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2008年02月18日

大阪院:志賀由章「坂本龍馬 (壱)」

1600年 関が原の戦い。

このときに東軍の徳川家康が勝利をおさめなければ坂本龍馬は誕生しなかったのかもしれません。四国の殿様である長宗我部氏は西軍に味方しておりました。ですから関が原の戦いで敗北した西軍は東軍に支配されることになります。家康は土佐を支配するために山内一豊を土佐に配置しました。その瞬間から、それまで長宗我部に仕えていた武士を下級武士、山内家を上級武士という身分差別の中で250年にわたって土佐は支配されたのです。それは上級武士が下級武士を道端で切り捨てても許されてしまう虫けら扱いの差別です。その差別に反発する強いエネルギーの中から革命家として生まれた立役者のひとりが、坂本龍馬です。彼ののびのびとした生き方は日本人の夢を誘います。龍馬は生まれつきの武士ではなく(才谷屋という質屋の息子)、下級武士の階級を買った武士ですから下級武士の中でもさらに下に位置する郷士です。現代こそはっきりとした差別は日本には存在しませんが、そんな時代の身分の低い彼が、どこでどうなったのか勝海舟、西郷隆盛、福井藩の殿様と知りあい仲良くなって世の中を動かし、江戸時代を終わらせてしまったのですからビックリします。

私は関西に来てから史跡めぐりが好きになりました。毎年2月に母が大阪に来るので恒例の「史跡を訪ねて」旅行に行っております。今年は私が最も尊敬する坂本(龍馬)直柔の生まれ故郷である高知県の土佐でした。

kouchi3.jpg
桂浜に立つ威風堂々とした龍馬像。今でも龍馬は水平線の遠くを眺めてます。桂浜から見える太平洋の丸い水平線を眺めれば、私ですら水平線の向こうはどうなっているのかを覗いてみたくなる気持ちになってしまいます。もし龍馬が暗殺されなければ日本はどうなっていたでしょう。今よりもっと良い世の中になっていたでしょうね。しかし彼は世界を駆け巡りたい人物でしたから、一度くらいは日本の首相を務めても、それにとどまらず世界的な偉業を成し遂げていたはずです。どの国にもほとんど利益のない戦争もなかったかもしれませんね。そう考えると本当に残念なことです。 

kouchi1.jpg桂浜の龍馬像は昭和3年に建立されたらしいのですが、これを計画した人は、その土地の所有者が誰なのかも調べずに「龍馬先生の像はここに建てる」と決めて建ててしまったらしいのです。いごっそう(快男子)、はちきん(はつらつとした女性)と呼ばれる土佐人気質ならではのエピソードですね。

投稿者 ritz : 2008年02月18日 18:53

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