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2009年09月29日
研修医シリーズ 藤井君、腹ぐらい触りたまえ!?
今回のお話は、1年目の内科研修医、藤井(たぶん仮名)先生を中心としたお話です。
藤井先生は、私と同い年です。教師を目指し、教育学部に入学した後、医師を志し、猛勉強の末、見事国立大医学部に入学を果たした、たいへんな努力家です。
体格もよく、お酒も好きで、性格も明るく、少し抜けたところもありましたが、決して悪い人ではありません。
ただ、医師になったときには、かなり年を食っていたのと、少し自己中もしくはKYの性格も災いしてか、先輩の内科医から、煙たがられ、ろくに指導もしてもらえず、放し飼い状態で、研修を送っていました。
私とは、年が同じだったのと、家も近かったので、公私とも仲良くしていました。
IVHの挿入や、大腸内視鏡などは、私が教えてあげました。
ただ、私の出身大学と、藤井先生の大学の関係は、老舗大学と、新設医大。あまり仲が良いとはいえません。このときも、外科の医師が、内科の研修医を指導することを、内科部長は快く思っては、いませんでした。
ある日、藤井先生の受け持ちの患者さんが、口から食事を取れなくなりました。この患者に、PEG(胃カメラを使って、お腹から直接胃に管を留置し、ここから、流動食を胃に流し込む処置)をしたいが、自分はやったことがないので、森多先生、手伝ってくださいよと、頼まれました。
私は、快く承知し、術前の処置、当日の手順、用意するもの、関係部署への連絡など、教えてあげました。当日も、指導してやることを約束してしまいました。ついうっかりと。
PEGの当日、私は、この患者は内科の患者なので、自分はあくまでも、オブザーバーのつもりでした。内視鏡処置室にも、少し遅れて到着しました。 しかし、そこには、なぜだか多くのギャラリー。部屋に張り詰めた異様な緊張感、部屋の中央のベッドの上には、PEGを受ける患者さん、その両脇には、青筋を立てた内科部長と、凍り付いてしまった藤井先生が、向かい合っていました。
みんなの視線が、遅れて到着した私に注がれました。内科部長が私に向かって言い放ちました。
「胃はあるんだろうな?」
なんだと?いかに医師としては大先輩とはいえ、他の医局の医師に向かって、なんとぞんざいな態度だ。ムカッときましたが、目をやった壁のホワイトボードには、『執刀医(森多Dr)』の文字。しまった。はめられた。
実は、藤井先生は、内科のだれにも相談せず、(できなかったのでしょう)処置の予約を入れていました。私も、当然、内科の先輩医師がこの処置を行うものだと、考えていました。しかし、この処置の責任者は私になっていました。
内科部長は、内視鏡室のナースからこの情報を聞きつけていました。この患者が、胃を切り取る手術を受けていたことも知っていました。
この時、初めてこの患者さんを診ました。お腹には、縦に伸びる大きな傷跡。
藤井先生は、こんな単純な診察(患者のお腹を触る)もしない、要するに基本ができていない医師でした。(かつての私以下の状態)
少し冷静さを取り戻した内科部長は私に問いました。
「この傷は、胃を切除した傷ですよね?(外科医ならわかるだろ!)」
「ええ、胆石の手術ではありません。間違いなく胃切除です。」
「胃がなきゃ、PEGはできんだろう?」
こう言って、内科部長は、うすら笑いを浮かべながら、内視鏡室を後にしました。私は、彼の背中に向かい、こう言いました。
「有るか無いか、見てみないと、先には進みませんよ。」
「さあ、藤井先生!はじめるぞ!」まずは、フリーズしてしまった、藤井先生を融かしました。
最初に私が、胃カメラを入れました。幸いに、胃は1/3が残っていました。
「よし、いけるぞ!」
藤井先生にバトンタッチをし、よしそこだ、針を刺せ、引っ張れ、よーし、思い切って引き抜け!などと指示を出しながら、無事、PEGは成功しました。
ギャラリーから、拍手が起こりました。
藤井先生も、達成感で満ち溢れた表情でした。
「PEGが完成し、使えるようになるまでは、1週間だ。毎日、観察するんだぞ!」
「森多先生!ありがとうございました。!」
医局に引き上げる廊下で、私は、自分の研修医1年目の出来事を思い出していました。
まるで、勝ち名乗りを受け、花道を下がる高見盛のように、ふんぞり返って、私の先を歩く藤井先生の背中をたたき、
「藤井君、患者の腹ぐらい、触りたまえ!」
と、心の中で言いたい気分でした。
その後、藤井先生がどうなったかは、まったくわかりません。
『技術は、伝承されるものです。』
大学の卒後、2~3年で美容外科になり、そのまま開業した医師などに、
名医などいるはずはなく、・・・・ いらんことを言いました。
投稿者 morita1967 : 15:27 | コメント (1)
東京湾にて
学会に参加した翌日、東京湾、釣り船デビューを果たしました。
実は私、最近「釣り同好会」なるものを結成しています。メンバーは他に、天空橋在住の N先生、船橋在住の F君、海なし県育ち、海釣りはずぶの素人 I君です。
広島にいたころは、小さな船を、家族でチャーターして、よく舟釣りに出かけていました。
羽田の多摩川河口にある、釣り船屋「かめだや」さんの乗合船で、総勢10名ほどで出航しました。
沖に出てみると、東京湾は、地図で見るより、はるかに大きいなあ、と実感しました。
波も、思っていたよりは荒く、連れて行った私の子供は、かわいそうに、グロッキーでした。
ねらいは、初心者には最適の、シロギスです。
初心者でも簡単に釣れて、食べてもおいしい魚です。
型は小ぶりでしたが、みんなピチピチしていました。
28匹つれましたが、同乗したベテラン釣り師によると、こんなに釣れない日も珍しいとのこと。
シロギスは、なんと言っても天ぷら。釣りたてなので、文句なくおいしかったです。
ちなみに、私は、家事は一切協力しません。《反省》
投稿者 morita1967 : 15:26 | コメント (0)
第32回日本美容外科学会に参加して
9月の25・26日の両日、横浜で行われました、第32回日本美容外科学会に参加してきました。
実は、日本美容外科学会と名乗る学会は、2つあり、今回の学会は、大学の形成外科の先生方が中心となった、ちょっと硬い雰囲気のある学会です。
普段は、学会員でないと参加できないのですが、今回は、会長の特別許可をいただき、参加しました。
たいへん、内容の濃い学会で、2日間、朝から晩まで、みっちりと勉強してきました。
脂肪注入による、豊胸術では、術後にしこりや、石灰化が起きないようにする予防法が議論されましたが、
ジャパン美容外科で普段行っている、
①先端が鈍なカニューレを使い
②少量ずつ、皮下、乳腺下、大胸筋の内部、および周囲に分けて注入し
③乳腺には絶対に注入しない
と言う方法が、スタンダードな方法であることを、再認識しました。
注入した脂肪の生着率をあげるために、脂肪幹細胞を混ぜる方法がありますが、
現在では設備に数千万円の費用がかかり、高額の治療費となっています。
福岡大太郎先生の発表では、このような高額の設備や、技術者を必要とせずに、
脂肪肝細胞を採取し、その中に含まれる、各種の成長因子を抽出することも可能となるそうです。
これが当院でも可能となれば、脂肪幹細胞移植が、
当院の代名詞でもある「良心的な価格」で提供できる日が、近いうちに実現するかもしれません。
今後の課題です。
そのほか、面白かった話題としては、
鼻先のボリュームアップに関しての議論でした。
やはり、この部分のボリュームアップには、自身の軟骨などの生体材料を使用することが基本であり、
トラブルが必発のL字型プロテーゼなどは、すっかり過去のもの、と言った認識も、わが意を得たりと言った感でした。
次に、乳房インプラント(豊胸バッグ)挿入の部位に関しての議論です。
なんと、会場にいらっしゃった先生方の、ほぼ9割の先生が、
わきからよりも、乳房下からのほうが、安全で、確実で、しかも傷がキレイに治る。
と、お考えでした。
この件に関しては、2つの学会は、意見が真っ二つに割れていますね。
実は、私も、乳房下からがベターだと考えています。
以上、とても有意義な学会の報告でした。
次に、久しぶりの ムシ シリーズです。
今回は、珍しい、アルビノのクモです。
私には、赤いパンツをはいた、赤ちゃんに見えます。《断言》
よ~く見ると・・・見えない?・・・無理か 《涙》
投稿者 morita1967 : 15:25 | コメント (0)
2009年09月23日
研修医シリーズ 『森多君、腹ぐらい触りたまえ!!』
今回のお話は、私の研修医、一年目に経験した、失敗談です。
この経験から得られた教訓は、いかに、ルーティン・ワークが大切か、と言うことです。
人はえてして、忙しいときや、他に気をとられているときに、普段はきちんと行っている手順を、無意識のうちに、省略してしまうことがあります。
たとえ、一つ一つは、小さなミスでも、それらが偶然に重なったときに、重大な事故につながります。
外科の研修期間は、ご存知のように、超多忙です。
毎日の業務を終えた後に、標本整理、カルテ整理、次の日の準備、指導医から出される宿題のための勉強などをします。
午後10時より早く帰宅できることはまれで、週に2~3日は、当直もこなします。
そんな生活に忙殺されていたある日、この患者さんは、午後の外来時間の、終了間際に、来院されました。
通常、初診の患者を、一年目の研修医が診察することはありません。
この日は、既に、外来は一旦終了し、担当の医師が、帰宅の準備に入っていました。
こういったときに、一番下の医師が、都合よく呼び出されるのは、よくあることでした。
この患者さんは、背筋をピンと伸ばし、かくしゃくとした老人で、とても重症の患者さんには見えませんでした。
実は、この老人は、20年前に、この病院で、胃切除の手術を受けていたのですが、帰宅を急いだ事務員が、以前のカルテを探してくる作業を怠り、同様に、問診をしたナースも、この老人の、一見、軽症に見える態度にだまされ、問診を簡単に済ませてしまいました。
机の上には、新品のカルテと、腹痛の項目に丸が付いただけの、問診表が置かれていました。
とりあえず、症状を聞くと、食事がつかえる、とのことでした。
私もついうっかりしてしまい、目の前の患者を、ろくに診察もせず、
「それでは、一度、胃カメラの検査をしましょう。それから、血液検査も。今日は胃薬を出しておきますから、今日はお帰りになって結構ですよ。」と、この老人を帰宅させてしまいました。
このときの、研修医の心境としては、「どうせ、胃カメラに来院するから、そのときの担当の先輩医師に、任せたほうが、この患者のためにも、良い判断をした。」といった感じでしょうか。
翌日、検査室から連絡が入りました。
「昨日の、最後の患者さんですが、通常は2桁の主要マーカーが、6500もあります。」とのことでした。
私は、すぐに、ただ事ではないことに気がつき、「しまった。」と思いました。その日のうちに、老人と連絡を取り、すぐに入院してもらうことにしました。
数日後、いつもの生活に忙殺され、この事件のことは、すっかり忘れてしまっていた私に、ナースから連絡が入りました。
病棟を回診中だった、この病院の院長から、すぐに来いと、呼び出しがかかっている。とのことでした。
何だろうと、あれこれ考えながら、院長が回診中の病室に駆けつけました。
病室のベッドの上には、その朝入院した、あの老人が、数日前とは、全く違う、憔悴しきった様子で、力なく横たわっていました。右手を、だるそうに上げ、私に挨拶をしました。
院長の手元には、20年前のカルテも、きちんと用意されていました。
「見たまえ、森多君。」 院長は、老人のお腹を指差しました。
そこには、胃切除のときにできた大きな傷と、みぞおちに、見ただけで分かる、握りこぶし大の、見るからに硬そうなしこりがありました。
実は、この老人は、自分の体の変調が、ただ事ではなく、死期が近いことも、既に自覚していました。
残された時間を、普段どおりの生活をしながら過ごし、最期も自宅で迎えたいと、そう考えていました。
「病院に行くと、そのまま入院となり、帰宅できないまま、病室で最期を迎えるのはいやだ。」そう考えて、何事もないように、痛みを我慢しながら生活し、受診せずにいたのでした。
あの日は、かなり以前から、老人の体の異変に気が付いていた家族が、無理やり連れてきたのでした。
院長は、怒っていました。
「君は、お腹が痛いといってきた患者を、ろくに診察もしないで、胃薬だけ渡して帰し、胃のない患者に、胃カメラをしようとしたのか?」
「あのまんま帰して、自宅で倒れたりしたら、どうなると思っていたのか!」
それから、この回のタイトル「森多君、腹ぐらい触りたまえ!!」と、つながっていったのでした。
顔から火が出るほど、恥ずかしく、自分を情けなく思いました。
これは、言い訳になりますが、結果的には、すぐに入院の措置をとったからよかったのですが、
あの時、事務員、ナース、医師のうち、誰か一人だけでも、面倒くさがらずに、きちんと、当たり前のルーティン・ワークを行っていさえすれば、このような事は起こらなかった筈です。
この老人は、検査の結果、既に手の施しようのない、肝臓がんでした。
食事が通るようにする手術と、まもなく症状が出てくるであろう黄疸に備えて、胆管と十二指腸をつなぎ合わせるだけの処置を施し、一旦は退院できるまでに、体力が回復しました。
その後、この老人は、数ヶ月、自宅で、家族とともに、畑仕事や、大好きな牛の世話をしながら過ごし、再入院となった翌日、家族に見守られて、静かに息を引き取りました。
たとえ一つ一つは、小さなミスでも、偶然が重なると、重大な事故につながります。
私は、今でも時々、院長に怒鳴られた、あの言葉を思い出します。
こんなことを、研修医の時期に体験でき、早く気が付いたことを、幸運だったとさえ思います。
ついつい、いい加減になりそうな日々を反省し、自戒する毎日を送っています。
投稿者 morita1967 : 11:54 | コメント (0)
豊胸バッグ抜去について
今日は、豊胸バッグの抜去についてのお話をします。
当院には、全国各地から、豊胸バッグの抜去を希望される方が、たくさんいらっしゃいます。
抜去を希望される理由としては、
まず第一に、①バッグの破損(生理食塩水バッグで、多く発生しますが、シリコンでも、古いものでは起こります)、②偏位(左右差)、③カプセル拘縮(カチカチに硬くなってしまうこと)などの、
術後のトラブルです。
次に、不自然な感じがする、他人に指摘されたなどの、不満感から。
そのほか、異物が入っていることの、将来的な不安感から、などがあります。
当院での、抜去を希望される方の理由としては、
まず第一に、症例が多いから。
次に、費用が安いから、などが挙げられます。
豊胸バッグを、入れてもらった施設で抜去する場合、無料で行ってくれるところもありますが、
多くの施設では、料金がかかるそうです。
患者様のお話によると、大体40~60万円ほど、費用を請求されるようです。
本来なら、かかる費用分くらいを、患者様からいただくべきと、私は、考えます。
特に、術後のトラブルによる場合などは、無料であっても、しかるべきだと思います。
なぜ、これほど高額の請求をするのかは、やはり、入れる手術よりも、抜く手術のほうが難しい、
と考える施設が多いからではないでしょうか。
確かに、バッグの抜去は、慣れるまでは、難しい手術です。
当院で、豊胸バッグを入れた方で、抜去を希望された方は、今のところいらっしゃいませんが、
抜去の手術自体の料金は、105000円で行っています。
バッグの抜去を行って、感じることは、驚くことに、左右別々の層に入っている(右は大胸筋下で、左が乳腺下など)ことが、決して珍しい事ではない、と言うことと、
患者様が、事前に知らされているバッグとは、違う材質、大きさ、形の物が入れられていることも、少なくないと言うことです。
なぜ、術後に左右差や、片側だけに拘縮などが発生するかですが、私の経験と、推察から申し上げると、
通常、この手術のトレーニングを行う場合、片側を、まず指導医が施術し、もう片方を、研修医が行なう、
という形態をとるからだと思います。
未熟な医師が行った側に、トラブルが発生しやすいのではないでしょうか。
バッグを抜去してしまった後は、残念ながら、元の状態、もしくは、皮膚がたるんでしまった状態になります。
当院では、抜去と同時に、ご自分の脂肪を、胸に注入する手術も行っています。
次に、その、症例写真です。
豊胸バッグが、入った状態の写真です。

豊胸バッグを、抜去し、脂肪注入による豊胸を行った後の写真です。

シリコンのバッグ(250cc、テクスチュアー、ラウンドタイプ)が入っていた方です。
不自然な感じがするとのことで、バッグを抜いて、
ご自身の脂肪を胸に注入しました。
注入は2回行っています。
1回目が、片側250cc、2回目は片側200ccを、それぞれ注入しました。
1回目と2回目の間隔は、約3ヶ月です。
写真は、2回目の注入から、約3ヶ月経過した時点です。
250ccのシリコンバッグと、遜色ない程度に、胸を大きくできており、とても自然な感触に仕上がっています。
費用は、通常の脂肪吸引の料金のほかに、注入の料金として、105000円をいただいております。
バッグの抜去のみの手術ですと、翌日から、通常の生活が可能です。
まずは、ご相談にお越しください。