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2009年07月31日
東京院:広比利次「『人を動かす』 デールカーネギー」
あまりにも有名な本ですので、皆様よくご存知と思います。といいましても、主たる読者はビジネスマンということになるでしょうから、女性の方々にはあまりなじみがないかもしれません
私が初めてこの本に出会ったのは大学生時代でした。当時は”この本に書いてあるように行動すれば、世の中がうまく渡れるんだ”くらいに思っておりました。なかなかこの本のようにうまくいかず、自分の感情を抑えることは難しく、名著ではあるが所詮きれいごとが並べてある・・・と感じていました。
先日この本のレビューを拝見して、読者の方々が一様に高得点をつけており、中には”聖書(Bible)に次いで世の中で読まれている本である"といったコメントまでありました。私は何故か書斎に3冊所有していたのですが、この機会に20数年ぶりに読み返してみました。
率直な感想はまさしく素晴らしい本ですね、素晴らしすぎます!20歳代では気がつきませんでしたが、今になってやっとこの本の真の意味での素晴らしさが理解できるようになった気がします。本当にもっと早く読み返しておくべきだったと後悔しております。今まで生きてきた自分の行動、言動などは反省点だらけであり、心が洗われました。本書の根底にあるのは他人への思いやりであり、そこから人を説得したり、動かしたり、矯正したりと・・・解決の方法が具体的に述べられております。
この本に述べられている真理は、古今東西変わらぬことがありません。私も今後は座右の書として常に机の上に置き、繰り返し繰り返し熟読し続けたいと思います。まだまだ人間ができていませんので・・・・・人生のよき指南書となります。皆様の中でまだ読まれていない方は、非常に感動的な名著を是非手にとってみてください。
横浜院:阿部聖孝「上瞼のタルミ取り(3) (~_~;)私もタルミを取りました」
上眼瞼のタルミでお悩みの患者さまに対して、私はカウンセリングの時に次のようにお話ししています。
『この手術はタルミが改善されることによって、その後で得られるメリットがいくつかあるので非常に満足度の高い手術なのですよ。まず外見上スッキリとした明るい目元になるので印象が良くなります。2つめは目を開ける時に、額の筋肉を使って眉毛を持ち上げることが無くなるので、オデコのシワが無くなりアンチエイジングの効果があります。さらに額の重い感じや、頸や肩のコリなどの自覚症状が改善し、視界が広くなるのでモノを見ること自体が楽になります。』
確かに形態的変化だけではなく機能的な満足感も得られる良い手術なのです。
しかしそう言っている私本人の上瞼のタルミが重症化してまいりました。(・.・;)
これではいけないと思い、実は私も昨年の11月に上眼瞼切開術を受けてみました。
リッツ美容外科のドクターならばどなたにお願いしても安心できるのですが、今回の手術は高松院院長の古屋富治雄先生にお願いいたしました。手術方法は余剰皮膚の切除でタルミを取り、眼瞼挙筋を前転させて眼の開きを良くするというものです。
手術を受ける立場になって、改めて患者さまの気持ちが理解できました。
まず手術台の上に仰向けになってライトが当たると、やっぱりある程度緊張してしまいます。
局所麻酔はそれ程痛くなかったですが、手術中の不安感は多少なりともありました。
そのような中でも術者が進行状況を説明してくれたり世間話をしたり、コミュニケーションを取ってくれていることでかなり安心できる状態になりました。
手術の方法や手順が解っている私自身でさえある程度の恐怖・不安を感じているのですから、御存じない患者さまの場合その心の負担は相当なものであると思います。手術中にもインフォームドコンセントとメンタルケアの重要性を感じました。
さて無事に手術が終了して鏡を見ると、なるほど目は大きくなり開きやすくなっています。手術後の腫れはまあまあ有りましたが予測された範囲内でして、それでも手術5日後の抜糸の時には落ち着いてまいりました。
さらに12日目は内出血も消退し、8ヶ月後の現在とそう変わらない状態になりました。
私の場合は40歳を過ぎたあたりからタルミによる瞼の重さを自覚していましたが、ここ数年でさらに症状が進行してきて外科的処置の必要性を感じていました。
長年の悩みが無くなったことと、患者さまの立場を経験し診療の勉強になったことを感謝いたします。
古屋先生、どうもありがとうございました。
美容外科手術は形態上の変化を求められる手術が多いですが、こと上眼瞼に関しては、睫毛内反や眼瞼下垂、このような皮膚弛緩状態など、目を開く機能を改善する手術もあります。その適応をカウンセリングによって診断していくことが重要です。
2009年07月30日
大阪院:志賀由章「ヒアルロン酸(鼻根部)」
若い女性で「ヒアルロン酸で鼻を高くしたい」と来院される方が多数いらっしゃいます。
ヒアルロン酸を鼻根部に注入することは、全く腫れずに正面から鼻筋がすっきりと作ることができるので 人気のある治療のひとつです。
注入した直後は
「せんせいー。ありがとー。メッチャ変わったー。」
しかし、100人に1人くらいの確率で、一週間以内に クリニックに電話がかかってきます。
りな「ヒアルロン酸が全部溶けてしまったみたいです。」
そんな場合は スグに来院していただいて診察します。術前の写真は撮ってますから、それを見せてあげると
りな「ほんまやなー。前より高くなってんなあ。なんでやろ。」
鼻根部に0.2~0.3ml程度の注入量では、注入直後の変化に気づきますが、毎日顔を見てると 見慣れてしまうものなのです。
こういった方は要注意です。つまり、変化に対して順応しやすい方なのです。
りな「今日も注入していっていいですか。」
私「うーん・・・・・・少しだけだよ。もし、鼻を高くしたいんだったら、いずれはプロテーゼや軟骨を使って高くしてくださいね。」
鼻根部にヒアルロン酸を注入する方の多くは、横顔を見ていないようです。
鼻というのは高さと横幅、鼻先の丸さ、鼻翼の大きさなどのバランスで成り立ってますから、ある部分を過剰に修正してしまうと、バランスの悪い形になってしまうのです。鼻根部に注入し続けると、鼻先との高低差がなくなってくるので、横顔の凹凸が無くなり、平坦な感じになってしまうのです。注入される方のほとんどは正面からしか鼻を見てませんから、これに気づかないようです。
話は変わりますが、先日 学会で東京に行きました。私は昔、渋谷・六本木で遊んでいたので、10年ぶりの渋谷を楽しんでいたら、何千年も前に鼻根部にヒアルロン酸を打ち続けたかもしれない石像を発見しました(笑)。忠犬ハチ公と並ぶ、待ち合わせの名所です。
ある日、りなさんが来院しました。私が注入を拒み続けたので、他院で注入を繰り返してきたそうです。
りな「せんせい、こんなんなっちゃったあ。みんなに変だっていわれるんです。」
私「・・・・・・・・・」
モヤイ像のようになってしまったりなさんは ヒアルロニダーゼで今までのヒアルロン酸を溶かし、耳介軟骨とプロテーゼで、きれいな鼻を作りました。
2009年07月29日
大阪院:志賀由章「アファームマルチプレックス(1)」
1959年生まれの私は今年50歳になりました。
なんと半世紀です。気持ちは35歳くらいのつもりでしたから、この現実をつきつけられるとガッカリします。
風呂あがりや、通勤の時に電車の窓に写る 疲れた自分の顔を見ると、このままでいいのか・・・・・
と考えた末、自分を若返らせよう!!!!と決心しました。
実は半年前から、巷で噂になっているレーザーの機械を何台も自分に試し続けてました。
ある日、大阪院に通院している何人かの患者さんが、
「先生のところにアファームは置かんの?」
「うーん。いろいろ自分にも試してるんだけど、これだ!というものがないんだよね。」
「今までのレーザーよりめっちゃいいで!!この肌見てえや。」
「そうですか。じゃあ、機械屋さんを呼んで試してみますね。」
という訳で、サイノシュアー社に来ていただいて、自分や従業員、今までフォトフェイシャルを打っていた患者さんを呼び出して、テスト照射してみました。
照射したみなさんが、結果に満足していただき、私も購入を決定した次第です。
一回では書ききれない内容ですので、何度かに分けて書かせていただきますね。
最近、若返った自分を想像してワクワクしている毎日です。
2009年07月28日
東京院:広比利次「医学ジャーナルJPRASに英文論文アクセプト!!!」
これで私のエラに関する手術方法が世界に発信されることになります。
達成感とともにホッとしたというのが実感です。国内ではさまざまな場でエラに関する論文、発表を行ってまいりましたので医師、患者さまにも認知されておりますが、今回はアジア、ヨーロッパ、アメリカと多くの国々に私の手術法がオリジナル法として認められたことを誇りに思います。
今後ともさらに努力を続けて術式をより良い方向で改良を加えながら、患者さまの期待に応えられるような結果を出してまいりたいと思っております。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
JPRAS http://www.jprasurg.com/home
2009年07月27日
大阪院:志賀由章「梅雨」
今年の梅雨は雨量が多いようで、連日のように、豪雨による土砂崩れなどの報道がされています。
誰もが、梅雨は嫌いですよね。
私は、去年から少しだけ梅雨が好きになりました。家庭菜園をしていると いつも晴天では作物が育たなく、梅雨の時期に作物が育っているということに気付いたからです。
昨年は雨量が少なかったせいか、作物に水をあげていると 水道代がはねあがります。こんなに水道代がかかるんだったら、野菜は買ったほうがよいのかもしれない、と思うくらいの金額です。
福島の実家から福島空港に向かう途中には、たくさんの農家があります。先日、空港に向かう帰路で、農家の軒先に「スイカの苗 80円」という張り紙を見つけました。80円でスイカを食べられたら安いよなあ・・と考え、車を止めました。
しかし、海外旅行の帰国時には、生肉や種などを国内にもちこむのは禁止だったよなあ、と思い出し、農家のおっちゃんに
「これから飛行機に乗って大阪に帰るんだけど、苗を機内にもちこんで よいのでしょうか?」
「あー。そんなごといわれだごとねーから おれは わがんね。(福島弁)」
「そうですよねー。うーん。」
仕方なくひとつだけ買っていくことにしました。もし、通過できなくても、80円なら惜しくないですしね。
空港でのエックス線検査を通過するときにはドキドキしましたが、難なく通過。よく考えれば、国内の移動に検疫など必要ないのは当たり前ですよね。
そのスイカの苗を早速 庭に植えたところ、犬に踏まれ、カラスにつっつかれながらも、実をひとつつけたようです。その小さなスイカの実に
「梅雨のうちに、水をたくさん吸って おいしいスイカになるんだぞ。」と毎朝声をかけてます。
横浜院:阿部聖孝「上瞼のタルミ取り(2)患者さまのエピソード」
私が上眼瞼タルミ取りの手術を執刀させて頂いた患者さまの中で、御年齢が90歳の患者さまがいらっしゃいました。もちろんこれまでの最高齢です。
その方は御高齢ですが矍鑠とされて、お話しもとてもしっかりされていらっしゃる方でした。御身体の方も健康で、歩行時の介助は必要でしたが、日常生活での医療上の制限もありませんでした。
ただ瞼のタルミが強く、額にシワを作って(前頭筋の補助収縮といいます)眉毛を持ち上げても足元の景色しか見えないという御状態でした。
通院している近所の整形外科の先生からも『美容外科でタルミを取ってもらったらいいですよ。』とアドバイスされていました。
軽度の眼瞼下垂がありましたが、余剰皮膚の切除だけでかなり目が開きやすくなる御状態でしたので、手術は身体的に御負担が少ないように皮膚と眼輪筋の一部を切除しそのまま単純に縫合する方法を選択しました。
皮膚の切除量はデザイン時には15mmでしたが、その幅で切除しても開瞼してまだ被さってくる余剰皮膚がありましたので、数回トリミングを行なってトータルで20mm以上(25mm程度)切除しました。
手術が終わってすぐに『いやぁ、景色が良く見えるようになったわぁ。』と仰られ、鏡を御覧になって『あらぁ、若返っちゃったわぁ。』とお喜びになられました。
手術後の腫れは直後はあまり目立つ状態ではないので、お迎えにいらっしゃった姪御様にも『あっらー、ずいぶん若くなって、ステキよ~。』と褒められて気分を良くされていました。
実際にパッチリとした明るい目元になり印象は大部変わったと思います。
それにしても私はその患者さまがお帰りになる時に頂いた言葉を忘れることが出来ません。
『センセ、女はいつまでたってもオシャレしたいのよ。フェッフェッフェ~。(笑)』
(+_+) 大変貴重な有り難いお言葉で、もう、感激というか脱帽です! <(_ _)>
通常90歳という御年齢ならば、まぶたのタルミなんかどうでもいいとお考えになってしまうと思われます。
御自身が健康でありこのような向上心のある方だからこそ、この手術を受けようという気持ちになられ良い結果が得られたのだと思います。
一つの手術で形態的改善だけでなく、モノを見るという機能的改善、さらには日常生活の質的向上まで得ることが出来ました。
貴重なコメントを頂いたことに感謝致しますとともに、美容外科を良く御理解されていらっしゃる患者さまのお陰でこの仕事を続けていく励みになりました。
!(^^)! どうも有り難うございました。
2009年07月23日
東京院:広比利次「まつ毛育毛剤『ラティース』」
皆さん、先日「ラティース」という薬品が入荷しました。
ラティースは全米で大ヒットしたまつ毛専用医薬品です。
まつ毛が「細い」「短い」「少ない」などの悩みを解消します。
ラティース™はアメリカの食品薬品局FDAが認可(2008年12月)したまつ毛用医薬品(育毛剤)です。
ラティース™(Latisse)はもともと、緑内障治療用の点眼薬として使用されていたビマトプロスト(Bimatoprost)の作用を利用し、アメリカのアラガン社(Allargan)*1によって開発されました。
まつ毛の根元に塗るだけで、まつ毛が「長く」「太く」「濃く」なります。
このラティース™は「まつ毛の貧毛(eyelash hypotrichosis)」という症状自体を改善する医薬品です。
通常日本人のまつ毛の本数は平均105本。毛周期は3ヶ月~5ヶ月といわれております。
ラティース™はこの毛周期を延ばすことで、同時に生えている本数を増やし、まつ毛をボリュームアップさせるものです。
20代~60代の方の多くが短期間でその変化を実感していることからも、その驚くべき効果がわかります。
< 症例 1>
2009年07月22日
横浜院:阿部聖孝「上瞼のタルミ取り(1)理論」
年を取ってくるといろいろな部分がタルんでまいります。
その中でも上瞼のタルミは物を見ることへの障害となり、程度が強い場合は日常生活にも支障が出てきます。
ホームページにも掲載させて頂いておりますが、加齢による上瞼のタルミの病態としては
1.眼瞼皮膚弛緩(dermatochalasis):皮膚のタルミ
2.眼瞼下垂(blepharoptosis):眼瞼挙筋のタルミ
に分類されます。この場合皮膚弛緩の改善に対しては余剰皮膚を切除する必要があります。
この時に皮膚をどの程度切除するかを決定することが難しく、毎回慎重に決定してまいります。
同程度の皮膚弛緩状態であっても皮膚の厚さや皮下組織の量が違う場合は、適切な皮膚切除量は大きく異なります。
また元々左右差がある場合などは、両側ともバランスの良い結果を得るにはケースバイケースで皮膚切除量を考慮していく必要があります。
上瞼のタルミ取りの手術は『上眼瞼除皺術』と言いますが、タルミ切除量の決定方法を簡単にお話しします。
まずは切開線のデザイン(マーキング)です。
眉毛を挙上させて睫毛に近いラインを先に決定します。
これは手術後に二重のラインに一致しますので、通常は睫毛から6mm程度離しますが、奥二重希望の場合には3~4mmに、派手な二重が好みの場合は8mm程度に設定致します。
次に、眉毛を挙上させない状態でピンセットで余剰皮膚を軽くつまみ、皮膚切除量を決定します。
通常皮膚の切除幅は少ない人では4mm程度、タルミの多い人は12mm程度の切除量になります。
私の場合手術は(特に皮膚切除の際には)左右とも同じステップを同時に進行していくことが多いです。
切除量が多い方の場合は取り過ぎてしまわないように初めにやや控えめにデザインして、過量にならない範囲で皮膚切除致します。
創を閉じる直前に目を開いたり閉じたりして頂いて、必要であればさらに追加切除(トリミング)をして、左右差のないバランスの良い御状態に仕上げていきます。
東京院:広比利次「『貞観政要』(じょうがんせいよう)」
皆さんはこのような難しい本の名前を聞いたことがありますか?唐の太宗皇帝(在位西暦627〜649年)の言行録で、1000年以上前に記述された書物です。しかし内容は古くなく、現在でも十分学ぶべきことが多い名著であります。
谷沢永一、渡部昇一という二人の論客がこの難しい『貞観政要』に関して、易しく解説している『上に立つ者の心得』という本を今朝読みました。孔子の『論語』と比較しますと、より実践的にビジネスに適した”リーダーとしての資質”に関してわかりやすく述べられています。私もクリニックを経営している立場、たくさんの部下を持っていますので非常に参考になる話ばかりで、またいかに自分が小さい人間であるかを悟らされるくだりがたくさん出てきて勉強になりました。
帯にも出ているように信長、秀吉は『貞観政要』を読まなかったため?政権は短命に終わり、逆に読んだ家康、北条政子はその政権が繁栄した・・という核心が書かれています。書店ではこの帯に目がいき興味深く手にとってすぐに購入しました。太宗皇帝は非常に謙虚で、忠臣の誠実な助言を常に聞き入れ、人民のための政治を行ったのですが、決して私欲(本人をはじめ親戚も含む)のためではないことが重要であるわけです。それにしても側近には対立する者でもかまわず”国のため”であれば登用するといった、驚くべき手腕を発揮ており・・・興味深いですね。今の日本の派閥政治とは正反対の決断、行動力です。原著は分厚く難しくとても読めないかもしれませんが、この解説書で”歴史的にも最も秀でた皇帝といわれている太宗”に関して、夏休みに読んでみられるのも良いのではないでしょうか。
2009年07月21日
東京院:広比利次「熱海”ふふ”」
先日家族で1泊2日で、ドライブを兼ねて熱海にある”ふふ”という旅館に行ってきました。場所が一通道路などでわかりにくく、ナビをセットしたにもかかわらず到着できませんでした。何とか旅館と連絡を取りながら午後3時過ぎに到着し、チェックインを行いました。
全室スイートという触れ込みでしたが・・・残念ながらお部屋は狭く窮屈な感じでしたね。また露天風呂もすごく小さく開放感はありませんでした。夕食は鉄板焼きか、懐石が選べるのですが、鉄板焼きは既に予約で埋まっており、致し方なく和食ということになりました。料理の味は良かったと思います。
また旅館の方々も大変親切にしていただきました。大変お世話になり有難うございました。しかし旅館自体の評価は、先にも述べたように立地が悪く、周囲は民家に囲まれており・・・やや興醒めの感は否めません。和風モダンの外観はともかく、内装はチープでもう少しセンスが必要と思いました。
全体評価としては★★といったところです。熱海は多くの旅館が乱立していますが、正直もう少しセンスアップが必要かもしれませんね。伊豆山・蓬莱、強羅・花壇などと比較しますとグレード的には厳しいかもしれませんね・・・。
熱海自体が周囲に特に目立った観光地がなく、料理を含めて旅館自体を楽しむことになります・・・そう考えますと、熱海の繁栄はなかなか難しそうです。すいませんが、今回は辛口の批評になりました。
2009年07月16日
大阪院:志賀由章「あなたは40年前になにをしてましたか」
私が16歳(高1)のころ2歳年上(高3)のガールフレンドがいました。
その子は学年の三大美女といわれるほど美しい女性で、なぜか私なんかとつき合ってくれていたのです。しかし、その当時の私は現代の子と違って、30年前の純情少年でしたから、デートでは手をつなぐことしかしませんでした。それも、彼女のほうから手をつないでくれたのです。
学校が終わると、市内の図書館に二人で行って勉強し、図書館の帰りは喫茶店でコーヒーを飲みました。その当時は、学校の帰りに喫茶店に立ち寄るなんてことは不良のすることでしたから、大変なことをしていたのです。
しかし、楽しい1年はあっという間で、お別れの日が来てしまいました。
彼女は東京の日本女子大学に合格したのです。東京に行く前の日、二人でいつもの喫茶店に行きました。
「僕も必ず東京の医大に行くから、それまで待っててね。」
「うん。志賀君も私のこと忘れないでね。手紙もたくさん書くからね。勉強もたくさんするのよ(涙)。」
「うん、わかった。」
そして、彼女は東京へ旅立ったのでした。
その当時は携帯電話などありませんでしたし、それぞれの家に電話がある時代ではなかったので、連絡手段は手紙でした。私はサイモンとガーファンクルのテープを擦り切れるほど聴きながら、勉強の合間に毎日、手紙を書きました。彼女からも毎日のように返事がきました。しかし、夏が近づいたころから、手紙の回数は減ってきたのです。さらに、便箋は早稲田大学 理工学部のものになっていました。たぶん早稲田大学の彼氏ができたのでしょう。その年の夏休みにも再会できず、私の高校時代の淡い恋は終わったのでした。
先日、サイモンとガーファンクルの大阪公演がありました。そのポスターを観ていたら「あなたは40年前になにをしていましたか」のタイトル。つい、高校時代のことを思い出してしまいました(私にとっては34年前のことですが)。
音楽はその時のことを思い出させてくれます。今回のサイモンとガーファンクルの一時的な再結成は、ファンである私にとっては夢のようでした。一緒に行った嫁とは年が離れているので、あまり知らないらしく、涙をしながら聞いている私の隣でスヤスヤと寝ておりました。
2009年07月15日
東京院:広比利次「『日本の行く道』 橋本治」
2009年07月13日
東京院:広比利次「自民党都議選大敗!!」
ご存知のように昨日の都議選の開票結果で、民主党が大躍進、自民党は惨敗で、自・公でも過半数割れと壊滅的な結果となりました。選挙前からある程度は予測されていましたが、都民の審判が下った感じです。
小泉純一郎総理大臣以降は、安部、福田、麻生とめまぐるしく総理が変わり、世界大不況も重なり、自民党は一体何をやっているんだ!という国民の怒りが今回の選挙結果に反映されたわけです。またこの結果を受けて、麻生総理は衆議院を今月21日に解散、8月30日衆院選挙と決めたようです。
2009年07月12日
東京院:広比利次「人間失格ー太宰治」
先日中学3年生になる娘と一緒に本屋に立ち寄りました。彼女は夏休みが始まっており、文学にいそしもうと何冊かの本を選んでいました。
その中に太宰治の人間失格が含まれていました。家に帰ってから、ふと懐かしく手にとって読み出しましたがはまってしまい!結局最後まで読み終えることになりました。私自身も確か中学3年?で読んだように記憶しています。
しかし細かい内容は忘れており、再び読み返してみるとまた違った観点から見ることができたのではないかと思います。
内容はご存知の方も多いかと思いますが、主人公の大庭葉蔵は、東北の片田舎に生まれ、非常に多感な少年時代を過ごしていました。彼は生来の本質は包み隠して、道化を演じることにより周囲の友達、大人たちから可愛がられる術を身につけていくようになります。しかしそのことをひとりのクラスメートに見破られ、痛くそのことを気にするようになります。何とか彼にも取り繕うことによってみんなに暴露されることもなく、自分の本性を親、兄弟をはじめ周囲には隠しとおすことができたわけですが・・・。
感想としては私の幼少期はこのような複雑な自分は存在せず・・・随分ませた?神秘的な子供であるとの認識です。
その後葉蔵は成長とともにその本性が変わることなく、感情の起伏もなく、一種冷徹な性格を持って学生時代を過ごします。しかし事実と反し、周囲からは非常におちゃらけて面白い子であると思われ人気者であったわけです。当時将来は画家として生計を立てつもりでいましたが・・・・実際には決して一流とはいえない漫画家となるのです。さらに悪友の堀木の誘いなどで徐々にお酒、女などの大人の遊びを覚えていくようになり堕落の一途をたどり・・・・・自殺も何回か繰り返した挙句、最後はアルコール中毒、モルヒネ中毒で精神病院に送り込まれることになります。そこで葉蔵は自分が"人間失格"であることを悟るのでした。時に葉蔵28歳のときでした。
太宰の代表的作品であるこの人間失格は版を重ねて600万部以上売れて、読み継がれているそうです。これは夏目漱石の”こころ”と常にトップを競っており、日本文学史上最高傑作のひとつと考えられています。
もし皆さんも”昔読んだな〜”と思われていても、是非・・時を隔てて一読されることをお奨めします。やはりその心理描写、心の葛藤など名作と謳われる所以が中学時代にわからなかったのですが・・・見えてきますね。
次はヘッセの"車輪の下”を読もうと思っています。これも中学時代にえらく感動した作品でした。
2009年07月11日
東京院:広比利次「学会準備、書籍進行具合」
そろそろ梅雨明けの気配も感じられるようになってまいりました。
先日のブログで私は朝4時に起きる習慣とする固い決意を述べました。あれから早1ヵ月半が経過しましたが、無事習慣化されて最近ではあまり苦もなく起きることができるようになりました。
5年間続けている英会話レッスンも早朝7時15分から始まっていたため、私はもともと朝はそれ程苦手ではなかったのです。ただ5時を通り越し、いきなり4時はどうかな?と心配しておりましたが、有言実行の精神で頑張っております。
早起きの効用は既に多くの企業経営者、成功者が著書を著し、まさしく”早起きは三文の徳”といわれるように私も本当に良い習慣と感じております。
まず4時から出勤時間(およそ9時頃です)までの5時間を誰にも邪魔されることもなく、自分の自由に使うことができます。私の場合には現在かかえている原稿が3つ(英文1、和文2)で、さらに9月に行われる日本美容外科学会(大森系)ではシンポジウム2題、一般演題1題と合計3題とこちらもそろそろ準備を開始しなければなりません。
普段の診療、手術はもちろん忙しく、なかなか時間を見つけることができなかったのですが・・やっと効率の良い時間配分ができるようになりました。
この中でも最も比重が高いのが、美容外科一般に関する著書です。出版社の方から昨日連絡をいただき、原稿用紙で約1100枚のボリュームの書籍となります。もちろんご指名いただきまして、大変光栄なことであり、美容外科手術のエッセンスをわかりやすく書いていこうと思います。
ただしこの書籍は一般の方々向けではなく、医者向けの本ですので一冊が ¥30,000 予定しております。
自信と期待とで、また少しの不安はありますが折角このような大きな仕事を任せられたので、日々精進するつもりです。
また進行具合は時々ブログで報告させていただきます。
2009年07月10日
高松院:古屋富治雄「【高松院限定】Summerプレミアムプランのお知らせ」
本州ではまだ雲ゆきがあやしくハッキリとしない天気が続いてます。
しかしこれから徐々に西から梅雨が明けていよいよ夏の訪れとなります。
皆さまはこの季節をどのように過ごされるご予定ですか?
暑い時期こそ外へ出られてアクティブに過ごされる方、
涼しい屋内で仲間・知人のおしゃべりやゆっくりと読書などを楽しまれる方、
夏=長期の夏休みという連想から新しいことにチャレンジする決意を抱いている方もいらっしゃるかもしれません。
より美しくなって、計画の第一歩を踏み出す貴女へ---。
高松院では、この夏限定「Summerプレミアムプラン」をご用意いたしております。
この機会に、ぜひ高松院にお立ち寄りくださいませ。
スタッフ一同、心よりお待ちしております。
2009年07月09日
東京院:広比利次「ハプスブルグ家の晩餐」
昨日は自由が丘クリニック理事長・古山登隆先生、ヴェリテクリニック東京院長・福田慶三先生と私の三人で赤坂で食事をしてまいりました。私自身は両先生とはそれぞれ何回もお食事をさせていただいたことはあるのですが、3名では初めてでした。お二人は共通の趣味も多く、ゴルフ談義、経営談義、学会の運営、果ては仏教の話など約3時間半ほど大変盛り上がりまして、楽しいひと時を過ごすことができました。
今回は私がレストランを選定したのですが,このレストランの料理がまた話に花を添えた感じでしたね。オーストラリア料理の”RestaurantK.u.K"というレストランでしたが、ハプスブルク宮廷料理です。
ハプスブルク家は650年の長きにわたって栄華を誇っており、その傍らには常に偉大な料理人の姿があったようです。歴代のマイスター達の築き上げてきた伝統と格式のあるこの宮廷料理に我々3人は舌を唸らせられました。ちなみに昨日のメニューを掲載しますが、どの一品をとっても素晴らしい味でしたね。
またソムリエの方にそれぞれの料理に合わせて美味しいワインを選択していただきました。ちなみに福田慶三先生はワインにはこだわりがあるのですが、満足してもらったと思います。
もし皆さんもご興味ありましたら是非食を楽しまれてきたらよろしいかと思います。
2009年07月07日
横浜院:阿部聖孝「同窓会」
先日、10数年ぶりに中学校の同窓会がありました。
前回会った時は40歳くらいでしたが、今回は50歳を超えての再会です。年月を経ますとどうしても外見上はミンナそれぞれ変わってしまいますが、性格とか話し方など基本的な部分はそのままです。
会の始まりの時には『あれ~、誰だったっけ?』とお互いを忘れていた友人とも、二言三言話をしていると当時一緒に遊んだりバカをやったりしたことが鮮明に思い出されてきて、本当に懐かしい思いをいたしました。
会場は母校である千早中学校(悲しい事ですが区立中学・高校の合併によって今は閉校となってしまいました:時代の流れを感じます)近くの池袋でしたが、男性13名女性14名そして担任の先生1名と、卒後36年たった今もこれだけの人数が集まりました。
一次会ではミンナ久々なので自己紹介と近況報告、その後二次会はカラオケで昔の歌(キャンディーズとか)を歌ったり、各先生方のモノマネなんかやったりしてチョットだけ中学生時代に戻りリフレッシュできました。
一次会で2年生の時に一緒のクラスだった小牧君に言われてしまいました。
『俺さぁ、ホームページの阿部のブログを時々見てるんだケド、阿部~、お前ここんとこブログ書くのサボってんだろー。』
(+o+) ギクッ! いやいや決してサボっていたわけではありませんが、『自分のブログはあまり反響が無いだろう。』と勝手に思ってしまって…、ついついおろそかになってしまいました、スミマセン。
取るに足らないワタクシのブログではございますが、それでも御覧頂いている方々がいらっしゃるということは大変有り難いことであり嬉しく思います。
モノ珍しさに御興味をお持ち頂ける少数派の皆さんへのメッセージとして、友人達との再会を機にまたブログの方を再開してまいりたいと思います。(小牧君、見てますかぁ?)
2009年07月02日
東京院:広比利次「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田に作った男はなぜ忘れ去られたのか」
ー世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田に作った男はなぜ忘れ去られたのかー岡田芳郎著(講談社)
本日は最近読んだ本の中で感銘を受けた本を紹介致します。まずはじめにこの本のタイトルの長さに眼がいきますね。タイトルは面白そうであり、書評でも好評であったため読んでみました。
主人公は佐藤久一で1930年、山形県酒田市に生まれました。父は酒田市議会議長を務めた久吉で、いわゆる両家の息子として生まれたわけで、その後20歳で映画館"グリーンハウス"の支配人となり、この小さな田舎町の映画館を東京に負けないような映画館に成長させていきます。
34歳で上京し、日生劇場に勤務するのですが、食堂課に配属され、自身の意思とは違いましたが、興味を持つようになりフランス料理の世界に引き込まれていきます。以降37歳時に酒田に戻り、"レストラン欅”、”ル・ポットフー”の支配人を務めたのですが、たゆまぬ努力により、自信を持って提供したフランス料理は客たち(東京からも多くの著名人がわざわざ足を運んだようです)の高い評価を受けるようになったのです。
晩年は体調を崩し、お酒におぼれて最期は1997年食道がんでこの世を去ることになります。さまざまな人との出会いがあり、持ち前のおもてなしのセンスを生かして名声を得た久一ですが、商売的には決して成功したとはいえませんでした。
一度読み始めると引き込まれるように読破できると思います。久一はすごく魅力的で優しい人間であり男としても惚れてしまう・・・・そんな主人公です。