときの自分は1970年代にタイムスリップします。人生の疲れや悲しみなんて一気に吹き飛ばしてくれます。

以前、チェッカーズの高杢さんがガンに侵されたことがわかったとき「自分が癌であることを知ったとき、好きなバイクに乗って逃げ出したかった」と記者会見で語ってましたが、とても気持が理解できました。術後元気になり心から祝福しております。

こんなに夢中にさせる乗り物なのですから、子供たちが乗りたがるのはあたりまえです。私たちも同じバイクのオーナーが集まってツーリングなどしますし、その時の爽快感は最高です。ただ暴走族のように、他の走行を妨害したりしながら乗るのは間違ってますよね。子供にバイクの良さを教えてよいのか悩む今日このごろです。

この写真のヨンフォアは ほとんど原型をとどめてません。改造に改造を重ね、こんな形になりました。1980年当時よりも光ってます。

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2008年07月10日

大阪院:志賀由章「ROOKIES」

今年はじまったドラマのの中で「ROOKIES」が熱いです。

まず、登場人物の名前がメチャクチャなんです。安仁屋に新庄、関川、御子柴、桧山、岡田、江夏といった阪神ファンならおなじみの選手の名前が使われています。主役は監督役の川藤こと佐藤隆太さん。いままでずっと脇役でいい味を出しているな、と思って観ていたら とうとう主役に抜擢されました。もうひとつメチャクチャなのは生徒役の年齢です。先生役の佐藤隆太さんが28才なのに、生徒役の高岡蒼甫さんが26才。上地裕輔さんは先生より年上の29才なんです。真面目なドラマだったらありえないキャスティングです。

私の好きな映画のひとつに「パッチギ」がありますが、映画で高岡蒼甫さん、桐谷健太さん、尾上寛之さんが不良役で名演技をしてたので、それとダブってさらにおもしろいのです。

撮影現場が二子玉川というのも最高です。私が東京に住んでいた頃には、多摩川沿いをバイクで走り回ってたので、青春時代がダブるのです。

生徒役で出ている市原隼人さんは、とてもかっこいいですね。ドラマの中では怖い顔をみせてますが、笑顔になると ものすごいやさしそうな顔に変身します。どんな目の構造なのでしょう?とても魅力的です。

さらに良いのがBGMで流れているGReeeeNの「キセキ」です。このジャンルのCDは滅多に買わないのですが、買ってしまいました。GReeeeNのメンバーを見たことがないためなのか、市原隼人くんが歌っているように聞こえてしまうのは私だけでしょうか。

このメチャクチャな設定のドラマなのに、最後の10分は、毎回 感動して泣いてしまうのがくやしいのです。カウンセリングの合間などに録画を見てると、やはり感動して涙目になってしまいます。私が涙目でカウンセリングに来たら、ROOKIESを見てたと思ってご容赦ください。けど、これを見た後は心が優しくなってますから カウンセリングは より安心です。

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2008年07月09日

大阪院:志賀由章「グラジオラス」

昨年の秋頃にホームセンターを散策していたところ、チューリップの球根が安売りしてました。私は最近、庭いじりが趣味なのでチューリップやヒヤシンスなど球根を50個ほど購入て、庭に植えてみました。

昨年中に芽を出すのかと観察しておりましたが、一向に芽が出る気配がなく、「腐ってしまったか」とがっかりしておりました。すると、2月ころからヒヤシンスが芽を出しはじめ、ついにチューリップの芽が発見されました。50本のチューリップはまもなく満開になりましたが、花の命は短いもので、あっという間に花びらは落ちてしまいました。

今度はグラジオラスです。チューリップのように1-2週間で散ってしまわぬように球根を一週間に20個くらいずつ植え続けています。ただいま200個近くは植え終わり、ニョキニョキと芽が出始めてます。やっと今日、5月に植えたグラジオラスが咲きました。このまま咲き続ければ、秋口まで楽しめそうです。

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2008年07月05日

大阪院:志賀由章「ピーちゃん」

大学病院で働いていると、若い頃は1年から2年単位であちこちの病院に修行に出されます。ですから、東京に彼女がいても1年でまた遠くに行かされて会えなくなるので寂しい思いをするのです。

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千葉県の柏病院に赴任したときは寂しさのあまり手乗りのボタンインコを飼いました。医局の中に鳥かごを置いて、当直のときも一緒に遊んだりしておりました。医局の先生たちが帰ったのをみはからって、医局に放して運動させたりもしてました。(他の先生の本の上に糞などもおとしていたようです。笑。)名前はピーちゃんです。とてもなついており、私の頭の上に乗ったり、肩の上に乗って耳たぶを噛んだり、寝るときも枕元で休んだりしていたものです。

ある寝苦しい夜のあけた朝、起きてみると、いつも起こしてくれるピーちゃんがいません。「ピーちゃん!ピーちゃん!」部屋中を探しましたがおりません。変だなあ、と思って枕元をみたらピーちゃんが硬くなって横たわっておりました。すぐに心臓マッサージと人工呼吸を施しましたが、すでに天国にいっておりました。死因は圧死です。私の寝相が悪いために、寝返りをうったときにつぶしてしまったようです(涙)。

あまりのショックでピーちゃんを埋葬するのも2か月くらいかかってしまいましたが、東京にもどったときに家の近くの公園の隅っこにこっそりと埋葬しました。

今でもペットショップに行くと、ボタンインコを探してます。あんなになついてくれるボタンインコはあれ以来出会うことは無く、「ピーちゃん」と指をさしだすと、かみつかれてしまいます。

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2008年07月04日

大阪院:志賀由章「吉野家の牛丼」

吉野家の牛丼をはじめて食べたのは、大学受験で新橋のホテルに泊まっていたときでした。母が夜食で買ってきてくれたのです。とてもおいしくて感激した記憶があります。最近でも昼食として週に一度くらいは食べてます。

つまらない話ですが、カレーやかつ丼、牛丼を食べるときには、いろいろ考えてしまいます。ごはん一口におかずがついている食べ方をしたいので、ごはんとおかずの量を真剣に観察します。調子よくおかずばかり食べてしまうと、最後にごはんだけが残ってしまうからです。牛丼を食べるときはオーダーのときから悩みます。gyudon.jpg

牛丼並380円(ご飯1人前・牛肉1人前)

牛皿並280円(牛肉1人前)

牛丼特盛630円(ご飯1.5人前・牛肉2人前)

牛丼並と牛皿並で頼むと、一口分のごはんに必ず牛肉がついてくるので、私にはベストなのです。しかし、これで頼むと、660円なので特盛の630円にしたほうが、ごはんが多くついて、さらに30円の得なのです。しかし、特盛ではダイエット中の私に1.5人前のごはんは多すぎますし、一口分のご飯に牛肉一枚のペースでは、ごはんが余ってしまいます。食べ物を残すのが嫌いな私は、最後は取り放題のベニショウガだらけにしてして食べなければ気がすみません。

最近は良い食べ方を考えました。食欲旺盛な若い男性と食べにいくのです。それで特盛を2人前頼んで、自分のご飯をあげてしまうのです。そうすれば、若い子は特盛をおごってもらってハッピー、ごはんのおまけまでついてさらにハッピー。私もベストな食べ方で食べれてハッピー。吉野家も売上あがってハッピー。三者両得ですよね。

こんなこと考えるオレって小さな人間でしょうか。がっくり(笑)

 

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2008年07月03日

大阪院:志賀由章「マメ失踪」

去年の春、兵庫県尼崎市から大阪府豊中市に引越ししました。独り者といっても、引越し屋さんに荷物の量は四人家族分といわれました。確かに、100kg近い梅干しにレコード400枚、使えなくなったオーディオ類多数、数百冊の本、集めた食器300枚、20年使っている本棚、ベッド、高校一年に買ってもらった自転車、バイクの改造用パーツがダンボール10個分など使えないものまで持っているので引越し屋さんも大変です。引越しは二日にかけて行なうとのことでした。

引越し当日、10トンと4トントラックで引越し屋さんがいらっしゃいました。引越しがはじまりました。荷物が次々とトラックの中に吸い込まれていきます。私はそれを見届けて仕事に行きました。当日は予定通りです。翌日も荷物はトラックの中にどんどん吸い込まれていきます。引越しが終わったころに尼崎の家に忘れ物がないように見にきました。家の中は寂しげです。リッツを開業して以来、住んでいた場所にいろいろな思いをはせていました。家に向かって「7年間ありがとう。仕事は順調、私生活も順調、マメまでお世話になりました。」あれ?マメは?マメがいない!

即、警察に電話しました。早く探さないと保健所で処分されてしまいます。

私「もしもし!犬がいなくなったんですが、そちらにマメは届いてませんか?いや豆柴犬なんですが。」

警察「なんか特徴はありませんか?」

私「今日はピーターパンの服を着てます。」

警察「ここにいますよ!!」

私「本当ですか?今からすぐに行きます。」

 なんで警察にいるのかなんて考えてませんでした。考えてみたら連絡すべきは保健所だったかもしれません。よくよく聞くと、タクシーの運転手さんがドアをあけて食事をとっていたところ、後方座席に影が。あれ?思って後ろを振り向くとマメが座っていたらしいのです。確かにマメを連れてあちこちに遠出してたので、車のドアをあけると、すぐにのりこむ癖があるのです。でも本当にホッとしました。

翌日、運転手さんにお礼の電話をして、お礼の品とマメが乗ったタクシー代を送らせていただきました。

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2008年07月02日

大阪院:志賀由章「蝉(せみ)」

小学校の頃、夏になると虫取り網をもってあちこちの山を走り回ってました。 目的はカブトムシやクワガタです。これが取れないときは仕方なくセミをとってました。翌日になるとセミは全滅してしまうのですが、今考えるとかわいそうなことをしてしまいました。ご存知のように、セミは6-7年間は土の中で生活してます。命の燃え尽きる最後の一週間だけ地上に出てきて、結婚相手を探すのです。ですから、あの鳴き声を訳すと、「おーい、6年間も真っ暗な土の中で鍛えたオレを見てくれよー。いけてるだろー。誰か結婚しようよー!結婚しようよー。残り一週間を楽しもうよー。」といった悲痛な叫びなんです。そんなセミを、目的もなく網で取ってしまったら「なんだよー。やめてくれよー。オレには時間がないんだからー。放せよー。」と叱られてしまいそうです。

セミは毎年、梅雨明けの頃から鳴きだします。東北・関東はアブラゼミやミンミンゼミが圧倒的に多いので、「ジージー・ミーンミーン」の大合唱です。しかし、関西ではアブラゼミやミンミンゼミは少なく、ほとんどが「シンシンシンシン」の鳴き声、これはクマゼミいう名のセミなのです。木の上を観察すると、アブラゼミも混じってますが、圧倒的にクマゼミが占領してます。

セミの鳴き声を聞くと「夏」を感じますよね。しかし、驚いたことに夏の風物詩であるセミはハワイにはいないのです。ですからハワイの昼は静かなんですよ。

 
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私は毎年夏になると、ハットリくんの弟ハットリシンゾウくんを思い出します。シンゾウくんは「シンシンシンシン」と言いながら走るので、クマゼミと頭の中で連想してしまい、「やーまをこえ、たにをこえ、ハットリくんがやってきた♪・・」と知らぬ間に口ずさんでいるのです。

昨年は7月15日にセミの鳴き声を確認しました。今年もそろそろです。セミたちの命がけの恋を暖かく見守ってあげましょう。

 

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2008年06月28日

大阪院:志賀由章「もどせない手術①」

美容外科手術には大きく分けると、元にもどせる手術ともどせない手術があります。

手術前に勢いよく「私、メッチャ変わりたいんです!」。といった方には、後悔のないように、このことをよーく説明します。

もどせない手術でトラブルが多い手術の代表は目頭切開です。ご存知のように蒙古ヒダを切って、目の横方向を広げる手術ですが、鼻の大きさとのバランスがありますから、切りすぎると鼻とのバランスを崩してしまいます。そうなるともどせませんから、一生悩むことになってしまいます。「他院で切られすぎたのでもどしたいのですが」といった場合に大変困ってしまいます。私は、どんなに勢いよく来院しても、充分に説明して、控えめに広げるようにします。もしそれで満足しない場合は、3か月後に追加切除といった形をとります。30人に1人くらいは追加切除を希望してきますが、不思議なことにそういった方は2回目の追加切除も希望してくるものなのです。見慣れてしまうからなのでしょうか。

もどせない手術で全ての方が満足されるのは、エラ削りです。エラが気になりはじめてからは、皆さんエラを憎んでますから「こんなもんいりません。耳元からガツンと切ってください。」などと言ってくる方もいます。耳元には顎関節がありますから耳元からガツンとは切れませんが(笑)、エラ削りは満足度が高い手術です。ただし、もともとの輪郭によってはエラを切りすぎると顎が長く見えたりするので、術前にシミュレーションやレントゲンを撮って切除量を正確に決めなければいけません。リッツ美容外科のエラ削りは正面からの変化も明らかに出るのが特徴ですが、「正面からの変化はつけたくありません。横から見たこの角だけを取ってください。」などとおっしゃる方もいるので、美容外科というものは難しいものです。

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2008年06月27日

大阪院:志賀由章「硬式テニス部」

私が大学に入学したときには母が入学式用に買ってくれたスーツを一揃いしかもってませんでした。それ以外はワイシャツやトレーナーにTシャツ、スラックスにジャージの上下くらいのものでした。福島から出てきた若者でしたから東京では田舎者です。ファッションなんて知りませんし、興味もありませんでした。

大学に入学してからは硬式テニス部に入りました。その時に出会った同級生、吉田君には衝撃を受けました。[かっこいい!!!]。彼は慶応高校出身です。身長も高く、顔はその当時に売れていた田中健をさらにさわやかにした感じです。その上、性格も素晴らしく誰もが認めるリーダー的な存在です。テニスの腕前はプロになるか医者になるか迷ったうえ、親の希望で医学部に来たくらいのものですから、いきなりクラブ一の実力です。先輩の誰もが下級生の彼に一目おきます。私は神様を恨みました。天は吉田君にニ物どころか五物も与えてしまったか・・・・・・オレにももう少し与えてよ・・・・・・・。

私は憧れのバイクをやっと手に入れ走り回っていたくらいの時代に、すでに彼は車に乗っていました。さらに私は彼女もできず学校とテニスしかしていなかった時期でしたから、恰好など気にせずにジャージで学校に行ってました。ある日、吉田君が私を呼び「おい、志賀、その恰好はなんだ。オレが服を選んでやるから、明日10万円持って学校に来い」と笑顔で言うのです。

翌日、10万円を握りしめ、渋谷のデパートに連れていってもらいました。西武デパートの中であれこれと服をえらんで貰い、笑顔で「明日からこの服以外は着てくるなよ。」「うん。わかった。」

それからいろいろな遊びも教えてもらいました。六本木のおしゃれなディスコ(今でいうクラブですね)での遊び方や酒の飲み方も教えてもらいました。全てが新鮮に見えていた時代でした。

ある日「志賀に彼女を紹介するよ」「え!ホント!!!う・うれしい!!!」

今から29年前に東京で大雨が降り、電車が全て止まったことがありました。吉田君は自分の彼女を車で送った帰りに、駅内で、四人の女子大生に帰る手立てがないからといって頼みこまれたので、車で送ってあげたらしいのです。「その中に志賀の好きそうなタイプの女の子がいるから会ってみろよ。」それがその当時の彼女になりました。

その後、ビックリしたことに彼はスーパーリッチでスタイル抜群かつ美人な帰国子女(これまた完璧)と大学二年のときに結婚したのです。私の素直な心の中です。「こんなにかっこよくて欠点のない男性が世の中に存在していたら、オレなんかの出る幕がないから、よかった。敵がひとり減った。神様ありがとう。」でした(笑)。

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2008年06月25日

大阪院:志賀由章「アルマーニのスーツ」

外科系の医師の仕事はスーツにネクタイといった服装ではネクタイが傷口に触れたりして不潔になるので、スーツ姿で仕事をすることはあまりありません。手術のある日などは術着の上に白衣を着たまま一日中活動します。ですからスーツを必要とするのは冠婚葬祭と学会くらいのものなのです。

しかし、一着しか持ってないと雑誌の取材で撮影するときなどに、いつも同じ服装になるので困ってしまいます。うちのスタッフも、「院長、いつも同じ恰好では恥ずかしいから、ブランドのスーツを何着か持っててください」の要望がありました。仕方なく学会に行く前に阪急デパートにスーツを買いに行きました。私にとってはスーツに一着20万円など信じられない金額でしたが、ドキドキしながらアルマーニのスーツを買ったのです。

ある時、他大学の形成外科の教授が、クリニックに遊びにいらっしゃいました。その夜は新地で食事を共にして手術のことなどについて話をして盛り上がりました(当然アルマーニのスーツです)。その晩は私もフラフラになるほど飲みすぎましたので、自宅までタクシーで帰りました。千鳥足で家の門を空けて入るときに「ビリッ」と音がしました。「あっ!!!」ズボンに20cmの穴が・・・・・・・。その晩は悲しすぎて枕元を涙で濡らしてしまいました(泣)。

翌日、破れたズボンを持ってアルマーニに行き、「同じズボンが欲しいのですが。」すると「この生地で作ったものはお客さまのものだけなので、同じ生地を探すのは難しいですね。似たような生地でしたら上下ならお揃いできますが」「あっ、結構です」。また20万円なんて払えません。高級ブランドショップでは、いつものコナカや青山と違って、一着のジャケットに二本のズボンを買うことはできないのだ、ということを知ったのです。

それから1年たったある日、あるブランドショップに、あのアルマーニに似たような生地のスーツを発見しました。店員さんに怪訝そうに見られながらも10分くらいじっと観察し、家に帰ってアルマーニのジャケットの生地と比べてみると「微妙に違うけど、ほとんど同じだ!!!!!」。さらにその店ではスーツを買えば何本でも予備のズボンを買えます。私は8万円でスーツの上下を買って、さらに変えのズボンを2本買いました。これでスーツ上下2着セットとズボン一本です。アルマーニのスーツが復活した瞬間でした。

よく考えると、同じようなスーツが二着あっても仕方ないことなのですが、アルマーニが復活したことが嬉しかったのでした(笑)。

投稿者 ritz : 16:15 | コメント (0)

2008年06月19日

大阪院:志賀由章「元気」

初夏です。バイクの季節です。最近は仕事で疲れて帰っても家の周囲を一回りして楽しんでます。             

昨晩は近所のショップに行ってオイル交換して帰ってきました。家に着いてガレージのシャッターを開けていると、隣の奥さんと、高校生くらいの娘さんと犬のムクちゃんに会いました。犬の散歩の帰りの様子でした。

私「こんばんわー(さわやか風に。笑)」

奥さん「こんばんわ。毎日、ムクちゃんが吠えてましてすいません。うるさくて迷惑かけてますでしょう?」

私「いえ、うちのマメやアズキも吠えてしまって、こちらこそ申し訳ありません。」

ムクちゃん「クウーン」

奥さん「今日はお仕事の帰りですか?遅くまで大変ですねえ。」

私「いえ、仕事から帰ってからバイクショップに行ってきたんです。その後、一人で近所を走り回ってました。」

奥さん「そうなんですかあ。お元気ですねえ。おやすみなさーい。」

私「おやすみなさーい」

んんん?お元気ですねえ・・・・・って。

私たちが、「お元気ですねえ」という言葉を使うときは、80歳くらいの高齢な方が足取りもしっかり散歩などしてるときですよね。

自分にその言葉をかけられたとき、なんとなく違和感を感じました。もしかしてオレって老けてみえるのかなあ。それとも49歳でバイクに乗ることがおかしいのだろうか。その晩は考え込みながら酒を飲んだので、翌朝は軽い二日酔いでした。

投稿者 ritz : 15:18 | コメント (0)

2008年06月12日

大阪院:志賀由章「富士山」

私の生涯でやりたい事のひとつに富士登山があります。その折には南極観測隊のタロとジロのようにマメとアズキを連れて行きたいと考えてます。

東京都世田谷区に住んでいたころは、天気の良い日には富士山がはっきりと見えて、二日酔いでも朝から爽快な気持ちになれたものですが、大阪からは残念ながら見えません。富士山は私にとって、思い出の山なのです。

はじめてバイクを手に入れ、一人で富士山までツーリングに行きました。夏だったのでなんと短パンにポロシャツといったいでたちです。中央高速に入って大槻くらいまでは快適に進みましたが、真夏とはいえその服装ではさすがに肌寒く富士山のふもとで折り返してしまいました。

車を買ってからは、自動車部の連中が授業が終わると「志賀、俺たち今晩、富士山までドライブに行くけどお前も行く?」と誘いに来るので「行こう行こう!」とついていったものです。富士山の樹海近くは深夜には街灯もなく真っ暗です。そこでキモだめしなどをして遊んでました。

大学時代、テニス部の夏合宿はいつも山中湖でした。朝から晩までテニスです。あのころは誕生日が同じビヨン・ボルグに憧れてました。いつかはウィンブルドンに出るぞ!なんて真面目に考えてました。山中湖は天気が変わりやすく、朝に晴天でも、突然雨が降ったりすることもあります。雨やどりをしていると、先輩が感慨深げに「志賀、山の天気と女の気持ちは変わりやすい、とはこういうことを言うんだ」私「ふむふむ」。

医師になって、富士市立中央病院に外科医として派遣されたので、1年間富士市で生活してました。不思議なことですが富士山のふもとにある病院からは、富士山が見えないのです。近すぎるからでしょうか?いまだに不明です。ただ富士市には製紙工場がたくさんあるので、その煙で見えない、という説もあります。

先日、福島に帰ったときに、快晴だったので飛行機から富士山がくっきりと見えました。あまりの美しさに感動して、デジカメを取り出して撮影していたら、CAさんがやってきて、「電子機器類の使用はご遠慮いただけますか。」「(えっ!電子機器って携帯のことじゃないの。知らなかった。)すいません。」

思い出はたくさんありますが、その富士山に自分の足で登ってみたいのです。聞いた話によると、一泊二日で登るらしいのですが遭難したりしたらどうしよう。マメとアズキは助けてくれるでしょうか。たぶん助けてくれないだろうなあ。

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2008年06月11日

大阪院:志賀由章「お酒」

私はお酒が嫌いです。いつも「どうしてこんなにまずいんだろう。」と思いつつ、もっと酔いたい、笑いたいという気持ちで飲んでしまうのです。

友人と一緒にお酒を呑んでいるときに必ず聞くことがあります。「ビールとコーラどっちが好き?」。ほとんどの方は「ビール」と答えます。次に、「味はどっちが好き?」と聞きます。そうなると考えつつも「つまらない質問するなよ」と言われます。私は味的にはビールよりコーラのほうが美味しいと思うのです。けど、コーラでは酔えませんよね。ですから、酔うために仕方なくビールを飲んでいるのです。

私はいかなる時も(たとえ真夏のハワイでも)昼から酒を飲むことはありません。真夏のゴルフの昼休みですら飲みたくありません。けど本物の酒好きは朝からビールを飲んでますよね。やはり私はお酒が嫌いなんでしょう。

私は若い頃、365日間、毎日飲酒しておりました。お酒を飲むと陽気になれるしイヤなことを忘れて楽しい気分になれるからです。コンパでもお酒の力を借りないと女性を口説けませんでした。私は陽気になることが好きだから、おいしくないと思いながらも我慢して深酒しているのです。

ワインは割と飲みやすいので好きなほうです。でも、ホテルのバーに行ってワインリストを見ると30万円なんてのもあってびっくりします。私は5000円くらいの渋みのある赤ワインしか飲みませんが、ロマネコンティという一本150万円のワインがあると聞きます。ダウンタウンの浜田さんの「芸能人格付けチェック」という番組で、ロマネコンティと3000円のワインを飲み比べて当てる番組がありましたが、食通とされている芸能人でさえ間違えてました。そんなのをみると、150万円という値段はどこから出てきたのでしょう。不思議です。もし5000円の300倍の金額のワインが300倍もおいしいのだったら、これから貯金して人生に一度くらい飲んでみたいものです。

投稿者 ritz : 11:55 | コメント (0)

2008年06月10日

大阪院:志賀由章「ゼニカル」

私は快食快便です。口に物を入れると(行儀悪いのですが)食後から便をもよおしてしまいます。これは胃結腸反射といって、動物ならば誰にでもある原始的反射です。消化器外科医でもある私は、排便時は便を必ずチェックします。いつ食べたものが、いつどのように排泄されるかを観察するためです。

便にはさまざまな情報が含まれています。胃炎や胃潰瘍、胃癌など胃から出血する疾患のある方は、血液も小腸・大腸を通過するので消化、酸化されて便が黒くなります。これをタール便といいます。大腸ポリープや大腸癌などが原因の場合は、出血した血液が消化、酸化されないために赤っぽい血便が排泄されます。この場合は肛門近くの大腸か肛門(痔)を考えます。直腸近くの癌は便の通過障害が起きますから、便が細くなったりもします。しかし必ずしも、細い便=直腸癌というわけではありません。

食物の体内滞留時間を調べたいときは、消化しにくい糸こんにゃくやコーンをあまり噛まずに食べます。そうすると、これらはそのまま出てきますから、大体の時間が推測できるのです。

私には数年前からダイエット・健康のために飲んでいるゼニカルという薬があります、これは脂肪の多い食事を摂ると、脂肪を吸収しない形に(ミセル化)してしまうので、焼肉や中華料理、とんかつ、から揚げ、パスタ(ボロネーゼ)、ピザなどが好きな私は、これらの食事のときには愛用してます。おかげさまで血中の中性脂肪も減少し、安心してこれらのものを食べることができるようになりました。xenical_21cap_s.jpg

数年前に社員旅行で香港に行きました。       当然、毎日中華料理ですから、私は毎食内服してました。そうなると体内で食事がほとんど吸収されませんから毎回油っぽい排便があり、三日間で食べながら体重を5kg減らすことができたのです。

しかし、ゼニカルには困ったことがあります。

油が排便時にそのまま溢れてきますから、中華料理なら茶色、から揚げなら白、ミートソース(ボロネーゼ)ならオレンジといった油がでてしまうのです。また油は水に浮きますから、便を流した後に、これが便器に付着してしまい、次の方に知られないように掃除してからトイレから退室しなければなりません。また、ゼニカルを内服したのを忘れてて、寝起きなどにおならをすると、油だけがジトッと排泄されてしまい、下着が油べっとりです。私たちがクリニックで処方するときは、男性にも、できることなら女性用のナプキンを肛門にあてておいたほうが良いですよ、と言っております。

私もデート中に小さなオナラをしたら、油が噴出し大変な思いをしたことがあるので、通勤時でも遊びに行くときでもパンツは黒系しかはかないようになりました(笑)。

投稿者 ritz : 11:44 | コメント (0)

2008年06月07日

大阪院:志賀由章「49歳」

今日6月6日は私の誕生日です。49歳は織田信長が暗殺された年齢です(笑)。江戸時代は医療が発達していなかったので「人生50年」などと言われてましたが、いまや日本人の平均年齢は世界一となり、80歳超です。まだまだ30年も生きなければいけません。

子供のころに自分がの50歳になるなんて想像すらできませんでしたが、いよいよ一歩手前まで来てしまいました。この49年間を振り返ると、いろいろありました。つらいこと、楽しいことの思い出が山盛りです。でも割合的には85対15くらいで、つらかったことのほうが多かったと思います。

体も心もバラバラになるくらい悲しいことも何度かありました。そんな悲しみを抱え涙が溢れて止まらなくても、街を歩くと、人の笑い声が聞こえ忙しそうに人が動いてます、花も太陽の光を浴びてキラキラと咲きほこっているので、孤独感のなかにすごい違和感を感じた記憶があります。そのときに「自分の悲しみなんて、全宇宙的に考えればちっぽけなことなんだ。これは心の中にしまいこんで、明日からまた元気に生きなきゃ。」と考え直したのです。

50年近く生きていると、多くの患者さんや友人と知り合います。いろいろな方の話を聞いていると、外からは順風満帆に見えている人でも、心の中にひとつくらいは傷をもって生きているということがわかってきました。私はつらいことがあると夜景の良いところに行きます。そこから高層マンションや住宅街の光を見て、「あの家庭ひとつひとつの数だけ悲しみや喜びがあり、みんな悩みながら頑張っているんだ。」と考えると、自分も負けていられない、と奮起できたりするのです。

これから、どんなにつらいことが待ちうけているかわかりませんが、そんなときにも「オレは死ぬまで頑張って生きる!」と自分に言い聞かせて乗り越えていこうと思ってます。

皆さんも、与えられたひとつの大切な命です。つらいことなんかに負けることなく楽しく生きていきましょう。

投稿者 ritz : 16:30 | コメント (0)

2008年06月05日

大阪院:志賀由章「口(くち)麻酔」

手術の際にものすごい緊張される方がいます。静脈麻酔を使用すれば寝てしまいますから問題ないのですが、二重や眼瞼下垂の手術は、術中に確認していただいたり、開眼して微調整しなければなりませんから、起きた状態で手術しなければならないケースもあります。

そんなときは、患者さんにリラックスしていただく為にいろいろな話をします。仕事や学校のことや、住んでいる町、おいしい店などについてです。話しはじめると力が入っていた筋肉が少しずつ弛緩され、痛みも軽減し、手術もやりやすくなりますし、より良い結果につながることが多いのです。そんなのを口麻酔といって、意外に効果的なのです。過緊張している方の手を看護士さんが握ってあげるだけでも、緊張がやわらぐのと同じですね。

先日、いつもの調子で「仕事は何をしてらっしゃるのですか?」

患者さん「普通の事務ですが、お話しながら手術して集中できるのですか?」

私「・・・・・・・・・・・・・・・。では集中します。」

そこまで気が回る人には口麻酔などは不要です(笑)。

投稿者 ritz : 12:00 | コメント (0)