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今後ともよろしくお願いします。
]]>おやじギャグを言います。
「シャボン玉とんだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
壊れて消えた。
竜巻か!!」
「ブルータス。お前モカ?
僕は、ブレンドでいいよ、シーザー兄さん。」
「羞恥心の三人。鶴野は分かるが、他の二人の区別がつかん。
どっちが藤岡で、どっちが藤巻だあ?」
「あなたが、三代目、スケバン刑事ですか?
聞くところによると、夜な夜な蚊に刺されるそうですね?
あさかゆいんですう~」
「金ヨナには、かなわんヨナ」
今日は、この辺で。
その目的のために、国会議員は選挙区の地盤に、利益を誘導します。つまり、税金を、地元のために使い、その見返りに、自分に投票してもらい、自分の職を確保するのです。
山口県には、新幹線の駅が5つもあります。この数は、山口県出身の歴代総理大臣の数と同じです。
山口県の新幹線の駅には、ほとんど『こだま』しか停車しません。その『こだま』もたったの4両編成。
指定席を買う必要は、全くないほど乗客はいません。
岡山と広島の空港は、不便な山の中にあります。
もともとは、岡山にも、広島にも空港があり、便利な市内にあったので、ほとんど不便を感じませんでした。機体が大型化し、長い滑走路がある、新しい空港が必要になったからと言われましたが、既存の空港の滑走路を長くすれば済んだはずでした。
しかし、新しい空港はそれぞれ、岡山は橋本竜太郎の、広島は宮沢喜一の地盤に作られました。
仕分け作業で、熱弁をふるったレンホーちゃんも、2回目になると、借りてきた猫みたいにおとなしくなっていました。
有名になった発言がありましたよね。「世界一を目指す理由は何なのですか?」
はあ~?お前はあほか?そう思いましたよ。
世界で一番高い山は誰でも知っているが、2番目に高い山はほとんどの人が知りません。ITの世界で、一番を目指すのは当たり前のことで、そうでないと、意味がないでしょう。逆に2番以下を目指す理由を知りたいくらいです。こんな発言を、ただのいちゃもんと言います。
しかし、参議院の選挙が近付くと、自身の印象を悪くしないために、物分りのいい、おとなしいキャラに変身していましたね。
今、日本には問題が山積しています。しかし、国会議員にとっては、そんなことは放って置いてでも、選挙に勝つことの方が大事なのです。
選挙に勝つためだけの政治。これが現状でしょう。
「だったら、お前が国会議員をやってみろ!」
そんな声が聞こえてきそうですが、私には、鳩山総理ではありませんが、『腹案』があります。
次回は、そのお話を。
]]>今日は、先進国としては、ありえないくらいに巨額になった、日本の国債を中心に述べて見ます。
日本の国債の発行残高は、約860兆円です。
これに対し、昨年の税収は約36兆円。今年の新規国債発行額は約44兆円です。
これを、分かりやすく、日本太郎さんと言う、架空の人物の家計と、国民銀行と言う、架空の金融機関にたとえて説明します。
日本太郎さんの昨年の年収は360万円。それに対し、今年は、440万円も国民銀号から借金をします。
日本太郎さんの、国民銀行からの借り入れは、総額で8600万円にも膨れ上がっています。
こんなに借金をして、日本太郎さんは、お金を何に使っているかと言うと、自分の庭に、使いもしないダムや、橋や、トンネルや道路、鉄道などの模型を作り続けています。
最近は、収入がめっきり減ったため、借金を、生活の足しにまで、使い始めました。
こんな借金がある人に、普通は、銀行は融資などしないはずですし、既に、返済できるあても無くなっているのは、誰の目にも明らかです。
しかし、日本太郎さんには、何も知らない人のいいおじいさんがいます。
おじいさんは、国民銀行に1億3000万円も預金をしているのです。
いざとなれば、このおじいさんの預金を使って、日本太郎さんの借金を、帳消しにすればいい。
日本太郎さんと、国民銀行の頭取の間では、暗黙の了解があるのです。
日本太郎さんは、政府。
人のいい、何も知らされていないおじいさんは、あなたがた国民。
おじいさんが貯めた国民銀行の預金は、あなたがたが一生懸命に貯めた、郵便貯金や銀行預金。
国民銀行の頭取は、日銀です。
こんな、怖いお話、現実に起こる訳がないと思っていますか?
実は、簡単にできてしまうのです。
日本の国債は、95%を日本国内で消化しています。
アメリカの国債は、日本や中国が大量に購入していますが、日本の国債は、外国人はほとんど買いません。
あなたがたの貯金は、かなりの部分が、融資に回ることなく、国債の購入に当てられています。
政府があなたがたの貯金を、勝手に国債にすり替えてしまっているのです。
なので、日本人の金融資産を目減りさせることで、国債の額面を、紙くず同然にまで下げることが可能になります。
政府と日銀は、既にこの準備に入っていると思います。
国債を帳消しにする方法は、3つほどあります。例えは、ちょっと前、アルゼンチンが行ったデフォルト、債務不履行です。これは、ひたすら、「ゴメンねゴメンね~」と言うだけで、何の保証もありません。
これはやはり、日本国民が黙っていないのと、日本の国際的な信用が失墜するため無理です。
私が考える、国債帳消し法は、インフレとデノミを組み合わせて、徐々に国民の金銭感覚を麻痺させる方法です。これなら、十分に実現可能です。
こんな多額の国債を作り出してしまった国会議員たちは、既に死んでしまっているか、もうじき死を迎える世代です。
自分たちの付けを、後世の世代に丸投げをして、自分たちは何の痛手も受けずに死んでいきます。
自分たちが生きている間がよければ、それでいい。国債だって、立派に社会インフラに生まれ変わって、世の役に立っているじゃないか。この代償を、若い世代が払うのは当然だ。
本当にそう思っているのです。
ならばせめて、国債を減らす方向に改善してから、死んでいけ!
馬鹿国会議員どもよ!
今、皆さんがやらなければならない事は、ご自身の金融資産を、国債から切り離してしまうことです。
このお話は、また別の機会にします。
今日は、ここまで。
高校生の、ボクシング部をテーマにした、青春ドラマです。
ストーリーも、それなりにできていて、2か所くらい、泣けました。
主役級の二人の俳優は、年代ギャップからか、見たことも聞いたこともない人でしたが、いい味出していました。
実は、この映画に、私の知っている人が、出演しています。
「稲村」役の、現役ボクサーです。
ストーリーとは関係なく、ドキドキ、ハラハラしながら観ていました。
台詞は、2か所しかなく、表情での演技がメインでしたが、まるで、明日のジョーの「力石」みたいに、とても好感のもてる、ライバル役を、こなしていました。
映画館の、席の隣の見ず知らずの女性に、
「あの稲村役の俳優、ぼくの知合いなんですよ!」
って、言いたくなるのを、必死でこらえました。
こんな気持ちで、映画を見るのは初めてでした。
やはり、映画のスクリーンの威力は絶大です。
本物の彼よりも、筋肉美が強調され、普段は見たこともない、彼の脚のラインの逞しさも、見事に表現されていました。
彼の所属する、港区のボクシングジムには、もう一人、若手のホープがいます。
電通社員のボクサーです。
二人とも、とても礼儀正しく、見ていてすがすがしい若者です。
「次の試合、頑張ってね!」
と言うと、ボクサーの習性か、二人とも
「がんばります!!」
と言って、ファイティングポーズをとります。
会長の奥さんは、まるで、相撲部屋のおかみさんみたいに、超多忙です。
若い、チャレンジャーは、大好きです。
応援していますよ!!
映画の出来も、なかなかのものですよ。
皆さんも、ぜひ見てみてください。
この映画、見終わると、なぜか、むしょうに、お好み焼きが食べたくなります。
]]>家でも、上の子が幼稚園の頃に、PS2を買いました。子供と、少しでも共通の話題と、一緒に楽しむ時間を作ろうと言うのが狙いでした。
しかし、子供に歯が立ったのは、最初の1週間だけ。
子供は、3日もすると、まるで、自分の手足を動かすかのように、コントローラーで、画面の中のキャラクターを自在に操り出しました。
DSを買ったときも同じ。
下の子はまだ幼稚園を出たばっかりで、解説本の字もろくに読めないのに、私の全く知らない技を駆使して、コテンパンにしてくれました。
最近、下の子がはまり始めたのが将棋。
これなら、まだまだ、私には歯が立たないだろうと、高をくくっていました。
ところが、やはりdigital nativeは違います。こういうゲームの類は、なんでも上達が早いのです。
規則性とか、戦術とか、すぐに気付く才能があるんじゃないでしょうかね。この世代は。
昨夜は、あわや負け寸前まで行きました。
突然、私に奇策がわきました。わざと、息子に歩を打たせるように仕向けてみました。
まんまとはまった息子は、歩を打ちます。
私「それ、待った!」
息子「待ったな~し!!」
私「ほんとに、待ったなし?」
息子「うん、ほんとに、なし」
私「はい、じゃあ、パパの勝~ち!」
息子「何で?」
私「それ、二歩!」
息子「しまったあ~~」
二歩とは、同じ縦の列に、成っていない歩を二つ置くこと。プロの世界でも、最も多い反則負けです。
しかし、今日からはもう、この二歩戦法も、彼には通用しないでしょう。
こんな、姑息な手で勝つなんて・・・
全く、ゲームの類は、子供には頭が上がりません。
]]>これには、あるSHOCKINGな出来事があったからです。
4月のはじめ、地方から出て来られたある方を、接待する機会があったのですが、この方が、ジャパン美容外科のある、東京、港区、浜松町近辺でホテルを取っていたため、浜松町で飲むことになりました。
実は、浜松町で開業してから、4年半経ちましたが、このとき、初めて浜松町で飲みました。
居酒屋、キャバクラ、ロシアンクラブ、居酒屋とはしごをしました。
行った先々のお店で、この方が、私のことを、『ジャパン美容外科の院長』だと、紹介してくれましたが、誰一人として、私のことはおろか、ジャパン美容外科の存在を、ご存知の方は、いらっしゃいませんでした。
当院には、北は北海道、南は九州沖縄、さらには、アメリカ、オーストラリア、ポルトガルからも、脂肪吸引の患者様がいらして下さっているにもかかわらず、地元浜松町での知名度は、ゼロでした。
極めつけは、2件目に行ったキャバクラでのキャバ嬢の発言。
「へえ~、浜松町にも、美容外科があるんだ~。私はこの町のオフィスで昼間は働き、夜はここでバイトして、この町に住んでもう3年にもなるけど、全く気が付かなかった。」
あまりのショックに、これではいかんぞと思い、地元の方や、この町に働きに来ているOLの皆さんに、もっとジャパン美容外科の存在に気付いてもらう必要があると感じ、今回の掲載となった次第です。
あまり、他意はございません。
同業者の皆様、不審に思わないでください。
あまり長くは続けませんから。たぶん一回こっきりです。
]]>彼は、映画の中で、愛する人のため、悪魔に魂を売ってしまいます。
私は、図らずも、悪魔に魂を売る事態に遭遇するたび、自分がダース・ベイダーになったような気分になり、頭の中では、『インペリアル・マーチ』、別名『ダース・ベイダーのテーマ』の旋律が流れます。
この
ターン・ターン・ターン・タンタ・ターン・タンタ・ターン・ウーン・
と言うリズムは、8分の6拍子で、3連符を二つつなげた、大きな2拍子の形態をとります。
このリズムは、演歌などにも多用され、日本人には、とてもなじみの深い、人気のリズムです。
メロディーは、荘厳で、陰険な感情を含みつつ、不安感を誘うものの、何か、心の底から湧き上がるような、強い勇気を感じさせます。
以前に、夢のお話で、自分がサイボーグになるストーリーを書きましたが、多分に、ダース・ベイダーの印象が強いからだと思います。
そうです。私は、ダース・ベイダーが好きです。
映画『スター・ウォーズ』シリーズは、私が小学校5年生のときに世に出ました。それから、私が高校生の頃にかけ、エピソードⅣ.Ⅴ.Ⅵが相次いで公開されました。
きちんと観たのは、大学生になってからで、レンタルビデオで観ました。
その後、1999年から、順次エピソードⅠ.Ⅱ.Ⅲが製作されました。
順番が入れ替わっているようですが、実は、この順番で、ストーリーは完結していると言えます。
これから、観てみようとする方も、是非、このⅣ.Ⅴ.Ⅵ.Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.と言う順番で観てください。
シリーズ全作品に登場する、主なキャラクターは、このダース・ベイダー、ヨーダ、そして、チューバッカ、R2D2、C3POくらいです。
スター・ウォーズの主人公が、ルーク・スカイウォーカーだと考えている人は多いと思いますが、この物語は、ダース・ベイダーの、成長、堕落、欲望、陰謀、そして善への回帰を中心に描かれていると思います。
いや、絶対にそうです。
ヨーダやチューバッカが主人公であるはずはなく、ましてや、ロボットたちでもないのは明らかです。
結語
映画、『スター・ウォーズ』シリーズの主人公は、『ダース・ベイダー』である。
]]>その番組は、認知症が進行した患者は、自分で食事を取ることもできず、次第に、食事に対する意欲も欠き始め、急激に健康状態が悪化する。と言う問題をテーマにしていました。
そういう患者の家族が、こう話していました。
自分の親が、このままこういう状態が続くと、いつ何があるか分からないので、とても心配だ。
一緒にテレビを見ていた人が、こう言いました。
この年の老人で、認知症もあり、体が弱っていれば、いつ何があってもおかしくはない。
この家族は、もうそれなりの年齢なのに、そんな覚悟もできていないことの方が、おかしい。
世の中には、生きたいのに生きられない人や、生活保護ももらえず、食べることも満足にできない子供が、山ほどいるのに、おかしな話だ。
私は、この問題はそんなに簡単ではないのだ、そう思いましたが、次第に、ある出来事が、鮮明に思い出されました。そうだ、そんなに簡単な問題ではないのだ!と。
大学にいた頃、週に一度、山間部の病院にアルバイトに行っていました。
この病院は、以前は外科の病院でしたが、その当時は、人口も減ったこともあり、大きな手術は、地域の基幹病院に全て送っていました。
私の仕事は、手術があれば手術。なければ検査。それもなければ、外来を手伝い、患者が途切れると、病棟の回診をすることでした。
ある日、長期療養病床の回診をしていると、婦長から、院長の指示があると伝えられました。
100歳を越す老人に、IVHを入れろ、と言う指示です。
この老人は、既に何年も前から、意思の疎通はできず、寝たきりで、体中の関節が硬直し、インカ帝国のミイラのような状態でした。
患者の家族も、もう何ヶ月も、誰一人、見舞いにも訪れていませんでした。
私は、このような状態の患者に、リスクのある処置をすることに、いったい何の意味があるのか、そもそも、自ら希望もしていないのに、何の目的で行うのか、全く理解できなかったので、IVHを入れることを断りました。
そして、院長宛に、カルテにこう記して、その日は帰りました。
「どんな生き物も、自分の意思で食事を取ろうとしなくなったときは、その生き物は、死を迎えるときです。この方も、今がまさにそのときです。何もせず、静かに送ってあげたらいかがですか?」
次の週も、婦長は、院長から同じ指示が出ていると伝えてきました。
カルテを見てみると、私から院長宛の記述は、婦長によってきれいに消されていました。
その上に、院長の文字で、
「森多先生、この方に、IVHを入れてください。」
と書かれていました。
婦長に抗議しましたが、婦長は、一点の曇りもない眼で、心に、一抹の矛盾も感じていない口調で、こう言い切りました。
問題は、そんなに単純ではない。
この老人が生きている限り、この老人には、年金が支給される。この老人は、元は学校の校長だったので、その年金はかなりの額だ。
その年金は、今は収入の少ない子供が受け取り、生活の足しにしている。この老人が亡くなり、年金が途絶えると、子供の家族は、とたんに生活に窮することになる。
延命は、家族の希望でもある。
この病院も、以前ほど収入がなくなって来ている。今は、近隣のこういう患者を引き取り、長期療養型病床をいっぱいにして、細々と経営している。大事な収入源である。この老人に、IVHを入れると、薬剤も多く出せるし、一旦は一般病床に移せる、そうすると、この老人の看護の料金が上がり、収入増となる。
こういう事でもしないと、この病院は、もうやってはいけない。
この病院は、この地域には、なくてなならない使命があり、つぶすことは出来ない。
だから、つべこべきれいごとをなれべずに、IVHを入れてください。院長の指示ですから。
私は、この話に、全く理解を示さないわけではないものの、自分の信念を曲げることはできない。そう感じながらも、結局は、IVHを入れざるを得ない状況に追い込まれてしまっていることに気が付きました。
そして、IVHを、入れてしまいました。この老人は、全く何の反応も示さず、麻酔すら、要らなかったのではないかと感じました。
そして、こう、心の中でつぶやきました。
「また、悪魔に魂を売ってしまった。」
こういったことは、私が医者になった当初から、頻繁にありました。この国の医療は矛盾がいっぱいで、誰かの都合のために、患者を犠牲にしたり、食い物にするといった行為は、日常茶飯事です。
この病院の院長も、その当時は、地元の政治活動で忙しく、臨床は行っていませんでしたが、病棟の回診だけは、欠かさず行っていました。患者への顔見せと、次は誰にIVHを入れようかと、物色するのが目的だったかもしれません。
そのつど、私の頭の中で、ある音楽が流れます。
ダースベイダーのテーマソングです。
よく、敬老の日に、100歳を超えた老人宅を、市長さんなんかが、記念品を持って訪れる、と言う話題が、ニュースになりますよね。
その時、本人は体調が悪いから、と言う理由で、面会を断る家族がいたとします。
次の年も、また次の年も、同様の理由で、面会を断られるとします。
あるとき、不審に思った市役所の職員が、家まで上がりこんで、本人を確認しようとします。
すると、布団の中には、死後何年も経過した老人のミイラがあったりして・・・。
ここ数年、100歳を越す人の数が、急激に増えています。
中には、その老人の年金欲しさに、老人の死後も、届けを出さずに、死んだ人の年金をもらい続けている家族が、少なからずいる、と言う報道もありました。
問題は、そう簡単ではないのです。
<おわり>
]]>大学で出会った香川県出身者は、口々に、「本当にうまいうどんは、讃岐に行かないと食べられない。」と言っていました。
それならと、サークル仲間で、一度食べに行ってみようということになりました。
折りしも、『恐るべき讃岐うどん』と言う本が出版され、ブームに火がつきかけたころでした。
集合は、朝の四時。一行の案内役である、香川県出身者に、「何でこんなに早い集合なのか?」と聞くと、「朝6時から開いているうどん屋さんがあり、そこがまず第一目的地であること。瀬戸大橋を渡ると、通行料が高いから、経費節約のため、フェリーで行くので、時間がかかるから。」との事。
車2台に分乗し、いざ、香川県に向かいました。
この日一日で、7~8件のうどん屋さんを回りましたが、まず第一に驚いたことは、料金の安さです。
安いところでは、1杯40円から食べられました。
次の驚きは、いろんな種類のうどんの食べ方があること。
それからやはり、他で食べるうどんとは、味が全く違い、うまいことです。
農家の軒先のようなうどん屋もあり、客にネギを、畑に取りに生かせて、自分で刻んでのせたりするうどん屋もありました。
個性的なうどん屋を3つ挙げてみます。
まず、『宮武』(みやたけ)。ここの特徴は、うどんと、だし汁の温度を選んで注文するところです。
うどんと、だしが共に温かいうどんは、「あつあつ」。共に冷たければ「ひやひや」。他に、「ひやあつ」とか、「あつひや」と言った、注文をします。
次が、元祖しょうゆうどんの『小縣屋』(おがたや)。注文すると、まず、1/2本くらいの大きさの大根と、おろし金が出てきます。うどんが茹で上がるまで、客は、ひたすら、大根を自らおろして待ちます。うどんは冷たく、これに、おろしたての大根おろしをのせ、スダチの絞り汁と、特性しょうゆをかけてから、つるっと呑み込むように食べます。
値段は、当時、1杯400円。リーズナブルだと思いましたが、香川県民に言わせると、「客に大根をおろさせておいて、400円は高すぎる。これは、観光客が食う値段だ。」
等と、たいそう不満そうでした。
香川県では、「うどんは噛まずに、呑むもんだ」と言われています。
確かに、こういう食べ方の方が、のど越しが味わえます。
以前にも書きましたが、私は、四国の病院に勤務したことがあります。
普通は、胃切除後の患者さんは、消化能力が弱りますので、患者さんに渡す、術後の食事の注意書きには、「食事は、軟らかいものをよく噛んで、少しずつ食べましょう。特にうどんなどは、軟らかく、消化もいいのでお勧めです。」などと書かれていますが、四国では違いました。
さぬきうどんは、硬く、噛まずに食べるものなので、腸でつかえる可能性があるので、「うどんは食べないようにしましょう。」と、書かれていました。
最後に挙げるのは、マイベストセレクト、『山越』(やまごえ)です。
ここの、「釜玉」は、初めて食べたときは、感動しました。
ゆでたてのうどんを、1回冷水で締め、釜で温めたあと、卵と、特性だし汁をからめて食べます。
おかわりを注文する人が多く、「おかわりの際は、同じ箸と どんぶりをご使用ください。」と、壁に注意書きがありました。
このお店は、民家の一部をうどん製麺所と、うどん屋さんにしている程度の広さで、店に入りきれない客は、店の外に座って食べていました。
この味が忘れられず、10年ほど前、まだ広島に住んでいた頃、わざわざこの『山越』のうどんを食べるためだけに、車で瀬戸大橋を渡った事がありました。
このとき、驚いたことがありました。
隣の客は、東京の方で、わざわざこのうどんを食べるために、飛行機で香川空港まで飛んできて、空港からタクシーでこの店にやってきて、この1杯を食べたら、またすぐに飛行機で東京に帰るため、タクシーを、店の前で待たせてある。と言うのです。
私もたいそうなもんだと思いますが、さらに上を行く人がいました。それほど、うまいのです。
連休中に、テレビで、この『山越』が出ていました。
いまや、全国から観光客が訪れる、讃岐うどんの一大ブランド店となっていて、広大な駐車場まで、完備されていました。
今では、東京にも、讃岐うどん店は沢山ありますが、本場とは、味が違います。
なんでもそうだと思いますが、地方で名物と呼ばれる食べ物やが、東京に出店する際は、味や香り、歯ごたえなどが、モディファイされていると言うか、私はある意味、デチューンされていると思います。
私の好きな、九州のラーメンも、地元では、もっと匂いのきつい物です。店の前を通っただけで、ラーメン屋だと分かる、強烈なにおいがします。東京では、さすがに、この匂いは受け入れられないのでしょう。
最近、東京にも、地元九州と同様の香りを、店の外まで放ち続けるラーメン屋を見つけました。『大牟田ラーメンきらら』です。都内に、何店かありますが、ある店の店長に、「この匂いを出して、よくやっていけるね。」(苦情が来ないね、の意味)と聞いたところ、「やはり苦情が多く、これでも、地元の半分くらいに、匂いは抑えている。」のだそうです。
とても気に入って、よく通っています。
ある日、家族でこのラーメン屋に出かけましたが、すっかり東京育ちとなった私の子供たちは、店に入るなり、鼻をつまんでいました。「うっ、くさいっっ」。でも、おいしいのです。このラーメンが。
本場の味と香りです。
残念ながら、讃岐うどんでは、東京には、まだ本場の味を出すお店を見つけていません。
そうだ、私も、得意の日帰り旅行で、香川県まで、うどんを食べに行ってみようかな。
皆さんも、どうですか?
<おわり>
この病院は、木曜は、午後は休診でした。
午前中の診療が終わり、みんな帰り支度をしていたとき、母親が、4歳くらいの女の子を抱いて、病院に駆け込んできました。
目の前で、この子供が10円玉を飲み込んだと言うのです。
子供は、きょとんとしていました。
私と、私より3つ年上の独身のA先生が対応しました。
私はこのとき、すでに子供が一人いました。
40代で、子供が3人いるB先生もまだ、病院に残っていました。
A「とりあえず、お腹と胸のレントゲンとって来いよ。」
私「はい、分かりました。」
B先生は、
「これくらいの年の子は、片時も目が離せないんだ。子供が10円玉を飲み込むなんて、親の怠慢だ。」
と、一人、怒っています。
レントゲンが出来上がりました。
私「確かに10円玉らしいものが、食道の真ん中あたりに写っています。気管に落ちなくて良かったですね。今から、内視鏡で取り出します。」
A「うん。準備ができたら、呼んでくれ。」
私「子供だから、麻酔で眠らせますね。」
A 「うん、分かった。」
この間、B先生は、ずっと母親をしかり続けています。母親は、もう泣き出しています。
私「でもこれ、穴は開いてないので、5円玉や50円玉でもないし、大きさからは10円玉か、100円玉でしょうけど、周囲にぎざぎざがあります。たぶん、100円玉ですね。10円玉にぎざぎざがあるのは、昭和33年までで、かなり珍しいですよ。」
実は、私、コインのコレクターでして、各年代毎の、コインの大きさ、ぎざぎざの有無、製造数などを覚えています。
昭和62年の50円玉は希少です。おそらく、官製の記念硬貨セット用に製造されただけで、ほとんど市中に出回っていません。よく、昭和のコインセットなどが、通販で売られていますが、ほとんどが昭和62年の50円玉が含まれていません。これについて問い合わせると、悪質なコイン商は、この年には50円玉が製造されていないと答えますが、これは嘘です。
もし、あなたがお持ちの昭和のコインセットに、62年の50円玉が含まれていなければ、それは残念ながら、ほとんど価値のないものです。
逆に、あなたのお財布に、もし昭和62年の50円玉があれば、今すぐコイン商に持って行ってみてください。ものすごい値段で買い取ってくれるはずです。
話がそれました。元に戻ります。
午後からの予定が台無しになってしまったせいか、A先生は、不機嫌です。
A「母親が、10円玉って言ってるんだ。そんなこと、どうでもいいじゃないか。早く準備しろよ。」
私「ハーイ」
内視鏡が始まりました。すぐにきらっと光る銀色の物体を発見しました。
私「やっぱり100円玉だ。」
100円玉は、簡単に取り出せました。
処置が終わり、私とA先生は、医局に戻りました。
B先生は、まだ残っていました。
午後からの予定が台無しになったA先生と、母親の怠慢が許せないB先生は、かなり不機嫌でした。
私だけが、思ったとおり10円玉ではなく100円玉だったことで、心がうきうきしていました。
B「大体、母親ってのはなあ・・・」
A&私「先生、もうどうでもいいじゃないですか。」
B「どうでもよくないワイ!」
私「でもね、やっぱり10円玉じゃなくて、100円玉でしたよ。」
A&B「そっちの方が、どうでもいいワイ!」
<おわり>
]]>通勤途中に立ち寄った、浜離宮恩師庭園での光景です。
菜の花畑はすっかり刈り取られて、今は、ボタン園が見ごろです。
花の中に、小さな虫がいるのが分かりますか?
これは、ハナムグリという昆虫です。花の蜜や、花粉を食べます。
全身、花粉だらけです。
池では、イシガメがのんびり泳いでいました。
最近では、アカミミガメ、俗にミドリガメと呼ばれる外来種の亀が、勢力を伸ばし、日本古来のイシガメや、クサガメは、めっきり姿を消しました。横に、ボタンの花びらが浮かんでいます。
藤棚も、見ごろです。
秋には紅葉する、もみじの花です。
ちゃんと雄しべと雌しべがあります。
左右のプロペラ状の羽が、秋になり、種が成熟し、乾燥して軽くなると、分かれて、くるくると回転しながら飛んでいき、種を遠くに運びます。
今回は、以上です。
子供の頃の、一番の思いでは、やはり運動会でしょう。
小学校は、父親の仕事の関係で、九州の小学校に通いました。
九州の小学校では、体育の授業では、全員で「ヤー!」と言う掛け声をかけます。
何かにつけて「ヤー!」です。
全員起立で「ヤー!」、右向け右でも「ヤー!」です。
この風習は、全国共通かと、子供の頃は思っていましたが、九州だけのようです。
おそらく、ドイツ語の、イエスを意味する「Ja」(ヤーと発音します。)から来ているのだと思われ、戦争中に広まったと、私は解釈しています。
身近にいる、九州出身者に聞いてみてください。きっと、覚えていると思います。
九州の運動会は、家族総出はもちろん、地域総出で行われます。
子供が小学校に通っていない家庭の人も参加し、前の晩から、壮絶な場所取り合戦が繰り広げられます。
また、運動会には、町長さんはもちろん、警察署長とか、地域の名士と呼ばれる人は、みんな招待されます。
運動会が始まると、観客席のあちこちで、酒盛りが始まります。
お昼休みの、お弁当の時間には、すっかり出来上がっている人が、大勢います。
ひときわ、記憶に残るおじさんがいました。
このおじさんは、誰も、本当は何者なのか、知りませんでした。子供の父兄ではないことは確かです。
しかし、運動会には毎年呼ばれ、来賓席に座って、みんなからお酌をされていました。
午後一番の競技は、PTA参加の、借り物競争です。
そこで、このおじさんの登場となるのです。
この時間までに、このおじさんは、すっかり酔わされています。
トップバッターでスタートするや否や、千鳥足で、観客席に突っ込んだり、コースを逆送したりします。
みんな、やんややんやの大騒ぎです。
ゴールする頃には、毎年趣向を凝らした、こっけいな格好にさせられています。
大人も子供も、腹を抱えて笑いました。
運動会のメインイベントは、高学年全員による、鼓笛隊の行進でした。
私は、鼓笛隊では、指揮者をしていました。また、自慢話してしまいました<笑>。
その後、全国的に、子供の数が減少し、この当時、この町には、6つの小学校と、2つの中学校がありましたが、学校の耐震補強の予算がないことから、それぞれ1つに統合されました。
3年ほど前、この町を訪れる機会がありました。
当時は、子供たちの遊び声が絶えなかった公園には、人っ子一人いませんでした。
その代わりに「マムシに注意」の看板。
もう、運動会で、お酒を飲む父兄もいなくなったそうです。
少し寂しい気もします。
今回は、運動会の思い出話でした。
<おしまい>
]]>医局の人事で、ほんの4ヶ月間ではありましたが、四国で生活したことがあります。
四国の第一印象は、赴任期間が夏だったこともあり、気候はとても穏やかで、道行く人も、とてものんびりしている、と言う印象でした。
普通、朝の通勤途中で、横断歩道の青信号が点滅を始めると、走りますよね。
しかし、四国の人は、そこで立ち止まります。
赴任の挨拶に行った日のこと、副院長が対応してくれました。
副院長は、私に向かって言いました。
「君は、ゴルフはするのかね?」
私は、そんなことには目もくれず、仕事にまい進する所存でございます。と言った気持ちで、
「いえ、ゴルフはしません!」
と言ったところ、副院長は少しがっかりした様子で、
「だったら、野球は?」
と聞き返します。
なにやら、医師会の行事で、ゴルフのコンペや、野球大会が頻回にあるそうなのですが、いつも参加者が少なくて困っている、との事でした。
全てにつけてこの調子で、定時は5時15分のはずなのに、もう5時にもなれば、院内はお開きのムードで、医局も、もぬけの殻状態でした。
民間病院なのに、経営はこんなのでいいのだろうかと心配になりましたが、ほとんどの職員は、病院経営が、赤なのか黒なのか、気にしていませんでした。
私も、じきにこの雰囲気になれ、晴れた日は、午後5時に家族を病院の玄関に待たせ、それから車で10分ほどの海水浴場に行き、人気のない、きれいな瀬戸内の海で、思う存分、夕暮れまで海水浴を楽しみました。
ある日、あまりに暇だったので、内科病棟まで出向き、オペできそうな患者はいないか、探して回りました。すると、大学の先輩の内科医が、ちょっと診てもらいたい患者がいると、言ってきました。
患者は高齢の女性で、もう1週間も発熱が続いている。いろいろ調べたが、特に痛いところもなく、よく分からない。念のため、さっき、お腹のCTを撮った。ちょっと診てくれとの事。
早速、CTを見せてもらいました。私は、見つけちゃいました。右の鼠径部に二ボーがあるのを。
「先生、これは、鼠径ヘルニアのかんとんです。でなきゃ、こんなところに空気が写るわけないでしょ?今はまだ絞やくが不完全なため、イレウスにもなっていないのです。だが早晩、この飛び出している部分の腸が腐り、腸の内容物が、鼠径部の皮下に流れ出します。そうなると、この年齢の方は、ほうか織炎から、あっという間にゼプシスになりますよ。今からオペしましょう。このまま、かんとんを解除して、腸をお腹の中に戻しても、もう1週間もたっているので、おそらく、腸は元には戻りません。同じように腸が破れて、もっと怖い腹膜炎になりますよ。」
内科医は、
「そうかあ、そこは診てなかったなあ。」
「一緒に見に行きましょう。」
患者の鼠径部を診ました。赤くはれ上がっています。
「おばあちゃん、ここ痛くないの?」
「なんともない」
しかし、この腫れを見て、内科医も納得しました。
「今すぐ、オペしてくれよ。家族への説明は、こっちでするから。」
私もすぐに、外科の医長にCTを見てもらいました。
「ホントかね、その話。」
外科医長は半信半疑です。
しかし、何とか説得して、オペ室の手配をしてもらいました。
オペが始まりました。
私が診断したとおり、小腸が、後一歩のところで、破裂する寸前でした。
「ホントだ、君の言ったとおりだ、ああ、良かったよかった。」
外科医長も納得してくれました。
オペしているとの情報を聞きつけた、外科病棟の婦長が、オペ室にやってきました。
「いったい、何のオペしてるのですか?今日はオペ日でもないし。それに、この方誰ですか?見たことないですけど」
外科医長が言います。
「森多君がね、内科病棟で、おとなしく寝ているおばあちゃんを、ここまで引きずり出したんだよ。」
そう言って笑いました。
数日後、院長に呼び出されました。
「君は、いつも仕事が終わってから、家族と海に行っているそうじゃないか?」
院長の耳にも入っていました。私はてっきり、きちんと定時まで仕事をしろと、注意されるものとばかり思いましたが、
「で、どこに行ってるんだ?」
「あそこの海岸ですけど」
すると院長は、こう言いました。
「あそこはイカン、ちょっと沖に行くと、汐の流れが速くて危ない。小さい子供も連れて行くんだろ?だったら、わしが今から、もっといい海水浴場を教えてあげよう。」
ちょっと、拍子抜けしましたが、なんとも温かいお言葉。
楽しい期間は、あっという間に過ぎるもので、私の、海水浴ざんまい、讃岐うどんざんまいの日々は、終わったのでした。
うどんの話は、また別の機会に書きます。
GW期間、毎日更新してみましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
<おわり>
朝、布団の中で、うつらうつらと目が覚め始めました。
早く起きて、何かしないといけない。でも、眠い。
今日は何の日だ?そうだ、高校に行かなきゃ。
朝一から、T先生の英語の授業だ。しかし、予習をしていない。
また怒られるぞ~。そうだ、遅刻して行って2時間目の数学から出よう。
しかし、ここ1週間くらい、学校には行っていない。数学の授業もちんぷんかんぷんだ。
また今日も、サボろうかなあ。
しかし、こんなことしてたら、卒業できないよなあ。大学にも行けないし、将来一体何になれるのだろう。
ん?違うぞ。俺は高校は卒業して、大学に入ったはずだ。
今日は何の日だ?そうだ、生理学の試験の日だ。もう何度も落っこちてるぞ。
そろそろ合格しないと、進級できない。でもぜんぜん勉強していない。またサボろうかな。
いや待てよ。生理学は、仮進級した後、合格したはずだ。じゃあ今日は、何の日だ?
そうだ、卒業試験の日だ。国家試験の勉強もしないといけない。
いや、国家試験は、合格した気がする。医師免許はもらったけど、大学を卒業できなかったら、免許は取り消しになったのかな?
じゃあまた、今年も、国家試験を受けなおさなければいけないのか!あんな、まぐれは二度とおきないぞ!
大変なことになったぞ。もうこれ以上親にも迷惑はかけられないし、どうしよう。
いや、待てよ。今、俺は何歳だ?確か、27歳の気がする。それに、医者をしているぞ。
良かった、無事、大学も卒業し、国家試験も、一回で済んだんだ。
じゃあ、今日は何があるんだ?
そうだ、大事なオペがある日だ。頭の中で、十分にシミュレーションしたが、まだ不安だ。
しかし、あの後も、医者を続けているはずだ。俺はもっと年を取っているはずだ。確か35歳くらいだ。
結婚もしたし、子供もできたぞ。
だんだん、目が覚めてきたぞ。
ここは、どこだ?今は、いつだ?
わっ、女房が横にいる。俺より少し年を取っている。その横には子供が寝ている。
ずいぶんと大きくなったもんだ。いや、違うぞ、これは下の子だ。
と言うことは、上の子は、ウワッ、もっとでっかくなっている。
いや、俺の顔のほうがふけている。
何だこれは?!今、俺は何歳だ?
今日は何をする日だ?
普通に仕事だ。
これが現実なのか?
とすると、俺は、ずっと夢の中で生きてきたのか?
本当に夢のようだ。
<おわり>