2008年02月07日
大阪院:志賀由章「未成年の二重」
最近「三年B組金八先生」が放映されてます。マッチが出ているころからの金八ファンなので、毎週かかさず観ております。個人的には大将の将来を心配してます(笑)。この番組を観てて驚いたのは[三年B組裏サイト]の存在でした。三年B組の生徒が同じクラスの生徒の悪口を無記名で書くというネット上の掲示板です。これを知って考え込んでしまいました。
高校生以下の場合は未成年であることもあり母親(稀に父親)と来院することが多いです。「この子は毎朝アイプチに30分も時間をかけて遅刻して学校に行くので、もう二重にしてください」といったケースは、二重の幅についてや、腫れについて話してあげれば済むので物事はスムーズに進みます。
いろいろな方がいます。事前に親から電話がかかってくるケース「高野(仮名)といいます。今日、うちの娘がそちらにカウンセリングに行くので手術する必要ないって断ってくださいね!ガチャッ」こんなときは困ります。けど、普通通りに話して、「ご両親とよく話してくださいね。」と答えるしかありません。
カウンセリングから「私は反対なんですけどね」と親に宣言された場合は、お子さんのコンプレックスの深さを診察し、コンプレックスを持った子供の心の不健康についても話します。最後はやはり「よく話し合ってくださいね」と言うしかありませんね。
手術を受けることになっても、高校生以下の二重の手術はどんな一重でも基本的には埋没法を勧めます。多感期のころは気持ちの揺れも激しいので、カウンセリング時に希望通りの二重になっても、後に希望が変わる場合もあります。さらに難しいのは、キレイになると周囲の子が妬みますから、それが陰口になり、いじめにつながる可能性も秘めています。裏サイトに「最近、可奈ちゃんがキレイになった。整形らしいよ」なんて書かれたら可哀相、なんて考えてしまいます。そうなった時のためにも、戻すことができることを前提で埋没法で二重にして生活させます。「学校で誰にも言われなかったよ」とか、「今後取れるのが怖いので、今の位置でとれないように切開法でしてください」と本人から言うようになったら、切開法でとれない二重を作るようにしています。(そうなっても料金的に損をしないシステムになっております)。私は心配していろいろ考えてますけど、「いじめられたので取ってください」と言った子はひとりもいないのが現実です。
由美さん(高校2年生・仮名)の話です。お母さんと来院し、すんなりと今までのアイプチラインの幅で二重にしました。腫れもなく手術は終了。
ある日クリニックに遊びにきました。
私「どう?学校でからかわれなかった?」
由美さん「えー腫れへんかったし全然気づかれへんかったでー。けど由美なー、みんなに目細工で二重にしたと言ったから、クラスの子たちが目細工を買うてやってはるんやけど誰もなれへんねん(笑)。いまさら言えへんし、先生どうしたらいいと思う?」
「・・・・・・・・・・絶句(苦笑)」
今日も紗江さん(高校一年・仮名)の埋没法をしました。
私「金八先生で裏サイトの話題が出てたけど、そんなの実際にあるの?
紗江さん「普通にあるでー。もし自分のこと書かれても、そんなん無視やろー。かわいくなったほうが得やしー」
私「・・・・・・・・・つよいんだね(感心)」
私は考えすぎなのでしょうか・・・・・・・。
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2008年02月02日
大阪院:志賀由章「下眼瞼脱脂(クマ取り)or下眼瞼切開(シワ取り)」
今日はサザエさんに登場していただきましょう。
サザエさんは永遠の24歳です。長谷川町子さんが描きはじめて何十年も経っているのに全く老いません(羨ましい)。
フネさんは50歳。現代の50歳よりは若干老いてみえますが、まだまだ元気です。もし、サザエさんが年老いたらどうなってしまうのでしょう。
目の下にシワをいれて、鼻唇溝にシワを加えてイタズラしてみました。おお、年老いた感じになりましたね。これはフネさんじゃありませんよ。
下眼瞼部の相談は①下眼瞼にクマができて疲れたように見られる、と②下眼瞼にシワとタルミが増えて老いてみられる、といった二つに大別されます。
①の場合のクマというものは皮膚の色調のことではなく下眼瞼脂肪が落ちてきて(膨らんで)影となっていることをいいます。こうなった場合は膨らんできた部分を無くし、平坦にすれば影も無くなるので簡単に解決します(クマ取りとでも言うのでしょうか)。この手術は皮膚を切らずに瞼の裏の粘膜側よりリッツ独自の方法で、丁寧に出血させずに脂肪を除去しますから、皮膚に傷もなく腫れも最小限に済みます。ほとんどの方が翌日から出勤することが可能です。
しかし、下眼瞼のクマの上にシワが何本かある場合に、下眼瞼脂肪の膨らみをきれいに取ってしまうと、膨らみがしぼむことによってシワが増えてしまいますので、シワが増えないように除去する脂肪の量を調節します(このあたりは経験とセンスですね!)。これを私たちは下眼瞼減脂術といいます。
②の場合は下眼瞼縁を切らなければ治りません。下まつ毛の1~2mm下を切開し皮膚の下をはがします(剥離)します。充分に剥離したら(必要あらばついでに脂肪を除去)、おおよその皮膚の切除量を決定し仮止めします。仮止めした状態でベッドを起こし(手間がかかりますが、これが大切です)、下眼瞼が外反(いわゆるアカンベエ状態)しないように確認します(これも経験とセンスですね!)丁寧に皮膚を切除した後はきれいに縫合します。抜糸は一週間後になります。この手術は抜糸までまつ毛のような黒い糸が見えますから、ダウンタイムは一週間と考えてください。社会人で時間の取れない方は、片側ずつ眼帯をつけながら施術することも可能です。
クマの下にヒアルロン酸を注入して、一時的に隠そうとする治療法もありますが、基本的には間違いです。下まぶたの皮膚は薄くデリケートなので、ヒアルロン酸によってますます膨らんでしまいます。
はっきりとしたシワが1~2本であるならば一時的にヒアルロン酸を注入すればよいこともありますが、複数の深いシワの場合はヒアルロン酸で治療できるものではありません。こういった場合は余剰皮膚を切除しなければならないのです。
2008年02月01日
大阪院:志賀由章「アズキの独り言 2」
最近、先生は家に帰るとお酒を飲みながら
(時々ニヤニヤしながら) 楽しそうにブログを書いてます。あんなに筆不精だったのに小説まで書いてしまいそうな勢いです。目標は、医師で小説家の渡辺淳一らしいですよ(笑)。でも、2週間前までは寝るまでずっと遊んでくれたのに、ちょっと寂しいな。だから私のほうを向いてもらえるようにたくさんイタズラしちゃいました。マメさんを噛んで怒らせてみたり、トイレ以外の場所にウンチもしてやりました。今日はあまりにもうるさいのでごみ箱にいれられちゃいました。先生ごめんなさい。ちょっぴり寂しかっただけなんです。がんばってね。2008年01月30日
大阪院:志賀由章「鼻」
私が子供の頃の正月に、ふくわらいという遊びをしたことがあります(古すぎ!)。二つの眉と目と鼻、口のパーツを目隠しした状態で輪郭のスペースの中に並べて遊ぶのですが、少しでもバランスを崩すと、おもしろい顔になってしまうので、それを笑う遊びです。顔はバランスなんですね。どんなにきれいな女優さんでも、顔のパーツをばらばらにして並び変えたら、おかしな顔になるはずです。
私は患者さんに常々、かわいい顔といわれている人は「輪郭は小さく、目は大きく、鼻は小さくすっきりとですよ」と、言っております。大きな目に小さな鼻ならば良いのですが、小さな目に大きな鼻(たとえクレオパトラの鼻でも)ではバランスが悪いですよね。
私の得意な手術のひとつに鼻尖縮小があります。まず鼻尖部の組織を取り除きvolumeを落とします(これだけでも随分スッキリします)。次に左右の二枚の鼻翼軟骨を切除し、寄せることによって鼻尖部をより細く仕上げます。体にもくびれ(ウェスト)があるとメリハリがあって美しく見えるように、鼻尖部の丸い方はこの手術をすることにより「鼻のくびれ」ができ、スッキリと美しい印象になります。こうなったらプロテーゼを挿入していただいてももまったく問題ありません。 この手術で強い腫れはなく、鼻孔部(鼻の穴の中)からすることが可能となりました。(詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:鼻尖縮小の項をご覧ください)
2008年01月29日
大阪院:志賀由章「おやすみなさい」
明日から4日間毎日輪郭形成(エラ削り、アゴ削り)です。
エラ、アゴ削りは出血も少なく、リスクがほとんど無い手術なので、エラ削りがある日は朝から緊張しつつもワクワクしてます。しかし集中力は必要ですから風邪をひいたり、寝不足は避けなければいけません。前の晩は禁酒して早めに寝るようにしてます。
エラ削りの相談にいらっしゃる女性でショートヘアの方は皆無です。皆さん、普段から輪郭を見られたくないのか髪で隠しているのです。驚いたのは髪を頬に糊(ソックタッチ)で貼りつけ、風邪が吹いても見られたくない、といった方でした。輪郭のコンプレックスの深さがわかります。そんな方が一ヶ月後の検診のときに表情が明るくなり、輪郭のはっきり見えるポニーテールになって感謝の言葉を頂いたときこそ、医師冥利につきる瞬間です。今回の方たちは、悩みの深さ、希望はそれぞれですが、カウンセリングの時のシミュレーションどおりに必ずなります。その日を楽しみに来院してください。皆さんも風邪をひかないように注意してくださいね。
大阪院:志賀由章「フラガール」
私の趣味のひとつに映画鑑賞があります。 好きな映画はたくさんありますが、このところの最高傑作は、私の生まれ故郷を題材にした「フラガール」です。蒼井優さんの熱演もさることながらジェイク・シマブクロさんのBGM♪も最高で、いわき市の人間には涙なくして観られる映画ではありません。(私だけ?)
昭和40年、常磐炭鉱では石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、多くの炭鉱夫が石炭を掘って生活しておりました。私が小学生の頃は、教室の暖房も石炭のストーブでした。そのうち石油が出現したため日本全国での石炭の需要は減り、教室のストーブも石油ストーブに変わりました。煙をもくもく吐いてガッシュ!ガッシュ!と走っていた蒸気機関車(気車)も廃車となり、今でも公園に寂しそうに展示されております。その後、鉄道は軽油で走るディーゼル車に変わっていきました。炭鉱はこの時代の流れに逆らうことはできず、炭鉱夫のリストラが始まりました。そこで温泉を利用し、元炭鉱夫やその子供たちを再雇用して常磐炭鉱を再生しようとして誕生したのが常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)です。[フラガール]鑑賞希望の方には無料でDVDをレンタルします。
地元の人しか知らない話です。石炭を掘るには大量の温泉が噴出するのですが、それを川に流していたので川の温度は常にぬるま湯状態で、冬は湯気がたっていました(信じられないでしょ)。その川へ熱帯魚のグッピーを誰かが逃がしたのでグッピーが大繁殖していました。ですから他の地域の子供たちがめだかとりをしているころ、私たちはグッピーをとっていたのです。しかし、閉山とともに川の水温は下がり、グッピーたちもどこかへ行ってしまいました。
2008年01月28日
大阪院:志賀由章「梅干し」
私は独身生活が長かったせいか、料理が得意になりました。医学生のころは居酒屋に行くお金がなかったので、お酒を飲むときは友人を家に呼んで材料費をワリカンして飲んでました。もちろん私がシェフです。今でも週末は友人を呼んで私が料理して振舞っております。女性の料理のように凝ったきれいなものは作れませんが、とんかつ、から揚げ、酢豚に八宝菜にチャーハン、カレーにハンバーグ、角煮に手羽先(名古屋風)、鍋などなど、酒屋でおいしいと思ったものを、いろいろな調味料を化学実験のように混ぜ合わせて作っております。包丁も調理前には必ず砥石で研いで、切れ味を楽しみつつ作るのです。またこれがストレス解消にもなるのです。
関西に来てはじめて作ったのは、なんと梅干しでした。 和歌山の白浜温泉に行った帰りに、なんとなく紀州梅干し館に立ちよりました。そこで見たのは江戸時代に作られたという、塩をたくさん吹いた乾いた梅干しでした。これを見て、日本文化の保存食の素晴らしさに感動してしまいました。こうなったら猪年である私の行動は猪突猛進です。梅干しの漬け方の本を熟読し、塩分が14%あれば腐らないという科学的裏付けを知りました。本当はハチミツ漬(塩分8%)を作りたかったのですが、素人は塩分の少ない梅干しを作るとカビを発生させ全滅させるため14%で作ること、と書いてあったので、私は化学の実験のようにコツコツと作りはじめました。梅干し作りは感動がたくさんあります。南高梅の香りは桃と同じ強い甘い香りで、部屋中にいい香りがたちこめます。1kgに対し140g(14%)の塩をちりばめ、重しをすると、一晩で少しピンクがかった透き通った液が梅から溢れでてきます(梅酢といいます)。 何日間かは待ち遠しいのですが、カビをチェックしながらじっと待つことも大切です。赤梅干しを作るときはシソの葉を塩もみして投入するのですすが、投入直後より渋そうな紫の葉っぱから美しい真っ赤な色が染み出してきます(WOW!)。この色が梅にしみこんだころに天日干しをして梅干しが完成するのです。これを10kgずつ3年間やったものですから、今、家には人生分の梅干しがあります。 少しずつ友人にあげて随分減ったのですが、まだまだ場所をとって困ってます。ついでに梅酒まで大量に作りすぎ、まだまだ減りません。誰かもらってくださいませんか?私は作りたかっただけなんです(笑)
2008年01月27日
大阪院:志賀由章「大阪府知事選挙」
今日は大阪府知事選挙です。私は大阪生まれではなく1年前に兵庫県から引っ越してきたばかりなので、なんとなくなじめないのですが、良い大阪になって欲しい気持ちをこめて投票してきました。不思議なんですけど投票所ではものすごく緊張して、投票後はものすごい達成感を感じるんです。
小学6年生のとき、生徒会副会長に立候補したことがあります。そのときの生徒会長の有力候補は学年一のアイドルTさんでした。私も本当は生徒会長になりたかったのだけど、Tさんが生徒会長に立候補するのを知って副会長に変更したのです(ズルいよね)。そのおかげでTさんも私も当選し、他校との交流会や生徒会活動を一年間一緒に行動できて楽しい思い出となりました。小学生の小さな選挙でしたけど、投票日はドキドキしたことを覚えております。
2008年01月25日
大阪院:志賀由章「今年の運勢」
さあ2007年も終わりだ!2008年は今年以上にがんばるぞー!
2007年12月31日、信心深い私は紅白歌合戦とK1を交互に忙しく見た後、一緒に年越しした友人達と近所の神社に初詣に行きました。除夜の鐘の音を聞きながら、[神様、今年も健康に生きることができました。来年もリッツ美容外科の繁栄をよろしくお願いします。それと田舎の両親、兄夫婦の健康と甥の受験合格をよろしくお願いいたします。]と1000円のお賽銭の割にはたくさん祈りました。
さて次はおみくじです。大吉では調子良すぎるから吉でいいや。さーてなんだろうワクワク・・・・・・・・・・・ビリッ・・・・・・・・・・・うそお!!凶!今日!京!凶っ!!!!!!!!!!!ガーン
皆、「凶は少ないから逆に縁起がいいんだよ!」などと慰めてくれるけど、同じく少ないものなら大吉がよかった。ぶつぶつ・・・(涙)。帰り道は肩をがっくり落とし、おみくじなんて関係ないや!と自分を慰めながら帰りました。
それから一週間後の出来事です。信心深い私は、毎月1日の朝にはクリニックの近所の神社でクリニックの繁栄を祈りに行っております。正月は初詣です。神前に案内された私は姿勢を正して座りました。巫女さんがジャランジャランと私の頭の上で鈴を鳴らし、祝詞がはじまりました。神主さんが渋い通った声で「こーこーにおられーるーリッツ美容ー外科のー志賀由章のー」私も頭の中を真っ白にし、徳をたくさん受けられるように全身を集中しておりました。
そのときでした・・・・・・・・・・・・・・・・プツン・・・・・・・・・・・・・停電です。真っ暗です。・・・・・・・・「マジ!かよ!」。すぐに電気はつきましたが、神主さんは動揺することなく祝詞を唱え続けておりました。私の頭の中は、あの凶のおみくじで一杯になりました。はぁぁー。
それでもなお信心深い私は(大阪名物)十日えびすに行きました。屋台がたくさん出ていてとてもにぎやかです。不況だというのに頭の上をお賽銭がとびかっていました。「年のはじめの♪えべっさん♪商売繁盛♪笹持って来い!商売繁盛♪笹持って来い!」というエイトビートの音色に心地よくのせられ、お賽銭をはずみ、かわいらしい巫女さんにいろいろなお飾りを笹につけていただきました。帰り道はおみくじ売り場を見ないように避けて通ったのは言うまでもありません。(笑)
追伸です。少ない凶をひいたおかげで新年からクリニックは順調で、甥は高校に合格しました。
2008年01月23日
大阪院:志賀由章「バスト(リッツ式バストサイズ決定法)」
私がバストのカウンセリングをするときにはたくさん質問します。バストの手術ほど希望や考え方、美的感覚が多種にわたるものはないからです。
リッツ美容外科で開発、使用されているプリンセスバッグは、現存しているバッグの中では最もやわらかく、どんな体型の方にも最高の感触を得ることができるものです。また、挿入する層も筋膜下であるために、乳腺下法よりも自然な感じでできあがります。プリンセスバッグが従来のものと違う点は、イラストのようにバストのたちあがりの部分がスムースなので、痩せた方でも自然なバストラインを作ることができること、バストの下の縁がないように作られているので、バストを下から持ち上げるように触った時に、バッグの縁を触れないことです。
次にバストのボリュームを測らせていただきます(下着のサイズというものはあてにならないのです。)私は標準的な女性のワンカップを、ほぼ100ccに設定しております。つまり、バストサイズが100ccでしたらAカップの大きい部類かBカップの小さい部類になるわけです。Dカップのバストでしたら300-400ccの方を指しますから、100ccのAカップのバストの方がDカップにしたい場合は、200-300ccのバッグを挿入すればよい計算になります。
いろいろな要望が多く、それぞれの方の希望を叶え満足させるのには大変なもんなんですよ。
そういった、さまざまな希望を伺った後に硬膜外麻酔を(無痛分娩などで使われる麻酔です)バストの位置にかけて手術中に確認していただきます。硬膜外麻酔の説明をすると、他院で「硬膜外麻酔は危険だからやめたほうがいい」などと言われたという方に会いますが、多分そのクリニックでは硬膜外麻酔の経験が少ないから言っているのでしょう。私は外科、麻酔科を通じて1000例以上の硬膜外麻酔の経験があるので、ご安心ください。満足度を高め、手術中の痛みを無くすには絶対に必要な麻酔です。
さらに術後のフォローとして超音波による無痛マッサージ、他院のバスト入れ替えの方には、拘縮予防のための内服薬も用意しております。
最後に、忘れられない症例を、いくつか紹介します。
34歳女性。カウンセリング中に泣きながら、ご主人が浮気をした。さらに浮気現場を発見した。相手はバストの大きい若い女性。もともとバストが小さいのでバストにはコンプレックスを持っていた。今回の浮気はバストの小さいことが原因だった、と。考えすぎかもしれませんよ、と説明しても手術を希望。サイズはBをDへ。結果は大満足。三ヶ月の検診時、「先生、ありがとうがざいました。主人とは離婚することになりましたが、これからはバストに対するコンプレックスを持たずに、次の恋にチャレンジできそうです。」
28歳女性。バレリーナ。他院でバストアップ(大胸筋下、生理食塩水)を10年前にしたが、拘縮がきつく、さらに痩せているので不自然な形。レオタードを着ても皆に好奇な目でみられる。しかし、バストアップするとレオタードを着たときに知られてしまうので、サイズは50mlアップ程度で。結果は大満足。「人の目を気にせずに思い切り踊れるようになりました。一流をめざしてがんばります」
18歳女性。芸能界希望。とてもかわいらしく、均整のとれたスタイルであったが、いつも水着のオーディションで落選が続いていた。プロダクションの意向でAカップをDカップに(マネージャーが手術中にサイズを決定してました)。結果には大満足。オーディションに合格したらしく、TVCMでよく拝見するようになりました。
皆さん、ご活躍を祈っております。
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2008年01月22日
大阪院:志賀由章「眼瞼下垂の手術について」
神様は私にも自慢できるパーツを与えてくれました。それは目です。患者さんに「先生のような目にして」といわれることがしばしばありまして、心のなかで「神様ありがとう」と手を合わせています。今でこそ私も48歳になってしまいましたが、生まれつき茶色い瞳だったので若いころには「あなたの透き通った瞳がステキ!」などといわれたこともあります。(嘘)(恥)
[目は口ほどに物を言う]という言葉があるように、顔の中で目は一番のチャームポイントとなりますし、一番のコンプレックスにもなる可能性のあるパーツです。自分の好きなタレントさんを思い出してみてください。必ず目の印象は頭に思い浮かびますよね。
目が大きくてお人形さんのような目の代表は浜崎あゆみ(以後 あゆ)さんですね。(私も初めてあゆの写真を見たときはお人形さんだと思いました)。今でもカウンセリングのときに、ハンドバックからあゆの写真集を出して、「あゆのような目になりたい」と言う女性によく出会います。しかし、そういう患者さんのほとんどはあゆの二重の幅を作りたがるのですが、はっきりとした存在感のある魅力的なあゆの目は二重の幅だけではなく瞳の大きさにもあるのです。
まず、イラストBとCを比較してみてください。二重の幅はBのほうが広いのですが、二重幅の狭いCのほうがパッチリしてますよね。これで、二重幅が大きいほどパッチリするわけではないということがわかると思います。当院にいらっしゃる患者さんのほとんどの方がAの状態に近いのですが、患者さんに二重のシミュレーションをしてみると、必ずしもCやDになれるわけではなくBの状態になってしまう場合をよく見かけます。このように二重にしても瞳がかぶっている状態を眼瞼下垂といいます。(瞳の中央まで皮膚がかぶっているものを重度な眼瞼下垂、その前段階を軽度の眼瞼下垂)。こういった眼瞼下垂の方に二重の手術をすると、二重の幅はあゆと同じになるのですが、眠そうな印象(イラストB)になってしまうのです。クリニックにいらっしゃる患者さんで「他院で二重にしてみたのですが、あゆにならないんです。それどころか眠そうに見られるんです。」というケースのほとんどはイラストBのような、軽度の眼瞼下垂なのに二重の手術を受けてしまったからなのです。
BをCやDの状態にする手術を眼瞼下垂(挙筋短縮術)の手術といいます。重度の場合は皮膚側から行いますが、軽度の場合は皮膚を切らずに結膜側(瞼の裏側)から腫れを少なく手術することを可能にしました(瞳拡大術)。
その代表的 な症例の手術前後、経過についての体験談を参考にしてください。
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2008年01月21日
大阪院:志賀由章「アズキの独り言」
うちの先生はペットが大好きなようで、小さいころからいろいろなペットを飼っていたようです。大阪には友達が少ないのかな?かわいそう(笑)。
あ、自己紹介がおくれまして失礼いたしました。私、昨年の11月から志賀家の新しい家族となった豆柴犬の小豆(アズキ・女の子0歳)といいます。私は先生がリッツ美容外科を開業したころから同居している豆柴犬の豆(マメ・男7歳)の嫁としてまいりました。まだ生まれて5か月の仔犬ですから、仔犬を産むことはまだまだできませんが、マメさんとうまくおつきあいができるようになったら寂しがりやの先生のために家族を増やしてあげたいと考えております。ときどきブログにも参加させていただきますので今後共よろしくおねがいします。
先生は家でお酒を飲んで酔った後でも手術のことを考えているようです。先日、マメさんの顔をじっと見て何事か話しかけていました。犬の世界の7歳は人間の年齢に換算すれば50歳くらいですから、先生とマメさんは同じ位の年頃なんです。
先生「マメ、お前の顔は老けないなあ。俺は40歳過ぎたくらいから、目の下には脂肪がたまり、下顎は二重アゴになり、鼻唇溝は深くなっていくのに、なぜお前は老けないんだよ。」
マメ「クゥーン」
先生「目もパッチリしているしなあ。そうか!犬には二重になる皮膚がないから垂れないし、鼻唇溝がないから老けないんだ!それに顔中毛だらけだからシワがみえないんだな!なるほど!いいなあ。」
マメ「ワンワン」
そして酔った先生とマメさんは幸せそうにおやすみになりました。
2008年01月20日
大阪院:志賀由章「輪郭についての思い出」
私が中学生の頃の忘れられない体験談です。美術の授業中でした。
先生「今日は人物画の勉強をしまーす。モデルになってくれる方はいますかー」
生徒「・・・・・・・」
先生「では、今日の日直の鈴木くん(仮名)前にでてください。皆さんいいですか。人物を書くときにはバランスがありますか ら、頭の大きさを鉛筆をこのように持って測りまーす。そういったものを~頭身といいます。さて鈴木くんは何頭身ですか?では志賀くん。」
私「6頭身です」
先生「そうですね。日本人は平均的に6頭身くらいといわれてますから、鈴木くんは平均的ですね。じゃあ次に佐藤さん(仮名)前に出て。さて皆さん何頭身ですかー。」
生徒「5頭身くらい!頭でけー!」
私 ドキッ!!!!
先生「それは大袈裟ですよ。大体5、5頭身くらいですね。さあデッサンをはじめましょう。」
といったことがありました。スタイルが悪かった私は、頭の大きさが原因であることに気がつきはじめていたので、その授業中に指されるのが恐くて、終了のチャイムがなるのをじっと下を向いて待っていた記憶があります。さらにその晩の夢です。また美術の授業中でした。
先生「次は志賀君、前にでてください。皆さん、何頭身ですかー」
生徒「うわあスゲー!!!2頭身だあ!!!ドラえもんみたい!!!」
生徒全員「ドラえもん!!ドラえもん!!ドラえもん!!」
私「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涙」
それから20年経ったある晩。
大好きな森田医師(実名)など仲間との飲んでいる席での会話
志賀「カールルイスってスタイルがいいですよねー。身長が180cm以上もあるのに、あの頭が小ささというのも早く走るために有利なんでしょうか?」
森田「そうだなあ(酔)。お前は頭がでかいから、走るのが遅いだろう(酔)それに志賀の頭のでかさだったら身長が190cmあってもいいんじゃねえか(酔)」
私・全員「大爆笑・・・・・・・・・一時間余り・・・・」
もう48歳の私は、自分のスタイルの悪さを(大阪風にいえば)持ち(自虐)ネタにできるようにして乗り越えることができましたが、恰好を気にする若い方たちがコンプレックスを乗り切るには何十年とかかってしまいますし、楽しい時期を逃してしまいますよね。リッツ美容外科では、改良に改良を重ね、医療技術がかなり進歩しましたから任せていただければ心配無用です。ですから、そんなコンプレックスを持っていた私は輪郭の相談がくると一段と燃えるのです。頬骨削り、エラ削り、アゴ削り、さらに私が改良した輪郭全周削り(小顔の手術)のデザインと手術は誰にも負けない情熱と自信があります。
(詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:輪郭(フェイスライン)の項をご覧下さい)
一度、来院して話を聞いていただければ、納得できると思います。実はエラがはっている、アゴが出ている思っているコンプレックスが間違っていることも多いということに気が付いて頂けると思います。
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2008年01月19日
大阪院:志賀由章「自己紹介」
はじめまして。
大阪院院長の志賀由章です。
私は幼少時より文章を書くのが苦手なので他人まかせにしていることが多かったのですが、自分を知ってもらうにはブログが必要とされている現代、重い腰をあげて書いてみることにしました。
まず、自己紹介からいたします。昭和34年に福島県いわき市の開業医(外科・整形外科)の次男として生まれました。映画「三丁目の夕日」のようなセピア色の時代です。.スポーツが得意で、市内の野球大会では活躍しておりました。一方、子供のころから細かい作業が大好きで、油絵を書いたり、書道(三段)、ピアノを弾いたり、機械部に入部して自分でおもちゃを作って遊んでおりました。そのころの夢はプロ野球の選手、阪神タイガースに入団することでした。(今でも岡田監督が勧誘にくる夢を見ます)。しかし体格的にスポーツは無理であることがわかり、尊敬する父の職業でもある医師の道を選択することになったのです。
大学(東京慈恵会医科大学)に入学してからは、とりあえず勉強から開放された喜びから、テニスやサーフィン、憧れていたバイクを購入し、ツーリングに明け暮れる毎日でした。今考えればあの頃が、人生で一番楽しかったピークだったようです。大学の授業では形成外科と産科(出産、不妊治療)が好きでした。形成外科の中ではマイクロサージャリーの精密さに感動したのを記憶しております。産科で出産に立ち会った時の感動は今でも記憶に鮮明に残っております。しかし、最終的に選択したのは外科になってしまいました。
私たちの時代の研修医制度は医師免許を取得すると外科系に進む医師は外科系の科を研修して回る事になります。私は麻酔科と産婦人科、形成外科、外科を選択しました。心の中では形成外科と決めていたのですが、外科の研修中に羽生先生という素晴らしい師に出会ってしまいました。その先生は患者さんからは大変に信頼され、他科の医師、看護師からも尊敬され、さらに研究も人一倍熱心で、さらに研修医である私たちの話もよく聞いてくれました。朝から何時間もの手術をして疲れているのに、その後外来、病棟での回診を嫌な顔など一切せずに、土日もなく夜遅くまで働くのです。そんな姿を見て私の中に[こんな医師になりたい]願望が湧いてしまったのです。友人に進路を相談すると、外科医になって全身管理、救急処置、胃癌や乳癌の手術を学んでからでも美容外科をするのは遅くないのではないか、と言われ、10年間は外科医として勉強することとなったのです。現在でも羽生先生にはまだまだ及びませんが、人の話をよく聞く姿勢、時間を問わずに患者さんが求めるならば働き続けることはそこから学びました。その後、羽生先生とそのスタッフの協力を受け、胃の幽門輪について研究し、医学博士までも取得させていただきました。しかし外科医となってからは大変で、癌と立ち向かう患者さん、家族の喜びや悲しみ、救急外来での予測されない事故、そして突然の死はどんなに経験のある外科医でも自分の無力さに葛藤した経験があると思います。
癌に侵された場合、早期癌で発見され根治されるケースもありますが、進行癌で見つかる方も多いのです。進行癌で見つけられている方は、症状があっても仕事に追われていたので、こうなるまで我慢していたといったことをよく聞いてました。その頃考えていたのは、癌の手術を学ぶことも必要だけど、癌にならないように早期発見すれば良いじゃないか、という単純な発想でした。内視鏡や画像診断つまり予防医療です。そう考え開業することを決心し、いろいろなクリニックの見学をしていました。予防医療のクリニックといいましても外来での小手術程度はするつもりでしたので、その技術を学ぶために美容外科にも見学に行きました。そこで見たものはコンプレックスを心の奥深く持って悩み苦しんでいる方がこんなに多く、コンプレックスから開放されたときの患者さんの大変な喜びよう・・・それが私には新鮮でした。と同時に自分に向いている仕事であることを感じ取ったのです。
それからリッツ美容外科を開業するまではあっという間でした。大手美容外科で外科医の傍ら5年間修行したのちに大阪院院長となり、そこで院長を3年間勤めた頃に東京院院長の広比先生と知りあい意気投合し、リッツ美容外科をたちあげたのです。
以上、簡単ですが、自分の自己紹介です。文章は下手ですが、これからも治療のこと、プライベートなことを書かせていただきますのでお付き合いください。