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2010年03月26日
夢シリーズ サイボーグになる②
夢の続きです。
その女性も、私と同様に、事故で手足の機能を失っていました。
しかし、その女性のサイボーグには、私と違い、絶対味覚と、絶対音感の機能が、プレインストールされていました。
その女性の味覚はすばらしく、どんなものを食べても、その食べ物に含まれている食材と、調味料と、その分量の比率まで、言い当ててしまいます。
たちまち、彼女には、有名レストランの料理のレシピ本作りの仕事が舞い込むようになり、莫大な収入を上げるようになります。
また、発売される前の段階の楽曲を聴き、全ての楽器の音と、音程を楽譜に落とす、という技術まで身につけ、この楽譜をカラオケ会社に売って、これまた莫大な収入を得るようになりました。
羨ましくなった私は、サイボーグの技師に尋ねました。
「僕のサイボーグには、何か特別な機能は、プレインストールされてないの?」
技師は言いました。
「君のにはね、二刀流の剣術の師範の動きが、プレインストールされているよ」
二刀流の剣術?いったいなんの役に立つのよ!
私は、とぼとぼと帰りながら、ためしに、棒切れを拾って、振り回してみました。オウ、なんだかいい感じ。棒切れを刀に見立てて、ちらちらと舞い落ちる桜の花びらを切ってみました。すると、見事にスパッと真っ二つに切れるじゃありませんか。
すごいじゃないか!面白くなった私は、桜吹雪の真っ只中で、花びらを次から次と、切っていきました。
一つたりとも、私の体に当たることなく、真っ二つに切り裂かれて落ちていきます。
楽しくなって、切り続けました。
この光景を見ていた人に、変な人がいると、警察に通報され、私は、研究所に連れ戻されてしまいました。
研究所に戻った私に、技師が言います。
「何か、面白いことに発展していくと思ったのだが、君には使い道が見つからなかったようだね。この二刀流の剣術のプログラムは、アンインストールしとくよ」
私も同意しました。
ところで・・・、私は技師に尋ねます。
「こっちは、ずっとこのままなのかね?」
私が指差した下半身は、ロボットにカバーがついたままの状態でした。
「アーそっち?やっぱりなんかあったほうがいい?」
「そりゃ、なんかあったほうがいいねえ。」
「じゃあ、今度開発して、作っとくよ」
「はーい。たのしみにしてまーす」
その日は、それで帰りました。
しばらくして、技師から連絡が入りました。
いいものができたから、おいでよと。
私は研究所に向かいます。
ピピピッ、ピピピッ、アラームの音・・・
ああ、朝だ、ここで夢は終わり。
この夢の続きは、見ることはないだろうなあ。
<<つづかない>>
投稿者 morita1967 : 17:30 | コメント (1)
2010年03月25日
夢シリーズ サイボーグになる
皆さんは、ずっと以前にテレビで放送されていた、アメリカドラマ
『サイボーグ危機一髪』もしくは、『600万ドルの男』シリーズを覚えていますか?
NASAのテストパイロットだった主人公が、事故で、左目、右腕、両足を失った後、NASAの技術で600万ドルを投じ、失った機能を人工的な装置で回復させます。
超人的な能力を手に入れた主人公が、その後、さまざまな事件を解決していくという、ストーリーでした。
今回は、最近見た、夢の話です。
夢の中なので、悲壮感も、危機感もありません。
ある日、私は交通事故にあってしまい、全身火傷を負い、スターウオーズ・エピソード3のダースベイダーみたいになってしまいました。
それなりに社会復帰はしましたが、顔の面影もなくなり、手足の自由は利きません。
そこへ、ある研究機関からオファーが舞い込みました。
われわれは、人間の知能を持ったサイボーグの研究開発をしているが、ボディはほぼ完成した。後は、人の知能を与えるだけだ。ぜひ、あなたの脳の機能を、そっくりサイボーグに移植して、サイボーグを完成させてみたい、というものでした。
人工知能もコンピューターでできており、そこに、私の思考回路や、記憶も、そっく移植でき、手足も精巧に、人間の動きを再現できているので、今までと同様に生活できるとの事。
そりゃ~いいことだ。すぐに話に乗りました。
出来上がったサイボーグは、精巧にできており、上半身は、顔も含め、私と、ほぼ同一の形になっていました。皮膚の質感まで、本物そっくりです。しかし、下半身は、まだ研究中との事で、足は動くものの、形状は、皮膚もなく、ロボットにビニールの膜が貼り付けてあるだけです。まるで、江頭2:50みたいです。
技師が言います。
「このサイボーグは、その人の20代の状態を再現してあるので、今から改良を加えて、顔のしわや、しみ、皮膚のたるみを精密に再現しますから。」
私は、
「いいよ、そんなことしなくて。このままでいいから」
そう言って、改良を断り、20代の容姿と体力を手に入れました。
サイボーグの機能はすばらしく、頭脳は明晰になり、物忘れもなくなり、筋力もパワーアップし、何より疲れを知りません。
20代に戻った私は、高校や、大学の同級生に会いに行きました。
みなは口々に
「君は以前のままで、ちっとも年を取っていないが、何かやってるの?」
と聞きます。私も
「う~ん、整形をちょっとね」
などといって、すっかりいい気になっていました。
楽しい生活が続いていた折、もう一人、ある女性がこのサイボーグ研究に参加したとの話を聞いた私は、研究機関に足を運びました。
<<つづく>>
投稿者 morita1967 : 20:25 | コメント (0)
2010年03月23日
オホーツクにて あわや遭難?
先日、ちょっとした所用で、北海道の紋別に行ってきました。
その日は、日本中、すごい嵐のような風が吹き荒れていて、関東でも、けが人が出るほどで、そもそも飛行機が飛ぶのか心配でしたが、羽田をすんなりと離陸しました。
しかし、着陸地の紋別は、まさにその低気圧の中心が通過中で、着陸の際は、今まで経験したことがない程揺れました。
無理に着陸せず、引き返してもいいとさえ思うくらいのゆれでした。
着陸の際、進入速度もかなり速かったようで、逆噴射のとき、つんのめって、前の座席の背もたれに、頭を打ちそうになりました。あ~怖かった。
ホテルにチェックインするときも、フロントの人が、今日は飛行機は飛んで来ないと思っていたと、言っていました。
とりあえず、観光でもしてみようと、オホーツクタワーに向かいました。地図で観ると、歩いていけるほどの距離なので、せっかくだから、北海道の大地を体験してみることにしました。ご覧のような雪原の中の道を進みました。
途中から、体ごと、海まで持っていかれそうな強風が吹き荒れ始め、歩くのが、怖いほどになりました。車は、時折通りかかりましたが、人っ子一人、歩いてはいませんでした。同行した彼が、目的地は、もう見えているので、このまま道なりに歩いていかず、雪原を直線的に横切って、ショートカットしようと言い出しました。
その雪原には、野球のバックネットもあって、見るからにグラウンドのようだったので、それはいい考えだと、私も同意し、雪原に足を踏み入れました。
まず、歩道を横切り、雪の上を歩き始めて3mほど進んだところで、彼より10kgほど体重が重い私の左足が、雪を踏み抜き、ズボッと股関節あたりまで埋もれてしまいました。
しかも、ひざから下は、自由に動き、冷たい水の中にありました。私は、とっさに仰向けに倒れ、左足を何とか雪から引き抜き、うつ伏せになり、匍匐(ほふく)前進をしながら、歩道まで逃れました。
表面だけ凍って、雪が降り積もった池の上を、歩いていたわけです。片足ですんだから良かったものの、池がどれくらい深いのだろうかと考えると、冷や汗物でした。
ショートカットを提案した彼は、私の悲鳴を聞いてすぐに避難し、難を逃れました。
靴の中まで、チャポチャポと音のする状態で、オホーツクタワーまで歩きました。左足は、凍傷になるかと思いましたが、意外とポカポカしていました。
クリオネです。北の海の定番ですね。
海底窓から見える、イソギンチャクです。
展望台からの景色です。晴れた日には、知床半島が見えるそうです。
夕食は、かに三昧、もうしばらくは、かにも見たくないくらい、お腹いっぱいになりました。
一番は、ズワイガニのしゃぶしゃぶでしたね。これは、一人丸ごと一匹付いていた毛蟹です。
温泉は、露天風呂で、私の頭には、雪が積もっていました。
翌日は、無事、用事を済ませ、空港に向かいました。雪が降っていましたが、飛行機は無事、羽田から到着し、その飛行機に乗って、東京へと向かいました。
このオホーツク・紋別空港は、一日、羽田からの1往復しかありませんが、立派な空港です。
雪焼けと、砂交じりの風雪に洗われ、まだ、顔が赤くひりひりしています。
投稿者 morita1967 : 16:56 | コメント (1)
2010年03月16日
研修医シリーズ ん??おじいちゃん?②
早速、心肺蘇生に取り掛かりました。
まずは、救急のABCから。
まずは挿管、これは、とっても簡単に入りました。
ナースにバッグを押してもらいます。呼吸も確保。
私は心臓マッサージ。ここまでは2~3分。
モニターはフラットのまま。
ボスミン、メイロン静注!
心臓マッサージ。
まだフラット。
ええい、いっちょうやってみるか。ボスミン、心嚢腔内投与!カテラン針で心臓をブスッ。
心臓マッサージ継続。
そこには、ちょっと調子に乗って、いくらか、楽しそうにしている私がいました。
だって、こういうのが好きなんだもん。
すると、モニターが、ぴこっ ぴこっと動き始めたではありませんか。
程なく、自発呼吸も戻りました。呼びかけには、何の反応も示しませんが、体をゆすると、目を開けようとする反応を示すようになりました。耳が、かなり遠いようです。
「いやあ~、やっぱりやってみるもんだねえ~。ちゃんと蘇生できたよ」
私は、軽口をたたいてしまいました。
病院からの、患者急変の知らせに、真っ先に駆けつけた患者の家族は、若い女性でした。この人は、患者の孫だろうと思い、説明を始めました。
「私は当直の外科医です。詳しいことは、主治医から聞いてください。とにかく、おばあちゃんは今、自分で呼吸をして、意識もあります。ほら、しっかり手を握ってあげてください。」
耳が遠いようなので、手を握ってもらいました。
患者には、
「おばあちゃん、お孫さんが駆けつけてくれましたよ、がんばったね。」
と、声をかけてあげました。やっぱり、何も聞こえていないようです。女性は、少し、腑に落ちない表情をしましたが、患者の顔を覗き込み、間違いなく自分の家族と確認し、
「私よ!○○よ!分かる?!」
患者も手を握り返しました。目は、見えたようです。安心した女性は、控え室へと通されました。
そこへ、呼吸器内科をローテーション中の、一年目の内科研修医が駆けつけました。
「何だ、先生が呼ばれたの?忙しいのに朝早くから大変だね。」
呼吸器内科の主治医には、まだ連絡が付かないとの事。何と言うていたらく!
内科研修医は、いまのうちに、患者にIVHを入れておきたいと言います。それはいい考えだ。
しかし、この研修医は、まだ経験が浅く、私にそばで見ていてほしいと。いいとも!
IVHを長期間入れておく場合、患者のCOLと、管理のしやすさを考えると、挿入部位の選択順位は①右鎖骨下静脈、②右頸静脈、③鼠径部からの大腿静脈、の順になりますが、この時の様に、絶対に失敗が許されない状況では、③鼠径部からの大腿静脈穿刺になります。
早速、IVHの準備に取り掛かりました。
ナースが、患者の紙おむつを脱がせ、消毒を始めました。すると、そこにあるのは、なんとおチンチンではありませんか。
「いやあ~、誰も言ってくれなかったから、僕はてっきり、この人をおばあちゃんだと思ってたよ。家族にもそういっちゃった。だからあの人、少し怪訝そうにしていたんだなあ。いやあ~まいったまいった。わっはっは」
私は、また軽口をたたいてしまいました。
IVHも無事入ったところで、自分が汗ばんでいるのに気がつき、ナースに言いました。
「それにしても、暑いなーこの部屋は。カーテン開けようよ」
ナースは、私の耳元でそっとささやきます。
「ここは、4人部屋なんです。」
ガーン やってもうたあ~
カーテンの向こう側では、他の患者さんたちが聞き耳を立てて、事の一部始終を、窺っていたに違いありません。私の軽口も聞かれていたはずです。内科研修医に
「じゃあ、あとはよろしく」
そう言って、逃げるように、結核病棟を後にしました。
立ち去る私の背中に、ナースが追い打ちをかけます。
「センセー、戻ったら、すぐに手を洗って、うがいをしてください。それから、その白衣もすぐに洗濯に出して。しばらくしたら、念のため、ツ反を受けてください。ここは結核病棟ですからー。どうもありがとー。」
わかったよ、もう。はずかしい・・・
やっぱり、軽口たたく人は、いかんなあ。
おわり
投稿者 morita1967 : 19:35 | コメント (1)
2010年03月15日
研修医シリーズ ん??おじいちゃん?
外科になりたての一年目に、あまりの忙しさに、よく走って病棟間を行き来していました。
すると、指導医の先生に、こう諭されました。
医者は、走ってはいけない。走ると、走っていることに気をとられて、行き着いた先で、とっさの判断ができなくなる。早歩きでもいいから、歩いて行くと、その間に、真っ先に何をするべきかを、思考する時間ができ、適切な処置ができる。そもそも走っていくと、息が上がってしまい、すぐには頭が働かない、と。
なるほど、理にかなっている、と思いました。
それ以降、どんな緊急事態でも、できるだけ歩いて移動するように心がけていましたが、走ってしまったことが、3回だけあります。
1回目は、右腕切断の患者が病院に担ぎ込まれ、医者が自分しかいなかったとき。
廊下に赤いペンキでもまき散らかしたかのような、おびただしい出血を見たとき、とっさに走り出しました。
2回目は、受け持ちの術後の患者が、心配停止になったとき。このときは、そういった事態が起こる事は、事前に十分予想されていましたが、後々のことを考え、真っ先に走って駆けつけたという事実を残そうと言う、ある種のパフォーマンスでした。
そして、3回目が今回のお話です。
それは、土曜の夜の当直開けの、日曜の朝の出来事でした。
頭のケガの外来患者の、縫合処置を、処置室でしていたところ、結核病棟から連絡が入りました。
昨夜、入院してきた患者さんが、突然、心配停止になったので、至急来てほしいとのことでした。
この縫合処置が終われば、当直が空ける私は、
「こういったときは、一般当直ではなく、ICUの当直医を呼ぶ決まりなので、そうしてください。」
といって、断りましたが、電話の向こうの混乱ぶりを察した、ベテランナースは、
「結核病棟は、かなり混乱しているみたいです。決まりごとなんて、どうでもいいですから、すぐに行ってあげてください。ここは、他の研修医に任せますから。」
そういって、私をせかしました。
しょうがないなあ、と思いながら、いやいや、結核病棟に向かって歩き始めた私の背中に、また、このベテランナースがこう、追い打ちをかけます。
「先生、走っていった方が、いいみたいですよ!」
ははーん、コリャなんか訳ありだな、と察した私は、走って結核病棟に向かいました。
結核病棟の担当の呼吸器内科は、そのていたらくぶりで、院内でも有名でした。何かあったときに、すぐに駆けつけられる当番も、作っていなかったようです。
結核病棟に到着しました。
「ここは、感染病棟だから、ガウンと帽子とマスクを着用しないといけないのだろう?」と聞くと、
「そんなことどうでもいいから、すぐに、こっちです!」と、その患者の病室に案内されました。
患者さんは、カーテンで四方を仕切られたベッドに、横たわっていました。心拍が停止してから、それほど時間は経っていなかったようです。
病棟の主任が説明します。
この患者は、結核の再燃と寛解を繰り返し、何度も入退院をしている高齢の方でした。昨夜は、肺炎を起こし、緊急入院となったそうです。何があってもおかしくはない状況なのに、主治医からは、患者の家族に対して、そんな差し迫った状況だとの説明が、全く行われていないとの事でした。
急に今、亡くなったりしたら、後々、患者の家族との間で、事がこじれることは間違いないので、今は何とか、一旦蘇生させてほしい。と懇願されました。
こんな状況、実は、私、大好きです。ほとんどの医者は、そうだと思います。
目いっぱい、低く渋い声で言いました。
「分かった、任せなさい!」 実は、私、この台詞も大好きです。よく使います。俄然、やる気が出てきました。
つづく
投稿者 morita1967 : 10:16 | コメント (0)
2010年03月09日
南国 土佐の思い出
最近は、NHKの大河ドラマの影響で、高知県が頻繁に話題に上がります。
そのせいで、最近ふと思い出した笑い話を、今日は書いてみます。
大学生のとき、一人で、オートバイに乗って、四国一周、一週間の旅に出たことがあります。
高知市に宿泊した夜、一人で飲みに、繁華街に繰り出しました。
居酒屋で、隣に座った現地のおじさんと、意気投合し、ご馳走になりました。
カツオのたたきの肩に、包丁で切れ込みが入れてあるのをご存知ですか?
実は、ここには、薄切りにしたニンニクのスライスを挟み込んで食べるためのものなのです。
高知では、ハマチのお刺身にも、この切れ込みが入れてあり、ニンニクをはさんで食べます。
このとき、板前さんに教えてもらった豆知識です。
このおじさんと、高知県の習慣の、返杯と言う儀式にのっとり、日本酒を冷で、ぐい飲みでの一気飲みを繰り返しました。とにかく、一つのぐい飲みで、お互いに飲み交わすわけです。自分が早く飲み干さないと、相手が飲めないと文句を言ってきます。かなり酔っ払ってしまいました。
この店を出て、おじさんの行きつけのカラオケスナックに行きました。
この店に、トイレはなく、客は、この店の横の公園の公衆トイレで用を足していました。
しばらくして、このおじさんが、いなくなっていることに気がつきました。
さすがに、おじさんも酔っ払って、私の分まで支払いを済ませ、既に帰ったとのことでした。
スナックのママに、あのおじさんは、いい人だねえ~。などというと、向こうも、かなりあんたのことが気に入っていたよとの事。
ホテルは、どの方向に行けばいいのかたずねたところ、この店のすぐ先だから、歩いて帰っても大丈夫だと言われました。私が、どれほど酔っ払っていたかは、ママには分かっていなかったみたいです。
この店を出て、自分が道に迷っていると気付くまでの間の記憶はありません。
既に、かなりの時間が経っていたと思われます。私は、人通りもない、真っ暗な通りに、一人で立ち尽くしていました。疲れて、歩けなくなったところで、ふとわれに返ったのです。
どうしたらいいか、全く考えが浮かばなかったので、近くにあった電話ボックスから、当時、まだ交際中だった家内に電話をかけました。家内は、こう言いました。警察に電話しなさいと。
「あんた、いい事言うねえ~」
早速110番。パトカーで迎えに来てくれと、お願いしました。しかし、おまわりさんは冷たい!そんなことにパトカーは使えないと断られましたが、こう言ってくれました。タクシーを拾って、ホテルの名前を言えば、連れて帰ってくれると。
「おまわりさんも、いい事言うねえ~~」
早速、タクシーを拾おうとしましたが、この酔っ払いに、タクシーたちは乗車拒否!誰も乗っけてくれません。しばらく歩いたところで、踏み切りに行き着きました。そこで、妙案が浮かびます。踏み切りは、一旦停止。これは、夜中でも、高知でも、回送のタクシーでも、全国共通のルールです。
踏み切りの影に身を潜め、タクシーを待ちます。そこに通りがかったタクシーが、一旦停車したところで、タクシーの前に立ちはだかりました。だあ~!!びっくりして止まったタクシーの運転手に、とにかく乗っけてくれと、懇願しました。
やっとのことでタクシーにたどり着いたところで、運転手に、これまでのいきさつを話し、ここはどこか聞いてみました。返った答えは、
「ゴメンです。」
何だあ~!、口も利きたくないって事かあ、は~ん?
「後免の手前です。」
ああ、ゴメンって地名なのね。
「それにしても、お客さん、よく歩きましたねえ」
運転手さんは、感心していたのか、呆れていたのかは分かりません。
とにかく、無事にホテルまで送り届けてくれました。
ホテルに帰りついた頃は、ほろ酔い加減になっていました。風呂にも入り、フロントのお姉ちゃんに、その日の出来事を話し、笑わせたりしました。
翌日、二日酔いで痛い頭を抱えながら、ホテルの前で、バイクに荷物をくくりつけていました。
すると、目の前に公園のトイレ。なんと、カラオケスナックから用を足しに通った、まさにその公園の公衆トイレがあるではありませんか。あまりの驚きで、ひっくり返りました。
この話を、大学に戻って、高知の出身者にしたところ、嘘だろうと言って聞きません。
高知市街から、後免までは、歩ける距離ではないと言うのです。
じゃあ、あのタクシーの運転手は、本当に、私とは、口も聞きたくなかったのですかね?
「ゴメンです」
それとも、本当に私が、後免まで歩いたのでしょうかね?
それとも、実はあの夜、私は、宇宙人にUFOで・・・?
真相は、謎のまま・・・
投稿者 morita1967 : 15:13 | コメント (0)
2010年03月04日
腹の立つ話
ずいぶん前の話になりますが、ある方が、カウンセリングにお越しになりました。
医療機関には、守秘義務がございますので、この方の、年齢、性別、診療内容は控えさせていただきます。
ひととおり、治療の説明を終えたあと、この方が、話し始めました。
「どうして、私がこのクリニックを選んだか、教えてあげましょうか?」
少し、興味があったので、一応聞いてみました。
「どうしてですか?」
すると、この方は、
「先生は、公務員の経験がおありでしょ?美容整形では、なかなか、公務員の経験のあるお医者さんがいないんですよ。公務員をやってたってことは、しっかりとした経歴の方だと思い、ここを選びました。」
そういえば、大学病院と市民病院にいた頃は、確かに公務員だなあ、しかし、そんなこと、たいしたことではないと思った私は、
「ああ、そうですか」
と、一応、相槌程度に返事をしましたが、この方は話し続けます。
「どうして、先生が、公務員をしてらっしゃったのが、分かったと思います?」
私は、
「私の経歴なんて、あちこちに載っていますし、少し調べれば、誰にでも分かるんじゃないですか?」
と答えました。
この方は、少し、身を乗り出して、またべらべらと話し続けます。以下は、その内容です。
この方は、社会保険庁の元職員でした。
社会保険庁の、個人の年金記録のデータベースにログインするための、IDとパスワードが、この方の退職後も、有効のままになっていました。
このIDとパスワードを使い、自宅のパソコンから、社会保険庁のデータベースにアクセスし、個人の情報を、盗み見していたのです。
私の年金記録も、氏名と生年月日が分かれば、簡単に閲覧できたのだそうです。
さらに続けます。
[先生も、もし、調べてほしい人がいたら、言ってください。その方の年金記録から、過去の職業まで、みんな教えて差し上げます。」
目が点になって、激しい怒りがこみ上げました。しかし、この方は、反省するどころか、
「政治家や、有名人の、年金未納が発覚したのも、みんな、私たちが、こうやって調べてあげたからなんですよ!」
調べてあ・げ・た・だなんて!
もう、正義の見方気取りです。これっぽっちも、犯罪を犯していると言う認識すらありません。
私は、きっぱりとお断りし、これは犯罪行為だと告げました。
しかも、この犯罪行為を、この方は、お金をもらってやっていた節があります。
「これで、結構なお小遣いになるんですよ」と。
その後、この方からは、何の連絡も入らなかったので、単に、ご自身のサイドビジネスの売り込みに来ただけだったようです。
全く、腹の立つ話でした。
社会保険庁の中にも、まじめに働く者もたくさんいたのでしょうが、このような、一握りの不逞の輩が、組織全体のイメージダウンにつながるのですね。
ここで、一つお知らせがあります。
ジャパン美容外科では、ただいま、看護師を一名募集しています。
当院は、自分で言うのもなんですが、とても居心地のいいクリニックです。
売り上げのノルマもありませんし、
化粧品の押し売りなんかも、やらなくて結構です。
詳細は、当院ホームページのインフォメーションをご覧ください。
ご興味のある方は、是非、こちらのメールアドレスまで、ご連絡ください。
info@japan-cs.jp
ご連絡、お待ちしております。
投稿者 morita1967 : 22:07 | コメント (0)
2010年03月02日
サリンジャーを読んで 論説三 反省しない国アメリカ
この小説が出版された、昭和26年当時、アメリカは、朝鮮半島で戦争の真っ最中でした。
その6年前まで、アメリカは、ヨーロッパやアジアで、ドイツや日本と戦争をしていました。
しかし、この小説の中では、アメリカが戦時下にあると思わせる雰囲気が、全くありません。
それもそのはず、アメリカは、南北戦争以降、自国の領土内での戦争を、経験していないのです。
リメンバー・パールハーバーとアメリカ人はよく言いますが、唯一の、自国の領土が外国から侵略されたとされる真珠湾攻撃も、本土から遠く離れた島で起こり、民間人の死者も100人あまりです。
第二次大戦で、国土が本格的な戦場となった、ソ連、中国、ポーランド、ドイツなどは、100万人以上の民間人が、犠牲になっています。そのほかにも、空襲と言う、無差別爆撃を受けた、フランス、イギリス、日本、なども、数十万人の、民間人が死んでいます。
しかし、アメリカの民間人の死者は、1000人にもなりません。
その後も、アメリカは、ベトナム、イラク、アフガニスタンなどで、戦争をしていますが、民間人の死亡者は、ほとんどいません。
つまり、アメリカの一般国民は、戦争の悲惨さを、ほとんど理解していないのです。
第二次大戦で、多数の民間人の犠牲者を出した国々は、真剣に反省をし、戦争の悲惨さを後世の世代に伝えてきましたが、アメリカは、全くといっていいほど、反省をしていません。
日本への、原子爆弾の投下も、戦争の終結がとっくに決まっている時点で行われています。戦後の世界構成を考え、ソ連と中国を威圧するために、原爆は投下されたのです。
なのに、アメリカでは、日本との戦争を、早く終結させるために、必要であったと、教科書で教えています。
イラクに侵攻した際も、大義名分は、イラクが大量破壊兵器を製造し、保有しているから、ということでしたが、イラクを占領したあとで、国中を探しても、そんなものは出てきませんでした。
サダム・フセインを捕まえて、彼の口の中まで隈なく捜しても、何にも出てこなかったじゃないですか。
当初は、イラクの石油の利権を手に入れるためかとも思われましたが、イラクからの撤退を早々に決め、石油の利権も、放棄しています。
ただ、イラクを混乱に陥れ、政治的な不安定を作り出すためだけの目的で、戦争を一方的に起こしたのです。
そもそも、アメリカで起こった同時多発テロは、本当にテロですか?
ペンタゴンに突っ込んだのは、本当にハイジャックされた旅客機でしょうか?ペンタゴンに旅客機の残骸などはなかったじゃないですか。乗客が、操縦室に乗り込み、自ら墜落させた旅客機の、墜落現場は、どこですか?飛行機の燃料が燃える熱だけで、ビルがあんなにキレイに倒壊しますか?
そもそも、オサマ・ビン・ラーディンなる人物は、本当に生きていると思いますか?
私は、全く信じていません。
アメリカは、多民族国家なので、常に国外に敵を作り、戦争を起こすことで、国家を一つにまとめる必要があると、考えている人もいますが、これも、違っていると思います。
アメリカは、常に世界に、混乱と、秩序の不安定を作り出し、何かをごまかすために、戦争をしているのだと、私は考えます。
その何かは、良かったら、皆さんも考えてみてください。
今回で、サリンジャーを読んでの、読書感想文は、終わりにします。
お読みいただき、ありがとうございました。
確定申告のシーズンが終わりましたら、また、いつもの釣り仲間と、今年のシーズンが始まる予定です。ご期待ください。